第5話 反魔王派
「僕の記憶を……消す、って?」
突如告げられた颯太の記憶消去。
信じ難い言葉に颯太の頬から冷や汗が流れる。
人の記憶を易々と消せるわけがないと普通の常識を持つ颯太に肩を竦める真奈。
「そんなことが出来ないって思ってるでしょ? けど残念なことに出来てしまうんだよね」
そう言って真奈は颯太の額を人差し指で小突き。
「魔界に魔族と、此れまで空想のモノだと決めつけてたものがあったのだから、他に信じられないモノが存在するって考えられないかな?」
その言葉に颯太は公園での光景を脳裏に過らせる。
謎の光線と掌に発火した炎。
常識じゃあり得ない現象がなにか。
「ま、まさか……!?」
真奈は不敵な微笑を浮かべ。
「そう、魔法だよ。魔法もこの世界には存在しているんだ」
颯太は二つの意味で震え上がる。
一つは、幼少の頃は存在するのだと胸を躍らせ、歳を重ねるごとに非現実的な物だと諦めた魔法が実在していた歓喜の震え。
もう一つは、魔法によって颯太の記憶を消されるという恐怖であった。
「へえ? 意外にも反応が薄いんだね」
「……そうだね。記憶が消されるっていう土壇場な状況じゃなかったら、子供みたいにはしゃぎ回っていたかもね」
残念そうにする真奈に颯太は皮肉を込めて返す。
真奈は自身の頬を指で掻き。
「まあ、なんにせよ。今日をもって私と颯ちゃんの関係は終了。颯ちゃんの記憶から私を含めて、魔界での記憶を消させてもらうよ」
「真奈ちゃんとの記憶……って、真奈ちゃんと関わってきた記憶全てってこと……!?」
「そうだよ。今日だけの記憶を消しても、いつかまた同じ様な事が起きるような気がするからね。だから、私との関係は綺麗に終わらせる必要がある。私たちの関係を知る人たちにも追々施すのも合わせてね」
真奈は記憶消去を実行するのか手をゆっくりと颯太の額に近づかせる。
「ま、待ってよ! どうして僕の記憶を消す必要があるのかな!? もし、魔界や魔族が実在していたことを知るのが不都合だってなら、僕は絶対に口外しない! 関わろうともしない!」
「だとしても、世の中には覚えておかない方がいい事だってある。人間として普通に生活するなら、ね」
人間は本来魔族の存在を認知する事は出来ない。
それは魔族が闇の中に生きる種族だからか、知った人間が殺されるのかは定かではないが、もし颯太が魔族の記憶を残して日常に戻っても、いつしか颯太は魔族に会うのに躍起になるかもしれない。
颯太も関わろうとしないと言っているが、本当のところ自信はなかった。
「我儘言いたくなる気持ちは分かる。だけどごめん。私は颯ちゃんに、普通に生きていて欲しいんだ」
此処で颯太は気づく。
颯太に額に差し出されそうになる真奈の手が微かに震えていることに。
まるで、真奈も颯太の記憶を消す事に葛藤しているかのように。
「魔王様。お辛い様でしたら、私が代わりに」
「大丈夫だよホロウ。私が蒔いた種だからね。私がケジメをつけるのが筋だよ」
一旦瞑目した真奈は覚悟を決めた様に瞠目する。
「ごめんね、颯ちゃん」
他向けの様に吐いた謝罪の言葉。
真奈の温かい手が颯太に額に触れられた瞬間、颯太もこれ以上真奈を困らせるわけにはいかないと諦めた様に息を吐く。
だが最後に、忘れるのだから言い残しとは可笑しいが告げられる分の事は告げたく、颯太の口は強く開かれる。
「真奈ちゃん。君と過ごせた時間は本当に楽しかった。僕の生涯の運を使い切ったって言えるぐらいに。本当にありがとう。けど、僕はまた君を好きになる。そしたらまた僕は君に想いを告げる。絶対に」
確信してるかの様な本気が籠った目。
時間差で言ってて恥ずかしくなったのか頬を赤める颯太。
「……最後だからって、ごめん。けど、本気で言ってるから。こんな事を言う僕って、キモいかな?」
思いの丈を告げた颯太に真奈は少し面を食らうが、唇を綻ばせ。
「キモくないよ。けど、こんなまともな人間じゃない私じゃなくて、その言葉は私とじゃない、別の人に言うべきだね。私も楽しかったよ。颯ちゃん」
「ハハっ。社交辞令の嘘だとしても、そう言って貰えて嬉しいよ」
良い手向けだと乾いた笑顔を作る颯太。
「…………嘘じゃ無いんだけどな」
寂しげにボソッと溢す真奈。
そして遂に訪れる。
「これで本当に、さよならだね」
真奈の掌の体温が少し上がった様に颯太は感じた。
徐々に遠のき始める颯太の意識。
まるで脳内の水分が吸い込まれていくような感覚。
実際に水分は吸い込まれてはいないが、頭の中の大切な物が欠落していく感覚。
これが記憶を消される感覚なのか、混濁し始めた意識の中で颯太は貴重な体験が出来たと嘆くように苦笑すると。
「お待ちください魔王様」
割って入る言葉に真奈の記憶消去は中断される。
中断された事で颯太の意識は回復し始める。
記憶消去は完全に意識を失わないと発動しないのか、途中まででは記憶は消えてなかった。
誰が真奈を制止したのだろうか、部屋にいる全員の視線がある人物に集まる。
「確か貴方は、侍女のベルでしたね。使用人の立場で魔王様の覚悟を止めるとはどういった了見でしょうか?」
呼び止めたのはホロウではなく、部屋の壁際で待機していた侍女の一人、ホロウに“ベル”と呼ばれる黒髪ロングの女性だった。
「一使用人たる私が魔王様に諫言するのは失礼だというのは重々承知しておりますが、何卒魔王様の寛大な心にて話を聞いてくれないでしょうか」
深々とお辞儀するベルに、真奈は横槍を入れられた事に口と尖らすが、わざわざ申し立てたのだから何か有意義なのではと思ったようで。
「別に良いけど、何かな?」
真奈に発言を許可されたベルは再度感謝を込めてお辞儀をしてから、進言する。
「私が考えるに、このまま立花様の記憶を消去するのは得策ではないと思います」
「どうしてそう思うのかな?」
「立花様はつい先程、魔王様に仇なす輩に襲われました。それが、今回限りだとお思いですか?」
表情筋が死んでるかの様な無表情のままに放たれた核心を突くベルの言葉に真奈とホロウはハッとする。
「確かに、少し考えれば至る問題でした。立花様を襲撃した犯人は捕縛されずに行方をくらました。このまま立花様を人間界に送り返しても、記憶の有無関係なく、襲われる可能性が高い」
「私との関係も絶ったところで、敵さんからすれば関係なくて、颯ちゃんを人質にしようとかで十中八九襲ってくるかもね」
「だとしても、いつ襲って来るかも分からぬ相手のために四六時中立花様を監視するのは非合理」
「だからといって、颯ちゃんが襲われるのは良しってのは論外だけどね」
「仮に監視を付けるにしても、敵の正体が判明していない以上、下手に人員を割くわけにはいきませんね。どうしたら……」
「あ、あの……すみませんが、結局、僕の処遇はどうなったのですか……?」
恐る恐る小さく挙手する颯太。
先程まで記憶を消される危機だったのが一転して、颯太を蚊帳の外に放り出して話あう面々。
疎外感を感じて訊ねる颯太に真奈が答える。
「正直、あんな今生の別みれたいな雰囲気を出して小っ恥ずかしんだけど、颯ちゃんの記憶については一旦保留だね。まず、颯ちゃんの身の回りの危険をどうにかしないといけなくなったから」
「身の回りの危険……?」
状況が読み込めない颯太に今度はホロウが説明する。
「立花様を襲撃した敵が先程の失敗で諦めてくれればいいのですが、魔族の中には獲物に逃げられれば生涯の恥と考える輩も少なくありません。所謂、執念深い輩が多いと言うこと」
「えっと、つまり……助かった僕を敵が見逃すわけがないから、また僕が狙われる可能性がデカい、ってことですか?」
正解、とホロウは頷く。
半ば不正解を望んでいた颯太は青ざめるが、よくよく考えれば至極当然のこと。
真奈たちの話ではおそらく敵は颯太の死亡を確認していない。真奈が颯太の命を救ったと考えるだろう。
なら、颯太は再び敵に襲われる危険性は大。
「な、なら僕はどうすれば!? 自分で言うのも悲しいですが、僕は喧嘩もロクに勝ったことがない陰キャですよ! てか、先の事件で滅茶苦茶殺されそうになったんですが!?」
「本当に悲しいね……。颯ちゃんが喧嘩よわよわな陰キャはさておきとして、このまま颯ちゃんの記憶を消して人間界に返したとしても、裏で颯ちゃんが殺されるのは目に見えてるってこと」
「いや、正直記憶を保持して帰っても死ぬ気しかないんだけど……」
弱気発言をする颯太であるが、真奈は真っすぐに颯太を指さし。
「そう。記憶の有無関係なく、人間界に颯ちゃんの安全圏はない。だからと言って、私が護衛を四六時中割くのも難しいから、導き出される解決案が一つだけ」
颯太を差していた指は下、床に向けられ。
「敵の正体を掴み、討伐された後に、颯ちゃんの人間界での安全が確保されるまで、颯ちゃんには魔界に滞在してもらうよ」
はあ!?と驚愕する颯太。
「確かに現状それしか打開案はありませんね。立花様、故郷である人間界を一時期でも離れるのは寂しいかもですが、何よりも立花様の身の安全が大事ですので、ここはご理解を――――――」
驚きのあまり震える颯太を慰めようとするホロウであったが、振り返った颯太の目は星のように輝いていた。
「つ、つまり僕は魔界にまだいられるってことですよね!? 魔界のことをもっと知られるじゃん、ヤッター!」
「あ、そっちの意味で震えていたのですか……」
驚きや悲しさではなく、まだ魔界に滞在できる喜びで震えていたようで、ホロウは半笑いで肩を竦める。
絶望されるよりかは幾分マシだが、楽観的過ぎてヤレヤレと頭を抱える真奈。
「分かってると思うけど、私たちが颯ちゃんを匿うのは敵を排除されるまで。その後は先の続きで記憶は消させてもらうから。あと、匿うと言っても100%安全ってわけじゃないからね」
「ううっ。記憶を消させるのは確かに嫌だけど……だとしたら、記憶を消せられても心には残るようにしないとね」
本当に理解しているのか疑いたくなる回答に不安そうに肩を落とす真奈。
颯太は己の顎に手を当て疑問を投げる。
「それで、僕が滞在する期間はどれくらいなのかな? 一日? 二日?」
「どれくらいになるかは分からないや。敵の情報が少ない以上、此方も無暗に動くわけにはいかない。敵さんが尻尾を出してもらうまで、気長に待つしかないね」
「いや、気長に待つって……具体的な期間とかは」
「下手すれば魔界に骨を埋めることになるかもね。魔族って人間と比べて何十倍も長生きなせいで時間間隔が違いすぎるし」
ペロッと舌を出す真奈に冷や汗を流す颯太。
魔界で一生過ごせるのは若干嬉しい気もするが、人間界には家族や友達がいる。
その者たちを捨ててまで移住しようと考えるのは荷が重かった。
「私としても、長い間不安因子を野放しにしておくのは良くはないから、蒔き餌はしておくに越したことはないよね。ホロウ」
真奈がホロウを指で招くと近づいたホロウの耳元で何かを囁いている。
数秒、真奈の意図をホロウに伝えるとホロウは頷き。
「了解しました。私の方から手筈を進めておきます」
「よろしく頼むよ。それじゃあ、颯ちゃんが魔界に滞在するための部屋を用意しなきゃいけないね」
話を進めようとする真奈だが颯太は確認と尋ねる。
「ねえ、本当に僕を襲った相手に心当たりはないのかな? 長く魔界にいられるかもしれないのは嬉しいけど、早く身の危険から脱却したい気持ちもあるというか……」
記憶を消されるのはこの際除外するが、身の危険を取り払いのは当然のこと。
「うーん。正直言って、心当たりが多すぎて一つに絞れないというか……まあ、十中八九、どこかの反魔王勢力であるのは確実だけどね」
「なに、その反魔王派勢力って?」
「反魔王勢力とは言葉の通り、現魔王であるマナルデリシア様に不忠を仇なす者たちの総称です」
「簡単な話、魔王が嫌いな連中ってこと。恥ずかしい話だけど、私はまだまだ若輩な未熟者だから舐められてるんだよね。把握できている数でも十数団体。その中の幾つかは私の代になってから露骨に活動が活発化している。魔王を虚仮にするかのようにね」
人間界でもそうだが、完璧に秩序で統一されている国はない。
国の長が誰であろうと、必ず不平不満を抱く者は存在する。
「その反魔王勢力の誰かが僕を襲った可能性があるんだね」
「今のところは犯人特定の手がかりがない状態で、颯ちゃんは不安だろうけど、捜査や解決は私たちで進めるから、自分の安全を第一に警戒はしていてね」
現時点で颯太ができるのは殆どない。
モヤモヤ感を抱きながら了承する颯太に真奈は懐から何かを取り出す。
「念のために颯ちゃんにはこれを渡しておくよ。誰かに絡まれたらこれを使って」
真奈が差し出すのは龍と悪魔が刺繍された金属製のペンダント。
これは?と颯太が表情で問うとそれが何かを真奈が説明する。
「それは私の家であるサタルディーネ家の紋章が刻まれたペンダントでね。それを相手に見せれば颯ちゃんがサタルディーネ家の庇護を受けていると分かるから、魔王に喧嘩を売りたい奴じゃない限り、それで委縮するはずだよ」
「つまり、水戸黄門の印籠みたいなものか。非力な僕には必要な物だね。ありがたく預かるよ」
見えるようにしてね、と真奈に言われ颯太は受け取ったペンダントを晒けるように首にかける。
「さっき流された颯ちゃんが魔界で滞在するための部屋だけど、何処か良い部屋ないかな……」
颯太が泊まる部屋を考える真奈。
数秒首を捻るが思い浮かばない様子で、仕方ないと腰に手を当てる。
「泊まる場所については寝るまでには考えておくから、颯ちゃんはここまでで大分疲労が溜まってるだろし、お風呂にでも入ってきなよ」
「え、お風呂って、そんな悠長なことしてていいのかな?」
「ずっと気を張るのにも限界があるでしょ? リラックスするのも大事だからね。それと安心して、しっかり颯ちゃんには護衛を付けるから」
真奈はそう言って、先ほど進言した侍女のベルに振り向き。
「ごめんだけどベル。颯ちゃんを大浴場まで案内してくれないかな? 忙しかったりすれば断ってもいいけど」
真奈は気づいてないのか、国の長である者からの頼みは頼みではなく断るのが不可能な命令である。
ベルは一切の嫌な表情は見せずに一礼して。
「立花様の案内の命、しかと承りました。では、早速案内をさせていただきます。立花様、私の後についてきてください」
「えっと、よろしくお願いいたします? ベルさん」
唐突に決まった入浴を飲み込めきれない颯太は指示されるがままに退室となった。
先が分からぬ不安と未知と憧れが広がる魔界で颯太は少しの間、過ごすこととなった。




