表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Autocracy Idea  作者: 松尾模糊
10/17

 「なんだよ……これ?」


 ユキトが家に戻ると、家の中はぐちゃぐちゃに荒らされていた。何が起こったのか、意味が分からないユキトは一先ず、母親の由紀子の無事を確かめるために「お母さーん」と玄関先から呼びかけた。そんなに大きな声を出したつもりはなかったが、思いの外ユキトの声が家中に響き渡り、ユキトは少し驚いた。返事はない……静まり返った家の中は、散らかっていたことも手伝ってとても住み慣れていた場所だとは思えない、異様に不気味な雰囲気が漂っていた。ユキトはスニーカーを脱ごうと、左足のつま先で右足の踵の上部を踏んで右足のスニーカーを脱ぎ右手で左足のスニーカーを掴んで剥ぎ取るように脱ぎ捨てた。少しつんのめりながら、玄関の右端に倒されていたスリッパ立ての方に右足を上げるとチクッとした痛みが踵の方に走った。「痛っ!」と声を漏らし、ユキトは右足を右手で掴み、足裏を見ると、靴箱の上で倒れて割れていた陶器の花瓶の欠片が突き刺さっていた。左手の人差し指と親指でその欠片を掴み、脱靴場の方へ放り投げた。白いソックスに少し血が滲み、赤い点ができた。暫くその赤い点を見つめていると、これが夢である様な気がしてきた。それはユキトの潜在的な願いでもあった。ジークムント・フロイトは夢は潜在的な願望を充足させるために見るものであると言ったが、その通りでユキトはこれから悪い予感しかしないこの現実を夢として受け入れたい願望を無意識に抱いていたのである。

 ユキトは意を決し、正面に見える木の枠にガラスがはめ込まれた扉を開けて、キッチンダイニングに入った。こんなに書類が家にあったのかと改めて驚くほどの紙束や、母親が年に一回必ず訪れていた近所の公園で行われている陶器市で買い込んだ有田焼やら波佐見焼の食器が散らばっていた。空き巣か強盗か……テレビか漫画でしか見たことのない様な犯行現場が目の前に広がっている。なぜウチが? そんなどこかで聞いたことがある様な台詞が口から出そうになって、ユキトは思わず笑ってしまった。「お母さん?」不謹慎な笑いを誤魔化すようにユキトはもう一度さっきよりもくぐもった声で呼んだ。ガタッという音が二階から聞こえ、ユキトは身体を縮こまらせた。もう一度耳を澄ませてみたが、再び訪れた不気味な静寂だけがそこには佇ずんでいた。ユキトは息を潜めて再び玄関の方へ戻り、二階へ上がる階段を上る。階段の折り返す壁面にある摩りガラスから沈みかけた太陽の光が差し込み、ユキトの足元を明るく照らすが、かえってそれが不気味さを引き立てる。ユキトはもう一度二階へ向かって呼びかける「お母さん?」。返事はない。階段を上りきると手前にはトイレがあり、右手に由紀子の寝室がそしてその向かいにユキトの部屋がある。ユキトは忍び足で由紀子の寝室へ向かった。少し開いた引き戸の外から中を覗く……

 寝室のエアコンの排気管とエアコンの間に掛けられたロープの下にぶら下がる影が見えた瞬間、ユキトは大きく息を吸い込み、口を両手で覆った。息ができず、血走った目から涙が出る。ユキトは大きく息を吐き出し、呼吸を整えるように心掛けたが、震えが止まらず肩で息をするようなかたちになった。鼻水が垂れるのも構わず、顔をグシャグシャにしながら引き戸を開けた。エアコンは季節外れの冷房が起動し部屋は凍える程寒かった。沈んで行く太陽の光が、宙に浮く骸となった由紀子のストッキングに覆われた足元を照らしていた。


 「……それで部屋に入ったら、すでに首を吊って死んでいたと」

 「……はい」

黒いトレンチコートを羽織り、黒いハット帽を被った黒づくめのその刑事の差し出した名刺に記された黒田という名前を見て、もう一度彼の眼光鋭い角ばった顔を覗き込んだ。この時代にメモ帳にボールペンでメモを取っていることにも驚きを隠せなかったが、彼の口元の右側に入った切り傷の痕に目が行ってしまい、思わず顔を逸らした。


 警察は物的証拠が見つからず、死体の状況からも強盗殺人ではなく、体内から検出された精神安定剤の成分と、過去に精神病院から離婚調停中に受けていた躁うつ病の診断書から精神安定剤の大量摂取による一時的な錯乱と自殺という結論で捜査は打ち切られた。黒田からその報告を受けて、ユキトは愕然とした。母親がそんなことをするはずがないのはユキトが一番わかっていた。握りしめた両こぶしに力が入り、わなわなと震えた。黒田は黒いハット帽を脱ぎ、「すまない……」とスキンヘッドの頭を下げた。そして、震えるユキトの肩に手を置いて「俺は自殺じゃないと思ってる。錯乱きたすくらい薬飲んだ人間があんなに込んだやり方で首吊ったりするわけがない。自殺に見せかけた人間がいると考える方が普通だ。だが……」とユキトの耳元で話を切り、「ここからは大人の問題だ。必ず犯人のしっぽを掴む」と言い残して、若い刑事の運転する黒いセダンに乗り込み立ち去った。ユキトは黒田が去り際に彼のズボンのポケットにねじ込んだ、くしゃくしゃの紙切れを引き伸ばした。そこには父親の名前とスマホの番号らしき数字が記されていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ