37. ソールであるという事
その日の勤務明け、ギルノルトには一声告げて先に帰ってもらい、レインはクルークでロイを呼び出した。
その場所はあの店、艶っぽい店主がいる“輪舞の岬”である。
その呼びかけに応じて来てくれたロイに今回の出来事を伝えれば、ロイは神妙な面持ちで頷いた。
「そういう事か…」
「ん? ロイも聞いていたのか?」
「ああ、私も先程小耳に挟んだばかりだ。ただ、詳細までは知らなかった」
「そうか、既に白騎士団まで話しが広まっていたんだな…。今回の事は俺がもう少し上手く立ち回れていれば、犯人も死ななかっただろうし剣も戻ってきたはずだ。だから2度目では何としてでも回避させたいと思っている」
「――君が気に病む事ではないとは思うが、私も同意見だよ」
ロイは眉根にシワを刻むレインの顔をみて、優しく微笑み返した。
「結局、その男の死因はわかったのかい?」
「ああ。夕方にあった医術局の最終報告では、“毒殺”との事だった」
「毒か。では自殺という線も残されたままか…」
「でも、それにしては手際が良すぎる。俺が目を離したのは数十秒で、その間に毒を飲むのは至難の業だろう。それに、荷物を隠したのならそんな時間はないはずだ」
「そうだな…」
ロイは、レインの言葉を吟味するように口を閉じた。
あの時、男の顔色が変わっている事に疑問を抱いたレインへ、その後デントスが毒であろうと話してくれた。特殊な毒を体内に吸収した場合、肌の色が変色する事があるという話だ。
もっともその後しっかりと医術局に検死を頼み、医術局からの見解も毒だと結論付けているので間違いない。毒とは、死しても恐ろしいものだと思ったレインである。
「なぁロイ、それで2度目の朝にもこの事をロイに伝えたいんだが、朝からここに呼び出しても良いか?」
「……いいや、申し訳ないが今朝は色々と立て込んでいた。朝から話を聞きに出歩く事もままならないだろう」
「そうか忙しいか…。それじゃどういう風にロイに知らせれば良いんだ?」
「そうだなぁ……」
ロイは腕を組んで目を瞑る。
短い言葉でどうやって伝えれば、自分にも理解できるのかを考えているのだろう。
やはり魔鳥には余り長い文章を乗せる事は出来ないらしく、それに長文になればなるほど、報酬の魔力も多く渡さなければならいという事だった。そしてついでの様に、魔鳥の名は人に教えないようにと初めて聞かされる。まだギルノルトにも伝えていないため問題はないが、そういう大事な事は先に伝えて欲しかったと思ったのは余談である。
「…であれば、端的にクルークに伝言を乗せてくれるかい? 内容は、ナトレイス工房から納品される剣が途中で盗まれる事。後は発生する大よその時間と場所…くらいで良いだろう」
「剣が盗まれる事と時間と場所か。で、その場所とは盗まれた時の場所か? それとも男が倒れていた場所?」
「出来れば両方共だね。それさえわかれば、私もある程度は把握できるだろう」
「わかった。2度目の朝、クルークにその事を託すよ」
「頼んだよレイン。今日は呼び出してくれて感謝する」
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そして来る2度目の朝、レインは既にピリピリとした空気を纏っていた。
その為、まだ何も話していないギルノルトでさえも何かあるのだと気付いている。
「その様子では、今日はソールなんだな?」
「ああ……」
「じゃあ、食堂では端に行こう」
「そうしてくれ…」
朝食を摂る間に、ギルノルトにも端的に今日の出来事を話していった。
話しを聞けば、ギルノルトもレインの様子に理解を示す。
「俺も応援に行きたいが、今日は反対の東側の巡回だ。呼子で呼ばれるならまだしも、何か理由を付けないと動けないな…」
そう言って、ムムムと眉間にシワを寄せる。
「ああ、ギルも厳しい事は分かってる。既にロイには伝言を飛ばしたが、ルーナの時点でロイも動けないと言っていた。俺一人では心もとないが、変えられるところと言えばせいぜい彼を早く見つけ出す事くらいか…」
「だとすれば荷を取られる前にそのナトレイスに合流して、レインがそれを阻止する方向だな?」
「ああ。だから今回は迂回せず、初めから西側の道を辿ってみるよ」
「何かあれば呼んでくれ。俺も耳をそばだてておく」
「頼む…」
こうしてレインとギルノルトは今日の出来事を話し合った後、任務開始の為ギルノルトとは詰所で別れた。
そして1度目と同じく例のご年配に呼び止められ、再びレインは入城許可証を受け取り出発する。
ここまでは1度目と同じ経緯を辿っている。変えるのはここからだった。
「ああ、そちらではないよっ」
走り出したレインが大通りへ向かわず北上したため、慌てて白い息を上げた老人に、レインは大丈夫だと手を振り返して駆け抜けて行った。
元々ご老人が彼を見失ったのは、大通りを目指して歩いたからだったのだろう。という事は家を出て、彼はすぐに脇道に入り北上したという事だ。
(俺が見つけた時も大通りではなかったしな)
レインはその推理を元にチラチラと舞う雪の中、プルマ・ナトレイスを追ったのだった。
(あれだ。やはりこちらだったか)
その後、彼の後姿を発見したのは1度目に見付けた場所より2区画南で、中心付近の西側にあるモックス商会の近くだった。やはり彼は自宅から出て小径を北上していたようで、彼との距離は60m程だろうか。
そして目の前の彼がまた、人通りのある道から小径へと入る所が見えた。
なぜ大通りではなくこちらを使うのか…裏道から行けば近道なのか、それとも荷物を人目につかせない為の配慮からなのか。しかしその配慮もむなしく、結局人目につかない道を選んだために、この後荷物を取られる事になったのだ。
レインは足を止めることなく走り、その後姿を追って小径に入る。だがレインが小径に入った時にはもう、ナトレイスは次の通りに辿り着き角を曲がったところだった。
(まずいな。もう一つ先の区画に行かれると、あの場所に近付くぞ)
1度目に言い争っていた場所が、その一区画先。あの言い争いがどれくらい続いていたのかは分からないが、そこに行く前に合流しなければ、また同じことが起こってしまうだろう。
レインは見失わないように走り続ける。しかしもう少しで声を掛けられると言うところで角を曲がってしまい、そうしてやっとレインが追い付いたのは、結局言い争っていた道についてからだった。
「おい、今ぶつかっただろう! わざとか?」
そんな人の声にそっと覗き込めば、人通りのない狭い小径の中ほどで、向こう側に立つ男がナトレイスの道を塞ぐように立ちはだかっていた。
「いいえ、当たっていないはずですが…」
「何言ってやがる! いててて、腕が折れたかも知れないなあ!」
「ええ? 大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃねえから言ってんだよ! いてえっ!!」
わざとらしい男の言動に、レインは眉間にシワを寄せる。
レインからすれば、ただナトレイスに難癖をつけているだけにしか見えないのだ。
それにあの男は…。
顔色は違うが、レインが1度目に見た男の顔に間違いない。
1度目はここで暫く揉めて、俺が声を掛けた隙に荷を奪って逃走したという事か。そうであれば、明らかにこの男はナトレイスが誰であるかを知っていて…という思考が脳裏をよぎる。
(さて、どうする?)
ここでレインが飛び出せば、1度目と同じ結果かそれに近い事が起こるだろう。だがレインが声を掛ける方向が違う為、男は向こう側に逃走するであろう。そうなれば道も変わってくる為に、この先の出来事も変わってしまう。出来れば、何処に向かっているかが分かっている方が都合が良いと考えたレインは、姿を見せずに声だけを響かせる事にする。
レインは小径の入口に張り付き、そこから中に向かって声を張る。
「そこで何をしている!!」
レインの声だけが聴こえて驚いた2人が、そろって周りを見回した。
そうしてやはりその隙を見逃す事はなく、例の男が荷物に手を伸ばしドンッとナトレイスを押した。
「わあっ!」
衝撃で壁に当たったナトレイスが崩れ落ちるのを見届けることなく、男は荷物を手にこちらへ向かって駆け出してくる。
レインは咄嗟に通路へと足を出す。すると男はレインの足に引っ掛かり体勢を崩して前のめりになった。
(やったか)
止めた、とレインが思ったのも一瞬、男は器用に片方の手をついて体を一回転させると、再び体勢を整えて走り出して行ってしまったのだ。
(しまった! スキル持ちか!)
その身軽さは身体強化や俊敏、または何かのスキルを使ったと思わせる動きだった。
どうりで前回も中々追いつけなかったはずだと思いつつ、こうしてレインは小雪舞う中、ソールでも再び男の背中を追う事になってしまったのだった。