第一話:正義のパンチ(※裏で光学兵器)
ヒーローとは何か。 その問いに対して、日向陽の答えはいつだって決まっている。 「倒れても、倒れても、絶対に諦めない奴のことだ!」 私立鳳ヶ丘高校の二年生、日向陽。成績は学年の真ん中より少し下。運動神経は50メートル走が7秒2、体力テストはオールB。要するに、どこにでもいる「完全な並の高校生」である。 だが、彼の胸の中には、太陽よりも熱く燃え上がる正義の炎が宿っていた。
「おい日向、またその赤マフラー巻いてきたのかよ。校則違反だぞ」 「ふっ、甘いな小林。これはただのマフラーじゃない。正義の魂の象徴だ!」 「はいはい。早く着替えて体育館行かないと、先生に怒られるぞ」
休み時間、親友の小林に呆れられながらも、陽は胸を張っていた。 陽は本気で信じている。自分にはいつか、世界を救う運命が巡ってくるはずだと。特撮番組の主人公のように、風に吹かれながら変身する日が来ると。 もっとも、現実の日本は平和そのものだった。怪人も悪の組織も現れない。陽の活躍の場といえば、木の上から降りられなくなった仔猫を助けたり、重い荷物を持ったお年寄りを駅まで送ったりする程度だった。
「でも、それでいいんだ。平和こそが一番なんだからな!」
陽は体育館へ向かいながら、誰も見ていない廊下でそっと「変身」のポーズを決めた。
そんな陽の視線の先、廊下の向こうから一人の少女が歩いてくるのが見えた。
氷室澄。 彼女はこの鳳ヶ丘高校における「絶対的完璧超人」であった。 全国模試では常に1位を独占し、スポーツをやらせれば世界レベル。それでいて誰もが振り返るほどの美貌を持ち、黒髪ロングの髪を揺らして歩く姿は、まるで高嶺の花そのものだ。 だが、澄には誰にも言えない、絶体絶命レベルの秘密があった。
(……はぁ。今日も無事に一日が終わりそうね)
澄は無表情を装いながら、心の中で深々と溜め息をついていた。 彼女の優れすぎた頭脳と身体能力。それは努力の賜物などではなく、人類の科学の限界を超えた「超科学技術」の結晶だった。彼女の身に着けている制服の繊維、メガネに見える伊達メガネのレンズ、果ては体内に組み込まれた超小型ナノマシンに至るまで、すべてが世界の軍事バランスを容易に崩壊させるレベルのオーバーテクノロジーなのだ。
(目立ちたくない。絶対に目立ちたくない……! 私が少しでも本気を出したら、世界の研究者や怪しい組織に追い回されることになるわ。私はただ、ごく普通の高校生として平穏な日常を過ごしたいだけなのよ……!)
澄の人生の命題はただ一つ。「徹底的なモブ化」である。 テストで1位を取ってしまうのは、手加減を間違えて答案を完璧に埋めてしまうからだ。運動で新記録を出してしまうのは、出力調整を1%間違えたからだ。彼女にとって学校生活とは、常に薄氷を踏むような緊張感との戦いだった。
廊下ですれ違う陽と澄。 陽は「お、氷室さんだ。相変わらず美人だなあ」と眩しそうに見つめ、澄は「またあの熱血バカね。関わらないようにしましょ」と視線を合わさずに通り過ぎる。
この時の二人はまだ知らなかった。 数時間後、二人の運命が狂ったギアのように噛み合ってしまうことを。
放課後。 澄は生徒会の書類を提出するため、一人で旧校舎裏の空き地近くを歩いていた。夕日が沈みかけ、周囲は長い影に包まれ始めている。
(よし、今日の『目立たないミッション』はほぼ完遂ね。あとは家に帰って――)
澄が胸を撫でおろした、次の瞬間だった。
「ヒヒヒ……見つけたぞ。鳳ヶ丘高校の生徒だな?」
不気味な低い声とともに、影の中からヌッと巨体があらわれた。 それは人間ではなかった。全身を漆黒の強化スーツで包み、顔面には異様なバイザーを装着した男。背中には不気味な油圧機材を背負っている。
「我々は『ネオ・アーマード』。この街の征服を目論む悪の結社だ。まずはこの学校を拠点とするべく、生徒を捕虜にさせてもらう!」
(悪の結社……? なのよそれ、絶妙にダサいし時代遅れじゃない……)
澄は心の中で冷静にツッコミを入れた。 バイザーの男――『ネオ・アーマード』の幹部・ガイアは、拳を握りしめて迫ってくる。その拳に組み込まれた油圧パワースーツは、コンクリートすら容易に砕く威力を秘めていた。
(面倒なことになったわね……。私の体内に仕込まれた衝撃波発振器を0.05秒だけ起動すれば、この男を分子レベルで麻痺させて無力化できるけど……それをやると、周囲の防犯カメラに異常なエネルギー反応が記録されちゃう。どうしようかしら)
澄が超高速で脳内演算を行っていた、その時だった。
「待てーーーーーッ!!!!」
静寂を切り裂く大声が、空き地に響き渡った。 植込みの陰から躍り出てきたのは、真っ赤なマフラーを首に巻いた少年――日向陽だった。
「女の子になんてマネしようとしてんだ悪党! 俺が相手だ!」
(ちょっと待ちなさいよ何でここにいるのよあのバカ!!)
澄は心の中で叫んだ。 陽は自転車で下校途中にたまたま通りかかり、異様な男と澄を見かけて後先考えずに飛び込んできたのだ。
「ヒヒヒ、威勢のいいガキだ。だが、ただの生身の高校生が俺様に勝てるわけ――」 「だぁぁぁぁぁッ! 正義のーーパンチだぁぁぁ!!」
陽はがむしゃらに拳を突き出してガイアへ突撃した。 フォームもめちゃくちゃ。スピードも普通の高校生。打撃の威力など、ガイアの装甲には蚊が刺したほども効かないはずだった。
(ダメよ! あの男のスーツは油圧式! あのバカの拳が当たったら、手首が粉砕骨折するわ!)
澄の脳内で、危険信号が赤く明滅した。 助けなければ、目の前で同級生が重体になる。 しかし、自分が手を出せば、自分の異常な力が白日の下に晒され、「街のヒーロー美少女」としてニュースになってしまう。
(嫌! 目立ちたくない! 警察の聴取も、メディアの取材も、怪しい研究機関からの勧誘も絶対に嫌!!)
その間、わずか0.01秒。 澄の天才的な頭脳が、一つの「極論」を導き出した。
(……待って。もし、あのバカが『自分の力で悪党を倒した』と思い込んでくれたら? あのバカが勝手に活躍したことになれば、私は『ただ助けられた可哀想な一般女子生徒』として事件を処理できるんじゃない……!?)
「覚悟ーーーっ!」 陽の生身の拳が、ガイアの胸板まであと数センチに迫る。
(頼むわよ、私の超科学!!)
澄は瞬時に伊達メガネのフレームに仕込まれた網膜走査スイッチを起動。制服のポケットから、肉眼では捉えられない極小の超音波ドローン『フェザー・ワン』を音速で射出させた。
ドローンは陽の拳のわずか数ミリ先へ滑り込む。 そして、陽の拳がガイアの装甲に触れた瞬間――。
『局所型指向性超振動波・出力80%――照射!』
ドローンから目に見えない極大の衝撃波が放たれた。
ズドォォォォォォォン!!!!
「グガァァァァァッ!?!?」
暴風が吹き荒れた。 ガイアの頑丈なパワースーツは胸部から一瞬で粉砕され、彼の二メートル近い巨体はまるでトラックにはねられたかのように吹っ飛んだ。空き地の壁を突き破り、数テンメートル先の空き缶集積所に突き刺さって動かなくなる。
静寂が訪れた。
風が吹き抜け、赤いマフラーがたなびく。 拳を突き出した姿勢のまま固まっている陽。
「……え?」
陽は自分の拳を見つめた。 何の打撃感もなかった。だが、目の前の怪人は跡形もなく吹っ飛ばされていた。
「あ……誇張抜きで……俺の拳圧で吹き飛んだ……!?」
陽の顔が、見る見るうちに感動と歓喜に染まっていく。
「覚醒した……! ついに覚醒したぞ、俺の中のヒーローの力がぁぁぁぁぁっ!!」
(よしっ……! うまくいったわ……!)
崩れ落ちた壁の影で、澄は胸を撫で下ろしていた。 手のひらに回収された極小ドローンは、過熱でうっすらと煙を上げている。一回の照射でバッテリーの80%と希少金属のパーツを焼き切ってしまったが、背に腹は代えられない。
(これで私は、ただの被害者。あのバカが『自分の力だ』と勘違いしてくれれば、警察にも『あの男子生徒がすごいパンチで倒しました』って言っておけば済む……!)
澄は完璧なシナリオの完成に心の中でガッツポーズを作った。 あとは、可哀想なヒロインらしく怯えてみせれば終わりだ。
「あ、あの……大丈夫ですか、氷室さん!?」
陽が慌てて駆け寄ってきた。自分の「覚醒」に興奮しながらも、真っ先に澄の安否を気遣うあたり、根っからの善人である。
「ええ……私なら大丈夫よ、日向くん。……すごく、強いのね」 「へへっ、実は自分でもびっくりなんだけどさ! なんかこう、胸の奥から熱いものが溢れ出て、拳が光った気がしたんだ!」
(光ってないわよ。あれはドローンの高周波摩擦熱よ)
「でも、怪我はなかったか? 怖かっただろ」 「ええ、少し……。でも、あなたが助けてくれたから」
澄はうるうると瞳を潤ませ、完璧な「守られた少女」を演じた。 陽はその可憐な表情を見て、真っ赤になりながら照れくさそうに頭を掻く。
「いやぁ、ヒーローとして当然のことをしたまでさ!……あ、そうだ! 警察に通報しないと!」
「待って」
澄は思わず陽の袖をつかんだ。
「……え?」 「警察に通報したら……大ごとになって、警察やニュースの人がたくさん来るでしょ? 私、そういうの……目立つの、すごく苦手なの……」
これは本心だった。目立ちたくないのだ。
「日向くん。今日のことは……二人だけの秘密にしてくれないかしら? あなたが私を陰から守ってくれた……それで十分だわ」 「……! 秘密の……ヒーロー……!」
陽の目が、少年漫画の主人公のように輝いた。
「わかった! 男・日向陽、約束は絶対だ! 氷室さんの平穏は、俺が影から守ってみせる!」 「ええ、ありがとう(よし、これで完璧ね)」
二人は夕日の中で固い約束を交わした。 澄は「これで平穏なモブ生活が守られた」と満足し、陽は「俺は街を陰から守る裏のヒーローになった」と大歓喜していた。
そう、この時までは澄も思っていたのだ。 これが一度きりのアクシデントだと。
翌日。
「聞いてくれよ小林! 俺、ついに覚醒したんだ!」 「はいはい、わかったからノート見せろよ日向」
休み時間の教室。陽は鼻息を荒くして小林に熱弁を振るっていた。 当然、昨日の事件の全貌は言えない。「秘密のヒーロー」だからだ。だが、溢れ出る全能感を抑えきれず、陽はソワソワと廊下を眺めている。
(ふふん、俺には秘められた力がある……! 氷室さん、安心してくれ。君に迫るあらゆる悪は、俺のこの拳で撃滅してみせるからな!)
陽が一人でガッツポーズを決めていると、教室のドアが開いた。 澄が静かに歩いてくる。
(ふぅ……昨日は大変な目に遭ったわ。でもこれで一件落着。今日からはまた静かな日常が――)
澄が自分の席に座ろうとした、その時だった。
『緊急警告。校内半径100メートル以内に、高エネルギー反応を検知』
澄の耳に装着された超小型通信インカムから、自宅のAIサーバー『無名』の無機質な音声が直接脳内に響いた。
(……は? 高エネルギー反応?)
澄が窓の外に目をやると、校庭の真ん中に、昨日と同じ黒いスーツを着た男たちが三人、過激な武装をして降り立っていた。
「出でよ、昨日我が組織の幹部ガイアを倒したという『赤いマフラーの男』! 復讐にしてやる!」
拡声器で叫ぶ悪党たち。悲鳴を上げて逃げ惑う生徒たち。
(ちょっと待ちなさいよ! なんで学校に殴り込んできてるのよ!?)
澄は顔を青くした。 昨日、ガイアをあっさり倒しすぎたせいで、悪の組織『ネオ・アーマード』は陽を「組織を脅かす超危険人物」と認識し、総力を挙げて潰しにきてしまったのだ。
(私の目立たない生活が……校庭で大バトルなんてされたら、休校になって警察が張って、私の平穏が完全に終わる……!)
澄が冷や汗を流していると、隣の席でガタッと大きな音がした。
「……来たか。俺の宿命たちが」
陽が、嬉々とした表情で赤いマフラーを首に巻き直していた。
(待ちなさいバカ!! 行くんじゃないわよ!!)
「氷室さん、安心してくれ」 陽は澄の方を振り返り、歯を見せてニッと笑った。
「君の平穏は、俺が守る。……行ってくる!」
陽は教室を飛び出し、廊下を爆走して校庭へと向かって行った。
(待って! あなたはただの普通の人なのよ! あんなのの攻撃を受けたら一瞬で肉塊になるわよ!!)
澄は頭を抱えた。 止める術はない。陽はすでに階段を駆け下りている。
(……あああもうっ! なんでこうなるのよぉぉぉぉっ!!)
澄は周囲の生徒たちがパニックになっている隙を突き、空き教室へと滑り込んだ。 バッグから自作の超高スペックタブレットを取り出し、高速でキーボードを叩く。
「無名! 自宅地下ドックから支援ドローン群『フェザー・スコードロン』を即時発進! 光学迷彩モード起動、光学誘導レーザーの出力を最大に設定!」
『了解。……マスター、あの男子生徒を助けるのですか?』
「助けるんじゃないわよ! 私がモブとして生きるために、あのバカに『最強の英雄』でいてもらわなきゃ困るのよ!!」
澄はタブレットの画面に映し出された、校庭へと躍り出る陽の姿を睨みつけた。
「いいわ……やってやろうじゃない。日向陽、あなたには今日から、世界最強のヒーローになってもらうわ……私の平穏のためにね!!」
「よくぞ逃げずに現れたな、赤いマフラーの男!」
校庭の中央。三人の戦闘員に囲まれながら、陽は堂々と立ちふさがっていた。 校舎の窓から、怯える生徒たちの視線が一斉に注がれている。
「ふっ、悪党どもめ。俺の学校に土足で踏み入ったこと、後悔させてやる!」 「ほざけ! 死ねぇぇぇっ!」
三人の戦闘員が一斉に油圧式の巨大な斧やブレードを振り上げ、陽へと襲いかかった。 生身の人間なら一秒で細切れになる絶体絶命のピンチ。
(来た……! 胸の奥から湧き上がる、あの感覚……!)
陽は根拠のない自信とともに、大空へ向けて右拳を突き上げた。
「喰らえぇぇぇっ! 超・熱血・流星パンチぃぃぃぃぃっ!!」
ただの、空振りである。 相手との距離はまだ五メートル以上離れている。
しかし――。
(画面固定、ターゲットロック! ステルスドローン全12機、集中照射――撃てぇぇぇっ!)
空き教室でタブレットを操作する澄の指先が、光の速さでエンターキーを打った。
上空数百メートルに潜んでいた光学迷彩ドローン群から、肉眼では見えない超高濃度の荷電粒子ビームと超音波波形が、陽の拳の軌道に合わせて一斉に放たれた。
ドガァァァァァァァァン!!!!
校庭の地面が爆発した。 陽の拳から解き放たれた(ように見える)透明な衝撃波が、校庭の砂煙を龍のように巻き上げながら激走。襲いかかってきた三人の戦闘員を飲み込んだ。
「「「グギャァァァァァァッ!??!?」」」
圧倒的なエネルギーの奔流。 戦闘員たちの強化スーツは一瞬で機能停止し、三人まとめて校庭のバックネットまで吹き飛ばされ、そのまま網に絡まって気絶した。
校庭を静寂が包み込む。
砂煙がゆっくりと晴れていく中、突風に赤いマフラーをなびかせながら、陽はひとりポーズを決めて立っていた。
「……ふっ。また、つまらぬものを殴ってしまったか」
校舎から見守っていた生徒たちから、ワーッという大歓声が湧き起こった。
「すごい! 日向が怪人を一瞬で倒したぞ!?」 「あいつ、なんだあの力!? ヒーローか!?」
陽は照れくさそうに頭を掻きながら、校舎の二階――空き教室の窓へと視線を送った。 そこには、カーテンの隙間からこちらを見つめる澄の姿があった。
(見たか、氷室さん! 俺が君と学校を守ったぞ!)
陽は親指を立てて、澄に向けてバシッとウインクしてみせた。
……その頃。 空き教室の中で、澄はガクガクと膝を震わせながら、画面に表示された「消費コスト」の数字を見ていた。
『今回の戦闘による消耗:高精度レンズ焼失4枚、特殊バッテリー消耗100%、試作型ドローン1機大破。概算被害額:480万円』
「よ、よんひゃくはちじゅう万……」
澄は血の気が引いていくのを感じた。 たった一回の「勘違いアシスト」のために、高級外車が買えるほどの損害が出ている。
「あのバカ……! 調子に乗ってウインクなんてして……!」
澄は赤くなった顔を隠すようにタブレットを胸に抱きしめた。 だが、同時に胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなるのを感じていた。
(……でも、あのバカ。本当に私が危険だと思って、真っ先に飛び出していったのよね)
普通なら、あんな化け物みたいな奴らが現れたら逃げるはずだ。 自分の力なんて何もないくせに(本人はあると思っているが)、誰かを守るために命がけで前に出る。
「……バカね。本当のバカだわ」
澄はポツリと呟き、ハッと我に返って首を振った。
「い、いけないわ! 感動してる場合じゃない! このままだと私の財産が底をつくし、いつかあいつが本物の怪物に殴られて死んじゃう!」
澄はフッと冷たい笑みを浮かべ、メガネの位置を直した。
「決めたわ。こうなったら……あのバカを完璧に『プロデュース』してあげる。私の管理下で、安全に、効率的に、最高の偽物ヒーローとして活躍してもらうんだから……!」
黒幕美少女の裏方プロデュース。 そして、何も知らずに「俺最強!」と調子に乗る勘違いヒーロー。
二人の奇妙で甘酸っぱい共犯関係は、こうして幕を開けたのだった。




