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一人食堂を飛び出したアリーヌは、廊下に等間隔に並べられているろうそくの明かりを頼りに自分の部屋へと戻った。
ずんずんと歩きながら、彼女は時折こぼれ落ちる涙をごしごしと拭った。
ラザールに全く悪気がないことも、よかれと思って自分に明日出かけるよう勧めてくれたことも、アリーヌだって頭ではちゃんと分かっている。
だが、心がどうしてもついていかなかった。遠回しに自分とは一緒にいたくないと言われたような気分だった。
ラザールの馬鹿っ!!
馬鹿っ!! 馬鹿馬鹿馬鹿っ!!
あんな熱々のシルヴィとイヴェットたちにくっついて外出しろって言うの!?
そんなの、彼女たちにしてみたら明らかにお邪魔虫じゃないっ!!
んもう、そんなこと言うなんて、信じられない!!
無神経にもほどがあるわっ!!
足を一歩前に出すごとに、アリーヌは心の中でラザールをなじった。
自分が使わせてもらっている部屋に着いたアリーヌは荒々しい手つきでドアノブを回し、素早く廊下から部屋の中へと自分の体をすべり込ませ、怒りをぶつけるようにバァンッ!! と音を立てながら思いっきりドアを閉めた。
部屋の中へと入った瞬間、アリーヌの怒りは悲しみに変わった。
私ったら……、一体何のためにローゲまで来たの?
シルヴィとイヴェットが婚約者に深く愛されているさまを見るため?
自分がシルヴィとイヴェットみたいに愛されていないことを実感するため?
こんなに虚しい気持ちになるために、ローゲまで来たっていうの!?
アリーヌは惨めな気持ちに押し潰されそうになり、その場で泣き崩れた。
ドアの開閉の音で部屋の主のアリーヌが戻ってきたことを知ったのだろうか、ドアの向こう側で侍女が遠慮がちにアリーヌと彼女を隔てているドアを軽く叩いた。
「アリーヌ様、お戻りになられたのですか? 明かりをお持ちしますか?」
アリーヌは慌てて涙を拭い、震える声で
「ええ、お願い」
と答えた。
「かしこまりました。今すぐお持ちいたします」
侍女のパタパタという足音がだんだん聞こえなくなっていった。
アリーヌは大きく息を吸い込み、すくっと立ち上がった。
彼女の胸には再び怒りが舞い戻ってきた。
もうっ!! 明日帰ってやるんだから!!
これ以上ローゲにいたって、シルヴィやイヴェットの仲睦まじさを見せつけられるだけなんだもの!!
どうせ私には、ラザールとの間にときめきなんてものを感じることはないのよっ!!
決意を込めてアリーヌは荒々しいしぐさで目尻から頬へと伝うしずくをごしごしと拭い、深呼吸した。
そこで再びドアがノックされたので、侍女が明かりを持ってきてくれたのだと思ったアリーヌはさっとドアを開けた。
するとそこにはアリーヌが予想したとおり明かりを手にした侍女がいたのだが、その横には少し息を切らしたイヴェットもいた。
イヴェットは侍女から明かりを受け取り、礼を言って侍女を下がらせた。
そして二人きりになると、イヴェットは心細そうな声で
「アリーヌお義姉様……」
とアリーヌの名を呼んだ。今はイヴェットの手の中にある明かりが彼女の不安げな表情を浮かび上がらせている。
アリーヌはそっと手を伸ばした。イヴェットが持っている明かりが欲しかった。明日朝一番にここを出るために、今夜中に荷物をまとめておきたい。そのためには光が必要だ。光源がないアリーヌの部屋は今、漆黒の闇に包まれていてろくに何も見えない。
イヴェットはアリーヌの名を呼んだきり、他に何も言わなかった。心優しい彼女の性格から察するに、アリーヌに何と声をかければいいのか迷っているのだろう。
アリーヌのほうも何と言えばいいのか分からなかった。
「イヴェット……。私、明日帰ろうと思うの。ラザールが元気なのもこの目で見たし、あなたとシルヴィにも会えたし……」
イヴェット、シルヴィとたくさん話した時間はアリーヌにとってもものすごく楽しかったし、本当ならばアリーヌももう少し彼女たちと一緒に過ごしたかった。スヴェンが歌劇のチケットを取ってくれたのかどうかアリーヌは知らなかったが、もしそうなら、観劇への未練もある。
けれど自分だけが婚約者に熱烈どころか少しも愛されてはいない環境の中で過ごすのはアリーヌにとってみればやはりつらさや惨めさをともなう。
「そっ……そんなっ!! ああっ、お義姉様、どうかそんなことをおっしゃらないで下さい……!! 兄は、その……、口下手といいますか……」
イヴェットはあからさまにうろたえ、必死に言葉を絞り出している。
「…………分かってるわ」
何だかイヴェットが気の毒に思えてしまって、アリーヌは彼女の言葉に理解を示した。ラザールが口上手ではないことを、アリーヌも知っている。
イヴェットはアリーヌの言葉に安堵したのだろうか、目元は困惑しながらも、口元を少しゆるませた。
「悪気はないのですが言葉が足りない兄の代わりに、どうかお詫びさせて下さい、お義姉様」
「…………分かってる」
アリーヌは低い声でそう言った。
それを聞いたイヴェットは、アリーヌが機嫌を直し、明日帰るという気持ちを変えたのだと思い、安堵の息を吐いた。
ところが、アリーヌが
「けど……」
と続けたから、イヴェットの表情が凍った。
悪気がないのなら何を言ってもいいの!?
悪気がなかったら、言葉が足りないことも全て受け入れなければならないの?
さすがにそれをラザールではなくイヴェットにぶつけることは気が引けて、アリーヌは心の中で叫んだ。
アリーヌはイヴェットのほうへと伸ばしたままにしていた両手をさっと動かし、固まったイヴェットの手から明かりをできるだけ荒っぽくならないように気をつけながら奪った。
「ありがとう、イヴェット」
イヴェットが我に返った時、明かりはすでにアリーヌの手の中にあった。
イヴェットに自分が彼女に対しても怒っているとか不快に思っていると誤解されたくはなかったので、決して感情に任せたようには見えないように、素早くもなるべく音を立てないように努めて、アリーヌはそのままさっとドアを閉めた。
自分の後を追ってきてくれたイヴェットを拒絶するような態度を取ってしまい、アリーヌの胸は罪悪感でもやもやした。彼女が心優しい女性だということをアリーヌだってもちろん知っているから、そんな彼女に対する自分の仕打ちはひどいものだ。
自己嫌悪しつつも、しかしアリーヌはラザール本人ではなく何の関係もないイヴェットからの謝罪を受けることも、この件をこのまま水に流すこともできなかった。
『そんなのあんたの考え方一つでしょ?』
姉の言葉が耳の奥で響く。
自分の考え方一つだから、笑ってラザールの無神経発言を受け流すことができたらどんなにいいだろう。
けれど、アリーヌにはできなかった。
姉たちがいつか言ったように、それはアリーヌが幼いからなのだろう。
どうせ私は幼いわよっ!!
お姉様たちにこのことを話したら、また呆れられるに決まってる!!
あのお姉様やお兄様たちのことだもの、ラザールの味方をして、悪気がないんだから許してやれとか何とか言うに決まってるわ!!
でも、できないっ!!
私には、できないんだものっ!!
どうせ私は幼いわよっ!! 精神的に未熟よ!! 甘ったれよ!!
でも、仕方ないでしょ!? できないものはできないんだからっ!!
アリーヌは開き直った。ラザールを許さないと大人だと見なされないのなら、自分は子供でいい。そう思った。
アリーヌはぜいぜいと肩を上下させて呼吸しながら、明かりを持って寝室へと向かった。




