38話
賢治に電話がかかってきたタイミングで、いったん休憩のような空気が流れた。
ということで、スルメと愛嬌は喫茶店の奥の席でケーキを食べることにした。
ここは東京都目黒区自由が丘にある喫茶店『ディオゲネス倶楽部』。アンティークの振り子時計が静かに時を刻む、落ち着いた空間。
愛嬌の実家が経営しているため、こうして話し合いの場として気兼ねなく使えるのだ。
「うん、やっぱり美味しい」
スルメが小さな声で言いながら、フォークでアップルパイを口に運ぶ。その表情はどこか安心しているようだった。愛嬌は満足そうに頷いた。
彼女が食べているのはエクレア。ほのかに香るバニラと、しっとりした生地が自慢の一品だ。
そのとき、離れた席で賢治の声が聞こえた。
「え! 本当ですか、はい、はい………」
愛嬌が不思議そうな顔でスルメに話しかける。
「電話の相手って、お父さんなんでしょ?それなのに敬語で話すんだ。あいつって本当に変わってるわよね」
「うん……だけど、すごく助けられてる……」
「それはそうね。最初は『いない方がいいんじゃない?』って思ってたけど、話を整理してくれるし。なんでか分からないけど、苦楽のことをかなり信頼してるみたいだしね」
「うん……上級生の不良に絡まれてたところを、別のクラスだった苦楽が助けてくれて、それで仲良くなったんだと思う」
「へぇ……なんか前に聞いたことあるかも。あれって賢治が関係してたんだ」
「うん」
「ってことは、もしかして……その場面、スルメも見てたの?」
愛嬌は、高校時代のスルメと苦楽がいつも一緒にいた印象を持っている。
人目を引く金髪と整った顔立ちを持つスルメは、男女問わず注目の的だったが、それをことごとく跳ね返していたのが苦楽だった。
日本人離れした圧倒的な体格で、遠慮なく見てくる視線すら黙らせる存在感。
そのおかげでスルメは高校時代、一度もいじめに遭うことなく過ごすことができた。
クラスメイトたちの認識では、苦楽はただ体の大きいだけの奴。スルメに飼われている熊のような、でも困った時には頼りになる存在だった。
「うん。三人の男がひとりを囲んでるところに、苦楽がずんずん近づいていって声をかけたら、それだけで逃げていった」
「えー私もみたかったな!苦楽って、馬鹿みたいに体が大きいから迫力あるよね」
「ただ大きいだけじゃなくて、運動神経も良い」
「そうだったそうだった。体育祭のとき、リレーのアンカーで爆走して一位になってたもんね!」
ケーキを食べながら笑い合うふたりのもとに、賢治が電話を終えて戻ってきた。
どこか表情が硬い。
「……苦楽の行方がつかめないらしい」
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