犠牲の仮面
いつもありがとうございます。それではごゆっくりお楽しみください。
網膜を通して入ってくる視覚情報を、脳が拒絶する。
エイラは眼を見開いて、陽炎揺らめく戦場の景色に見入った。
「嘘、でしょ」
両腕をだらりと垂らし、呟く。
「アーロンさんが、死んだ……?」
両断された身体は、砂塵の舞う草むらに力無く倒れ伏していた。
炎の光を浴びて、その中身がぬらぬらと照り輝いているのが見える。
唐突に、悲鳴のような雄叫びが上がった——が、昏く、冷たい剣の閃きと共にそれも途絶える。
ボロボロの黒布を纏った男は、足元の肉塊に目もくれず、まとわりついた血を拭うように細身の長剣を払う。
鮮血が飛び散り、開いたままでいるアーロンの眼を覆った。
「……それだけじゃないよ。あの、黒いヤツ……」
ニーナはわなわなと震える右手を抑え、眼を細める。
レイピアに見紛う細さの長剣、黒塗りのダガー、太陽が如き意匠の仮面。
その姿を最初に眼にしたのは闇夜の下、混乱の最中であったが、味わった恐怖は今でも鮮明に覚えている。
「わたしたちを、追い回してきたヤツだ」
「ケガレ、タ、センジョ、ウダナ」
ノイズ混じりの声が、仮面を通してジリジリと鳴る。
黒衣の刺客は、ローブに張り付いた汚れを落とすと、注意深く周囲を見渡した。
「ひっ」
眼が合った。
否、仮面の向こうの眼が、本当にこちらを見ているかは分かるはずもない。
だが、合ったような気がしたのだ。
男は剣を収めながら、医療テントの方へと向き直る。
エイラの背筋を、得体の知れない寒気が襲った。
「ナゲ、カワシイ、コト、ダ」
人の波の中から、くぐもった声が近づいてくる。
審問官たちは、呆けたように凍りついていた。
上官の死など、審問団にとっては日常茶飯事であるはずだ。
だのに、動かない。動けない。動いても意味がない。
木々のさざめきが、火の粉の爆ぜる音と共に聞こえてきた。
男の前に自然と道は開け、阻むものなどない。
医療テントを囲う鉄柵の前で、彼は立ち止まった。
徐に月を見上げ、星空に感じ入る。
「グレ、ゴール。エラ、バレシ、モ、ノデアリナ、ガラ。コノ、アリサマ、カ」
その声音は、夜気で冷え切った鉄よりもずっと冷たい。
黒衣の刺客は溜息を吐くと、ヒビの入った仮面を掴み、投げ捨てた。
それは、伏して動かなくなった同胞の上を跳ね、バラバラに砕けていく。
「遺灰にすら認められないような人間は、何をやってもダメですね。分かってはいたことですが……なぜ、お父様が彼を取り立てたのか。ボクには理解できません」
幼さを残した少年の顔が仮面の下から現れ、外気に晒される。
エイラは、その屈託のない笑顔を見て、サリナの証言が真実であることを改めて理解した。
アントワーヌ=サン・ジュスト——“十人衆”の第九位として尊崇され、ゴール村の調査にも参画していた彼が、忌まわしい刺客の正体なのだ。
「アントワーヌ様!いらっしゃっていたのですね!」
声を高くさせた狂信者の1人が、息を切らせながら少年の元へと駆け寄る。
そして、足元の死体を退けると、片膝をついて胸に手を当てた。
「さぁ、ご指示を」
「調子の良いことを言いますね。ボクが出張った理由が分からないわけではないでしょう?」
「……」
「言えないのですか?あなた方が、不甲斐ないためですよ。第一の責任は不信心なグレゴールにありますが、第二の責任はあなた方にあります」
サン・ジュストはダガーの峰をなぞり、微笑む。
炎に当てられて生暖かくなった風が、勢いよく吹き抜けていった。
巻き上げられた砂を前にして、たまりかねたエイラは瞬きする。
次に眼を開けた時、男の首は身体を離れていた。
「え?」
素っ頓狂な声が漏れる。
彼女の思考は、既に限界を迎えていた。
人の命が、まるで路傍の石のように扱われるなどと。
首は、風に煽られて転がっていく。
それは、エイラの足に当たって止まった。
見開かれた彼の眼を、彼女はじっと見つめる。
瞳の中へと吸い込まれていくような錯覚が、エイラを襲った。
「太陽派の信者たちよ!ボクの言葉を胸に刻みなさい!」
少年は両手を広げながら、崩れ落ちた男の身体を踏み越えていく。
右手に握られたダガーから、ぽたりぽたりと血の雫が滴った。
「この者——アロイスは、あなた方の罪を背負い、精算するために命を落としました!彼の死は、あなた方の為にあるのです!」
彼の言葉以外、聞こえてくる音は何もなかった。
雷鳴のように轟いていた銃声も、剣戟も、静寂の中に沈んでいる。
「しかし!死者は、罪を贖うことができません!グレゴールも、アロイスも、あなた方の罪を肩代わりして逝ったにも関わらず、です!なればこそ、ボクはあなた方に問いましょう。あなた方が、彼らにしてやれることとは、いったい何ですか?」
堰を切ったように、ざわめきが広がる。
ひそひそと囁く声はやがて、怒鳴るような罵声へと変わっていった。
狂信者たちは笑い、泣き、怒り、口々に弔いの言葉を投げかける。
無意識の内に鳥肌が立っていることに、エイラはやっと気がついた。
「そう!せめてもの慰めとして、彼らに勝利の栄誉を授けようではありませんか!彼らの失敗が、我々の勝利の礎となったならば!太陽王もまた、彼らの功績を認められることでしょう!」
一斉に、叫び混じりの歓声が噴き出す。
銃器が爆音を轟かせ、白刃を交える音が溢れかえる。
戦場の混沌によって、静寂は再び引き裂かれた。
統率を失ったはずの狂信者たちは、弔いの名の元に再度結集したのだ。
アーロンの遺体が、混乱の中で踏み潰され、形を失っていくのをエイラはぼうっと眺めている。
口を動かすことすらできない。
それは、隣に立って唇を噛むニーナも同様だった。
「久々ですね、みなさん」
聞き覚えがあるはずなのに、初めて聞くような声。
エイラは、靴越しに感じる血の暖かさに眩暈を覚えながら、視線を動かす。
いつの間にやら、彼はダガーすら鞘に収めていた。
「ボクのこと、覚えてますか?」
エイラも、ニーナも、答えようとしなかった。
少年は、数秒黙した後、くすっとあどけなく笑う。
「あはっ。そっか。ボクは仮面を被っていたから、一方的に知ってるだけなんでしたね。エイラさんとは、素顔でお会いしたこともありますけど……一度会ったくらいじゃ、覚えてるわけないですよね」
フードを脱ぎ、先の跳ねた黒髪を整えると、サン・ジュストは後ろ手を組んだ。
彼の背丈は、エイラはおろか、ニーナよりもずっと低い。
長いまつ毛に囲われた、鋭くも愛くるしい藍色の瞳が、2人を見上げている。
表情は柔らかい。声音だって、優しいはずだ。
なのに、エイラの心臓は、彼の声が聞こえなくなるくらい激しく鼓動している。
「では、自己紹介を。ボクの名前はアントワーヌ=サン・ジュスト。“十人衆”の第九位、ラグナル剣術大会最年少王者、王国軍大佐。ありがたいことに、ボクを指し示す称号は沢山ありますけど——」
きまりが悪そうに視線を下げたサン・ジュストは、1つ1つ肩書きを並べ立てていく。
そして、改めて顔を上げると、天真爛漫な笑みを浮かべて言った。
「今のボクは、太陽派の刺客。教父エイダン=アリアンデルの養子にして、後継者。選ばれた天才としての、サン・ジュストです。どうぞ、よしなに」
彼は右手を前に添え、改まった様子で頭を下げる。
ごくりと、エイラは唾を呑んだ。
麻痺した恐怖を呼び起こすように、頭の中でサイレンが鳴いている。
だが、足が動かない。
辛うじて動く唇を、確かめるようにぱくぱくと開閉させると、やっとの思いで声を絞り出す。
「……ウチを、殺しに、来たんですか?」
「え?」
虚を突かれたサン・ジュストは、眼を丸くさせた。
遅れて、言葉の真意を理解したのか、軽く吹き出すと慌てて手を振る。
「あはっ。まさか、ですけど。グレゴールさんを殺したから殺される、だなんて思ってるんですか?」
「……違うん、ですか」
「そんなわけないじゃないですか!」
真顔に戻った彼は、エイラ越しにグレゴールの遺体を見つめる。
既に血は止まっていた。
元々血色の悪い肌が、より青白く見える。
「彼は、トカゲの尻尾ですから。切り捨てた尻尾の仇を討つトカゲなんて、この世界には存在しないんですよ」
「え……」
エイラは、頭が真っ白になった。
何故だかは分からない。
「そ、そんな」
自分は、何に落胆しているのだろう?
グレゴールは、彼女の首を掻き切ろうとした怨敵だ。
彼女にとって、彼はどこまでも強大な存在だったのだ。
だが、彼はトカゲの尻尾に過ぎないのだとサン・ジュストは言い放った。
たじろいだエイラの足に、再び誰かの頭が当たる。
それは、無抵抗に茂みの中へと転がっていった。
不意に力が抜け、へたり込みそうになるエイラの身体をニーナが慌てて支える。
「エイラちゃん、大丈夫……?」
「ウチは。ウチは——」
「あれ。ボク、何か変なこと言っちゃったかな」
安心させるつもりだったのに、とぼやくサン・ジュスト。
左胸の辺りに縫われた青薔薇のエンブレムが、血の飛沫を被って褪せている。
「あ、でも安心してください。だからと言って、皆さんを殺さないわけじゃないんです!」
「は?」
エイラの肩を担ぎながら、ニーナは声を上げる。
その手には依然として拳銃が握られているが、彼の前では脅しにもならないことを、彼女は理解していた。
震えを押し殺した声で続ける。
「わたしとエイラちゃんがあなたに追われているのは、奉樹の儀式を見たから。そうですよね……?」
「あ。儀式の名前まで知ってるんですね。もしかして、フェルナンド第三議長に教わったんですか?あの人、平気でボクたちの秘密をバラすので困っちゃいます」
サン・ジュストは頭を掻いて、はにかんだ。
鋭利な音が響き、刃が月光の下に晒される。
勿体ぶったような遅さで、彼は歩き始めた。
乾いた地面を踏み締める足音が、一歩一歩粒立って聞こえてくる。
「えぇ、そうですよ。そうでしたよ。最初は」
「最初は……?」
エイラを支えながら、ニーナは後ずさる。
荒い呼吸のエイラもまた、視線はサン・ジュストから外していなかった。
瞳は震えているが、瞼は閉じていない。
「はい、最初は。実はもう、皆さんの抹殺命令って撤回されてるんです」
「え……?」
「だって、抹殺命令を下したのはブルトン村長ですから。正確には、村長がお父様を通じてボクに命じたんですけどね」
「……」
「でも、村長は死んでしまった。それに、エイラさんのことを知った時、教父は心の底から喜んでおられました。『やっと見つけた』と」
「ウチを……?」
エイラは徐に、グレゴールの方を見た。
——教父様は賢きお方だ。お前が面している苦境の何たるかも理解している。
彼の声がハウリングする。
もう、グレゴールの言葉を思い出すのは沢山だ。
でも、焼きついたものから逃れることはできない。
「どうして、ですか?ウチの何を……」
「それはボクも知りません。どうだっていいですからね」
彼の歩く速度が、徐々に速くなっていく。
後退するニーナの踵に、岩がぶつかった。
咄嗟に振り返る。
もう、退がることはできない。
「一度目標になった以上。あなた方は、ボクの獲物なんですから」
サン・ジュストは右足で踏み切り、長剣を薙ぎ払う。
エイラは思わず身体を丸くさせ、ニーナは右手を彼の姿に翳した。
風切り音を乗せた刃は、少女の首元へと差し迫り。
「何、やってんだよ!お前は——ッ!!!」
怒号が轟き、黒髪の少年は片眉を上げる。
反射的に刃の軌道を逸らし、背後で剣を振り上げた何者かを迎撃する。
恐る恐る瞼を開けたエイラは、眼前で鍔迫り合う2つの刃を見た。
サン・ジュストに斬りかかった何者か。
それは、困惑とも憤怒とも言えない表情を浮かべている、もう1人の少年だった。
お疲れ様でした。
アーロンの死、そして……久しぶりの再登場、サン・ジュストくんです!
といっても、振り返ってみれば少し前にちょっとだけ姿を見せてましたっけ。
でも、エイラたちとあい見えるのは20何話ぶりでしょうか。
彼に関するストーリーはまだまだこれからですので、どうぞお楽しみに。
対して、エイラちゃんとニーナちゃんの苦境はまだまだ続いていきます。
そりゃあ、自ら戦場に飛び込んだわけですから、仕方のないことですけども……試練であることに変わりはなく。
成長の機会と思って頑張ってもらいましょうか。
ところで、話は変わりますが。
最近は、1話の区切りを字数ではなく、流れで作るようにしてるんですよね。
なので、今まで以上に1話ごとの字数に波が出てきてしまっています。
とはいえ、流れに合わせて区切った方が、間違いなく良いような気もしていまして……。
正直、判断の難しいところなのですが、当面は、現在の形で進めていこうと思っております!
最後になりますが、感想やレビューなどいただけると本当に嬉しいです。
執筆の励みになりますし、1つ1つじっくりと読まさせていただきます。
それでは、りんどうでした。




