プロローグ 禁忌の生命
――――――…………ポタッ…………ポタッ………
天井から染みでた雫がぽたり、ぽたりと地面に滴り落ちる音が、肌に纏わりつくような、ジメジメと重く湿った空気と、硫黄に似た息が詰まるような悪臭で満たされた、暗く冷たい地下牢の中に響き渡る。
唯一の光源は、檻の外の壁に立て掛けられた松明の、今にも消えてしまいそうな、弱々しい灯火のみ。
淡い光が、檻の中の角の隅に、捨てられた仔犬のように踞っている、小さな影を照らし出した。
その正体は、八〜九歳程の、幼い少女だった。
しかし、少女は普通の人間とは、明らかに異なる部位を幾つも有していた。
まずは、頭頂部に生えた、狼のそれを想わせる先端が尖った一対の獣の耳。
そして、背中からは汚れて霞んだ白い羽毛で覆われた、鳥の翼が生えていた。
双翼は、力なく折りたたまれ、身体を包むようにピッタリと、寄り添っている。
そして、腰から生えた、陶器のように滑らかな、細くしなやかな尾が、怯えるように身体へ巻き付いていた。
人と似て、明らかに異なる姿は、まさに異形。
しかし、そんな事実すら霞む程、少女の出で立ちは惨憺極まるのものだった。
床に広がる程の長さがある、本来は白かった髪は、あちこちが跳ねて乱れ、細かい塵やゴミが絡んで、泥と埃で汚れ、鼠のようにくすんだ色に染まってしまっている。
やせ細った小さな身体が纏っているのは、到底服とは呼べない、使い古された雑巾のような汚いボロ布一枚だけ。
長い髪の隙間から覗く瞳は、右は鮮やかな真紅、左は透き通った空色をしていた。
虹彩異色―――至高の宝玉のように、美しい左右対称的な瞳は、光を失い曇りガラスのように虚ろだった。
その下の目尻は、何度もこすって赤く腫れ上がり、見ているだけで痛々しい。
枯れた小枝のように細い手足には、明らかに他者の悪意によって付けられた、紫色の痣や擦り傷が、痛々しく刻まれている。
今にも折れてしまいそうな両手首、両足首には不釣り合いな、太く無骨な枷が嵌められ、それぞれ、黒光りする頑丈そうな大きめの鎖で繋がっていた。
枷の下に出来た擦り傷から、滲み出た血液が、赤黒く固まってこびりついている。
異なる瞳は怯えの色に染まり、鉄格子の向こうから、微かな物音が聞こえるたび、痩せ細った小さな肩を震わせる。
それを見れば、この牢で少女がどれだけ酷い仕打ちを受けてきたか、想像に難くない。
少女には、名前がなかった。
何処で生まれ、何処から来たのかも覚えていない。
脳裏に甦るのは、汚物を見るような嫌悪と蔑みに満ちた目、存在を否定する言葉と、恐怖と痛みに満ち溢れた終わりのない地獄の日々だった。
誰もが少女の姿を一目見る度、悲鳴を上げ、罵り、石を投げつけ、冷水を浴びせ、害獣のように追いたてる。
気持ち悪い。
禁忌の化け物。
呪われた生命。
幼子に向けるには、あまりにも惨い、凶器じみた暴言を、容赦なく叩きつける。
投げられた石の冷たさと、悪意に満ちた言葉の刃は、少女の心を容赦なくズタズタに引き裂いていく。
その中で、知った。
自分は、この世界で禁忌とされている術で生み出された生命であり、存在そのものが罪なのだと。
だから逃げた。ただ、逃げることしかできなかった。
泣きながら。ただ、生きたい。その一心で。
森を越え、山を越え、雨の日も雪の日も。
他者の目から逃れ、隠れながら、たった独りで、行く宛などなく彷徨い続けた。
孤独な時間が長すぎたせいか、いつしか声を出す事さえ忘れていた。
やがて、力尽きた少女は捕らえられ、抵抗出来ないよう、散々痛めつけられた末に、この暗く冷たい地下牢へと、ゴミのように投げ込まれた。
少し身体を動かすだけで、鎖が冷たい音を立て、足首の枷が食い込む。
その音に怯え、少女は肩を縮こまらせてぎゅっと目を閉じる。
やがて、小さく震える腕で自分の身体を抱き締めた。
寒い。
痛い。
怖い。
寂しい。
けれど、その想いを口にする事さえ許されない。
した所で、痛みが増えるだけだと、解っていたから。
暗闇の中で、とっくに枯れ果てたと思っていた
涙が溢れ、零れる度に、目元がヒリヒリ痛む。
枯れ枝のように、細く小さな身体を抱きしめながら、少女はただ一人、膝を抱えて震えていた。
――――――どうして………?
――――――生まれてきては、いけなかったのなら……
――――――なんのために、わたしは生まれてきたの……?
絶望の闇の中で、少女は誰に向けたのか定かですらない、問いを投げかける。
沈黙の中、答えは何時までも返ってはこなかった………。




