第15話 神々の外側 / BEYOND THE GODS
酒呑童子が立っている。
ただ、それだけの光景を前に、誰も動くことができなかった。
源頼光。
渡辺綱。
坂田金時。
碓井貞光。
卜部季武。
藤原保昌。
六人が見つめているのは、一度、確かに殺したはずの鬼だった。
呼吸はない。
鼓動もない。
それでも酒呑童子は立っている。
紫の瞳だけが、大江山の闇の中で静かに光っていた。
[ BIOLOGICAL FUNCTION : TERMINATED ]
死んでいる。
[ SHUTEN-DOJI SIGNAL : ACTIVE ]
それなのに、存在している。
死と生。
本来なら同時には成立しない二つの事実が、目の前で重なっていた。
「……頼光」
綱が刀を構えたまま、低く言った。
「もう一度、斬る」
頼光は答えない。
安綱を握る手に、ゆっくりと力を込めた。
先ほどと同じ刀。
先ほどと同じ距離。
だが、目の前にいる酒呑童子だけが、もう先ほどまでと同じではなかった。
その時だった。
「――よそ見をしている暇はなさそうだな、人間ども」
低い声が広間の奥から響いた。
闇そのものが言葉を吐き出したような、鋭い声だった。
綱が振り向く。
崩れた柱の向こうで、黒紫の瘴気がゆっくりと揺れている。
その中から、一人の鬼が歩いてきた。
赤い髪。
角。
人の形を残しながら、酒呑童子とはまるで違う、荒々しい殺気を剥き出しにした鬼。
茨木童子。
その視線は頼光を見ていなかった。
金時も、貞光も、季武も、保昌も見ていない。
ただ一人。
渡辺綱だけを見ていた。
「……綱」
その名を、噛み砕くように呼ぶ。
綱の指が、刀の柄を握り直した。
一条戻橋。
夜。
伸びてきた鬼の腕。
そして、自らの刃に残った肉と骨を断つ感触。
忘れるはずがない。
「久しいな」
茨木が笑った。
綱は刀をわずかに持ち上げる。
「腕は、もう生えたのか」
一瞬。
茨木の笑みが消えた。
次の瞬間。
轟音。
床が砕けた。
茨木の姿が消える。
「綱!」
金時が叫ぶ。
だが、綱はすでに刀を抜いていた。
ガキィィィン――!
刃と鬼の腕が真正面から激突した。
火花が飛び、衝撃で床板が跳ね上がる。
柱から細かな塵が落ち、綱の足元がわずかに沈んだ。
茨木の腕を覆う、黒い硬質な皮膚。
その隙間を、青白い光が走った。
綱の目が細くなる。
酒呑童子と。
同じ光。
「お前も――」
「何を見ている」
茨木の声が耳元で響いた。
次の瞬間、綱の身体が横へ吹き飛んだ。
柱へ激突する。
木が大きく割れた。
「綱!」
金時が踏み込む。
だが、その前へ巨大な影が落ちた。
拳。
金時は両腕で受け止めた。
足元の床が沈む。
「……へえ」
金時が口元を上げる。
「俺の相手は、お前か」
闇の中から、さらに鬼たちが姿を現した。
星熊童子。
金熊童子。
虎熊童子。
熊童子。
大江山を守る強者たち。
「来たか」
貞光が刀を抜く。
季武も静かに構えた。
保昌は何も言わない。
鬼たちの足運び。
肩の動き。
視線。
呼吸。
間合い。
そのすべてを、ただ静かに見ていた。
その瞬間。
大江山を、一陣の風が走った。
東:綱の背後で青白い気配が立ち上がり、一瞬だけ龍の形となって天へ昇った。
南:金時の背後で炎が広がり、巨大な翼のように揺らめく。
西:貞光の足元を白い光が走り、その奥に虎の影が牙を剥いた。
北:季武の周囲を黒い水のような気配が巡り、亀と蛇の輪郭が重なる。
四人は、それを見ていない。
だが、頼光には見えた。
ほんの一瞬だけ。
青龍、朱雀、白虎、玄武。
四つの方角。四人の武者。
頼光が安綱を構える。
「散れ」
その一言で、四天王が同時に動いた。
戦場が割れた。
金時が金熊童子へ。
貞光が虎熊童子へ。
季武が熊童子へ。
保昌の前には星熊童子。
そして、綱の正面には茨木童子。
刃と拳がぶつかる。
火が走り、土が弾ける。
怒号と金属音が、静まり返っていた大江山を一瞬で戦場へと戻した。
その中央で。
酒呑童子だけが動かない。
呼吸もせず。
瞬きもせず。
まるで、その戦いのすべてを観察しているように。
綱の刃が走った。
一撃。
二撃。
三撃。
茨木は、そのすべてを黒い腕一本で弾き返す。
速い。
そして、重い。
先ほどまで戦ってきた鬼たちとは、明らかに違っていた。
綱がさらに踏み込む。
重心を落とし、懐へ潜り込む。
刃が茨木の頬を掠めた。
黒い血が、一筋だけ流れる。
茨木は指先でそれを拭い、しばらく眺めた。
そして。
笑った。
「それだ」
綱は答えない。
再び斬り込む。
茨木の腕。
綱の刀。
真正面からぶつかり、火花が散った。
「一条戻橋では、もう少し鋭かったぞ」
茨木が押し込む。
綱の足が、一寸だけ下がった。
「おしゃべりだな」
さらに一寸。
それでも綱は退かない。
「鬼」
綱が力を受け流した。
茨木の腕が、わずかに外へ逸れる。
その隙を逃さない。
一閃。
茨木の肩口が裂けた。
黒い血が飛ぶ。
だが、その傷口から血と一緒に舞ったものを見て、綱の動きが一瞬だけ止まった。
青白い光の粒子。
酒呑童子の肉体から漏れていたものと、同じ光だった。
「……」
綱の視線が、その光を追う。
ほんの一瞬。
それだけだった。
「遅い」
茨木の拳が、綱の腹へ深く入った。
「――ッ!」
綱の身体が宙へ浮く。
そのまま地面へ叩きつけられ、刀が手から離れた。
茨木が歩いてくる。
焦る様子はない。
獲物を仕留めるために、ただゆっくりと距離を詰めてくる。
「人間」
一歩。
「一度、俺の腕を斬った程度で」
さらに一歩。
綱が身体を起こす。
口元から血が落ちた。
「鬼に勝ったつもりだったか」
茨木が腕を振り上げる。
綱は刀へ手を伸ばした。
だが、遠い。
間に合わない。
「綱!」
頼光が叫んだ。
茨木の爪が振り下ろされる。
その瞬間。
光が走った。
一つ。二つ。三つ。四つ。五つ。
五つの光が綱の前で重なり、五芒の形を作る。
茨木の爪が、その光に触れた。
止まった。
ほんの一瞬だけ。
遠く。
都。
一人の男が夜空を見上げていた。
安倍晴明。
星の一つが、ゆっくりと雲に隠れる。
晴明はそれを見つめたまま、静かに印を結んだ。
「……まだだ」
大江山。
五芒の光が砕け散る。
茨木の爪が再び綱へ落ちる。
だが。
その一瞬で十分だった。
雷。
轟音。
茨木と綱の間へ、紫の光が落ちた。
大地が割れる。
空気が震え、砕けた木片が宙を舞う。
茨木が初めて後ろへ退いた。
煙の中から。
一人の武者が歩いてくる。
源頼光。
手にした安綱の刃を、紫の雷が這っていた。
綱が顔を上げる。
「頼光……」
頼光は綱を見なかった。
ただ。
茨木童子だけを見ている。
「よく持ちこたえた」
短く。
それだけ言った。
少し離れた戦場。
月光の下で、藤原保昌が星熊童子の刃を受け流していた。
一歩。半歩。
星熊童子が踏み込むたびに、保昌はほんのわずかに位置を変える。
派手な動きはない。
それでも、星熊童子の刃は一度も保昌へ届かなかった。
雲が切れる。
満月が現れた。
冷たい月の光が、保昌の背を照らす。
「夜は」
保昌が静かに口を開いた。
「鬼だけのものではない」
刀が月光を反射する。
その光を見て、星熊童子の目が初めて細くなった。
茨木童子が笑った。
最初は、小さく。
「ハ……」
やがて。
その笑い声が大江山に響き渡る。
「ハハハハハハ!」
雷を纏う頼光を前にしても、茨木は退かなかった。
むしろ。
嬉しそうに両腕を広げる。
「そうだ」
笑みが深くなる。
「それでこそだ」
頼光の背後で、綱がゆっくりと立ち上がった。
落ちていた刀を拾う。
刃に青白い光が、一瞬だけ走った。
青龍。
そして。
雷。
二人が並ぶ。
そのさらに奥。
戦場の中央。
酒呑童子は、まだ動かない。
呼吸も。
鼓動も。
ない。
ただ、紫の瞳だけが。
頼光たちを静かに見ていた。
そして。
その戦いを。
別の時代から見ている者がいた。
暗闇。
壊れた画面。
途切れた光。
激しいノイズ。
その中に、一つの文字列が浮かび上がった。
[ TEMPORAL OBSERVATION LINK : RECOVERING ]
一パーセント。七パーセント。十九パーセント。
画面の前で。
青年が、ゆっくりと顔を上げる。
KAITO。
長い間、途切れていた。
大江山への接続。
乱れていた映像が、一瞬だけ安定する。
そこに。
酒呑童子が立っていた。
KAITOの目が見開かれる。
[ SHUTEN-DOJI SIGNAL : ACTIVE ]
「……あり得ない」
指が動く。
解析。
[ BIOLOGICAL FUNCTION : TERMINATED ]
「死んでいる」
次の情報が表示される。
[ CORE STATUS : NON-BIOLOGICAL ]
KAITOの表情が変わった。
「なのに……動いている」
解析を続ける。
そして。
見覚えのない項目が現れた。
[ MEMORY LAYER : DETECTED ]
KAITOの指が止まる。
「……記憶?」
もう一度。
さらに深く解析する。
[ MEMORY ORIGIN : UNKNOWN ]
[ MEMORY AGE : PRE-RECONSTRUCTION ]
[ ACCESS : DENIED ]
KAITOは画面を見つめた。
再構築によって新しく作られたものではない。
それよりも、もっと古い。
酒呑童子という存在の。
さらに奥。
何かが残っている。
鬼になる以前から。
そこに存在していたかのような。
古い記憶。
「お前は……」
KAITOが小さく呟いた。
「何者なんだ」
その瞬間。
警告。
赤い表示が画面の端を走った。
[ UNKNOWN SIGNAL : DETECTED ]
「……?」
KAITOが表示を開く。
消えた。
再検索。反応なし。
もう一度検索する。
何もない。
だが。
その直前。
確かに表示されていた。
[ SECONDARY BLOOD SIGNAL : DETECTED ]
KAITOの手が止まった。
大江山。
戦場から、さらに奥。
誰もいないはずの暗い場所。
闇の中で。
赤い光がゆっくりと開いた。
一つ。
そして。
もう一つ。
――第15話 END
第16話 雷と青龍 / THUNDER AND AZURE DRAGON
THE GATE IS OPEN.
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
死したはずの酒呑童子は、
[ SHUTEN-DOJI SIGNAL : ACTIVE ]
ただ静かに立ち続けていました。
その周囲で。
大江山の戦いは、さらに大きく動き始めます。
渡辺綱の前に現れた、
茨木童子。
一条戻橋で腕を斬った者と、
斬られた鬼。
二人は再び対峙しました。
そして。
頼光四天王。
渡辺綱。
坂田金時。
碓井貞光。
卜部季武。
その背後に、一瞬だけ現れたもの。
青龍。
朱雀。
白虎。
玄武。
四つの方角。
四つの神獣。
さらに。
遠く都から戦場へ干渉する安倍晴明。
月下で鬼と対峙する藤原保昌。
そして。
茨木童子の前へ現れた源頼光。
雷。
そして青龍。
頼光と綱が、並びました。
その一方で。
23世紀。
長く途切れていた大江山への接続が、再び開きます。
KAITO。
彼が酒呑童子の内部から検出したものは、
[ MEMORY LAYER : DETECTED ]
再構築によって新しく生まれた記憶ではありません。
[ MEMORY AGE : PRE-RECONSTRUCTION ]
もっと古い。
酒呑童子という存在の奥に残された、
何か。
そして。
[ SECONDARY BLOOD SIGNAL : DETECTED ]
大江山のさらに奥で。
もう一つの赤い光が目を覚ましました。
次回。
第16話。
雷と青龍。
源頼光と渡辺綱。
そして。
茨木童子。
大江山の戦いは、さらに激しく動き始めます。
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