13 吹奏楽コンクール
「ママ、行ってくるね」
「いってらっしゃい。私も後で観に行くから!」
夏休み1日目は吹奏楽コンクールの熊本大会がある。千夏はカトレア学院では補欠の立場であったから、大会で吹くことはなかったが、今回はコンクールメンバーとして舞台に立つ。楽しみでならない。
コンクールの開催地となる県立劇場は九品寺学園から意外に近く、歩いて20分程度の距離なので学園で集合する事になっていた。出番は午前中の5番目、楽器の搬入はちょうどコンクールが始まる直前から作業が始まる。
「おはようユーミ」
「おはよう。千夏、あれ? 今日は張り切ってるわね!」
「うん! 初めてのコンクールだし。今日はママも観にくるから」
「千夏はママ大好きだから、良かったわね! その調子だったらいい演奏出来そう(笑)」
千夏は実のところ、ママが吹奏楽コンクール来ることを手放しでは喜べなかった。なるべくママを音楽から遠ざけたいと思っていたからである。だが、千夏にとっても約半年ぶりの晴れ舞台、心のどこかでママに観てほしいと思っている。
「任せて! 目標はあくまで全国だからピロピロって軽く演奏して、九州代表になりましょ!」
千夏は本気モードに突入していた。
楽器搬入のトラックが到着した。ちょうどコンクールも開会した時間だが、何故か会場が騒がしい……何かがあったようである。少しすると顧問の小林先生が楽器搬入の為に搬入口にやってきた。
「小林先生、会場が騒がしいけど、何かあったのですか?」
「それ、話そうと思ってここに来たのよ(笑) 実は審査員で特別ゲストが来ていて……誰だと思う?」
「加藤渚さんとか?」
ユーミが質問に答えた。加藤渚さん、世界的に有名なピアニスト、日本が世界に誇る3Kの1人である。3Kとは世界で活躍する日本人音楽家、3人のイニシャルがKである事からそう呼ばれている。
「ユーミ、惜しいわね! ほぼ当たり!」
そのやり取りに吹部のメンバーは湧いたが……千夏は嫌な予感がしていた。
「じゃあ、世界の栗原?」
「おー、正解! サックスパートはラッキーね! 吹奏楽コンクールの地方大会なのに栗原悠介さんが聴いてくれるんだから」
千夏は目の前が真っ暗になった…………。
「ソロパート、気合が入るわね! 千夏…………千夏? どうした? 嬉しくないの?」
「あ…………ごめん…………」
明らかに動揺していることが周囲の人々にはバレバレ、千夏は咄嗟に取り繕った。
「あのね……昔、習ってたことあって…………」
「あの世界の栗原、知ってるの?」
「うん。あの人とは……色々あって……」
これ以上、誤魔化し様がない。千夏が理由を話そうとした瞬間ユーミからのフォローが入る。
「そっか……何があったかは知らないけど……今日は千夏のリベンジの日ね! 世界のユウスケに熊本の千夏が挑戦よ! 頑張ろ!」
何かを察したのか、ユーミが軽く話題を終わらせてくれた。ユーミは機転が利いて頼りになる〜千夏は感謝の気持ちで一杯になった。
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いよいよコンクール本番である。ユーミは良い緊張感を持って舞台袖で待機していた。昨年も熊本大会では金賞代表であった。今年は昨年よりもクオリティが高くなっているので、普段通りの演奏であれば問題はない。だがユーミは先程の千夏の態度が気になっていた。入場順の関係でサックスの千夏とは話せる距離ではない。ユーミが並んでいる場所から舞台寄りの前方に千夏がいるが……今も俯いたままだ。
「ユーミ、どうしたの? 何か心配事でも?」
話しかけてきたのは同じパートの相川部長である。
「部長、何でもないです。気になる事があっても今更ですかね あとは神のみぞ知るです」
「そうね、昨年よりも良い演奏出来てるから自信持っていきましょ!」
ユーミはその言葉に笑顔で返事をした。もう考えても仕方ない、千夏の実力を信じるのみである。
前の高校の演奏が終わり、入れ替わりで九品寺学園が楽器のセッティングを舞台上で行っていく。セッティングはとてもスムーズで、すぐに演奏体制に入った。その時、ユーミは千夏の方に目を向けた…………。
(あれ、雰囲気が変わってる? 私の心配は無用だったかも……)
ユーミはそう感じた。千夏の目線は先程と違い真っ直ぐ遠くを見つめている……真剣な顔……ユーミが見てきた千夏の顔ではない……何かを決意した顔に見える。ユーミは安心した、そして、指揮を担当する小林先生が入ってきた。小林先生は指揮台に立つと客席に対しお辞儀、拍手が沸き起こり……反転して指揮棒を構えた。
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「新しい宇宙」は静かに始まる。フルート、クラリネット、オーボエ……そしてサックスと次第に音が重なっていく。千夏は集中する事に全てを傾けた。雑念をシャットダウンし、演奏に集中している。
千夏の世界……奏でられる様々な楽器の音が聞こえる。これは今までに無かった感覚である。合奏を真剣に取り組んで来た成果の一つであろう。そして……曲の中盤、千夏は静かに立ち上がった。
ソロパートが始まる。サックスで表現するのは夏の太陽〜眩しく、情熱的に…………千夏は自身の持つ多くのテクニックを駆使し精一杯の表現をした。ソロパートを吹き終え、客席に一礼をすると拍手。そして千夏は静かに座った。
曲の終盤は縦だけを意識した。集中は途切れない。曲の最後は夜明け前を表現しながら、静かにフィナーレを迎える…………。
千夏は吹き終えた。指揮台の小林先生が指揮棒を静かに下ろして、客席に一礼をすると、拍手喝采が沸き起こった。
その瞬間千夏は我に返る……ここに、アイツがいる、そう思うと大きな怒りが込み上げてきた。




