6:安全な場所、終わらない場所。
そうだ。この空欄には童話のタイトルが入るのではないだろうか。
金のガチョウを持った少年と言えば”ジャックと豆の木”、針の剣を持った小人は”一寸法師”。赤い靴の主人公は確かカーレンと言った。唐突に現れた彼らに何の意味もないはずがない。
ならば、釣り竿を持った太郎という青年や、猿とカニが主人公の話と言えば……!
「これで全員使ったけど」
「そう。なのにひとつ余るのよ」
「何でぇ!?」
漏れているメンバーはいないのに枠は全て埋まらない。
他に誰かいるのだろうか。それともダブルキャストだろうか。例えばカニやカメなら海を舞台にした話には大抵いる。
加えて確実なヒントがもうひとつ。残る1つのタイトルは6文字。埋まっている文字は「サ」。
そこまでわかっているのに。
「灰色だ!」
誰かが叫んだ。
見れば、クモのような虫が顔をのぞかせている。
「なんで? 今までと形が違う」
SFあるあるな人間捕食系エイリアンの姿は、無限回廊で想像した敵と同じもの。
色だけは灰色だけれども。
「ここは我々が食い止める! アヤノは早く謎を!」
浦島太郎と一寸法師が虫の前に立ちはだかった。釣竿と針という効果の薄そうな武器を手に向かっていく。
謎が解けても元に戻れないのよ、と言う言葉が喉まで出かかって、飲み込む。
言ってどうなるものでもない。むしろ士気が下がるから黙っていたほうがいい。そう思うあたしは卑怯者だ。
「くらえ! 柿の種アタ――ック!」
加勢するように猿とカニが何やら――柿の種と言うからには柿の種なんだろう。お菓子でなければいいけれど――投げつけている。
ジャックに至っては金のガチョウの卵を手にしている。それって投げていいものなの? と、ツッコみたいがそんな暇はない。
解かないと。それが一切彼らのためにならなかったとしても。
ダブルキャストだとしたら?
浦島太郎や一寸法師はそれ以外にはなりそうにない。ジャックやカーレンもそうだ。やはり使えるのは名前のない動物。もしくは途中参加の虫。
「カメ虫! は、昆虫図鑑を見ろって話よね。ううんと」
「よく見て。2文字目は ”サ”。そして赤枠の答えから推測するに後ろから2文字目は、」
「”カ”」
求められている赤枠はまず間違いなく「体育館」だろう。
ああ、答えは出たのに途中式がないからって減点された感じ! △でも正解でいいでしょ、と言いたい。
悲鳴が上がる。
見れば太郎たちが虫の吐く糸にがんじがらめにされている。
ああ、こんな光景見たことがある。捕まった人たちは卵がかえった後の餌にされるのよ。
そんな恐怖シーンの再現に背筋を冷たいものが走る。
「あと誰かいたっけ!? 図書館、本棚、虫、灰色、祐奈ちゃん、あたし、ウサ」
ウサ。ウサギ。
ウ「サ」ギ。
「ウサギとカメ――!!」
叫んだ途端に虫が音もなく弾けた。煙のように広がっていく。
カーレンや太郎やみんなの姿が掻き消されていく。
ひゅう、と冷たい風が髪を巻き上げた。その寒さに身震いをひとつ。
「ここはどこ?」と聞くのもわざとらしい。次に訪れる場所は体育館に決まっている。
彼らはまだ図書室にいるのだろうか。祐奈もあのままなのだろうか。祐奈としての記憶はないみたいだから春花よりは救いがある、と思うのは身勝手な言い分だろう。
祐奈も春花も解けなかった。だから進めないのはしょうがないことなんだ。そう思い込もうとして首を横に振る。
違う。元はと言えば謎なんて解く必要もなかった。開けるなと言われている箱を開けてしまったとか、そういう自業自得なせいで謎を解かないといけない状況に立たされているのなら「しょうがない」と切ってもいいだろうけれど。
「優しいね、アヤノは」
壁沿いに並んだ靴箱の上にウサギが腰掛けている。
図書室ではずっと姿を消していたのに、いつの間に。
一緒に謎を考えてくれたカーレン……祐奈が図書室から出られないのに、助言どころか行方をもくらましていたこのウサギが出られた、なんて間違っている。
「あの子たちはアヤノを見捨てて先に逃げた。それって立派に自業自得だと思うな」
それを言う資格ある? と言ってやりたい。でも言ったところでどうにもならない。
あたしは黙ったまま目をそらす。
目に映るのは鉄製の両開きのドア。そして校舎に続く連絡通路。その向こうに見えるのは正門。
……正門!?
自然とあたしの足は駆け出していた。体育館ではなく、正門に向かって。
だって出口が見えるのよ? わざわざ体育館に入る必要なんてないじゃない!
上履きのままだけど構わない。あの門を出ればゲームセットだ。あたしの勝ちだ。
正門は開いている。さえぎるものは何もない。
いける! あと5歩、3歩、2歩――。
門を抜けた。
抜けた、はずだった。
門を出たはずのあたしが立っていたのは体育館の中だった。
赤い緞帳の下りた舞台。緑色の床と白や黄色のライン。壁に設置されたバスケットのゴール。
そしてゴールの下に立っているのは、あのウサギ。
「急に走り出すんだもん。びっくりしたなぁ、もう」
「何で……?」
「何で、ってアヤノは謎を解いたでしょ? 体育館、って出たでしょ?」
「そうじゃなくて! あたしは外に出、」
「安心して。この体育館は結界が張ってあるんだ。ここなら危険なものはやって来ない。灰色も」
ウサギは得意げに飛び跳ねる。
「アヤノのおかげだよ。ここまで来ればもう安心だ」
「安心かもしれないけど、ずっとここにいるわけにはいかないでしょ?」
危険がないのはいいことだ。でもあたしは家に、元の世界に帰りたい。
第一、体育館は広すぎて落ち着かない。これなら火も水もある理科室のほうがずっとまし。
ウサギと話ながらもあたしは周囲に目を配る。おかしなものは見当たらない。
「何してるの?」
「謎を探してるんじゃない」
隠すとすれば倉庫だろうか。それとも舞台袖の放送機材が置いてあるところだろうか。
ウサギには悪いがここにいる気はない。それなのに。
「どうして?」
「どうして、って」
なぜ今になってウサギはそんなことを言うのだろう。ずっと脱出するために謎を解いて来たのに。ウサギだって知っているはずなのに。
「ここは安全だよ?」
安全だけど、言いたいのはそういうことじゃない。
「あたしは戻りたいの」
「どうして?」
「だから!」
堂々巡りになりそうな議論に声を荒げかけた時、ウサギは悲しそうな目を向けた。
「どうして戻りたいの? ユウナもハルカもアヤノを見捨てたんだよ? ダイキだって日直をサボろうとした。誰もアヤノのことなんて考えてない。自分のことしか考えてない。そんな奴らのいる世界に戻ってどうするの? 楽しいの?」
「そ、れは」
「ねぇ、ここで僕と一緒に暮らそうよ。それがいいよ。僕たち、いい友達になれると思うな。ユウナやハルカなんかより」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
声が体育館に響いた。ない、ない……と反響する。
「じゃあ聞くけどいい友達ってなに? 祐奈ちゃんも春花ちゃんもあたしを置いて行った、って言うけど、置いて行ったのはあたしも同じ。大輝だって朝練がちょっと延びただけかもしれない。あんただって謎は全部あたしに丸投げじゃない。友達ってなに? 面倒なことを代わりにしてくれる便利屋さんのこと?」
言いながらも思う。友達って何だろう。
そして少し言い過ぎただろうか。ウサギの顔がぼやけたように……いや、違う。
いつからこうなっていたのか。
あたりが薄灰色に霞んでいる。
「灰色が」
結界が張ってあるから入って来られないはずなのに。
しかし現に灰色はゆっくりとその色を濃くしていく。
「そんなはずない! ここは誰も、何も入っては来られないんだ。ずっと止まってるんだ。だから、」
ウサギは悲鳴を上げた。
「謎! 謎は!?」
既に最後部のドアのあたりは消えかかっている。もしあの場所に謎が隠してあったらアウトだが、きっと他の場所だと信じたい。
予期せぬ侵入者に呆然と立ち尽くしているウサギを掴んで走る。向かった先に謎があるかなんて知らないが、とにかく灰色から遠ざからなければ。謎を解いて次に行かなければ。
「あんたも探して! 灰色に呑み込まれちゃう!」
「無理だよ、もう」
「諦めたら本当に嫌いになるわよ!」
その時だ。
ウサギの胸のあたりが光り出した。
取り出してみれば、それは最初に見せられた巻物。だが、違う。