28. 思わぬ助っ人
それからレインは、相変わらずの日々を過ごす。
それは特に事故もなくという意味だったが、今日は少々慌ただしい一日になるとレインは知っていた。それは、ギルノルトが休暇日という事も関係する。
約束通りギルノルトも、色々なところから情報を仕入れてきてくれているからだ。
今日の1度目の夜に部屋に来たギルノルトから聞いた話では、日中に街中でちょっとした騒ぎがあるという事だった。
レイン自身は今日も仕事であるが、今日は夜勤の為に日中は動く事も出来る。しかし本当は、睡眠を取らねばならないのだが…。
かと言って放置する事も出来ず、レインはギルノルトの報告で動く事を決めたのだった。
その時間は昼過ぎで街中も賑わう頃合いだ。
その為、その騒動があった時に辺りは一時騒然となったらしいが、1度目のレインは寝ていた為にそれに気付く事はなかったのである。
「でな、興奮状態で取り押さえるのがやっとの状態だったんだ」
「でも…」
「それがな。火事場の馬鹿力というやつか、こっちが驚くほどの力で暴れるんだ。一度振りほどかれた程だ」
レインは驚愕に目を見開く。
レイン達も人を取り押さえる事はあるが、今回は興奮状態だったために想像以上の力だったようだ。
「巡回は?」
「それがちょうど誰も見回っていない時で、少し経ってから慌てて駆け付けて来た。その間俺一人では取り押さえるのが大変だったんだ…」
若干お疲れ気味のギルノルトに、労いを込めて肩を叩く。
「じゃあ俺も行くわ」
「は? …レインは寝ないと駄目だろう?」
「いや、1時間2時間くらいなら削っても大丈夫だ」
「またレインは…」
無茶をするなと言いたげだが、表情はホッとした様なギルノルトだ。
やはり一人では心もとなかったのだろうと、レインはこうして今日の予定を決めたのだった。
その代わり、2度目の今日は朝食の時間を短縮して睡眠に当てることにした訳だが、急いで食べるレインに、2度目のギルノルトは不思議そうな顔をしていた。
そのため今日がソールだと言って本人から聞いた話を伝えると、「今日はそういう事があるのか」とギルノルトも覚悟を決めたらしい。
「それじゃあ、後で」
「ああ、頼むぞレイン」
「待っててくれ」
これからすぐに眠り、一旦昼前に起きる。そして戻って来てからまた仮眠を取るつもりだ。
忙しいなと苦笑して、レインは眠りについたのだった。
そうして予定通りに昼前に起きたレインは、何とか頭を覚醒させて街へと向かった。
今日は晴天だが風が吹いている為、体感温度は少々低い。所々に植えられている木々の色付いた葉も、その風に飛ばされて少し寒そうだなとレインは微笑む。
そうして少し早めに着いたレインは、脇道に身を隠すギルノルトに手招きされてそちらへと向かった。
「ギルノルトも早めに来たのか?」
「当たり前だろう? 今日何かあると分かっていて、同じ時間になるまで待つ奴はいない。レインと同じだ」
「それもそうか」
小径の陰で2人は苦笑する。
するとレイン達とは通りを挟んだ向かい側のアパートから、男女が身を寄せ合い出てきたのが見えた。
男の方は20代前半くらい。可愛らしいと言える顔立ちで少し軽薄そうにも見えるが、いかにもモテそうだ。女の方は艶やかな髪を腰まで垂らし、体のラインを強調する服を纏って男にピタリと身を寄せている。こちらも20代前半くらいだろうか。
「あれか?」
「…たぶんな…」
ギルノルトはその彼らを、何とも言えない表情で見つめていた。
「俺、本当は止めなくても良いかとも思ってる…」
「はぁ?」
「だって自業自得だろう?」
レインは事の顛末を知っている為、その言葉の意味は分かるし気持ちも分かる。
「だが止めに入らなければ、加害者の方が可哀そうだろう?」
「まあ、そういう事だな」
ガシガシと頭を掻くも、視線ではカップルを睨みつけるギルノルト。
その2人はアパートから出てきても、その前でまだイチャイチャしているのだ。
「そろそろだろう」
「わかった」
レインがギルノルトに注意を促せば、その時人がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「来た。あれが例の彼女だと思う」
その女性は花柄のスカートを靡かせて勢いよく走ってくると、アパートの前で密着している男女の前で止まった。
「ジュード! 何よその女は! 彼女は私だけって言ってたのに!」
「シエナ!?」
シエナと呼ばれた女性が、キッとジュードに張り付く女を睨みつけた。
「え~怖い。誰よこの女、ジュードの知ってる人?」
「えぇと、知り合いって程じゃ…」
「ジュード!!」
そうして始まった目の前の寸劇に、レインは頭を抱える。ギルノルトも事の成り行きをしっているはずが、この場面を見て半目になっていた。
そして大声でなじり合う彼らを、遠巻きに見る通行人まで出てきている始末である。
「何だよこれは…」
「所謂ってやつだな。―?!―って、レイン行くぞ!」
急に飛び出したギルノルトに続き、レインも彼らの下に走った。
すると目の前でシエナという女性が鞄から果物ナイフを取り出し、男に振りかぶったのである。
「キャァーーー!!!」
ナイフを見た女は悲鳴を上げ男から身をよじって離れると、男を盾にして背後に回った。そのまま寄り添っていては、自分が刺されると思ったのだろう。
見ていた周りの者達が唖然としている中でレインとギルノルトが飛び出していき、ギルノルトはナイフを握る彼女の手首を掴み上げ、レインは彼女と彼との間に身を滑り込ませた。
― シュンッ ―
途中でギルノルトが押さえたもののナイフは半分ほど振り下ろされ、その切っ先がレインの頬をかすって一筋の赤い線が出来る。
「レイン!」
「大丈夫、かすっただけだ」
実際深い傷でもなく、少しピリリとする程度の傷だった。
ギルノルトにナイフを落とされ取り乱して暴れるシエナと呼ばれた彼女は、絶望に染まる眼差して背後から抑えるギルノルトに抵抗し、未だジュードに向かって行こうとしている。
レインの後ろでは男に寄り添う女が、「大丈夫?」と男の心配をしているのがまた居た堪れない。
レインはシエナの前方で、視界を塞ぐように彼女を押さえる。彼らを見せてこれ以上刺激させたくない事もあるが、レインとギルノルトの二人掛かりで何とか押さえているという状態だったからである。
――カランッ――
彼女がやっとナイフから手を離した。しかしそこで、レインの背後が動く気配がしてレインが振り返れば、シエナが落とした果物ナイフをジュードが振り上げていたところで止まっていた。
――!!――
「やめておけ。今度はお前が加害者になるぞ。と言っても既に加害者のようだがな」
男の手首を押さえ静かに声をおとした人物を見て、レインは目を見開いた。
「すまない、助かった」
「いいや、流石にこの状態では見過ごす訳にも行かなかった」
ギルノルトの礼に返事をしたのは、今日も小ざっぱりした身なりのロイだった。
そのロイの手は、キリキリとジュードの手首を締め上げたままである。
「いたたた…放せよっ」
レインが視界を開けた為シエナもジュードが振りかぶる刃物を目にして、緊張の糸が切れたようにその場にへたり込んだのだった。
「放しても構わないが、その前に刃物から手を離せ」
有無を言わせぬ口調のロイがジュードへと視線を向ければ、カランと音を立てて刃物が地に落ちた。
「っ……放した、放したってば!」
「ああそうだ、なっ」
足元に落ちたナイフを蹴り上げた後ロイが男をグルリと回し、その手を後ろ手に捻りあげた。
「いてっいてててて…痛いっ」
「君達、第二騎士団はもう呼んだのか?」
痛がる男を無視して、ロイはレインとギルノルトに声を掛けた。
「あっ悪い、今呼ぶわ。 ―ピーッ!ピーッ!―」
忘れていたと、ギルノルトが呼子を出して鳴らせばロイが目を見張る。
「君も騎士団員だったのか」
「ああ第二だ。今日は休暇だがな」
ニヤリと笑みを浮かべるギルノルトに、「そうか」とロイも爽やかな笑みを浮かべた。
「それじゃその男は、念のために俺が捕まえておく。また刃物を持たれると困るからな」
「っ、俺は被害者だろう!」
「うるさい! お前は人でなしだ!」
ロイと入れ替わり、ギルノルトがジュードの腕を捻り上げる。
その頃になれば、呼子に応えた団員達が通りの向こうからこちらへと走ってくるのが見えて、ギルノルトが反応する。
「ああ、応援が来たようだな」
「そのようだね。では私はこれで失礼するよ」
ロイはウインクをひとつ残し、レイン達の言葉も待たずに向かいの路地へと消えていった。
その早業に、レインとギルノルトはあっけにとられて顔を見合わせた。
「今のは何だったんだ? ただの通行人か?」
「………」
レインは酒場で知り合ったロイの事を、まだギルノルトには伝えていなかった。
だがロイとは偶然にも3度も顔を合わせた事で、レインは偶然ではないのではないかとも思い始めている。
(ロイの事は、ギルノルトに話した方が良いかも知れないな…)
レインはロイが消えた路地を見つめ思考に沈んでいた為に、自分が帰るタイミングを失っていた事には気付いていなかったのである。