35. 届け物
ロイとの事は、その日の夜にはギルノルトにも報告済みだ。
ギルノルトは、レインの事を知る唯一の身近な協力者であるのだから当然と言えるだろう。
「なあ、俺も挨拶くらいしに行った方が良いか?」
これは、ギルノルトの事も話題に上ったと聞いた上での当人の言葉である。
「いいや。その内に会う事もあるだろうから、その時で良いって」
「そうだな。互いに顔は認識しているから、顔を合わせた時にって事か」
「ああ」
こうして色々と考えをすり合わせながら話し合ったレインとギルノルトだったが、その後は案外穏やかな日が続き、ロイと連絡を取る事もなく過ごしたのだった。
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そして王都北部にそびえる山脈も全て白色で覆いつくされ、そんな出来事があった事も記憶から薄れかけた頃。
レインは街中の巡回日でルーナである今日、王都にもチラチラと雪が舞う中でレインは走り回っていた。
とは言え事件や事故という訳でなく忘れ物を届けてくれという老人の依頼で、レインは一人小さな鞄を持ってその人物を探していた。
「城まで行くと言っていたからのう。大通りでも歩いておるんじゃろうが、儂では追いつけんよって届けてはくれんじゃろうか?」
家を出てすぐに追いかけたものの、老人の足ではその姿さえ捉える事ができなかったのだと、たまたま近くを巡回していたレイン達が呼び止められ、こうしてレインが後を追う事になったのである。
「わかりました。俺が届けてきます」
「すまないねぇ」
その鞄には、城門を通る為の通行証が入っているらしい。
それが無ければ門前払いになるのは、喩え見知った王都の住人であっても変えられない規則である。
そんな事で鞄を持って走り出したレインは、すぐに見付かるだろうと思っていたのだが…。
いくら老人の足が遅いとはいえ既にレインが走り出して10分程経過しており、レインの視界に城門が見える位置まで辿り着いていたのだった。
(おかしいな…該当する人物が見当たらない)
大通りで人を避けながら走ってきたものの、すれ違う人にその特徴がないかと目を凝らしていたはず。
それなのに、老人から聞いた人物を見付ける事ができなかったのだ。
レインは走っていた足を緩めて徒歩に切り替えた。そして念のために振り返り、坂道を見下ろして首を捻る。
(黒い布で包まれた長い物を持っている人なんて、どこにもいないんだけどなぁ…)
髪は赤茶で顔にはソバカスがあり、背丈はレインより少し低く170cm位。服装は茶色のジャケットにズボンという至ってシンプルな装いだが、普段よりはめかし込んでいるのだと老人は言っていた。普段を知らないレインに、違いが分かるはずもないが。
(では大通りではない、という事か?)
確かに老人が言う通り、城に行くのならば大通りを道なりに行けば良いはずだ。だがこうして辿って居なかったという事は、この道を通っていないとしか考えられない。
(俺も実家に行くときには脇道から行く事もあるしなぁ)
レインが以前材木店で事件を目撃したのも、そうして歩いて行ったからだった。
その為レインは他の道を通っているのではと推測し、大通りへは出ずに老人が居た西側の区画からその中にある道を北上して行ったと仮定して、レインは北から南へ向かってゆっくりと下って行く。
ここからは走る必要はないし、走ってまた見過ごしては本末転倒である。
案外簡単な事ではなかったなと思いながら、じっくりと周りを見回し、多少人通りのある道を南へと向かった。
そうして歩みを緩めたレインの体は、この寒さで少し冷えてきた。
「は~っ」と吐く息は白く漂い、手袋をしている指先も凍えるようだった。
(汗が冷えてきたか…)
これはいよいよ早く探さねばとレインが次の脇道を目指そうとした時、誰かが言い争う様な声がどこからか聴こえてきた。
何かあったのかとレインがその声の出所を探して歩けば、1本の狭い脇道の途中で、細長い荷物を持つ男ともう一人の男が言い争っているのが見えた。
見付けた。というのはどちらの意味か最早レインにも分からないが、レインが探していた男性がその声の主であったのだ。
「どうかしたのか?」
レインは通りの入口から、こちらを向いているソバカスの男性に向かって話しかける。
「あの…「るせえ。お前には関係ねえ」」
すると探していた男性の言葉を遮り、背中を向けていた男が振り返ってレインを睨みつけた。
どういう事だ?とレインが眉を上げて視線で問いかければ、突然男は男性が手にしていた細長い荷物を奪って走り出したのである。
「わあっ! 泥棒!」
男性の叫びにレインは咄嗟に後を追う。
「あんたはそこに居てくれ!」
と手にしていた鞄を男性に放り投げ、レインは呼子を吹きながら走り続けた。
「ピーッ!ピーッ!」
冷えた体をまた温めるが如く、レインは荷物を振り回しながら走る男を追いかける。
「止まれ!」
そういって止まる訳はないのだろうが、言わずにいられないのは人の性だろう。
男との距離は約30m。
それが縮まる事もなく、制止も聞かずに走り続ける男を追って、レインはいつの間にか西側の郭壁近くへと来ていたのだった。
そこで不意に男が角を曲がった。
レインも時を置かずしてその角を曲がるも、その男の姿は……。
「はぁっはぁっはぁっ……どういう事だ…?」
レインはゆっくりと歩き、倒れている男の傍で膝をついて背に手を掛けて揺する。
「おいっ」
ここまで追いかけて来た男はそこにうつ伏せで倒れており、つまずいて転んだかのように身を投げだしているが、その体はピクリとも動かなかない。
「転んで頭でも打ったのか?」
とレインが独り言ちたところで、レインの向かい側から声が聴こえてきた。
「お? 要請はレインだったのか。…それでどうしたんだ?」
その男は誰だ? と聞いたのはラズベリー色の三つ編みを揺らすミウロディ。その後ろからガルモント先輩とギルノルト、そしてグストルと新人のベンディもいる。
大人数が来てくれたなと、皆へ会釈し感謝するレインだった。
「わかりません。ただ、この男が人の荷物を奪って逃走した為追いかけていました。そして突然ここで倒れていたんです」
レインの話を聞きながら進み出たガルモントが、片膝をついて男の首に手を添えた。
「死んでいる様だ」
「えっ?」
皆の視線がレインに注がれるが、レインにも意味が分からなかった。
「ミウロディ、ギルノルト、グストル、この周辺に怪しい奴がいないか調べてくれ。ベンディ、詰所に行って班長を呼んできてくれ」
「「「「はい」」」」
ガルモントの一声で、通りに散って行く4人。
それを見送り、ガルモントは検分するために倒れている男を仰向けに返した。
すると男の顔がどす黒く変色しており、ついさっきまで動いていたと言われても信じられない程の変わりようだった。
「―?!― 俺は何もしてないです。ここでやっと追いついたくらいで…」
何を慌てているのかと笑うガルモントに、レインも我に返って口を閉じた。
「まあ落ち着けレイン。どこから逃走してきた?」
「西区画、モックス商会の北側からです」
「結構追いかけたんだな」
「…はい」
「それで、レインが追い付いたのはいつだ?」
「この男がこの路地に消えて、俺も数十秒後には…。そしてすぐにガルモント先輩たちが来てくれました」
「という事は、その数十秒の間にこの男は死んだ…」
パッと見た限り首筋に蚊に刺されたような跡がある位で、この男には切られた様な外傷もないし転んで頭を打ったような形跡もない。一体どういう事だとレインとガルモントは顔を見合わせる。
荷物を奪った男がなぜ死んだのか。事故か、それとも自殺か他殺か。
レインに追い詰められて自害した…とも考えられるが、荷物を盗んだからと言って極刑になる事もないのだから、捕まったとしても精々牢屋にぶち込まれるか、数か月の強制労働で済まされる罪だろう。
それなのに、レインに捕まる事よりも死を選んだ…?
普通に考えて自殺の線は低いのだろうとレインがガルモントへと視線を向ければ、同じことを考えていたらしくガルモントが頷いた。
「外傷はないが、自殺という事でもなさそうだな。この顔色では…」
「なぜこの男の顔色が変わっているんですか? 俺もちゃんと顔を見た訳ではありませんが、さっきは確かに普通の顔色だったはずです…」
「この顔色な…」
ガルモントが言いかけたところで、後ろにベンディを従えたデントス班長が視界に飛び込んで来た。
「ガルモント! 何があった!」
と問いかけながら、いつも穏やかなデントスが形相を変え駆けつけてきたのだった。
いつも拙作をお読みいただき、ありがとうございます。
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