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1 悪役令嬢に転生したら、婚約者の浮気現場を目撃。まさか「30秒」の王太子さん

霧に包まれた秘境の奥深く、木々の影が深く伸びていた。

四本の足は見えず、ただ巨大なお尻だけが左右に揺れている太った黒猫が木から飛び降り、ふさふさした尾をリスのようにふくらませ、ひと跳びしてイザベラの肩に飛び乗った。

琥珀色の瞳が幽かな光を放ち、猫であるにもかかわらず、その表情には人間らしさが溢れていた。


黒猫は前足でイザベラの顔を引っかきながら、息を切らして泣きじゃくった。

「ご主人様! 予知夢の中で見たんです……セドリック王太子殿下とあの女が洞窟の中に……」


イザベラの顔色が急変し、黒猫が言った洞窟へと急いだ。

彼女の胸の傷からはまだ血が滲んでいた。


三日前、セドリックのために千年に一度しか咲かない仙草――白霧仙芝しらぎりせんしを採取しようとした際、仙芝を守る妖獣に胸を殴られ、今も話すだけで痛みを感じるほどだった。

しかし、セドリックは採集任務を早く終わらせたいと言い、彼女に仙草の探索を続けるよう求めた。

本来なら彼女は乗り気ではなかった。

だが、セドリックは王太子だ。もし今回の任務で順位が低すぎれば、彼の面目が丸つぶれになってしまう。

そこでイザベラはセドリックに少し説得されると、傷を負ったまま再び採集に出かけた。


イザベラが洞窟にたどり着く前に、風に乗ってある声が聞こえてきた。


「セドリック、私を愛してる?」

妖艶なその声には、誘惑の香りが漂っていた。


この声、とても聞き覚えがある。……親友のフィオナ?


イザベラは足を止めた。

ありえない。きっと最近の任務で疲れきっていて、傷口の痛みもひどいため、幻聴を聞いたに違いない。

イザベラはそう思いながらも、涙がこぼれ始めていた。


「もちろん愛してるよ、フィオナ。君は最高だ……」

洞窟の中から、セドリックの低くかすれた声が聞こえてきた。


イザベラは胸を押さえ、心臓が張り裂けそうだと感じた。

彼女は口を押さえ、声を出せないようにした。頬を伝う涙に血が混じり、襟元を斑模様のように染め上げていた。


「私の方が彼女よりいいでしょ?」

フィオナの声には得意げな響きがあった。


セドリックは笑った。

「君はどの点でも彼女より優れているよ。彼女はおじいさんに溺愛されていることを盾に、あまりにも横暴で、俺のような王太子でさえ彼女に譲らなきゃいけないんだ…… もう、あの子にはうんざりだ……さあ、もう一度キスして……」


イザベラはついに耐えきれなくなった。

口から鮮血が噴き出し、足元の草地を赤く染めた。

彼女はゆっくりと膝をつき、目に映った最後の光景はぼやけた空の光だった。

彼女はこの人を死ぬほど愛していた。彼のために、傷を負いながらも三日三晩走り続けてきたのだ。

それなのに、彼は彼女の親友と楽しんでいた。

「予知」した裏切りの中で、イザベラの最後の命の灯は消え去った。


黒猫は鋭い眼差しでイザベラの“死体”を凝視し、その琥珀色の瞳に一瞬光が走った。


次の瞬間、イザベラは目を開けた。

胸には元の持ち主の心が砕けるような激痛が残り、口の中にはまだ血の味が広がっていた。

彼女は口元を拭い、目の前でまだ泣きじゃくっている黒い毛玉を見つめ、黙り込んだ。


……私は確か、探偵事務所の調査員で。三か月張り込んで、ようやく依頼人の夫の浮気現場を押さえ、その帰りだったはずなのに……

そう考えた次の瞬間、彼女の脳裏に元の人格にあった記憶の断片が流れ込んできた。

婚約者、 親友、 裏切り……

と「許さない」「おじいさんに告げて……」「殴り殺して……」

……文にもならない感情だけが次々と押し寄せる。


「……なんだ、これ?」

……どうやら私は、この世界ではとんでもなく気性の激しい令嬢だったらしい。しかもここは修仙界しゅうせんかいという仙人達の世界だそうだ……


え、待って……?!

私、異世界転生したの?!


イザベラは下を向いて自分の体を一瞥した。胸の傷は本物で、痛みも本物だった。

指先には、数日前に仙芝をぎゅっと握りしめた時のこわばりがまだ残っているようだった。

イザベラは手を伸ばし、胸の痛む部分に手を当て、目を閉じると、苦痛と悔しさを感じたようだった。

彼女は目を開き、その眼差しは鋭かった。

……また浮気か。

まさか転生して最初の浮気調査の依頼人が、自分になるとは思わなかった。

前世では毎日のように浮気調査をしていたせいか、こういう現場を見ると職業病で頭が先に動いてしまう。


「泣くのはやめなさい」と、

彼女は泣きじゃくってしゃっくりをしている黒猫をさっと抱き上げ、

「さあ、行こう。お前の主人の仇を討ちに行くのよ」


女のうめき声と男の低い唸り声が、どんどん近づいてくる。


……落ち着け。まずは状況確認。証拠の確保、逃走経路の確認――いやいや、ちょっと待って、被害者が私か、証拠いらないわ。


イザベラはつま先立ちになり、結界越しに洞窟の入り口からしばらくその様子を覗き込んだ。

うわっ、

何そのポーズ、すごすぎるんじゃない?

どうやったらそんな風に体を捻れるの?あの腰、あの足、信じられない柔軟性……


仕事柄、護身術や格闘術を身につけていたイザベラですら、思わず目を見張った。

修仙界の試験基準って、まさか柔軟性テストじゃないよね? ペアヨガとか?

前世で数え切れないほど浮気現場を見てきたが、こんな体勢は初めて見た。


「……修仙界、恐るべし」

そう結論づけた瞬間、中の物音が急に激しくなった。


男は低く荒い息を漏らし、女は甲高い悲鳴を上げた。


イザベラは手を上げて、元の持ち主の派手すぎる腕時計を一瞥した。

これだけで? なんでそんな高難度のポーズなんかやってるの。


計時開始。

部屋の中の動きのリズムに耳を傾けながら、彼女の口元にゆっくりと笑みが浮かんだ。

心の中で静かにカウントダウンした。十、九、八、七、六、五、四――

「ドン!」

洞窟の入り口にあった結界が、イザベラの一撃で打ち砕かれた。


彼女は石の壁にもたれかかり、ベッドの上で一瞬固まった二人を眺めながら、顔を真っ赤にし、汗だくになった王太子に向かって、甘美で残酷な微笑みを浮かべた。

「おや~お邪魔しました~」

彼女は手首を上げてその腕時計を揺らし、澄んだ心地よい声で言った。

「王太子殿下、そのポーズはなかなかいいですが、時間管理がちょっとお粗末ですね。一見すると速そうな顔立ちですが、これはちょっと早すぎますよ……わずか30秒~」

その言葉が飛び出すや否や、洞窟全体の空気が凍りついた。


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