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きっと一生縁がないもの  作者: 冗長フルスロットル
第二章 恋人たちの10月
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イヴェットが目を覚ました時、彼女は自分がどこにいるのか分からなかった。


とりあえず天井を見て、彼女はここが自分が生まれ育ったナルフィ城でもローゲの別邸にある自分の部屋でもないことを悟った。


視線を下げて壁や窓に視線を移してみるものの、やはり覚えがない。


イヴェットはゆっくりと上半身を起こした。


すると、自分の衣服が乱れていることに彼女はすぐに気づいた。背中のボタンが全部開いている。


「え……?」


イヴェットは戸惑いながら慌てて背中に手をやった。できる限り首を回して自分が今どういう状況になっているのか見ようと努め、一生懸命伸ばした手で背中のあちこちに触れる。


コルセットのひもの結び目が見つからない。


今イヴェットは少しも苦しくないので、コルセットのひもがほどけたのだと思った。


イヴェットは混乱した。一体何がどうしてしまったのだろう。


必死で記憶を辿ろうとした瞬間、


「イヴェット、起きたのか?」


と背後から声をかけられ、イヴェットは心底驚いてしまい、びくっと体を震わせた。


「スヴェン様……?」


ドアのところで立っているスヴェンの姿が目に入り、イヴェットはようやくさっきまで彼と二人でいたことを思い出した。


「気分はどうだ? 大丈夫か?」


イヴェットが目覚めたらすぐ気づけるようにあえて寝室と居間を繋ぐドアを開けたままにしておいたスヴェンは、つかつかとベッドに歩み寄り、そのままベッドに腰を下ろした。


彼は明らかに状況がつかめずに困惑しているイヴェットの背中に手を伸ばし、ゆるめに彼女のコルセットのひもを結ぶと、背中のボタンを下から上に向かってはめていった。


イヴェットは背後で手早く自分の着衣を手伝ってくれるスヴェンに対し、慌てて


「はい」


と返事をした。


スヴェンは一度立ち上がり、今度はイヴェットの前に座った。


「あなたの飲み物の中にアルコールが入っていて、それであなたは酔って眠ってしまったんだ」


イヴェットは自分が飲んだオレンジ色の液体のことを思い出した。


最後に口の中に残ったかすかな違和感の正体はアルコールだったのだ。そう悟り、謎がとけてすっきりしたような気がしたが、その後の記憶がない上に着衣が乱れていたことに思い至り、イヴェットは青くなった。まさか自分は吐いたりしていないだろうか。


「ご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありません……。私、何か粗相を……?」


弱々しい声で訊かれ、別に彼女を責めたかったわけではないスヴェンがイヴェットを見たところ、彼女はへそのあたりで祈るようにぎゅっと両手を組み、不安げな表情を浮かべていた。


「いや、粗相なんて何もしていない」


スヴェンは片手を伸ばし、イヴェットの手に自分の手を重ねた。


「あ、念のために言っておくが、あなたがコルセットがきつくて苦しいと言ったのでひもをほどいた。誓ってそれ以上のことはしていない」


スヴェンはもう一方の手を胸に当て、自らの潔白を宣言した。


彼の言葉にイヴェットは今度は真っ赤になった。彼の前ではいつだって隙のないちゃんとした淑女でいたいのに、酒に酔ったからとはいえコルセットがきついなどという本音を口にしてしまうなんて、イヴェットは穴があったら入りたかった。


「ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした………」


あまりの情けなさにスヴェンを見る勇気がなかったイヴェットは顔をうつむかせ、震える声で謝罪した。


「俺は迷惑なんてかけられていない。謝る必要などない」


スヴェンがはっきりとそう言ってくれたから、今にも泣き出してしまいそうだったイヴェットの涙腺が決壊してしまった。


スヴェンはイヴェットの手に触れているほうの手はそのままに、もう一方の手で上着の胸元のポケットをまさぐった。それから彼は取り出した白い布をイヴェットの濡れた目尻にそっと押し当てた。


スヴェンはイヴェットの涙を拭ってから、手に持っていたそれを彼女に握らせた。


渡されたハンカチを使って自分で涙を拭おうと思ったイヴェットがふと手の中のそれに目を落とした時、布の角に見覚えのある刺繍があったので、イヴェットは驚きに大きく目を見開いた。


「これ……は……」


自分の目に映るものが信じられなくて、イヴェットは思わずぎゅっとハンカチを握りしめ、スヴェンをまっすぐに見つめた。


「ああ、あなたが前に贈ってくれたものだ」


「使って……下さったのですか……?」


イヴェットは半信半疑で再び視線を落とし、確かに自分が一針一針想いを込めて縫った三輪のヤグルマギクの刺繍を見つめた。


あの時のイヴェットは、スヴェンのために何かしたいという気持ちでこのハンカチを贈った。実際に使っていただかなくても構わないわ、という気持ちで、これは自分がそうしたいからそうするのだ、自己満足のためなのだ、と割り切っていた。


彼がこれを持っていてくれたその事実が嬉しくて、イヴェットの目に再び涙が浮かんだ。


ところが、スヴェンが歯切れ悪そうに


「………使えないんだ」


と続けたため、イヴェットの喜びは急速にしぼみ、彼女はかえって不安になった。


もったいなくて使えない。イヴェットを深く傷つけてしまった身では申し訳なくて使えない。スヴェンはこの二つの理由から、イヴェットに『使えない』と言った。


スヴェンがこれら二つの理由をイヴェットに明確に伝えていたら彼女は不安になる必要はなかったのだが、いかんせん『もったいない』とか『申し訳ない』といった言葉は王子の彼には使用頻度が少ない語彙だったため、とっさには出てこなかったのだ。


イヴェットはスヴェンの言葉の意味を必死で考えた。使い勝手が悪いから使えないのだろうか。それとも、気に入らないから使いたくないのだろうか。はたまた別の理由があるのだろうか。


けれどスヴェンの次の言葉が結果的にはイヴェットの誤解を無事に解くこととなった。


「また作ってくれないか?」


スヴェンはこのヤグルマギクの刺繍のハンカチを自分への戒めとして使わずに大切に保管しておきたかった。だから、普段使い用に別のものを自分のために作ってほしいとイヴェットに頼んだのだ。


一時はこのハンカチを贈ったことが迷惑だったのではないかとまで疑ったイヴェットだったが、新たに依頼されたということは少なくとも迷惑というわけではないのだろうと思い、彼女はこくこくとうなずいた。


彼のほうから求められて、イヴェットは泣きたくなった。


「はい」


と声を絞り出すことさえ困難なほど、喜びで胸がいっぱいになってしまった。


イヴェットの返事に、スヴェンはほっとしたように一つ息を吐いた。


それから彼に抱き寄せられ、何度もくちづけられている間、イヴェットは緊張と喜びで手の中のハンカチを握りしめた。


どれくらいの時間彼の腕の中にいたのかイヴェットには分からなかったが、スヴェンはふいに両腕の力をゆるめた。


彼はイヴェットの手を優しく取り、


「それより、食べ物がまだたくさん残っている」


と半ば強引に彼女を隣の居間へと誘った。


指と指とを絡めることで密着した手を引かれ、イヴェットは


「はい」


と返事をしてベッドから下りた。


彼とのこの近い距離が嬉しくて、イヴェットはまた泣きたくなった。


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