第23話 開戦の詔勅(4)
長らくお待たせいたしました。
3週間ほど更新に時間を要しましたが、開戦の詔勅が出るまでのお話です。
王城の一室で「茶会」が開かれていた頃。
郡都カルディツァから中街道を十マイル、南に下った先。
カルディツァ郡南部の要衝、カンボス市。
これを包囲中のテッサリア軍の陣に、紅髪の武官が赴いた。
「ここで貴殿にお目にかかるとは。ウァルス殿は健脚でいらっしゃる」
「カルディツァに比べれば、カンボスは目と鼻の先のようなものでございます」
「ご老体にして、しっかりとした足取り。どのような鍛錬をなさっているのか」
「武官として名高いアグネア殿に、この文官の老いぼれが教えられるものなど、何もございませぬ」
カルディツァの連絡将校アグネアこと、ラエティティア・クラウディア。
彼女を出迎えた、ラリサの全権大使ファビア・ウァルス。
交渉の場で対面するのは、これが三度目だ。
「茶をお持ちしました。どうぞお召し上がりくださいませ」
「アグネア殿はややお忙しいご様子かと。少し茶でも飲んでゆかれては」
「急ぎたいのはやまやまだが。おもてなしに、礼をもってお応えしましょう」
同じ使用人が持ってきた同じ茶を、アグネアとファビアが同時に飲む。
それに続いて、数名の随行員同士も茶に口をつけた。特に異常はない。
「カンボスを明け渡す、とおっしゃったが。ずいぶん早い心変わりでいらっしゃる。何をお考えなのです?」
「よくそのようなことが言えたものです。関所を壊しておいて」
「あれは、不幸な事故でございました。お見舞い申し上げます」
はらわたが煮えくり返る思い。
その数々をぐっと押し殺した。
挑発に乗せられたら、負けだ。
アグネアはため息をもらした。
「関所が壊されて、私の思い描いていた構想が台無しです。増援が見込めない。それどころか、人が足りないから戻せ。そのような指示が王都から出ている。遺憾の極みだ。しかし、こればかりはもう、私の裁量ではどうしようもない」
「もはや、守り切れない。そう、ご判断なさったと」
「増援がないのに、いたずらに籠城を続けても、民草に苦しい思いをさせるだけ。よって、カンボスを明け渡す。それ以上の理由がありますか?」
「カンボスの一個中隊を武装解除させず、パラマスへ移動させたいとか。少々、虫が良すぎる要求に思われますが」
「ファビア殿にはおありとおっしゃるか? 二〇倍近くの敵の包囲の中から、丸腰で出てゆけるだけの図太い肝が」
こんな時のために。
カロルス・アントニウスはひとつの切り札を託していた。
「では、こうしましょう。パラマスで拘束中のテッサリア兵二五〇名をお返しする。わが方の倍の数だ。これ以上、われわれが面倒を見られなくなるゆえ、わが方の一個中隊と交換したい。それなら、貴殿の面目も立つのでは?」
「面倒を見られなくなる。とは?」
「捕虜として手余すということ。家を焼かれた民の恨みから辛うじて守ってきたが、今後はそれもできなくなりましょう」
つまり、王国正規軍が引き揚げた後。
捕虜たちの生殺与奪の権は、湊町の民草らの手に委ねられる――ということ。
イメルダの精鋭、二個中隊がむざむざと喪われる。火を見るよりも明らかだ。
「よろしい。アグネア殿のご提案を受け入れましょう」
大筋で合意に至ったのち、両者は文書を取り交わした。
その翌日。四カ月半掲げられた、中隊旗が降ろされる。
無血開城。カルディツァ郡南部の要衝が、ついにイメルダの手に渡った。
一個中隊はただちにカンボスを発ち、テッサリア軍一個大隊が同伴する。
同日、十マイル離れた湊町に着くやいなや。手首を縄でつながれたテッサリア兵の捕虜二五〇名が、テッサリア軍一個大隊に引き渡された。
捕虜交換を終えたテッサリア軍が、カンボスへ引き揚げるまで。少なくとも、両軍のあいだに混乱は起こらなかった。
文書の中に、カンボスの民草らに一切危害を加えない旨、明記してあった。これも少なくとも、表面的には守られた。
***
「カンボスは無事に明け渡した。パラマスの正規軍を、一個小隊から一個中隊に引き上げた。もともと守ってた一個小隊は、引き継ぎを終えて、関所の復旧作業に回した――今のところ、カロルスの計画通りだが」
カルディツァ領主の屋敷。
長椅子に腰かけたアグネアが気づくほど、応接室の調度品が減っていた。
茶を持ってきた家政婦長ヘレナが、その向かい側に腰かける。
「こちらも、家財をミトロポリへ運び出しています。使用人も減らしました」
「クロエを見かけないのはそのせいか?」
「はい。半数の使用人とともに、ミトロポリの別邸に行かせました」
「カルディツァ都督府も廃止が決まった。ペレッツ卿亡きいま、有名無実化しているからな。意味のない縦割りは無くしたいそうだ」
「ユスティティア閣下のご意向ですか」
アグネアが無言で頷いた。
「あの方が、カルディツァにお越しになることは……もう、無いのでしょうね」
「そうだな。ここの食事は美味しかった、と残念がっているよ」
塩田で生産された塩は、カルディツァを一躍「美食の街」へと押し上げた。
領主の館に街の有力者を招き、振る舞われた料理の数々。
その味わいは、いまや領主の館以外の高級宿でも、口にされていたほどだ。
寒村であったアルデギア地方は、魚介の産地として空前の好景気に湧いた。
イメルダによる軍事侵攻が影を落としたのは、その最中。
「残務整理をしているが、ペレッツ卿が『部外秘』の書類をため込んでいた。中身は不明だが、何かの重要書類の可能性もある。これも持ち出すことになった」
「お互いに、大変でございますね」
「まったくだ」
互いに笑みを浮かべるふたり。
「家政婦長殿は、いつ、ここを発つおつもりか?」
「シャルル様が残られるまで、私も残る覚悟です」
「では、これを託しておこう。領主に渡してくれ」
彼宛ての書簡を、銀髪の家政婦長は確かに受け取った。
「私は一足早く、ここを発つことになった。しばらくお別れだな。ヘレナ」
「承知いたしました。お部屋の荷物は、ミトロポリへお送りしておきます」
「助かるよ――あとは、よろしく頼みます」
「はい――ラエティティア様の前途に、女神様のご加護がありますように」
家政婦長ヘレナ・トラキアが、ひざを折ってお辞儀をする。
連絡将校ラエティティア・クラウディアは、敬礼で答えた。
***
「はぁ……」
郡都カルディツァの屋敷の一角。
政庁として機能してきた部屋が、今は人もまばら。
帳簿を木箱にしまい込む、ユーティミア・デュカキス。
心、ここにあらず。物思いにふけっているのだろうか。
そんな同僚を、フリッカ・リンナエウスが気にかけていた。
「ねぇ、ユーティミア……そのため息、もう何度目よ?」
「正直ね。今までの苦労がばかばかしくなっちゃってる」
カルディツァ郡とキエリオン郡は、ふたつでひとつ。
まったく産業構造が異なるふたつの郡を、一体的に繁栄させる。
大蔵府からの借款に頼った、積極財政での経済振興。
直轄領にいては、絶対に関わることのなかった、野心的な試みだ。
都落ち――と陰口を叩かれても、聞かなかったふりを貫いた彼女。
その若き大蔵官僚の野望が実を結ぼうとした、まさにその時――。
イメルダ・マルキウスに戦乱を起こされて、歯車がぜんぶ狂った。
「あたしも、気持ちはわかるよ。あたしたちが汗水流して耕した農地。それが王都とラリサのあいだにはさまれて、踏み荒らされるかもしれないんだから」
大蔵官僚ユーティミアと、農務官僚フリッカ。
任官同期だったふたりは、それ以上の間柄になっていた。
テッサリアは王国の穀倉地帯だが、王都からみれば辺境に過ぎない。
国家財政を管掌する主計局に籍を置くユーティミアが、王都を離れてテッサリアの二郡に派遣されたのは、もちろん手腕を買われてのこと。だが、それは出世街道からの遠回りを意味していた。
そして、フリッカ。もともと王国内で閑職に近い農務府から、地方に下った。
ともに、栄達を棒に振って、女王肝いりの北部テッサリア二郡で辣腕を振るう。ふたりはもはや、戦友だった。
「ああ。もっと、手堅いやり方がよかったんだけどね。私」
「しょうがないよ。領主様が博奕打ちみたいなもんだから」
「……ま、乗り掛かった船だし。最後まで見届けますかぁ」
戦友同士が手を握りしめる。
翌日、臨時の郡都ミトロポリへ。
彼女たち文官は出発していった。
***
機動甲冑サイフィリオン。
王都とカルディツァ郡を頻繁に行き来する、その操者オクタウィア。
王都の本邸で晩餐をともにしたのは、母ユスティティア。
そして、カルディツァから王都に召還された、叔母ラエティティアである。
晩餐が終わったその席で、母から声を掛けられた。
「オクタウィアに渡しておきたいものがあります」
クラウディア家当主である、軍務卿ユスティティア。
彼女が家政婦長に向かって頷くと、使用人がひとつの箱をもって現れた。
「お母様。これは?」
「銘は『ロンディネの沓』。あなたには初めて見せるかもしれませんね」
「カリスに聞いた。お前の機動甲冑が風と聖の『空』属性をもつ、とな」
「ラエティティアと相談して、相性の良いものを当家の家宝から選びました」
クラウディア家、古風な言い回しではクラウディウスと呼ばれる家門。
ルナティアの貴族の中でも、土と風の『氷』の命脈を現代に伝える家。
いくつも家宝があると聞いているが、宝物庫の鍵は当主が持っている。
「あなたを戦場に送らねばならない母として。これを贈ります」
「このような物を……よろしいのでしょうか?」
「ソフィア王女殿下をお守りする。これはもう、あなたひとりの役割でないのです。王家の藩屏として、わがクラウディア家が担った責務といえます」
箱を受けとったオクタウィアが覆いをはずす。
空を飛ぶ猛禽の羽毛や、野獣の皮が編み込まれた靴であった。
「とても、軽いですね」
「履いてごらんなさい」
言われるがまま、その靴に履き替える。
軍靴とは、比べ物にならない軽快さ。
履いてから気づく。ただ軽いだけではないと。
「この靴、なにか術式が仕込まれていますか?」
「ええ。ほんの少しだけ、魔力を込めてみなさい」
軽く魔力を流し込むと、ふわりと体が浮いた。
地面からわずかに浮き上がる感覚を、オクタウィアはすでに知っている。
(まるで、サイフィリオンみたい!)
中庭に出て、念じる。
氷の上をすべるよりも、なめらかに。
舞い踊る自分の身体が動きに、動く。
どうして、この靴が与えられたのか。
オクタウィアはもはや、身体で理解していた。
「最初から、あまり使い過ぎない方がいいぞ」
叔母に言われて、ハッとする。
サイフィリオンで小麦畑を夢中になって飛び回った。
それによって、生命にかかわった油断を思い出したからだ。
見守っていた母と叔母の許に戻ってきたオクタウィア。地に足がついた。
「……そうですね。つい、嬉しくなってしまいました」
「焦ることはない。少しずつ、習熟してゆけばいいさ」
「わかりました」
「私も、アルス・マグナから剣を一振り預かった。その靴に比べたら、とんでもなく扱いに困るシロモノだったよ」
「叔母様が扱いに困る剣なんて、この世にあるのですか?」
「あったんだよ。だから、今まで誰も使おうとしなかった」
そう口にした、若い叔母の横顔。
いつになく、楽しそうな笑みだ。
「使いにくいこと、この上ない。しかし、極めて強力な武器だ。だから、大事な時にだけ使おう。そう決めた」
「冷えてきましたね。そろそろ、中に戻りましょうか。ふたりとも」
「「はい!」」
叔母のラエティティアとともに、オクタウィアは本邸に戻っていった。
茶会から数えて、五日目の夜が更けていく。
***
「なんとか、間に合ったか」
「あれほどにぎやかだった屋敷が、寂れてしまいましたね」
すっかり調度品が無くなった、カルディツァの屋敷。
官僚たちも臨時の郡都、ミトロポリに移っていった。
王国軍も、工兵隊がカルディツァから後退。
民草の疎開に先んじて、雪洞を作っている頃合いだ。
「この屋敷に残った者は、シャルル様と私だけになってしまいました」
「エレーヌは、ミトロポリに行かないのかい?」
「シャルル様が行くとおっしゃるなら、まいります」
「ありがとう。そのときは、君を抱っこしていくよ」
「王女様と同じように、でしょうか」
「ああ」
たったひとり残った、家政婦長ヘレナ。
シャルルと手を握りあい、頷きあった。
「今日は、雲が晴れたな。月が綺麗だとは思わないか」
「ええ。今夜は一段と冷えそうです」
暖炉で石炭が赤々と灯っている。
屋敷の煙突からたったひとつ、煙が立ち上っているはずだ。
ごく自然に肩を抱いた。恋人の肌に鳥肌が立っているのがわかった。
「悪い。これ、着けっぱなしだった」
「いえ……陛下から賜った腕輪ですから、そのままで」
「君に怖い思いをさせるのは、本意じゃないんだけど」
「き……きっと、慣れます」
強力な魔力障壁を生み出す腕輪だ。
皮衣と鱗鎧を着ていないときでも、身につけるよう勧められていたが。
腕輪を身につけているあいだ、誰もが畏怖の眼差しをして、彼を見る。
それは、心を通わせた恋人でさえ、例外ではなかった。
「無理すんなよ。エレーヌ」
腕輪をはずして、枕元に置く。
ようやく、恋人の顔が安堵で満たされた。
「これ着けてると、ずっと元気でいられるんだけど。それじゃ、一晩じゅう君を泣かせそうだ」
「それは困りますね。寝不足になってしまいます」
「他に誰もいないんだ。思いっきり叫んだらいい」
緑色の服に手を掛けるシャルル。
服の構造を理解して、一枚一枚剥いでいく。
「そうですね。次にこんな夜がいつあるか、わかりませんから」
人肌で温めあった、寒い夜。
彼が恋人とまぐわった翌日――。
女王ディアナ十四世は、詔勅を認めた。
大筋は以下のとおりである。
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機動甲冑『エールザイレン』の保有を認めるように求めた、イメルダ・マルキウスの一方的な要求を、受け入れることはできない。
機動甲冑ならびに資格者の身柄を、速やかに引き渡すことを求める。
関所を破壊した罪人にして資格者、ジェリコを引き渡さない場合は、国王大権への重大な挑戦、すなわち王国への叛逆行為とみなし、王国の敵とみなす。
王国への忠誠を誓う者は皆、王国の敵を討伐するため、剣を砥いで戦に備えよ。
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後世に「開戦の詔勅」と呼ばれるものだ。
王国正規軍とテッサリア軍の開戦は、事実上、時間の問題となった。
― 第五章 完 ―
「イメルダ戦役」のボリュームが思いのほか大きくなったため、前後篇に構成を改めました。
第五章を前篇とし、次話からは第六章の後篇となります。




