佐藤綾香の秘密③:陸上少女、創造する
「実はね――」
澪は気まずそうに視線をそらした。
そして、言葉を探すように口を開く。
「……付き合っていることになっちゃった」
「付き合っている? 誰と誰が?」
「私と凪が」
ぼくは首を傾げた。
言っていることは情報として理解できる。
だが、にわかには納得することが出来なかった。
「……何ゆえに?」
意味が分からなかった。
そんなこと、あるはずがないのだ。
そもそも、ごく最近まで疎遠になっていた。
関係が一足飛びどころか、ワープする勢いで変わっている。
「ほら、手をつないで帰ったことがあったでしょ? あの時、凪と一緒にいて遅くなったって説明して」
「うん」
「お母さんが、私に『恋人が出来た』って舞い上がっていて、それを否定できなかったの」
「否定しろよ!」
「ごめん。でも、否定すると、どうして凪と一緒にいたのかって話になるでしょ。そうなると、陸上部のことを離さないといけなくなる。心配をかけたくないから、問題のことは話せなくて……」
それは仕方がない。
その件については、ぼくにも責任がある。
大いにある。
「まぁ、いいよ。澪の家の中だけの話なら――」
そこまで言って、言葉を切る。
家の中だけなら、問題はない。
ぼくにも直接の影響はない。
だけど、澪は敢えてぼくに謝罪している。
つまり――。
「まだ、何かあるんだな?」
「『今度、挨拶に来てもらいなさい』って言われて……。断れなくて……。安心させるために、付き合っている『振り』をしていただけると――」
「……成程」
これについては、断れない。
まぁ、澪のためなら、何でもやる覚悟だ。
最初から『断る』という選択肢は存在しない。
「それは構わないけど――。家に行ったら、バレるんじゃないか?」
「何とかするわ」
「何とかって……」
「何とかよ。つきましては、付き合い始めた時の口裏合わせをしておきたいんだけど……」
どうやら、これが本題だったらしい。
「そこまでやるか」
「ええ、やるわよ。ダーリン」
勘弁してほしかった。
架空の恋人設定を練り上げなければならないとは。
何だか、気恥ずかしくて仕方がない。
それに、虚しい作業だ。
「と、とりあえず、どちらが付き合いたいと言い始めたかを考えましょう」
「それは澪からということで――」
「凪からでしょ!」
こうして、設定の構築は始まった。
×××
澪が家に来てから三十分。
ぼくと澪は、恋人設定について喧々諤々の議論を続けていた。
その結果、少しずつ形になってきた。
中学生のころから、お互いに意識はしていた。
その後、しばらく空白期間が生まれた。
高校入学直後に意気投合して、ぼくから告白をした。
それを切欠に交際が始まり、今は交際一か月目となっている。
――というのが、作り上げた架空の設定。
その基礎部分だ。
これから、骨組みを作り上げ、肉付けをしていく必要がある。
あまりに気が進まない。
ちなみに、桐島先輩はまだ秘密の部屋にいる。
読むものもあるだろうし、しばらくそこで大人しくしていてもらおう。
いつになったら終わるのかは分からないし。
「さぁ、それじゃあ、この設定に基づいて想定問答を考えるわよ」
「まだやるのか」
「当然よ!」
何故か、澪は溌溂としていた。
架空の設定を考えるのが、そんなに楽しいのだろうか。
まぁ、創作の楽しさというのはあるのだろう。
ぼくも身近に、創作活動をしている人がいるから分かる。
ああいう人は、どこかから気力を引っ張ってきているのだ。
そして、結果的に上達していく。
好きこそものの上手なれ。
好きだから長時間することが出来て、結果的に上手くなるのだろう。
問題は、ぼくはそういう設定を考えるのが好きではないということだ。
慣れないことをしているせいで、ぼくは疲れ切っていた。
だから――。
ピンポーン、と。
来客を知らせるチャイムが鳴った時、ぼくは『助かった』と思った。
全く助かってなどいなかったのに。
それどころか、状況は悪化することになるというのに。
「残念だな。誰か来た」
おそらく、宅配便かなにかだろう。
通販サイトで注文をした覚えはないが、何でもよかった。
とにかく、この状況から一時的にでも抜け出せればいい。
そう思っていた。
だけど、胸の奥に小さな嫌な予感があった。
この状況が、余計に混沌としたものになるような予感。
「一応、ぼくの部屋に隠れていてくれ」
「……いいの?」
「漁るなよ」
「……うん、勿論よ!」
そう返事をして、澪はぼくの寝室に入った。
これが『判断ミスその2』だ。
結論から言えば、澪は部屋を漁ったりしなかった。
隠しているものを探したりはしなかった。
その必要がなかった。
この時のぼくは『置きっぱなしのもの』の存在を忘れていたのだ。




