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きっと一生縁がないもの  作者: 冗長フルスロットル
第二章 恋人たちの10月
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ラザールがアリーヌの部屋に向かい、スヴェンとイヴェットが外へ行ってしまうと、シルヴィは思いっきり口を尖らせてニコラスに突っかかった。


「どうせニコラスだって、私のこと、じゃじゃ馬とか変わり者だと思ってるんでしょ!?」


彼女の意識は兄ラザールに向いたかと安心していたのに、話を戻されてしまい、ニコラスはやれやれと肩をすくめた。


ニコラスはティティス人ではないものの、ティティスの社会においてはシルヴィがじゃじゃ馬の範疇に入ることは知っているし、彼女がじゃじゃ馬娘かそうでないか訊かれれば、やはり前者であるとは思う。しかし、ニコラス自身がシルヴィをじゃじゃ馬呼ばわりしたわけではないのに、彼女はすっかりおかんむりらしい。


何て理不尽なんだ、とニコラスは心の中で苦笑した。


「仮にお前がじゃじゃ馬の変わり者だったとして、それの何がいけないんだ?」


「いけないから、皆私のことをそうやって呼ぶんでしょ!?」


「他人の言うことなんて放っておけよ」


「でも……」


椅子に腰かけながら前のめりになったシルヴィに向かってニコラスは手を伸ばし、彼女の口を塞いで彼女の言葉を遮った。


「それに、俺はお前がじゃじゃ馬でいいと思っているよ」


ニコラスがそう言うと、シルヴィは目を丸くした。自分の突っかかってしまう態度を煩わしく思われたりうっとうしがられたりすることは想像していたが、まさかじゃじゃ馬であることを肯定する言葉が返ってくるなんて思いもしなかったのだ。


「え?」


ニコラスはシルヴィの口を塞いでいた手をずらし、今度は人差し指と中指で彼女の左耳の耳たぶを軽く挟みながら彼女の頬に触れた。


「じゃじゃ馬っていうのは、扱いが難しい馬のことだろう? 上等じゃないか。お前がもし馬だったとして、俺はお前の長所だって短所だって分かっているつもりだ。だから乗りこなしてみせる」


自信がみなぎっているニコラスのまっすぐな視線に射抜かれて、シルヴィの胸がふいに熱くなる。


「ニコラス……」


確かにそうかも……。


ニコラスは私の扱い方をよく分かっているわ、きっと、誰よりも一番。家族以上に。


シルヴィは自分がニコラスの掌の上でうまく転がされているような感じがしたが、普段はそんなことを意識しないし、そう気づいたとしても不思議と悔しくないのだ。


彼以外の人間に同じことを言われたとしたら、シルヴィはきっとこう返すだろう、うぬぼれないで、そんなの自信過剰よ、と。


ところが、ニコラス相手にはそんな気持ちが全く湧き上がってこない。むしろ自信満々の彼の口調と態度を嬉しく思ってしまった。


どこか挑発的でさえあったニコラスは、ふっと笑ってから


「だから、お前は他の男なんて乗せるなよ? お前に乗るのは俺一人で十分だ」


と冗談めかして言った。


真剣な雰囲気では何と返事したものか迷うところだが、冗談っぽく言われたから、シルヴィは自然に反応することができた。


「乗せないわよっ!!」


とシルヴィは即答した。


「よかった」


はっきり宣言したシルヴィに、ニコラスは満足そうに笑った。ニコラスは今度は手を上方向へと移動させ、まるで子供に対してするように、シルヴィの頭をくしゃくしゃと撫でた。


余裕さえ感じるニコラスの態度に、シルヴィは嬉しいような悔しいような気分になった。自分は怒ったり不機嫌になったりと忙しいのに、動じていない様子のニコラスが何だか憎らしかった。


けれど、やはり本当はシルヴィだって分かっているのだ、彼がこの世界で一番、自分のことを受け止めてくれていることを。彼だけがシルヴィに自分がしたいようにさせてくれ、それでいてちゃんと自分のことを見守っていてくれる。自分でも把握できないくらいのものすごく長い手綱を握られているような感じだ。自分では放し飼いされているように感じても、実際にはニコラスはちゃんとシルヴィの手綱を握っているから、彼女は自由でいながらも、彼からはぐれることはない。


「………あなたがそんなに私に対して寛大でいられるのは、過去の恋愛でいろいろ経験したからなの?」


シルヴィは今までニコラスの過去なんて気にしたことがなかった。彼に以前恋人がいたことは何となく感じていたが、それはもう過去のことなのだし、気にしても仕方ないと思っていた。


ニコラスのほうも、自身の過去の恋愛をシルヴィに話して聞かせたことはない。


だが、彼が過去の恋愛をほのめかすようなことを聞いた時、シルヴィはもやもやしてしまった。彼の過去の詳細なんて聞きたくないのに、聞いたって何の益もないのに、同時にものすごく聞きたくなってしまったのだ。


シルヴィの声にしっかりと感情がにじんでいたせいなのか、ニコラスは彼女の頭の上に置いていた手を引っ込め、腕を組んで天井を仰いだ。


「寛大かな? 俺自身はそんな大げさなものじゃないと思うけど……」


「さっき、『おかげでお前相手にも大きく構えて対処できる』って言ってたじゃない……」


ニコラスは視線を動かし、シルヴィを見やった。


目が合った瞬間、彼はにやりと笑った。


「何だ? 妬いてるのか?」


「そっ……そんなんじゃないっ!!」


シルヴィは慌てて否定したが、自分の心情を言い当てられた気がしてどきりとした。


………でも、これってやっぱり、ニコラスの過去に嫉妬してるってことなの……?


シルヴィはそう自問したが、認めたくはなかったので、照れ隠しの意味も込めてふんっと顔を背けた。


「もういいわよ! 人が真面目に話してるのに、ニコラスはすぐそうやって茶化すんだから……!」


何だか恥ずかしくて、シルヴィはニコラスから顔を背けた今の体勢がありがたかった。彼と直接顔や目を合わせなくてすむからだ。


「過去の経験があったからこそ、今の俺があるんだ。だから俺は今までの経験を否定しないし、したくもないよ」


顔をニコラスとは逆方向に向けているため、シルヴィには彼の表情は見えなかった。しかし耳からの情報、つまり彼の口調は堂々とした落ち着いたもので、シルヴィは彼の言葉の中に確固たる信念のようなものが存在することを感じとった。


「………………………」


いつもは友達のように近くにいるのに、何だか急にニコラスが大人になってしまったような、自分から離れていってしまったような気持ちになって、シルヴィは切なくなった。


「シルヴィ?」


異性を好きになったのも、恋愛関係に発展したのも、シルヴィにはニコラスが初めてだ。彼が持っている過去の恋愛の経験というものを、シルヴィは持ち合わせていない。


彼が持っているものを自分も手に入れたい。それがあったら、遠ざかってしまったように感じられた自分と彼の距離を縮めることができるのだろうか。


「………私も、過去の経験が欲しい」


シルヴィはむうっと頬を膨らませて顔をうつむかせ、ひざの上で組んだ両手の指を落ち着きなく動かした。


「はぁ? どういう意味だ?」


ニコラスは上半身を乗り出し、シルヴィの顔を覗き込んだ。


彼からの視線を感じ、シルヴィはしぶしぶニコラスと目を合わせた。


「だって、不公平じゃない! ニコラスにはたくさん経験があるのに、私にはないんだもの……」


「俺はいいの! 過去の経験が今役に立って、そのおかげでお前と今こうしていられるんだから」


ニコラスは傾けていた上半身を元に戻し、腕を伸ばしてシルヴィの二の腕をつかむと、そのまま彼女を引き寄せた。


腕を引かれたシルヴィの腰が椅子から浮き上がり、彼女はそのまま恋人の胸元に倒れ込んだ。


「……………………」


ぎゅっと抱きしめられたこともあって、シルヴィは何となく反論することができなかった。


そのうちに彼女はニコラスにあごを持ち上げられた。


「でも、お前には必要ないだろう? それとも、俺じゃ物足りないから他の男と恋愛してみたいという意味なのか?」


「違うわよ!! ………でも」


「じゃあ、やっぱりそんなの必要ない」


ニコラスは彼が導き出した結論を上乗せすることで強引にシルヴィの言葉を遮り、


「分かった?」


とシルヴィに念押しした。


「………うん」


この状況は、無理矢理他人から意見を押しつけられたような、シルヴィにしてみれば最も嫌いな展開のはずなのに、ニコラス相手にはやはり少しも反抗心が湧いてこなかった。他の誰でもないシルヴィが納得したからなのだろうか。


シルヴィがこくんと小さくうなずくと、ニコラスは何も言わなかったが、目を細めて微笑んだ。


それを見たシルヴィは何だか安心してしまった。自分でも気づかないうちに少しだけこわばっていた彼女の体から力が抜け、シルヴィはニコラスに全体重を預けた。


互いの体に両腕を回し、しっかりと抱き合った二人は、そのままくちびるを重ねた。


シルヴィの全てを奪おうとするような激しく強いものではなく、彼女の性格の頑なな部分を溶かそうとするような優しくて温かいキスだった。


繰り返し触れる彼のくちびるから彼が自分に寄せてくれている気持ちが流れ込んでくるような気がして、ああ、ニコラスは本当にじゃじゃ馬の私を乗りこなしているんだわ、とシルヴィは思った。


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