知らぬ間の一幕
――――――そういえば、異世界に来てからここ数日で、わかったことがある。
俺の、深層心理の奥にある、あの謎めいた本のことだ。
どうやら俺の仮説はあっていたようで、あの本はノルマンの記憶が詰まった本らしい。
俺が知りたいと望んだことをノルマンが知っていた時にのみ、あの本にはその知識を代表した文字が浮かび上がる。
わかりやすいものを挙げると、俺が文字を読みたいと考えた時に浮かび上がってきた「文字の読み方、書き方、聞き方、話し方」だろう。
その浮かび上がった文字を俺が読むと、頭の中にノルマンが知っていた知識が刷り込まれるという流れのようだ。
知識の刷り込まれ方にも、なかなかの癖がある。
知識と言っても映像としての記憶ではなく、あくまでその事実を箇条書きのように知るだけだ。
さらに、知識も単純に入ってくるわけではないらしい。
あくまで刷り込まれるのは俺の認識の奥深くのようで、俺が、自分が知っていると認識できるようになるにはそこから思い出すという工程が必要らしい。
例えば、球技について知りたいと考えて知識を刷り込んだとする。
そこから、野球などの具体的なルールを知るには「磯野―、野球行こうぜー」のようなトリガーをもって野球自体を思い出す必要があるということだ。
しかし、これがなかなか厄介。
もともと、思い出すなんて行為は意識的に行うものじゃない。
ふとした時に、「あ、思い出した」となるものだ。
それを意識的にしようとか、目覚まし時計無しのまま分単位まで正確に起きるような無茶ぶりだ。
それなんてクソゲーって話である。
百歩譲って、「あれ? さっき覚えてたんだけどなんだっけな……ちょっともう一回同じ行動したら思い出すかもしれん」みたいな、ある意味意識的に思い出すような行為は可能だ。
だが、俺の場合、これは通用しない。
何を忘れたかすら知らないのに、思い出すもへったくれもないだろう。
さて、ここまで長々と考えていたわけだが、当然それには理由がある。
もはや異世界に来てから恒例となった、あれだ。――――――つまり、暇だったのだ。
ボクっ娘と出会った感動に打ち震えていた俺は、これまた別の意味で打ち震えている両足を酷使して、どうにか切り株のところまで戻ってきた。
もう日も傾いている。
あと少しすれば夕日が拝めるだろう。
村の入り口には、美人さんが一人ぽつんと立っていた。
クラウスたちは、まだ帰ってきてないのだろうか。
「クラウス達って、まだ帰ってきてませんか?」
美人さんにそう声をかけると、彼女はギョッとした顔をして、一歩後ずさりをしながらこちらを見てきた。
そんな不審者を見る目で見なくてもいいのに。
俺この村に来てから特に変なことしてないでしょ。
切り株に座って小さい子供たちの遊びを眺めてニヤニヤしたり、村を三時間歩きまくっただけで……うんごめん俺が悪かったそんな目で見ないで。
「い、いえ……まだ帰ってきてません」
「そうですか。わかりました」
それだけ答えると、美人さんは黙り込んでしまった。
一歩後ずさりされたのが地味にショックだ。
なんか俺、この世界に来てから美人はよく見かけるのに、まともな交流がない。
最初の村の美人若奥様しかり、今の美人さんしかり。
リリーも当然美人判定だろうし、交流があるというかは微妙だが一応ミームも、かわいい系の美人と言えるだろう。
だけど、こいつらどっちもまともじゃないんだよなあ。
リリーは、ある意味まともだけど腹黒だし、ミームに関してはぶっ飛んでるし。
お客様の中にまともなヒロインはいらっしゃいませんか!? 状態である。
しかしまあ、交流があるだけましなのかもしれない。
元々の俺とか、美人との交流以前に、二年ぐらい女子とまともに会話した記憶がないからな。やべえ、泣きそう。
「あ! 来た!!」
俺がくだらないことを考えていると、唐突に美人さんが叫んだ。
見ると、村から森へと続く道の途中に、三人の男女が歩いている。
クラウスと、リリーと、口髭はやしたダンディなおっさんだ。
十中八九、美人さんのお父さんだろう。
「おう、クラウスもリリーもお疲れさん。……無事に、助けられたみたいだな」
「どうにかね。お父さんも軽く擦り傷はあったけど、回復薬を使ったから、今はふさがってるはずさ」
さわやかに答えるクラウスの服には、埃一つついていない。
流石と言うべきか、おかしいと驚くべきか。
回復薬というのは、ここ十年ほどで市場に出てきたこの国の特産品だ。
液体状のそれは、いくつかのランクに分かれていて、低いものでも擦り傷ぐらいなら一瞬で治り、最高ランクのものは四肢の欠損も治すレベルらしい。
俺も例の洞窟から出た後に、クラウスから拝借して左手の傷にかけてみたが、驚くほど一瞬で治った。
あれだけ一瞬で治るなら、この世界において多少の怪我は何ともないのだろう。
クラウスが自分の怪我に無頓着だったのもうなずける。
……まあこいつの場合、回復薬を使わない素の回復力が低級回復薬以上、ってことが問題なんだけど。
「お父さん!無事でよかった……」
「カティア!心配かけてすまない!」
どうやら美人さんの名前はカティアというらしい。
感動の再開だ。
親が死ぬかもしれない危険から無事帰ってきたとなれば、そりゃあ安心だよな。
「もう!一時間で帰るって言ってたじゃない!どこで何してたの!」
「すまない。森の精霊を騙る邪精霊につかまっていたんだ」
「お父さんを責めないで上げてください。実際、あの精霊は強力でした。僕たちが到着するまで、生き延びるだけでも相当頑張っていたはずです」
「でも、流石はクラウス君ですね。あの精霊の幻覚を一瞬で破る観察眼、一太刀で全てを決める剣技。いつ見ても惚れ惚れしてしまいます」
「何言ってるんだ。リリーの協力あってこそだよ。リリーこそ、相変わらずの魔法の腕前だった。修行を欠かしていないんだね」
「いえいえそんな。クラウス君には負けますよ。邪精霊の最後のあがきの、森ごと巻き込んでの爆発を身を挺して止めたところは、一瞬時が止まったのではないかと錯覚してしまいました。……ともあれ、今回の一件で森の邪精霊を倒しましたからね。森の魔物たちも、少しは落ち着くことでしょう。」
……なんかあいつら、たった三時間でとんでもないこと成し遂げてね?
なんだよ邪精霊って。
完全にボス級の強さ持つ奴じゃねえかそれ。
幻覚見せるとか絶対、自分の幻覚見せて虚像を攻撃しようとしたらその向こうに仲間が! みたいなタイプの強い敵じゃん。
巻き込んで自爆してくるタイプの敵って、マジでラスボス級じゃね? 俺がいない間になんてもん打ち取ってるんだあいつら。
「まあともかく、クラウスもリリーも、お父さんも無事みたいでよかったよ。お父さん、薬草は取ってこれましたか?」
「あ、ああ。この通り、ちゃんと取ってこれたよ。これも、あなたたちのおかげです。ありがとうございました」
「いえいえ、礼には及びませんよ。罪なき市民を守るのが、僕たち騎士の役目ですから。……ところで、その薬草、何のために使うか聞いてもよろしいですか?」、
「ああ、これは……」
「病に侵された弟さんのため、だよクラウス。ですよね? お父さんとカティアさん」
どうやら俺の予想は当たっていたようだ。
かぶせるように答えた俺の発言に、カティアさんとお父さんは真っ青な顔をして凍り付いていた。