六
「や、やめてくれー!」
バクチンに持ち上げられた男は、宙に浮かんだ両足をばたつかせながら叫んだ。ジョシュアはその後ろで静かに煙草に火を付ける。今では電子タバコが主流で煙草は高級な嗜好品となっているが、日本ではいくらか安く手に入る。ジョシュアは火を付けたマッチの火を手首を振りながら消して地面に投げ捨てた。フィルターを通して醸造された煙を肺に入れてからゆっくり吐き出す。口から吐き出された煙は、西から吹き込んだ風に流され冷たい海の上空へ向かって消えていく。その煙を追っていた目を再びバクチンに持ち上げられた男の方に向けて、ジョシュアは「あんなデマ握らせておいてタダで済むと思ったのか?」と口元に笑みを浮かべる。
「ち、違う! 何か誤解してるよ、あんたたち……」
「あ?」
バクチンの右手に力が入り、男はさらに高く持ち上げられる。
「…うガ、日本政府が絡んでる。あんたらが到着する前に奴らが情報源をすり替えたんだ」
ジョシュアは煙草の灰を右手の人差し指で軽く叩いて落とし、再び煙草をふかした。
「ほう。人のせいにするのか?」
「政府の人間を俺は知ってる! そいつがあんたらの探し物の在処も知ってるはずだ!」
「バクチン、放してやれ」
「こいつ、命惜しさにまたでまかせ言ってるに決まってるぜ」
バクチンは男を背後の壁に叩きつけた。
「う……がっ」
「バクチン!」
「チッ」
バクチンは男の胸ぐらから右手を離した。男はそのまま滑り落ちるように四つん這いになった。
「よし。じゃあ話してもらおう、その政府の犬とやらの居所を」
ジョシュアはロシアの諜報機関から預かったデータと男の話した情報を照合したが、一致する人物は見当たらなかった。
「もう一度、聞こう。本当にそいつが例のものの在処を知っているのか?」
「間違いねえよ。開発者なんだから」
「極秘プロジェクトってわけか。データベースに記憶されていない……」
ジョシュアは、男の右手の甲に煙草の先端をゆっくりと押し付けた。
「熱っ!」
男は右手を跳ね上げた。バクチンがその右手を取り、ゆっくりと男の体を持ち上げる。
「ほ、本当だよ! 間違いない、そいつが俺に例のやつを預けて身を隠そうとしてたんだ。俺はそんな危なっかしいことは御免だから情報を売ってさっさとこの件から離れたかったんだよ」
「ほう。じゃあ、お前はそいつの顔を見たんだな?」
「あ、ああ」
「よし。それが分かればいい」
ジョシュアは煙草をふかして地面に放り投げて、右足で先端を踏みながら火をもみ消した。そして、コートの右ポケットから黒い革製の手袋を取り出して両手にはめた。バクチンは右手で男の首根っこを掴んで壁に押し当てた。
「うぐっ……」
ジョシュアは右手で男のこめかみを抑えた。
「人間の記憶というものは、脳幹の上部に位置する海馬にいったん保存されて必要だとそいつが判断したものが大脳皮質に蓄えられて長期的な記憶として残っていく。今、お前は必死で男の顔や聞いた話を思い出そうとしていて活発にシナプスが電気信号を送っているはずだ。海馬に蓄えられる情報量はごくわずかだ。必要ないと判断された記憶は次々に消えていく……」
「な、何をする気だ?」
「お前の海馬から直接、男の情報をもらう」
「ひっ」
ジョシュアは左手で男の右眼を開き、右手を眼球の奥にゆっくりと突っ込んでいった。
「うぎゃーーーー」
眼球を引き千切り、その奥にあるタツノオトシゴのような形状をした海馬をつかみ取ってステンレス製で筒状の小さな電磁波凍結カプセルに素早く入れる。細胞に微弱エネルギーを送り細胞内の水分を瞬時に凍結させて細胞が破壊されるのを防ぐ。バクチンが手を離すと、男の身体はどさりという音を立て地面に落ちた。男の指先がひくひくと動くのを見て、ジョシュアは「始末しておけ」とバクチンに言い、スマホを取り出す。
「ああ、俺だ。有力な情報を手に入れた。解析が必要だ。すぐに本国に戻る。準備しておいてくれ」
ウラジオストクはソ連崩壊後、ロシアにおける極東の窓口として政府は積極的に外資を受け入れている。日本の直行便も週に一〇便以上が往来している。その裏で諜報機関の情報源となっていることも国内では周知の事実だ。管制塔近くの倉庫近くにエアクラフトを着陸させて、バクチンとジョシュアは、政府機でウラジオストクの政府直轄の研究施設へ向かった。
「こいつの解析を頼む」
ジョシュアはカプセルを研究員に手渡す。白づくめの研究員はカプセルを大型鍋のような容器にセットし、その中でカプセルは超高速で回転を始めた。その様子を見てジョシュアは部屋から出た。施設の屋上に出ると、吹雪で外の様子は全く視覚では確認できなかった。「ちっ」と軽く舌打ちして、ジョシュアはポケットから取り出そうとした煙草を元に戻した。ジョシュアとバクチンはこの研究施設で開発された。任務遂行のために無用な感情移入や恋愛感情は元から省かれているが、余りにも人間らしさが欠落していると彼らがエオニオティタイドであるということがすぐにばれてしまうので、ある程度の喜怒哀楽のシステムがインプットされている。彼は仮想家族を国際連合軍の誤爆で失ったという記憶を埋め込まれている為、国際連合加盟国の人間を容赦なく殺戮できるということらしい。馬鹿なバクチンが、ジョシュアの秘密だと称してあっさりと打ち明けてくれた。我々は任務遂行が基準となって記憶の取捨選択をシステムがおこなっているが、一体人間はどのような基準で記憶の取捨選択を行っているのだろうか? そんな素朴な疑問がジョシュアに浮かんだが、任務遂行に必要な感情ではないと判断され、即座に消去された。ジョシュアは再びコートのポケットから煙草を取り出し、右の手のひらで風を遮りながら火を付けた。煙草をふかして天を仰ぐ。その視線を圧迫するように重く立ち込めた灰色の雲がジョシュアの頭上に広がり、吹きすさぶ風が彼の消去された疑問を遠くへ運び去るようだった。
茶色のジャケット姿で、電子タバコをふかしている日本人らしき男がモニターに映し出された。そして、その男の後ろに大きなカプセルが見え、中に少女らしき人影がはっきりとはしないが確認できた。
「こいつか」
「はい。後ろの施設も型は古いですが、まず間違いないかと……」
研究員が、椅子に座ってモニターを確認しているジョシュアの背中に向けて答える。
「ハハッ! やっと見つけたな」
バクチンが二人の後ろでアメリカ製のポテトチップス“KETTLE”のソルト&ビネガー味を頬張りながら叫ぶ。
「ああ。やっとこの任務も終わりそうだ。……貴様、アメリカの菓子なんか食ってんじゃねぇよ」
「いいんだよ。旨けりゃ、どこの菓子だろうが。モスクワにもマクドナルドが山のようにあるじゃねえか。ロシアの菓子は甘いものばっかりだしな」
「ふん。プリャーニキは最高の菓子じゃないか」
「あれだって甘いよ」
「そうやって、全てが資本主義のシステムに回収されていくことが分からないのか?」 「いいものは取り入れていかなきゃ。ペレストロイカだって評価されてるぜ」
「なぜ貴様のような思考回路が開発されたのか、理解に苦しむな」
「言うね。俺たちみたいなエオニオティタイドが生き残っていくためにさ」
「まあ、いい。ここに映っている施設から場所を特定できるか?」
ジョシュアは、研究員の方に顔を向けて聞いた。
「すでに特定しています。東京の郊外のようです。しかし、衛星から送られてきた映像では、現在更地になっている様です」
「そうか……まあ、手がかりがあるかもしれない。バクチン、行くぞ」
「アイアイサー」




