即位、侵略の夏
コルヴィエ国の王である父上は、執務室に俺を呼び寄せた。
身内である俺が言うのもなんだが、若い頃は侵攻する敵国に対し、勇猛果敢に戦い抜いた稀代の将でもある。コルヴィエ国が現在まで存続しているのも、父上の政治手腕が優れているお陰だと称える者は多い。
初夏の熱気を帯びた風が吹く中、俺と父上は向かいあって座っていた。強者の風格を纏わせた王は、低い声音で俺に告げる。
「王太子として、お前は十分に働いているようだ。もう子供ではない。王位を」
「イヤです」
俺は食い気味に拒否した。
「……最後まで聞け。いいか、もうお前を王位継承者と認めない者はいない。ならば今こそ王位を」
「イヤですってば」
カラリとコップの中の氷が溶けた。弟が作った製氷箱は、今日も元気に氷を作ってくれている。暑い時期に冷たい飲み物が楽しめるなんて、この上なく贅沢だ。
「クリストフよ。王の言葉を二度も遮るとは、いい度胸だな」
「遮らないと父親の仕事を押し付けられるからでしょうが。何が悲しくて二十代で王にならないといけないんですか」
「若い王なんて珍しくないだろう。フィラーレン国の王は十歳で王位を継いだんだぞ」
「それは先代が不慮の事故で亡くなったからです。父上は五体満足でボケてもいない」
「あー今すぐ倒れそうな気がするなー! もしかしたら明日にでも馬車ごと谷底に落ちそうな予感がするなー!」
父上ウザいな。血の繋がった親と思いたくない。世間では賢王と名高い父上だが、他人の目がないとダメ親父に成り下がる。
「谷へ突き落とされても生きて帰ってきた人が、何を言っているんですか」
俺は見慣れた父上の醜態にため息をついた。
今言ったことは実話だ。王位継承を争っていた異母兄弟に殺されかけたらしいが、ちょっと膝を擦りむく軽傷で済んだという。エクトルの頑強さは、きっと父上譲りだ。二人とも人外に片足を突っ込んでいる。
「いつか継ぐなら、早い方がいいだろう。万が一、反発する勢力が現れても王と先王の二人がかりで押さえ込める」
俺の反対など、まるっと無視して父上が仰る。今なら俺が反発する勢力の筆頭なんですが、よろしいか。
「建前は良く分かりました。では、本音は?」
「レ――王妃には散々苦労をかけたからな……そろそろ、自由にさせてもいいんじゃないかと」
「父上……」
父上と母上は政略結婚にも関わらず、夫婦仲は良好だ。プライベートではお互いにジェラルド君、レティちゃんと呼び合うぐらい仲良しだ。うっかり現場を目撃した時は引いたが。
母上は陰日向にと王を支えている。王権を狙う異母兄弟の刺客から父上を匿ったり、政治基盤が盤石となるよう貴族の間を取り持ったりしている。他にも平民の生活を向上させるよう王に進言するなど、王とは別の視点から国の発展に貢献していた。
俺は妻を思いやる男の顔をした父上に、あえて深く切り込む。
「父上、正直に仰った方が身のためですよ。母上との時間を増やしたいんでしょう?」
「当たり前だろ。臣下が新婚旅行だの結婚何十年かの旅行で仲良くしてる最中に、こっちは仕事しかしてないんだぞ。愛想を尽かされたら誰が責任を取ってくれるんだ」
正直に言いやがった。少しは隠せ。
「母上なら、それも納得済みだと推測しますが」
「だからって甘え続けるわけにはいかないのだ、息子よ」
「なるほど」
仕事を理由に家族の時間を犠牲にして、妻子に逃げられた男の話はよく聞く。先人の間違いを知り、同じことを繰り返すのは愚者の行いだ。
「ではアドリエンヌとの新婚旅行へ、心置きなく出発できますね。陛下が私に投げ――教育資料として与えてくださった仕事も、遠慮なく返納いたします」
「あっ。しまった」
「聡明な妻に甘え続けるわけにはいかない、でしたっけ。いやぁ、父上の教えは偉大だなぁ。思いっきりアドリエンヌへ家族サービスができますね! じゃ、旅行の準備に戻りますので」
「ク、クリストフ」
「父上へのお土産は母上と揃いのグラスでも買ってきましょうか。楽しみだなあ、新婚旅行。父上が健在なお陰で、ゆっくり羽を伸ばせるなぁ!」
俺は王太子の仮面で父上を黙らせると、反論されないうちに執務室を出て行った。
何やら背後で喚かれたような気もするが、無視だ無視。遊びたいがために王位を継がされる俺の身にもなってほしい。
*
俺とアドリエンヌが旅行から帰ると、即位の準備が全て終わっていた。俺以外の者には根回し済みだったらしく、王城へ入った瞬間に護衛に担がれて部屋まで連行される。
「は? え?」
「すいませんね、クリストフ様。逃したら減給って言われたもので」
申し訳なさなど微塵も感じない笑顔で、護衛のケヴィンが言いやがった。完全に損得で動いている裏切り者だ。持ち前の身体能力と強化魔法で、俺を軽々と肩に担いでいる。
「生きているうちに即位式を見られるなんて光栄です!」
俺に容赦なく拘束の魔法をかけておきながら、オーギュストが瞳を輝かせている。魔法の才覚を見込んで採用した男だ。俺がどんなに魔法を解除しようとしても、毛ほども揺るがない。
「クリストフ様、私は先に行ってお待ちしております」
妻となったアドリエンヌは、今日も美しく微笑んでいる。
「ア、アドリエンヌは知っていたのか……? その、今日が即位式だって」
「はい。結婚式の後に国王陛下よりお聞きしました」
知らなかったのは俺だけか。主役が知らされていないって、どうなの。誕生日パーティーじゃないんだから、こんなサプライズいらない。
楚々と立ち去るアドリエンヌを虚しく見送り、俺は着替えのための部屋へと放り込まれた。そこでは従僕が慣れた様子で外出着を脱がせてゆく。
「おいローラン、お前も知っていたな?」
「はい」
即答だ。
さすが遠慮を返品して生まれてきた男は違う。切れ味が鋭過ぎて俺の心が砕けそうだ。
「俺は知らなかったぞ」
「クリストフ様がご結婚される前より決まっていたことです。旅行へ行く前に国王陛下よりお話があったはずですが」
「あれは断ったはず」
少なくとも了承していない。
「……クリストフ様」
ローランは着替え終わった俺を哀れみの目で見つめ、子供に言い聞かせるような声音で言った。
「既に、クリストフ様以外の方は即位されることを了承されております。臣下も、国民も、クリストフ様の即位を疑っておりません。それを、今更、クリストフ様のわがままで覆すつもりですか?」
俺のわがままではないが。むしろ父上のわがままだろう。
「こんな即位式があってたまるか。もっとこう、俺が自ら動いて地盤を固める時間を作ってからじゃないのか」
「陛下が十分だと判断なさったのでしょう。執務室でどのような『話し合い』がなされたのか、臣下は推測することしかできませんので」
「……あのクソ親父、ハメやがったな!」
つまり話し合いの結果、俺が了承したと捏造したわけだ。旅行の直前に場を設けたのも、俺がいない間に計画を進めるためだろう。
汚い。さすが国王だ。為政者として尊敬と軽蔑するほどの汚さだ。己の有利になるよう、とことん状況を利用している。
「ま、諦めて下さい。外堀はしっかり埋まっております。殿下――いえ、これからは陛下とお呼びすべきですね。クリストフ様一人で無かったことにはできないのですよ」
「……国が滅びても文句言うなよ、お前たち」
「仕方ありませんので、共に断頭台の露となりますよ。仕方ありませんので」
「二回言うな」
こうして俺は王になった。




