十五
ユキトは生まれて初めて土煙というものを見た。立ち上る煙のように粉塵が彼の視界を遮っていて一メートル先で何が起こっているのか全く見えない。飛鳥マコはその粉塵の中に消えた。
「何だ? 一体どうなってるんだ?」
隣で飛鳥准教授が狼狽えていた。次第に粉塵は風に流され、大きな熊のようなシルエットが浮かび上がる。その右手に飛鳥マコと思われる人影が首の辺りを掴まれて持ち上げられているように見えた。
「マコちゃん!」
飛鳥准教授が叫びながら、走り寄ろうとしたので、ユキトは反射的に左手で止めた。相手は殺戮マシーンだ。人間の敵う相手じゃないし、飛鳥マコも軍事用に開発されたわけではない。絶望的な気持ちがユキトの中に溢れた。
土煙が収まり、巨大な白人男性(?)が右手一本で飛鳥マコの首根っこを掴んで持ち上げていた。大男の背中からは何やらヒューズや千切れたパイプなどが飛び出していた。あり得ない。漫画の世界だ。飛鳥マコは両手をゆっくりと上げて、大男の右手の親指と人差し指を掴んだ。そして、ゆっくりと外側へ折り曲げていく。バチバチと電流の流れる音とともに、大男の指が飛鳥マコの首から離れていく。
「うわー!」
ユキトは叫びながら、大男の右足に掴みかかろうとした。大男は周りを覆っていた皮膚型バイオ細胞が剥がれ落ち、剥き出しとなった赤く点滅する右眼らしきものをユキトに向け、右足を振り上げた。右足がユキトの身体に飛び込む前に、飛鳥マコが大男の右手首に両手をつき逆立ちしながら飛び出して、両手をクロスして右足の蹴りを受け止めた。ユキトとともに凄い勢いで吹き飛ばされ、マンションの外壁に打ちつけられた。飛鳥准教授が二人が吹き飛んだ場所に駆け寄った。
「プロトタイプか……“飛んで火に入る夏の虫”って日本語では言うんだろ? こういうの」
バクチンは半分皮膚細胞が剥がれ落ちた顔をニヤつかせたように見えた。ユキトは目の前に倒れている飛鳥マコの身体を掴み揺さぶった。
「ねえ! しっかり!」
飛鳥マコの両腕は先程の一撃で外側に折れ曲がっていた。折れ曲がった場所からバチバチと電流が流れている……改めて彼女が本当に人間ではないことがユキトには分かった。
「なんてことだ……マコちゃん」
飛鳥准教授はただ二人の隣で茫然と立ち尽くしていた。
「二人とも……ここから逃げて」
飛鳥マコはゆっくりと立ち上がりながら、二人に呼びかけた。
「ここは警察に任せよう。みんなで逃げるんだ。奴らの狙いはマコちゃんなんだから」飛鳥准教授はそう言って、飛鳥マコの左肩に手を置いた。
「いいから、早く!」
飛鳥マコは、今まで見たことのない様な形相で巨大な敵を睨みながら、大きな声で叫ぶと飛鳥准教授の手を振り払って、駆け出した。バクチンは両手を大きく広げて駆け寄る飛鳥マコを叩き潰そうと勢いよくその両手を閉じた。彼の両手が体を捉える瞬間に飛鳥マコは、大きく飛び上がり、回転しながらバクチンの右肩に右足を振り下ろした。そして、よろめくバクチンに向かって両腕を投げるように顔面に叩き込んだ。飛鳥マコの両腕はその一撃で完全に肘から下が千切れてしまった。バクチンはその巨体を浮かび上がらせて後方に吹き飛んだ。再び土煙が上がり、その巨体を覆い隠した。
「何なんだよ……これ?」
やっと追いついた寺岡は、両腕を失った女子高生と血だらけの男子、そして狼狽える幸の薄そうな男と土煙の舞い上がる大震災の後のようなマンションの中庭の情景を見て茫然とした。
「さあ、みんなは帰って。奴らの狙いは私なんだから」
飛鳥マコの千切れた両腕の断面から流れ出る電流がバチバチと音を立て、銅線が赤や緑のビニールカバーから飛び出ている。
「何で狙われてるんだ? あいつら何なんだよ?」
ユキトは額から流れる血を手のひらで拭いながら飛鳥マコに尋ねる。
「彼らがどこの誰だかは分からないが、マコちゃんは世界で初めて製造されたエオニオティタイドという人造人間で何だか分からないけど、今になって何か他の国にない機能を彼女が持っていると分かったんじゃないかな。これは私の推測だけど」
飛鳥准教授が飛鳥マコに代わり答えた。
「ちょ、ちょっと待ってください! 日本でエオニオティタイドの開発は許可されてませんよ」
寺岡が割って入る。
「もちろん。政府の極秘プロジェクトだったそうですよ。この事件もきっともみ消されるでしょう……助かっても、我々の身は以前として危険であることは間違いない」
「黒田さんが捜査から外されたのは、じゃあ……」
「何らかの圧力があったことは間違いないでしょう」
「今はそんなことはどうでもいいよ……」
ユキトは警察とか日本とか国家なんて大きな話が、ユキトの家族と飛鳥マコを巻き込んでいることに言い様のない怒りを覚えた。そしてその中で誰一人守れない自分自身に一番腹が立った。そして、その情けなさに涙がこみ上げてくるのを必死でこらえようと両拳を強く握りしめた。飛鳥マコの背後に巨大な影が映るのが見え、ユキトは駆け出した。
「危ない!」
寺岡は、背広の内側のガンホルダーに収めていたSIG SAUER P230のグリップに手をかけてそれを引き抜いた。頭部の半分を失ったバクチンが、背後から飛鳥マコにその巨体からは想像できないスピードで襲い掛かって来た。寺岡が放った銃弾はバクチンの左肩に命中したが、バクチンは止まらず、飛鳥マコの後ろに飛び込んだユキトの腹部にバクチンの右拳が突き刺さった。




