01話 『たいぎい』
「やべ、忘れ物した。」
まだ明るい時間帯。ある学校の門の前で、その学校の生徒と思われるある少年が独り言を呟いて足を止めた。
春特有の暖かな日差しが、少し西に傾きながら降り注ぐ。それに呼応するように微風が吹き、門の中に植えられている植物の葉を揺らす。
「だりー」
そんな朗らかな風景とは打って変わって渋い表情を浮かべてため息をひとつついた少年が、驚くほど広い学校の敷地へ引き返していった。
少年の名前は榊原信幸 。この春からこの都立学校に入学したぴちぴちの男子高校生である。生粋の東京育ちであり、毎日巨人のニュースをチェックする。また、高校を『家から近くてそこそこいい学校』ということで選んだほどの家大好き人間でもある。
そうして通い始めたこの高校だったが、やけに敷地が広く、移動だけでも大変なのであった。現に信幸は忘れ物をとりに帰ることをとてつもなく憂鬱に思っているのだった。
(まあいっか。どうせぼっちだし。)
そう思いながらも、卑屈な言葉で自分を納得させる。なぜ信幸がぼっちかというと、クラスの副委員長を務めており、今日は委員会の会議があったからである。その間にみんな部活に行くなり帰るなりして今に至る。
勢いで立候補したところ、そのあと誰も続いて手を上げたりなどしなかった。それもそのはず。やってみれば途轍もなくめんどくさいことばかりで、名ばかりの雑用である。
「あの人いなかったら絶対やってない…。」
半ばめんどくさいとわかっていたことに信幸が勢いで手を上げた原因は、委員長にあった。端的に言うと、好みのストライクゾーンど真ん中だったのだ。
彼女に一目惚れした信幸が委員長に立候補した彼女の後を追うように勢いで副委員長に立候補したのも無理はなかった。
無論、彼女の優しさと美貌は一瞬にして学校中に話題となり、5月の今現在学園アイドルとしての地位を築いている。
(今日も尊かった…。)
信幸の一目惚れの勢いは止まることを知らず、話すたび、一緒に学校の雑務をこなす度に信幸は乙女のように心をキュンキュンとさせているのだった。
「マジ一生ついていきますわ…」
自分でも結構危ないと感じるセリフを独り言として吐いたところで、下駄箱のある玄関に着く。
さっき自分で閉めたばかりの玄関の扉を開け、適当に靴を脱いで申し訳程度に隅に寄せ、校内履きは履かずに校舎内に入る。
信幸のクラスはC組で、下駄箱からは近い。
さっさと取りに行って帰ろう、と決心し廊下を進む。
廊下の窓からは暖かな光が注ぎ込んでいた。
今日は午前中で授業が終わったので、この時間帯に部活に励む生徒たちの声が外から聞こえる。
だが、どの教室も引き戸は閉まっており、入ってくる光によって電気がついているかどうかはわからなかった。
流石に教室に鍵がかかっていることはないだろうが、もしそうだったらもっと面倒くさいな、と思いながら教室への足を早めた。
C組に着き、扉を開けようとする。しかし、扉についた窓から教室の中に人影を見つけて足を止める。
その人影は、クラスの真ん中の方の席——と言うより信幸の席に座っており、不機嫌そうに貧乏ゆすりをしていた。そして、心なしかブツブツと何かを呟いているようにも見える。
誰だろうかと扉を開けて確認しようとしたその時だった。
「あぁー、たいぎいのぉこの使い分け。」
……………。
信幸は思わず背後を振り返った。今聞こえてきたのは、なんだったのだろうか。確実にどこかの方言であった。
戸惑う信幸をよそに、謎の方言ボイスは続いた。
「先公も自分でもできること押し付けてきて何がしたいんじゃ…」
広島弁だった。ネットや県市町村のPRでしか聞いたことのない広島弁だった。
「ほんまに委員長をなんじゃと思っとるんじゃろうかのぉ…」
今、確かに方言混じりだが、『委員長』と言った。となると、その役職の人の可能性が高くなる。そして、C組付近……。
これは、もうそういうことではないのだろうか。
委員長広島弁女子説。
信幸は、好奇心が抑えきれなかった。これまで抑えていた気持ちが爆発して、思いっきりガラガラと扉を引いた。
「ひゃああ!!??」
すると人影が、文字通り悲鳴を上げながら飛び上がってこちらをものすごい勢いで振り向く。
「何してくれ……って榊原君!?」
「……委員長。そこ俺の席。」
「え!?あ…ホンマ……じゃないホントだ!ごめんね間違えて座っちゃってた!」
「委員長。」
「どうしたの榊原君!?」
「広島弁はなんなの?」
逸る好奇心を抑えきれず正面切って聞いてしまった。
その瞬間、委員長の顔が茹蛸のように真っ赤に染まり、口元を覆った。
「う、うそ……聞かれちゃった!?」
「え、うん。」
委員長は言葉を失った。そのまま動かなかった。
「え?委員長大丈——」
「ああああー!!恥ずいー!!!」
急に委員長が顔を押さえてしゃがみ込み、叫んだ。そうしたかと思うと次は急にバッとこっちを振り返った。
信幸が一目惚れしたその美貌は見たことのないほど真っ赤で目は羞恥で潤んでいた。
「榊原のドアホーー!!」
そしてこう急に叫んだ。いつも落ち着いた雰囲気の彼女の口から出たとは思えない、聞耳を劈くような大声だった。
彼女が再度うずくまる中、信幸は思った。
委員長——村上鹿乃亜は可愛い。さらに元々十二分に可愛かったところに方言という要素が加わってさらに可愛くなってしまった。
信幸は確信した。
方言女子、可愛すぎる——と。




