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ルナティアーノ・サガ~異国の英雄が剣と魔術の国で「竜殺し」になるまで~  作者: 有馬 美樹
第六章:イメルダ戦役(後篇)/第二幕:火の鳥
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第12話 竜殺し、ふたたび(2)

シャルル・アントワーヌの「テルモピュライ」――その締めくくりです。

 竜殺しが竜に喰われた。

 高く空に打ち上げられ。地面に叩きつけられ。あまつさえ丸呑みに――。


 崖の上からなすすべなく、壮絶な結末を見届けるほかなかった。

 滂沱と落涙する義妹と対照的に、ヘレナは微塵も涙を見せない。

 揺るがぬ確信があった。


(シャルル様は、こんなところで果てるようなお方ではない)


 彼女だけは信じていた。

 氷嵐竜(トルメンタドラゴン)を討伐した直後の彼は、もっと悲惨な姿をしていた。

 全身の骨はくだけ、鼓膜はやぶれ、深刻な魔力枯渇(マナこかつ)をおこしていた。

 それでも、彼は生き残った。

 今日、あれだけの獅子奮迅(ししふんじん)の働きを示した。

 竜に喰われたからといって、それで大人しく黙っていると思えない。


「――皆様。守りを固めましょう。ここが正念場です」


 水を打った静寂が拡がる。

 続けざまにヘレナは言う。


「他の者ならどうしようもないでしょう。しかし、あの竜がひと呑みしたのは、ほかでもない。『竜殺し』カロルスなのです。果たして、ただで済むでしょうか。そうであるはずがありません!」


 紫色の双眸(そうぼう)

 そこに迷いは一切見えなかった。


「ご領主様は必ずお戻りになられます。それまで、味方の損耗を最小限に食い止めること。これが私たちの役割です」

「――閣下の指揮は、いつも的確だった」


 王国軍の中隊長、そのひとりが口にした。

 彼とともに、テッサリアの陣地に夜襲を仕掛けた。

 東から回り込もうと企んだテッサリアの別動隊を撃退した。

 それらはすべて、カロルス・アントニウスの指示によるものだった――と。


「何時も敵の動きを掌中に収め、戦われるお方だった。そして、みずから困難を切り拓かれる勇敢さを示された。我々王国軍は、ずっと閣下に救われてきた」

「そうでした。確かに……そうだった!」

「アントニウス卿は女王陛下のため、身命を賭して戦われた。王国一の忠臣である。その忠臣を救えずして、女王陛下に申し開きができようか?」

「「「応――ッ!!」」」

「今こそ、我々王国軍の誇りをかけてッ。閣下を救おうッ!」

「「「「オオオオオオオオオオオオオ――――ッ!!!」」」」


 竜殺しの常識外れの強さ、勇敢さ。

 これまで積み上げてきた、信用の大きさ。

 崩壊しかけた味方の士気は、王国軍の奮起でかろうじて()った。

 対するテッサリア軍は最前線こそ崩壊したが、何層もの分厚い戦力を擁していた。切り札の古竜を前面に押し出し、カルディツァ軍の本陣に喰らいつく構えだ。


「「「「其は火の子、其は土の子。燃え盛る炎よ、焼け付く土よ――火槍となりて、穢れを焼き払い給え――ファイア・ジャベリン」」」」


 術式結実。

 王国軍一二〇名の一個中隊が、一斉に火槍を投擲する。

 未だ抵抗を続けていた槍兵の残党に、槍が降り注いで爆発した。

 崩壊寸前だったカルディツァ兵にむけ、王国軍の中隊長が絶叫する。


「生き残った者は全員、後方に下がれ! すぐに治療を受けよ!」


 必死の戦いの中にあった領主の私兵たちが、後ろを振り向いた。

 鬼気迫った顔をした中隊長が、こう叫んだ。


「あの怪物は任せられよ!!! 王国軍の誇りにかけ、我らが討ち果たァァすッ!!」


 決然としたまなざしの先に屹立する。

 身の丈、四メートル。全長一〇メートルの怪物。

 そのすぐ後ろに、怪物を使役しているのだろう。

 まだ無傷のテッサリア魔術師部隊が控えていた。

 息絶えた仲間を残し、まだ息のある仲間をかついで、カルディツァ兵が退いた。

 温存された王国軍と、テッサリア軍との決戦がついに始まる――はずであった。

 咆哮(ほうこう)

 否、(うめ)(ごえ)か。

 暴れ出して、近くにいたテッサリア兵を薙ぎ払ったかと思えば、地べたでのたうち回っているではないか。

 おぞましく、痛々しい叫びは肌が逆立つほど。

 紫色の瞳を見開いて、ヘレナが叫んだ。


「シャルル様は――ご領主様は、まだ生きている!」


 今にも攻撃魔術を撃たん――。

 術式を組んでいた中隊長が、その手を止める。

 それから間もなく、雷鳴(らいめい)の如き断末魔(だんまつま)が轟き、消え去った。

 風が止んだ。

 息を呑んだ。

 暴れていた竜が、はく製のごとく固まった。

 そして、剥き出しになった腹から――何かが突き出た。

 鮮血。臓物。そして、大きな「何か」が這い出てきた。


「――おえぇッ。くっせぇし、気色悪(きしょくわり)いし、肌も痛え!」


 思わず手を口に当てた。

 ヘレナの赤紫色の瞳が、みるみる潤っていった。


「シャルル様――――ッ!!!」


 感極まった叫びは、間もなくかき消された。

 カルディツァ兵の精鋭たる、予備隊の快哉(かいさい)

 ついさっきまで、絶望のどん底にいた者たちの喝采(かっさい)

 テッサリア兵は、膝ついた竜殺しを囲んではいるが、誰ひとりとして動かない。

 竜殺しの帰還は、みたび、戦場の空気を一変させた。

 しばらくして、彼は立ち上がった。

 そして、カルディツァ軍の本陣へと駆けだし、絶叫した。


「エレーヌッ! 水だ! 今すぐ水をぶっかけてくれ!」

「――ッ!?」

「全身がいてぇ! 身体が溶けちまうッ!!!」


 竜に丸呑みされた事実と、彼女の生物学的知識。

 それが、一瞬で紐づいた。


「クロエ! ありったけの水をかけましょうッ」

「は、はいッ!」

「「いきます――ウォータ・フォール!」」

「「「「ウォータ・フォール!」」」」


 ヘレナとクロエ、そして王国軍の衛生兵が数人。

 一斉に水の魔術を行使して、戻ったばかりの竜殺しに、これでもか。これでもかとばかり滝を落とし、洗礼を浴びせる。それが数十秒続いた。

 血と臓物を洗い流した水は、石畳に汚物まみれの川を作ったほどだった。


()っぶッ! マジで死ぬゥッ!!」

「シャルル様ッ!」

「ご主人様、毛布です!」


 真っ先にヘレナが抱き着いてきた。

 クロエもまた、毛布を手に、駆け寄ってきた。


「こんな(ただ)れたお姿になってしまって……なんと、おいたわしや」

「おいおい。やめとけよ。バケモンのくさい臭いが移っちまうぞ」


 ふたりを引き離し、彼は笑った。


「あ。大事な忘れもんをした。ちょっと取ってくる」

「えっ!? 今すぐ治療を――」

「テッサリアの二個大隊をぶっつぶした。その軍旗(あかし)を持ち帰らねえとな。誰もこんなバカげた戦果なんて、信じねえだろ?」


 正気か!? と皆が圧倒されるなか。


「閣下! 我が中隊もお手伝いいたします!!!」


 王国軍中隊長がいち早く呼応した。


「ありがたい! 基本的に奴らの攻撃は俺には無力だが。死体の山から旗探すには、俺ひとりじゃ手が足りねえ」

「ええ! 打って出ましょう! 抵抗の意志を示すぞッ!!」

「「「「オオオオオオオオオオオオオ――――ッ!!!」」」」


 いまだ肌が焼けただれたまま――。

 竜殺しは片手剣を手に飛び出していった。

 王国軍の精鋭一二〇名も彼に続く。

 本陣に引き揚げていった――そう思っていた、テッサリア軍に動揺が走った。


「そうだ。ワインのお代わりはいらねえかい!」


 竜の屍につぶされた仲間を放り出し、()()うの(てい)で逃げだすテッサリア軍。

 彼が片手剣を振るい敵を追い払う間に、王国軍の兵士たちが軍旗を回収した。


「閣下! 大隊旗ふたつ、中隊旗ひとつを回収しました!」

重畳(ちょうじょう)ッ! よぉし、引き揚げだッ!」


 テッサリア軍、カルディツァ軍、双方が引き揚げた。

 六日目の激戦は、かくして幕引きとなる。


 ***


 テッサリアの槍兵一個大隊が、ほぼ全滅。

 弓兵一個大隊にいたっては、竜殺したったひとりに壊走した。

 その後方の魔術師部隊は、雷撃の魔術を一斉に浴びせるも、竜殺しにはまるで効かなかった。それどころか、想定外の接近戦で五十名近くも殺された。

 要塞攻略のため用意していた切り札、「アロサウルス・フラギリス」を投入してもなお、竜殺しを討ち果たすにはいたらなかった。

 竜殺しひとりが、まるで堅牢な要塞に思われるほど、強かった。


 カルディツァ兵の損耗もまた、激しかった。

 大楯を構えていた小隊と、その後方で斧槍を手にしていた小隊。彼女たちの八割が戦死した。

 この六日間の犠牲者をすべて合わせて、一二〇名を数える。これは一個中隊ぶんに相当する。シャルルが戦力化した私兵。その三分の一が喪われた計算だ。

 カルディツァ軍がこれだけの犠牲を払って、テッサリア軍に一八〇〇ほどの犠牲を強いた。彼我の損害比率は十五倍。十分すぎる戦果といえる。

 しかし、篝火が照らす彫りの深い顔立ち。その影は深みを増すばかり。


(あいつらの亡骸(なきがら)を引き取って、(とむら)ってやりたいが――難しいよな)


 ヘレナに治療を受けながら、シャルルは思う。

 敵味方入り乱れたなかから、仲間の屍だけを拾うのは困難だ。

 なにより、今も投石機(カタパルト)により、石炭が投げ込まれ続けている。

 天候が崩れ、吹雪で視界が遮られたなか、やみくもに撃っているせいか。まったく見当違いにすっ飛んでいくのもあれば、まれに陣内に弾着することもあった。

 これが、夜通し続くのだろう。たちの悪い嫌がらせだ。


(――無理だな。これ以上は)


 王国軍兵士と私兵たちの疲労は、限界に達している。


(もう一日くらい、ここで踏みとどまりたかったんだがなあ)


 この大崖線を突破されたら、郡都カルディツァまでは約四マイル(六・四キロメートル)

 まだ逃げ切れずにいる民草を、戦禍に巻き込むことになるだろう。


(――またやるのか。あの撤退戦を)


 コンスタンティノポリスを包囲した、異教徒の征服者(スルターン)

 改宗者たちによって編制され、鉄砲で武装した精鋭部隊(イェニチェリ)

 彼らの追っ手から、父の棺を守り抜き、生まれ故郷(プロヴァンス)へ還る。

 それを――民草を守る殿軍(しんがり)を、もう一度、ここでやるんだ――と。

 強く。より強く。

 こぶしを握り締めて、己心(おのれ)に言い聞かせた。


 ***


 七日目の早朝。

 朝靄のなかで川下に向かって整然と並ぶ兵士たち。

 敵味方入り乱れた亡骸(なきがら)へ、竜殺しが弔辞(ちょうじ)を読んだ。


「勇敢なる戦士たちよ。これが最期(さいご)離別(わかれ)となろう。遺した髪と手紙は、必ず縁者(えんじゃ)に届ける。約束しよう。安心して女神の許へ帰られよ」

「一同、敬礼!」


 号令とともに、皆が背筋を伸ばす。

 一斉に右手を左胸に当てる。その表情は様々だ。

 硬い表情を崩さない者。口許(くちもと)を結んで涙する者。

 彼女らの想いを背負い、彼は新たなる道を示す。


「集いたるわが友よ。帰りて皆に伝えよ。わが同胞(はらから)、ここに果てり。十五倍の敵を道連れに、永遠(とこしえ)旅路(たびじ)に出立せり――と」


 それは、生き残った者たちへの言葉でもある。

 帰りて皆に伝えよ――生き残れ、ということ。


「カルディツァへ凱旋(がいせん)するッ! 支度(したく)を急げ!」

「「「「オオオオオオオオオオ――ッ!!!」」」」


 意気軒高な(とき)(こえ)

 夜通しの投石を繰り返した早朝に、川霧のなかで響き渡ってくる喊声(かんせい)

 それが圧倒的優位に立っていたテッサリア軍に、躊躇(ちゅうちょ)の念を呼び起こしたか。

 彼女らが攻勢に出なかったことが、撤退するカルディツァ軍に有利に働いた。


 大崖線の戦いは、双方に無視できない損害を出しながら、決定的な勝利をもたらすことなく、いつの間にか終結した。

 これ以降、戦線はより北へ――郡都カルディツァへと移っていく。

大崖線の戦いは、損害比率(キルレシオ)にして一五倍の戦果。

誇張を除いた実際のテルモピュライの戦いも、ギリシャ軍一三〇〇以上(スパルタ重装歩兵全滅、スパルタ軽装歩兵壊滅または全滅)に対し、ペルシア軍二〇〇〇〇以上とされており、圧倒的物量の敵に対して、一五倍強の犠牲を強いたようです。


>「集いたるわが友よ。帰りて皆に伝えよ。わが同胞(はらから)、ここに果てり。十五倍の敵を道連れに、永遠(とこしえ)旅路(たびじ)に出立せり――と」


シャルルがこう演説したのは、詩人シモデウスによる以下の詩を念頭に置いたものです。

「見知らぬ旅人よ、行きてラケダイモン(=スパルタの自称)の人に伝えよ。われら命に服して、ここに眠ると」


次回は、郡都カルディツァに舞台を移してまいります。

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