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アナザーワールド  作者: りんどう
二部 青薔薇の太陽
63/114

北の国から

いつもありがとうございます。それではごゆっくりお楽しみください。

 枝葉の音が風の訪れを囁く中、傾きかけた陽を浴びながら、ヴィオラは丸太の上に腰を下ろした。

 大木や蔦に囲われ、お世辞にも視界が良いとは言えないが、それでも気兼ねなく休憩できるようなスペースがあるだけ、鬱蒼とした森林の中ではまだマシな方だ。

 風雨に晒され木々が倒れ込んだことにより、大海の中、ひっそりと浮かぶ小島のような間隙が形成されたのだろう。

 夜も近い。肌を撫でる空気が加速度的に冷たくなっていく。

 しかし、緊張と恐怖のあまり茹っているであろう少女の思考を考えれば、多少の寒さは寧ろ、考えを纏めるのにどこか役立つものに思えた。

 ふと、枝が踏み折られる音が聞こえる。

 うとうととし始めた意識に鞭を打ち、顔を上げると、茂みの中から薄紫色の頭が覗いているのが見えた。


「思った通り、すぐそこに川が流れていましたので。水を汲んで来ました、どうぞ」


 急いで洗った跡のある皮袋の中に水をいっぱいにしながら、サリナは片膝を突いて俯く少女へと差し出す。

 彼女は依然として、あまねくを警戒する小動物のように縮こまっているが、それでも多少の震えは落ち着いたようだ。

 口を開く気にはなれずとも、頷いて皮袋に手を伸ばすだけの気力はあった。


「んぐっ……んぐっ……」


 軽く2Lは入るであろうパンパンの袋の中身をスルスルと飲み干していく様は、さながら水流を飲み込む滝壺の如く。

 川の流れを察知して水分補給を勧めたのはサリナの独断であり、少女自身が求めたものではなかった。

 しかし、結果としてこのがっつき具合である。

 どれ程長い間、水分補給すらままならない恐慌状態に陥っていたのだろうか。


「……ふぅ……」

「おぉ。お見事」


 皮袋を覗き込んでみれば、その中には一滴たりとも残っていなかった。

 ヴィオラは思わず、手を叩きながら感嘆の声を上げる。


「余程、喉が乾いてたのか。サリナ、お手柄だな」

「手柄など、身共にとってはどうでも良いことです。それよりも、今夜はどうしますか?」

「あー……」


 腕を組みながら、空を見上げる。

 今すぐ下山すれば、完全な日没までには村に辿り着くだろう。

 しかし。


「……」


 少女は、一歩たりとも動こうとしなかった。

 そも、何故茂みの中に隠れていたのかさえ、不明なのだ。

 無理矢理に引っ張っていくなど論外である。

 隣に座って何とか心を沈めさせ、ここにきてやっと精神状態が落ち着いてきた。

 変な刺激を与えて、再び心を閉ざされるわけにはいかないのだ。


「身共は、ヴィオラさんの選択に従います」

「ハッ。そんな犬根性だと、傭兵としてやっていけないぜ?」

「大きなお世話です。そんな冗談より、早く決めて下さい」


 下山か野宿かを決めることができる最後のタイミングが、今なのだ。

 これ以上引き伸ばせば、下山が難しくなる。

 一方、野宿するならば、寝床と焚き火、多少の食料が必要になるだろう。

 いずれにしても、日が傾き始めた今、準備を行わなくてはならない。

 

「まぁ、そうだな。流石にコイツを置いて下山するわけにはいかねぇだろ?」

「分かりました。であれば、食料集めは身共にお任せ下さい。一食分であれば、すぐに漁ってきますから」

「あ?漁ってくる?獲ってくる、ではなく?」

「はい。魚突きは得意なんです」

「あぁ……」


 そういえばお前、槍使いだったな。

 素潜りで魚を数匹捕まえるくらい、わけないか。


「ランサーであると同時にフィッシャーでもあるってことか」

「せめて、スピアフィッシャーにして下さい。刺しますよ」

「最近、当たりが強くねぇか?」

「気分です。それでは、善は急げとも言いますので。失礼します」


 本当に、行動の速いヤツだ。

 さっきまで水を取りに行っていたというのに、すぐさま再び川へ向かうとは。


「ま、こういう時は。私みたいなタイプより、ずっと頼りになるわな。ふわぁ〜あ……」


 あくびをしながら、ヴィオラは両腕を天へと突き上げて伸びをする。

 となれば、彼女の仕事は落ち葉と枯れ枝集めだ。

 ここ数日、雨は降っていない。

 ある程度、乾いて燃え易いものが集まると良いのだが……。


「……なさい」

「……あ?」


 聞いたことのない声だ。

 サリナのものではない。

 ヴィオラは、反射的に背後を振り返る。


「ごめん、なさい。ウチの、ために……」


 甲高い悲鳴のようなあの時のものとは全く違う、落ち着いた少女の声。

 しかし、その中には多少の影が宿っている。


「本当はこんな、ところで。野宿する予定じゃ、なかったんですよね……?」

「……まぁ、な」


 ヴィオラは後頭部を掻きながら、どかりと再び丸太に腰を下ろす。

 乱雑な座り方だったかからか、ミシリと嫌な音が足元から聞こえてくる。

 そして、徐に彼女は少女の肩に手を乗せて、思い切り引き寄せた。

 彼女の口から、わわ、と慌てる声が漏れる。


「ただ、気にすんな。私達が勝手にやったことだからな。別に、善意からくる行動ってわけじゃあねぇよ。お前から何か目ぼしい情報が聞けるんじゃねぇかって算段なだけさ」

「……」

「だから、少しでも悪いと思ってんなら、後で私の質問に答えてくれ。それで等価交換だ。互いに利益があるってんなら、それで良いだろ?」

「……うん」


 微かに。100の中の0.1だけ、彼女の声に元気さが戻っただろうか。

 これまでの今にも消えてしまいそうなものとは違う、芯のある返事が聞こえた。


「ハッ。なら、交渉成立だ。ただし、動けるってんなら、お前にも薪集めを手伝って貰うぞ?安心しろ、私は強い。何に怖がってるのかは知らねぇが、神だろうと何だろうと殺してやるさ」

「分かっ、りました」


 勢い良く立ち上がり、腰に手を当てるヴィオラ。

 そして、周囲をざっと見渡すと、一方向を指差した。


「良し。それなら、あっちに行こう。多少は開けてるし、迷いにくいだろ」

「そんなことも分かるんですか……?」

「まぁな。ゲリラ戦で得た幾らかの教訓だ。あぁ、それと、名前を教えてくれ」

「ウチの……?」

「嫌か?お前だのアンタだの、名前呼びされねぇのは気持ち悪いだろ」

「……」


 ギュッと革製のリュックのベルトを掴み、少女は全身を力ませる。

 横目でその姿を収めたヴィオラは、小さく笑った。


「ま、無理して言わなくても——」

「……エイ、ラ」

「……」

「エイラ=ラインフェルトと言い、ます」

「ふぅん?エイラ、か」


 なんだ、良い名前じゃねぇか。

 ぽかり、ヴィオラの呟きが1つ、斜陽に照らされる。

 そして、少女が彼女の背中に追いついたのを確認してから、森の中へと一歩踏み出した。



 パチパチ、パチパチ。

 星空の下で弾けては消え、弾けては消え、火の粉が旅立って行く。

 焚き火を囲うように設置された3本の丸太の上にそれぞれ座り、炙られて脂を滴らせる6匹の魚を眺めていた。

 ジリジリと皮の下で身が弾ける。

 もしかすると、この川は栄養が豊富なのかもしれない。

 街の食堂で提供されても驚かない程丸々と太った渓流の川魚は、如何にも美味であるように見える。


「エイラ、か」


 ヴィオラは、掌の上に顎を乗せながら口を開いた。


「名前から察するに、アウローラが出身か?」

「……。……うん。北の方にある、ヴァードウスっていう場所で育ちました」

「北……つまり、リントヴルム家の領地ですね」

「白色領でさえ寒ぃってのに、あの辺ともなれば……想像を絶するな」

「あはは……白色領は、アウローラの中でも暖かい方ですからね……」

「だろ?アウローラ出身のヤツは全員そう言うんだ。首都はまだマシだってな。私にしてみれば、アレでも充分だっての」

「寒いのは苦手ですか?」


 暫しの沈黙。

 それから、彼女は溜息を吐く。


「……まぁ、な。寒い場所で良い思いをした試しが無ぇ。あの白銀を美しいと思うヤツが居るのも理解はできるが、私にとっては違うな。あんなもの、死の世界でしかない」

「であれば、火を切らさないようにしないとですね」

「おう。火の扱いはお前の方が得意だろうからな。頼んだ」

「任されました」


 串を伝って、汁が流れ出る。

 食べ頃だ。


「できましたよ、皆さん。どうぞ」

「……うん。いただきます……」


 眼の前の魚に手を伸ばし、齧り付く。

 振り返れば、半日は何も食べていない。

 空腹になるのも当然だった。


「……んで、だ」


 骨に当たったのか、背後に何かを吐き出した後、ヴィオラは再び口を開く。


「どうして、アウローラで育ったお前がここに居るんだ?」

「はむ……ぐっ……。旅に、出たんです」

「旅に?1人でか?」

「うん」

「アルフリーダ凍結地帯を抜けて?」

「……うん」


 彼女は2度、こくりと首を縦に振った。

 アウローラ三君主連邦の国土は、一年中吹雪が吹き荒れる寒冷地域、通称“アルフリーダ凍結地帯”にぐるりと囲まれている。

 つまり、連邦の外に出るならば、絶対にこの危険地域を抜けていかなくてはならないのだ。

 今でこそ、世界連合とアウローラの国境の間にトンネルが通っており、比較的安全な行き来が可能だが、それも公的な手段として使用されるばかり。

 主に商業を目的として、申請すれば一般人も使用が許されていると聞くが、旅に出る為に使わせてくれと願い出たところで、笑われるのがオチだろう。

 

「自力で抜けたのか?」

「それしか、方法が無かったんです」

「お前、思ったよりガッツあるんだな」

「それくらい、ウチにとっては大事な旅なので。諦めるわけにはいかなかった……から」

「……」


 こんなにオドオドとしている彼女の背中を強烈に押すものがあった、ということなのだろうか。

 ヴィオラは1匹目の魚の尻尾を口内に放り込むと、役目を終えた串を薪の中に放り込む。

 これでもかと脂を吸っていたからだろう。炎はより強く燃え上がった。


「それで、紆余曲折あって、ここまで辿り着いたってか?」

「……聞かないんですね」

「お前の、旅の目的を、か?」

「うん。だって普通、気になるものだと」

「まぁな。そりゃあ、気になるさ。ただ、お前は聞いて欲しくなさそうにしてただろうが。それなら、無理には聞かねぇよ。本題じゃねぇからな」

「……そう、ですか」


 エイラはどこか安心したような瞳で魚を見つめると、柔らかく肥え太った腹に歯を立てた。

 口端から、てらてらとした脂が流れ落ちる。


「問題は、こっからだ。先に言っておく。私は、オブラートに包むってヤツが誰よりも苦手だ。だから、ストレートに聞くぞ?」

「……」

「お前、誰かに追われてたな?」

「ッ……!」


 彼女の手が止まる。口が止まる。瞳孔の膨縮が凍り付き、棚引く褐色の髪もまた、時を止められたかのように停滞する。

 その言葉は、存外、エイラの記憶を乱雑に鷲掴みにし、引き摺り出してしまったかのようだ。

 堰を切ったように溢れ出す震えは、彼女から握力さえ奪い、骨に身を残したままの魚が炎の中へと還っていった。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 脂まみれの手のまま、彼女は自らの身体を抱き、蹲る。

 火の粉が舞った。

 チリチリと、髪の穂先が灰になる。


「言っただろ。私は、こういう聞き方しかできねぇんだ」

「……ふぅ……ふっ……」

「ただ、これは異常だな。まさか、嫌なものでも見たか?」

「……!」

「チッ。これも当たりか。予想が当たるってのは存外、気持ち良いもんなんだが。今日ばかりはどうだろうな……」


 ヴィオラはどこか困ったように腕を組み、遠くを見つめる。

 何も起こらない。

 ただ、木々が風に揺らされているだけ。

 彼女はこの深い森の中で、何を見たというのだろうか?


「……エイラさん」


 徐に立ち上がったサリナは、エイラの隣に腰を下ろすと、その背中を摩りながら顔を近づける。

 こればかりは、三十路のヴィオラより、歳の近い彼女がやるべきなのだろう。


「身共が付いています。ゆっくり、深呼吸をして下さい。前に教えて貰ったんです。こうすれば、少しずつ落ち着いてくるはずですから……」

「すぅ……はぁ……すぅ……」

「身共も良く、そうなるんです。過去の、嫌な記憶を思い出して。でも、すぐ慣れます。前向きに、考えられるようになっていくはずです」

「……すぅー……」

「落ち着きましたか?」


 ゆっくりと身体を離し、ぎこちないながらも素朴な微笑みをサリナは浮かべる。

 きっと、作り笑いだろう。

 マーキュリー程ではないが、サリナの表情筋はかなり硬い。

 眼は口程に物を言うとも言うが、彼女に関しては、口や表情より眼の方が感情を反映していると言えるだろう。

 そんな彼女が、自身の性質を鑑みて、無表情を意図的に崩していることに、ヴィオラは微かな驚きを覚えていた。


「……はい。何とか、喋れるくらいには」

「何を見たか……簡単にでも、断片的にでも。口にできますか?」

「……」

「ま、ゆっくりで良い。時間はたっぷりあるからな。1日使ったって、私は待つさ」

「何か、表現するのも難しいくらい恐ろしい……ものを」


 少女は、顔を両手で多い、指の隙間から炎を眺める。

 ゆらり、ゆらり。

 熱さのあまり視界が歪み、灰によって微かな痛みと涙が溢れ出る。


「吊るされた人……歌う声……踊る足音……枝が肉に食い込む、張り詰めた何かが弾けるような音……悲鳴……金切り声……懇願、涙、歓声、性交……」

「……!」

「悍ましくて、鳥肌が立つくらい気持ち悪くて。あれは……この世のものとは思えない……」


 ヴィオラの瞳が窄み、自然と拳に力が入る。

 まさか。いや、そのまさかだ。

 疑問が疑問を呼び、少女の告げた言葉が孕む重い真実によって、明晰な思考は暗雲を産む。

 あまりに断片的で、単語の羅列にしか見えない証言は、彼女の脳内で1つの映像を作り上げていた。

 エイラが見たもの。

 その答えは、1つしかない。

 奉樹の儀式だ。

 枝の中の水分が弾け、一際大きく火の粉が弾ける。

 感情の渦の中に差し込む光は、ヴィオラに自然と、事態の急加速を予感させていた。

お疲れ様でした。

エイラちゃんから情報を聞き出そう!の回でした。

彼女が見た悍ましいものとは一体何なのか、感じ取っていただけたのではないでしょうか。

というわけで、厳密には前回から登場していた彼女が、今回の新キャラ紹介の主人公です。

エイラ=ラインフェルト。アウローラ三君主連邦出身の旅人ですね。

旅の目的こそ明かしてはくれませんでしたが、どうやら「そうしなければならない」という程、何か重要なものがあるようです。

しかも、年中吹雪&豪雪の危険地域を自力で抜けての旅立ちなわけですから、その覚悟には目を見張るものがあると言えるでしょう。

そもそも、舞台としている大陸において、“旅人”として生活することは至難の業です。

理不尽な目に遭うこともありますし、命を落とすことも勿論あります。

にも関わらず、彼女は旅を続け、とうとう大陸の反対側であるラグナルにまで到達したわけです。

それだけでも、エイラの持つ精神的な強さというものが、窺い知れますよね。

彼女のより詳しいことについては、これから少しずつ明かされていくと思います。

筆者としましても、その日が楽しみです。


最後になりますが、感想やレビューなどいただけると本当に嬉しいです。

執筆の励みになりますし、1つ1つじっくりと読まさせていただきます。

それでは、りんどうでした。

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