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アナザーワールド  作者: りんどう
二部 青薔薇の太陽
83/90

蝶の羽ばたきのように

いつもありがとうございます。それではごゆっくりお楽しみください。

 その部屋はなんの変哲もない、単に雑然としているだけの書斎であった。

 作業に不便のない長机、ぎっしりと書物が詰め込まれた頭上の棚、すっかり乾き切った万年筆、散乱した羊皮紙、飲みかけのカップ。

 眼を惹くものなど何処にもない。

 外界から隔絶されているだけの、静けさに満ちた空間だ。

 しかし、その凡庸さこそが、人間の奥底に潜む恐怖と不信感をこれまでかと掻き立てる。

 本当に?

 蝋の溶け切った吊りランプの、煤だらけのガラスが少女の表情を映し出す。

 サリナが掲げた灯りの火を反射して、椅子の上に転がったペーパーナイフが鈍色に輝いた。


「……特に、危険はないようです」


 今思えば、扉を開いた時、果たして何があると期待していたのだろうか。

 見覚えのある人の首が1つや2つ転がっていたら、満足できただろうか。

 芽生えた疑念は風船のように膨らみ、踏み出す一歩を重くしていく。

 そう、危険はない。

 静物画のように生命の気配の感じない暗い部屋に、一体どのような危険が潜んでいるというのか。


「書斎……いや、私室と呼ぶべきか」


 黄金の眼を細めながら、フェルナンドは壁に埋め込まれている燻んだプレートを見つめた。

 十の枝、四の果実、二十二の根に囲われた大きな湖で構成された世界樹——文字通り、主派のそれを逆さまにした異端の紋章が、真鍮の板の上に掘り込まれている。


「マルセル=ブルトン。貴様の急所が、ここにあるのか?」

「村長の部屋か。アイツが必死になって隠そうとするのも理解できるな。手紙とか、書類とか、どっかにあんだろ」

「一昨日、確認した我々の行動指針は覚えているな?」

「太陽派がゴール村に固執している理由を探ることだろ。私も気になってたところだし、手分けして探してみようぜ」


 徐に、フェルナンドは手近の棚を開いた。

 棚板の上で、封蝋や火打石がけたたましい音を立てる。


「見たところは、普通の書斎ですよね。並んでいる本も……」


 サリナは顔を上げ、眼を凝らして暗闇の中にぼうっと浮かび上がる文字を眺めた。

 『ラグナル王国史——建国編』。書庫であれば、どこにでもあるような本だ。どちらかといえば、誰にも借りられず、ひっそりと埃を被っていくタイプでもある。

 『英雄伝』。「英雄」を固有名詞にした空前絶後の大英雄、アルフリーダ=アンデルセンの足跡を辿る一代記。作者は不明であるが、描写の緻密さと正確性から、彼女に近しい人物のものであろうとされている。教科書であれば、必ずその一節が記載される程の名作だ。

 『ラグナル王国法典』。政治に関わるのであれば、一度は手に取らざるを得ない書物であろう。尤も、現実に居るのは、眼を通したのか怪しい官僚ばかりではあるが。知っていて無視しているのか、そうでないのか。真実は神のみぞ知るところである。

 『聖典』、『神代記』、『世界樹研究』、『連合革命録』……左から右へ、一冊一冊の背表紙を確認していく。

 元々、サリナは文字に強い方ではない。

 ガルカ族の村ではまともな教育など受けられない、持つものはペンではなくナイフであり、読むべきものは文字ではなく殺気だからだ。

 よって、彼女が最低限の読み書きを覚えたのは、孤児となって後、教会に引き取られてからのことだった。

 辛うじて生きながらえ、訳も知らずに転がり込み、人生の師と別れ、真実の探究へと飛び出すまでの短い間に得た遺産は、少女の確かな力となっている。

 エステベス将軍が、アズール公国において教育を重視しているのも頷ける話だ。

 ……とはいえ。

 苦手なものは苦手だし、辛いものは辛い。そういうものである。


「……ふぅ」

「あぁ?なんだこれ……鞭?おいおい、あのジジィ良い趣味してんなぁ!」


 隣から、死者を嘲る不遜な声が聞こえてくる。

 紫色の悪魔は、片手に短鞭を持ち、軽く振りながら笑っていた。

 黙々と棚を漁っている悪魔のオルガンより、ずっと悪魔らしいのではないか。


「ヴィオラさん。真面目に探してください」

「良いだろ、これくらい。ほら、鞭だぞ?歳を重ねても、衰えねぇヤツは衰えねぇもんだな!」

「……」


 くだらない、とばかりに溜息を吐き、サリナは本棚へと視線を戻す。

 『黄金時代と国家』、『鳳と林檎』️️️————————————『  』。


「これは……」


 棚の右端。ちょうど、椅子に座って手を伸ばしたら届くかどうかという場所に、お世辞にも綺麗とはいえない装丁の、黒い本が置かれていた。

 その背表紙には、何も書かれていない。

 ただ、真っ黒なだけの何かだ。


「何か見つけたのか、戦車の君」

「いえ、まだ分かりません。ただ、この本が気になって」


 徐に手を伸ばし、本の角に触れるサリナ。

 そして、装丁とページの間にある段差に指を掛けて引っ張る……しかし、それはびくとも動かなかった。


「ん……あれ」

「動かないのか?ふむ」

「ぎ、議長さん……?」


 フェルナンドは立ち上がり、サリナを後ろから覆うように腕を伸ばすと、彼女の手の上に指を重ねた。

 暖かい、とはいえない。

 寧ろ、彼女の指は手袋越しで尚冷たく、凍えるようだ。

 不器用でいて力強く、暴虎馮河でありながら思慮深い。

 ふと強張ったサリナの肩は、抵抗する力を奪われたかのようにだらりと垂れ、されるがままに抜けていった。


「貴様は若い。聖職者の末席として、1つ訓諭しよう」


 そう言うとフェルナンドは、サリナの手越しに無名の書物を押し出した。

 引っ張ってもびくともしなかった本の背表紙が、すんなりと棚の奥へ落ち込んでいき、ついには何がしかの機構に当たって止まる。

 サリナの肌に、微かな振動が伝わった。


「思考を凝り固めないことだ。無意識の内に埒外へと追いやった可能性が、時に真実を指し示すこともある」

「おっ?」


 2人から眼を離したヴィオラは、ふと真鍮のパネルを見て思わず声を出す。

 完全に壁に嵌め込まれていたはずの金属板がじりじりとせり出し、音を立てて床に落ちた。

 ベニヤ作りの床板が微かに砕け、木片を散らしながら倒れ込む。

 産まれた空虚はそれ程深くなく、掘り出された暗黒の奥に、何か白いものがランプの光を反射していた。


「議長サマ、何したんだ?」

「押しただけだ。以前、太陽派のアジトで似たような仕掛けを眼にしたものでな。彼奴等も周到なものだ」

「えっと……ありがとうございます。気を付けます」


 徐に手を離したフェルナンドの背中に向かって、サリナはぺこりと頭を下げる。

 しかし、訓戒の師が振り向き、その礼に応えることはなかった。

 金瞳の女は黒い革手袋を嵌めた手を伸ばし、闇の中に潜む一冊の書物に触れる。


「なんだそれ……本?いや、手帳か?」

「そのどれでもない。我々の感性に則した表現を用いるとすれば、これは日記と呼ぶべき代物だろう」

「どうして分かるのですか?」

「太陽派は、自らの信仰を記述して残すことに強いこだわりがあるからだ」


 フェルナンドはそう言うと、赤い表紙の本を手に取り、書斎の机の上に広げた。

 表紙には何も書いていない。


「なぜ、太陽派は信仰を記述するのでしょうか」

「後世に伝えるためだ。無論、我々に対してではなく、数少ない異端に属する愚者たちに対して、な」

「ふぅん?後世に?」

「そうだ。昨今、異端の禍は勢いを増すばかりだ……しかし、依然として、彼らが少数派であることに変わりはなく、口伝や秘伝での信仰の継承には限度がある。故に、彼らは書物という媒体を通して信仰の在り方を示すのだ」

「それで言やあ、『聖典』も、元は各地の記述や伝承を纏めたものだったらしい。アイツらは、数千年前に主派の信者がやっていたことを、今やってるんだろうな」

「成る程……信仰の継承ですか」

「尤も、その大半が奴ら自身、或いは我々の手によって廃棄されている。この日記も近い未来、灰と化すだろう。我々は異端の継承を決して許容しない」


 最初に捲った1ページ目。そこには、表紙と同様に何も書いていない。

 しかし、2ページ、3ページと黄ばんだ無地の紙を送っていく度に、インクの染みのようなものが増えていく。

 そして、十数枚と日記を掘り進めていった果て、突如として、乾き切った黒い文字が紙の上に現れた。


「……」


 フェルナンドは忌々しいものを見るように、紙の上に踊る文字を睨みつけている。

 この場の誰もが、狂信の果てに散っていった老人の遺稿に意識が奪われていった。


>>>妻と娘が死んだ。犯人は30代、偶々近隣の山中を通りがかった旅人の男。自警団と共に追跡するも自殺される。思考が纏まらず、行き場のない怨嗟の声が胃から溢れ出そうだ。そこで、思考の整理を兼ねて記録を残すことにした。


>>>葬式の挙行日が決まった。不甲斐ない姿を見せはしたが、兄の助けもあり、スケジュールを取り付ける。新しい墓碑の為の文章と、送別の言葉を急いで考えなくてはならない。果たして、現実を受け入れようとしていない自分を許すことはできるだろうか。


>>>葬式当日、兄が進行役を務め、妻と娘を世界樹の元に還す。祝福された世界で彼女らが幸福な時間を過ごすことを願う。朝、娘の笑い声を浴びながら眼を覚まし、妻と挨拶を交わす。そのような日常が、遠い過去のように感じられた。


「……あ?ちょっと良いか?」

「どうされましたか、ヴィオラさん?」


 ふと、ヴィオラは日記の文字の一部を指し示し、眼を細めた。

 それは、葬式の日の後、大きさもインクの濃さもバラバラな、傾いた文字で記述されている。


>>>追記。葬式の会場の隅で、黒い傘をさして佇んでいた余所者の男と会話する。物腰柔らかく、聡明で、深い見識を持っており、葬式後の食事会で握手を交わした。


 葬式会場の隅に佇み、始終を見守る余所者。

 深い見識を持つ、物腰柔らかい男。

 誰、と明言されているわけではない。

 しかし、ヴィオラの脳裏では、コスタデルソルで耳にしたかの柔和な声が、唐突にフラッシュバックしていた。


——あぁ、ラグナルの偉大なるグランドマスターよ。我らが家族をそう責めないでやってくれないか。


 そうだ。

 あの声の印象は、マルセルの記述に程近く。


「マルセル=ブルトンは、葬式の場であのクソ野郎と出会ったのか」

「クソ野郎……」

「エイダン=アリアンデル。太陽派の教父にして実質的な最高指導者。間違いなく、彼のことを指しているのだろう」

「どうしてそう言えるのですか?」

「先を読めば嫌でも理解できることだ、少女よ。良い機会だ、マルセルの述懐をもって知るが良い。奴がどのような手口を好む下衆なのか、ということをな」


>>>是非に、と言われ、オブライエン様と会食する。後日、拝樹教をより深く理解する為、ご自宅に伺うこととなった。近頃は、妻と娘を失った空白を埋めるように、『聖典』を読み耽っている。更なる信心者となれるよう、今は亡き彼女らの分まで村の為に努めていきたい。


「オブライエン?」

「奴の偽名だろう。アリアンデルは、非常に多くの身分と名前を持つからな」

「にしても、この頃のマルセルさんはその……」

「別人のよう、だろ?私も思っていたところだ。家族の死で気が狂った、ってわけでもなさそうだしな」

「我輩の眼には、既に狂人の相が見えるがな。逃避の為、信仰に傾倒する。それは誤った在り方であり、秩序とは程遠い」


 フェルナンドは嘆かわしいとばかりに眼を瞑り、再びページを捲った。

 精神的に落ち着いてきたのか、これまでのガタガタな様子とは一転して、文字が几帳面に並んでいる。

 そして、その理由は、最初の一文に記されていた。


>>>今日、世界の真理を知った。


「世界の、真理……」


>>>主派は、恐るべき真実を隠匿している。異端は、誤謬を喧伝するが故に異端なのではない。支配者にとって不都合な真実を知るが故に、異端なのだ。正しい者が排斥される。それが、世の常だと知った。


「太陽派の、典型的な文句だな。彼はこの日、染め上げられたのだろう。アリアンデルが持つ、恐るべき話術と洗脳術を前にしてな」

「恐ろしい話ですね。一夜にして、こうも変わってしまうとは」


>>>思い返してみれば、そもそも私の目標とはなんだったのか?そうだ。優秀な兄を越え、ゴール村を導くことだ。私は今、真理を理解している。一方、兄は愚かな教えを信奉し、村を暗黒に陥れようとしている。彼から、実権を取り戻す時が来た。真の教えを村に広め、誤謬を正さなくてはならない。


 その後、アリアンデルに伝授されたのであろう、太陽派が行うべき儀式や信仰の在り方が、事細かに記載されている。

 生贄、日時、内容、逸話。

 成る程、マルセルは本当に細やかな人物であったらしい。

 図書館の禁書エリアに置いてある太陽派研究の専門書ですら、その記述の詳細さの足元にも及ばないだろう。

 或いは、アリアンデルに命じられ、事細かに記述するよう意識したのか。

 粗方の儀式を詳述し終えた後、彼はこのように綴っている。


>>>太陽王は、常に私達の信心を見ておられる。彼の者の威光がアドルテラーレを焼き尽くすその日まで、苦行と逆風が止むことはないだろう。しかしそれこそが、妻と娘を失っても前へと進む決意こそが、教父殿の理想を実現させるのだ。


「妻と娘を失ってやることが、旅人の幽閉、虐殺か。哀れなものだな」


 フェルナンドは、それから最後のページをめくった。

 全てを書き切ったということなのか、左側のページ……日記の最後には、何も書かれていない。

 一方、右側には硬い裏表紙があり、貼り付けられた革の端に皺ができている。

 眼を凝らしてみると、その隅には小さなメモのようなものが、滲んだ文字で書き殴られていた。


「ゴール村は神の村。“廃帝の棺”を抱え、最後の審判の刻を待つ——ですか」

「……“廃帝の棺”だと?」


 瞳孔が窄み、乱れた文字が視神経を刺激する。

 その上には、何か地図のようなイラストが、奇妙に崩れた六芒星と共に描かれていた。


「何だ、それ。議長サマは聞いたことあるのか?」

「……」


 本を閉じ、フェルナンドは顔を上げる。

 数秒、思わず痙攣してしまいそうな程の緊張が走り、脊髄を冷気が刺激した。

 その問いはまるで、聞いてはならないものであるかのように。


「おい、議——」

「文字通りの意味だ。太陽王の遺体は行方不明だと言ったことを忘れたのか?」

「あ、いや……は?まさか!」

「“廃帝の棺”。度々、太陽派の残した資料の中に登場する用語だ。そして、横の絵は何かの場所を示しているのだろう。文脈で言えば……」


 再び勢いよく本を開けると、フェルナンドは貪り食うようにページを睨み付け、六芒星とその内に書き込まれた暗号を舐めるように解読する。


「あ、あの、議長さん……」

「h……x……いや、更に先か。b、i、r……おい。貴様ら」

「あ?なんだよ」


 彼女は顔を上げ、ヴィオラとサリナを見つめる。

 その瞳は、獲物を前にした捕食者のように獰猛で、切実だった。


「この近くで、白樺の目立つ場所は何処だ?」

「は?白樺?」

「早く答えろ。白樺の群生する場所は何処だと聞いている」


 勢い良く本が机へと叩きつけられ、無造作に放り出されたペンとインクの瓶がぶつかり合い、甲高い悲鳴を上げる。

 六芒星の中に記された5つのアルファベット。

 指し示すは、真理へと至る為のパスワード。

 天幕の内に隠されたゴール村の真実がまた1つ、明るみに出ようとしていた。

お疲れ様でした。

隠し部屋に侵入&日記を覗き見の回でした。

マルセル=ブルトン村長の過去についても、簡単に明らかとなりましたね。

妻と娘を亡くし、失意の中にあった彼に迫り来る太陽派の魔手には、恐ろしいを通り越して寒気すら覚えます。

そして、彼が理解したという世界の真実とはどのようなものだったのでしょうか。

それもまた、教父が口にする妄言に過ぎないのか、はたまたそうではない、真理を知ってしまったのか。

ダリウスの手によって村長が壮絶な死を迎えた今、本人の口から答えを聞き出すことはできません。

後入りで調査に乗り出したフェルナンドさんとしては、もどかしいと感じるところもあるでしょう。

ヴィオラさん、サリナちゃん!頑張れ、応援してます!

最後に、白樺の群生する場所って……どこのことなんでしょうね。はてさて。

それでは次回、日記に記されていた秘密の場所に突撃です!

どうぞお楽しみに!


最後になりますが、感想やレビューなどいただけると本当に嬉しいです。

執筆の励みになりますし、1つ1つじっくりと読まさせていただきます。

それでは、りんどうでした。

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