第5話 もう一人のKAITO / THE OTHER KAITO
「もう一人のお前だ」
頼光の冷徹な宣告と同時だった。
北門の方角から、世界を揺るがすような凄まじい轟音が爆ぜた。
ドン――ッ。
屋敷全体が根底から揺さぶられ、古びた天井から細かな埃の雨がパラパラと落ちてくる。
[ WARNING ]
[ MATCHING SIGNATURE DETECTED ]
[ IDENTITY : KAITO ]
[ DISTANCE : 2.3 km ]
「……来てる」
KAITOは青く光るディスプレイを、血走った目で睨みつけた。
2.4キロ。
2.3キロ。
冷酷な数字が、確実に縮まっている。
こちらへ向かって。
逃げ場のない速度で。
「頼光」
KAITOは振り返る。
「そいつは……本当に俺なのか?」
頼光は、抜き身の刀を握ったまま、微動だにせず答えた。
「顔も、声も、同じだ」
「端末もか?」
「ああ」
KAITOの乾き切った喉が、かすかに鳴った。
「……そんなはずがない」
「この夜に」
頼光は静かに、しかし絶対的な重みを持って言い放った。
「あり得ることなど、もう一つも残っておらぬ」
その言葉を遮るように、障子が荒々しく引き裂かれた。
「頼光様――ッ!」
血まみれの兵が、広間へと転がり込むように駆け込んでくる。
「北門、突破されます!」
「鬼の数、およそ五十……!」
「さらに後方から、次々と増援が!」
頼光の表情が、一瞬で切り替わった。
人間に過ぎなかった男から、
血に飢えた戦場を支配する「修羅」へと。
「綱」
「はっ」
「北門を死守しろ」
「承知」
「金時」
「おうっ!」
「正面の群れを根こそぎ潰せ」
坂田金時が、規格外の巨体を揺らしながら、自身の背丈ほどもある巨大な鉞を無造作に肩へ担いだ。
「五十か。山で熊を相手にしてた頃より、ずいぶん賑やかだな」
綱が横目で金時を見る。
「熊と鬼を一緒にするな、金時」
「俺には大して変わらねえよ」
金時の口元に、獣のような笑みが浮かぶ。
「なあ、頼光様。何匹までなら皆殺しにしていい?」
頼光は、一瞥もくれずに冷たく言い捨てる。
「数える暇があるなら、一匹残らずだ」
金時が、獣のように笑った。
「――ヒャハッ、それでこそ俺の頼光様だ!」
「貞光、季武」
二人の武者が、同時に深く頭を下げる。
「左右の路地を完全に塞げ。一匹たりとも民を北へ逃がすな」
「「御意ッ!」」
四天王が、それぞれの戦場へと一斉に弾き出された。
だが――。
KAITOだけは、その場から一歩も動けなかった。
網膜に固定された端末の数字から、目を離せなかったからだ。
[ DISTANCE : 2.1 km ]
また縮まった。
「KAITO」
頼光が、初めてその名前を呼んだ。
迷いのない、絶対的な統率者の声で。
KAITOが、強張った顔を上げる。
「来い」
「どこへ行く気だ」
「確かめたいのだろう」
頼光は、燃え盛る北の空を見据えた。
「お前自身を、な」
二人は、崩れかけた屋敷の戸を蹴破り、狂乱の夜へと飛び出した。
冷たい雨。
紅蓮の炎。
人々の叫び。
一歩外へ踏み出した瞬間、そこは再び、地獄の底のような現実へと引き戻された。
北へ向かう大路を、血まみれの兵たちが次々と退避していく。
その向こうの闇から、悍ましい巨影がいくつもうごめいていた。
鬼。
一匹や二匹ではない。
何十体もの異形の怪物が、燃え崩れる建物の隙間を埋め尽くしている。
「こんな数……人間が勝てるわけないだろ……!」
KAITOが息を呑んだ、その刹那。
先頭を走っていた巨大な鬼が、足場の悪い石畳を蹴って跳んだ。
逃げ惑う兵たちの頭上を飛び越え、一直線に頼光の首筋へと襲いかかる。
だが――。
頼光は、足を止めない。
流れるような動作で、愛刀を振り抜く。
一閃。
重い肉体が裂ける音すら置き去りにし、鬼の巨体が宙でねじ曲がって地面へと叩きつけられた。
KAITOの瞳孔が開き切る。
速い。
先ほど見た綱の剣とも違う。
綱の剣が「鋭利な死」だとすれば、頼光の剣は――
迷いがない。
斬る前から、その怪物がどこで息絶え、どう倒れるのかの「設計図」が完成しているような、絶対的な死の軌道だった。
二体目。
三体目。
頼光は走りながら、無駄な動作一切なしで鬼を屠っていく。
無駄に追わない。
足を止めない。
自分の進路を塞ぐ「障害物」だけを、ただ機械的に排除していく。
背後から、負傷した兵が追いつく。
「頼光様、ここは危険です……っ!」
「負傷者を南へ送れ」
頼光は振り返りもしない。
「北の道を完全にあけろ」
「しかし、鬼の群れが――」
「綱がいる」
その言葉を証明するかのように、遥か彼方の闇で銀色の閃光が幾重にも走った。
鬼の巨体が崩れ落ち、地面に沈む。
渡辺綱。
さらに。
別方向から、地鳴りのような衝撃。
坂田金時が巨大な鉞を横薙ぎに振り抜いた。
轟音。
数体の鬼が、砕けた石畳とともにまとめて吹き飛んだ。
「うおおおオオオッ!!」
KAITOは、圧倒され、言葉を失っていた。
伝説。
神話。
後世の人間が作り上げたお伽話。
そのすべてが、今、目の前で血と肉を持った現実として暴れている。
だが――。
KAITOの左こめかみの端末は、そんな神話の光景を嘲笑うかのように、別の異常な現実を突きつけていた。
[ MATCHING SIGNATURE ]
[ DISTANCE : 1.4 km ]
「……速すぎる」
KAITOは掠れた声で呟いた。
さっきまで二キロ以上離れていたはずだ。
もう1.4キロ。
向こうも走っている。
こちらに向かって――
いや。
KAITOは反射的に、端末のマップ機能を開いた。
二つの点。
自分。
そして、もう一人のKAITO。
その移動軌跡を見た瞬間、背筋の髄まで凍りついた。
「俺に向かって……るんじゃない」
頼光が、横目で冷ややかに問う。
「何だというのだ」
KAITOは、震える指でマップを拡大する。
もう一人のKAITOが突っ走る、その進路の先。
そこには、自分以外の――別の「強烈な反応」が鎮座していた。
[ LOST KEY SIGNAL ]
[ DISTANCE : 0.8 km ]
「こいつ……」
KAITOの呼吸が、恐怖で浅くなる。
「LOST KEYに向かってる……!」
頼光の双眸が、鋭い刃のように細められた。
「やはりか」
「知ってたのか……ッ!?」
「三日前にも、奴は全く同じ場所を探していた」
「なんでそれを早く言わない!」
「お前がどちらの側に属する人間か、見極められなかったからだ」
KAITOはその場で足を止めた。
「……どちら側、だと?」
頼光もまた、泥濘の中で足を止める。
降りしきる雨が、二人の間の空気を冷たく冷やしていく。
「三日前に現れたお前は、私にこう言い残した」
頼光の低く、底冷えのする声が響く。
「『次に現れる自分を、絶対に信用するな』と」
KAITOの顔から、血の気が一瞬ですべて引いた。
「……何を、言ってるんだ」
「そして」
頼光は、逃げ場のない眼差しでKAITOを捉える。
「『次に現れるお前もまた、同じ恐怖を抱えてここへ来るだろう』と、な」
「待てよ……!」
KAITOの脳髄が、追いつかない思考に焼き切られそうになる。
「じゃあ、あいつは……一体何なんだよ……!」
その時。
こめかみの端末が、脳を直接殴りつけるようなけたたましい警告音を鳴らした。
[ LOST KEY SIGNAL : CRITICAL ]
[ MATCHING SIGNATURE : 620 m ]
[ ACTIVATION SEQUENCE : 31% ]
31%。
起動の閾値へ向けて、数字が跳ね上がっていく。
「ふざけんな……上がってる……っ!」
KAITOは絶叫し、再び泥を蹴って走り出した。
[ DISTANCE : 510 m ]
[ 430 m ]
雨のカーテンの向こう。
崩壊した古寺の境内。
その中心に、信じられないものがそびえ立っていた。
巨大な鳥居。
だが、それはKAITOがこの時代へ落ちてきたときに見た『TIME GATE』とは違う。
遥かに古びており、石造りの柱の半分はすでに地面の泥に沈み込んでいる。
そしてその表面には――
生々しいまでに青紫色の二十三世紀のデジタルコードが、蛇のように這いずり回っていた。
「なんだ……あれは」
平安時代の宗教的遺構。
その骨組みを、未来のバグコードが侵食している。
[ LOST KEY : 01 ]
[ DISTANCE : 280 m ]
[ MATCHING SIGNATURE : 190 m ]
近すぎる。
目の前だ。
KAITOは荒い息を吐き出しながら、崩れた石垣を乗り越えた。
雨粒と炎の粉が視界を遮る。
その向こうの、鳥居の根元。
一人の男が立っていた。
背中を向けている。
黒いコートのシルエット。
そして、その左こめかみで――
全く同じ、冷徹な青い光が明滅していた。
KAITOの足が、ぴたりと凍りついたように止まる。
端末が、狂ったように痙攣する。
[ MATCH FOUND ]
[ IDENTITY : KAITO ]
[ GENETIC MATCH : 100% ]
[ BIOMETRIC MATCH : 100% ]
[ NEURAL SIGNATURE MATCH : 100% ]
「……嘘だろ」
男が、ゆっくりと、首を回す。
KAITOは、呼吸の仕方を忘れた。
同じ顔。
同じ瞳。
同じ肉体。
鏡ではない。
ホログラムの残像でもない。
そこに、完璧にももう一人の「自分」が立っていた。
ただ一つ。
決定的に違うものがあった。
目の前の男の「目」に宿るもの。
今の自分にはまだ無い、昏い光。
極限の疲労。
凍てついた怒り。
そして――
すべてを奪われ、世界の底で壊れ切った人間だけが持つ、底無しの絶望。
「お前……」
KAITOが、血を吐くような声を絞り出す。
もう一人のKAITOは、何も答えない。
その右手に握り締められていたのは――
第3話で鬼の肉体から現れたものと、まったく同じ禍々しい光を放つ「黒い欠片」だった。
端末が、警告の警報音を絶叫に変える。
[ LOST KEY SIGNAL ]
[ ACTIVATION SEQUENCE : 46% ]
「それを……どこで手に入れた」
沈黙。
「お前は、誰なんだよ……!」
沈黙。
「俺の……未来の姿なのか……!?」
もう一人のKAITOが、初めて、その唇を動かした。
聞こえてきたのは、他でもない、自分自身の声だった。
「――遅かったな」
KAITOの全身の血液が、一瞬で凍りついた。
頼光が口にしたのと同じ、忌まわしい台詞。
「……何がだ」
もう一人のKAITOは、手の中の黒い欠片を虚ろな目で見据えた。
「ここまで来るのに……」
ゆっくりと、顔が上がる。
「俺は、三回失敗した」
KAITOの眉が、激しく波打つ。
「三回……だと?」
「お前は……四人目だ」
この世界の構造から、音がすべて剥ぎ取られた。
理解が追いつかない。
処理能力が焼き切れる。
「何を……わけのわからないことを……っ!」
もう一人のKAITOが、一歩だけ歩み寄る。
[ PARADOX LEVEL : CRITICAL ]
[ TEMPORAL CONFLICT ]
「俺たちは――未来から過去へ落ちてきたんじゃない」
もう一人の男が、冷たく言い放つ。
「じゃあ……俺たちは何なんだよ……!」
微かな沈黙のあと、残酷な真実が落とされる。
「何度も何度も、この絶望の夜へ……引き戻されてるんだよ」
遠雷。
夜空が、眩いほどの白銀の光に引き裂かれた。
その瞬間。
二人のKAITOの間で、黒い欠片が共鳴するように激しく発光した。
[ LOST KEY : 01 ]
[ ACTIVATION SEQUENCE : 51% ]
50%の壁を、完全に突破した。
大地が、めりめりと音を立てて割れ始める。
古代の鳥居に這いつくばっていた青紫色のコードが、一斉に逆巻くようにスパークした。
「KAITO――ッ!!」
背後から、頼光の絶叫が響き渡る。
見れば、頼光、そして四天王の面々が、尋常ではない速度でこちらへ迫っていた。
もう一人のKAITOの表情が、わずかに歪んだ。
「……始まった」
「何が始まると言うんだ……ッ!」
もう一人のKAITOは、恐怖に満ちた目で、足元の鳥居を見下ろした。
そして、人生で一度も見せたことのないような、剥き出しの怯えを浮かべて告げた。
「――最初の鍵が、開く」
――第5話 END
次話
第6話 最初の鍵 / THE FIRST KEY
THE GATE IS OPEN.
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【平安怪異録:頼光四天王】
今回登場した「頼光四天王」は、
渡辺綱
坂田金時
碓井貞光
卜部季武
の四人として、後世の伝承にその名を残しています。
そして坂田金時は――
童話で知られる「金太郎」が成長した姿として語られる人物です。
巨大な鉞。
山。
熊。
第5話の金時の言葉にも、その伝承の痕跡を忍ばせています。
『SHADOW MATRIX』では、
史実、神話、伝承、そして書き換えられた未来の記録が交錯しながら、
彼らがなぜ後世に「伝説」として残ったのかが、少しずつ明らかになっていきます。




