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わたしの方が好きでした  作者: 帆々
罪のありか

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 ドアが閉じた後でエルは声を和らげた。


「もう来ないとは思うが、何か言って来ても応じないでおきなさい。ない権利を振りかざす手合いには甘い顔をしては駄目だ」


「まさかここにまで来るなんて……。ごめんなさい。ご迷惑を……」


 リゼは顔を手で覆った。一連の騒ぎが思いの外、心に響いていた。元義母は我を通すためなら彼女の立場などお構いなしだ。ロビーでの醜態も忘れ難い。


「僕は何も……。お茶を飲みませんか?」


 エルは彼女の前に座り膝で手を組んだ。リゼは言葉通りお茶を飲み、ほっと息をついた。


「何かお話があったのでしょう。何かしら?」


「……ちょうど僕も、あなたの元義母上のことで話したいと思っていた。ブーケから彼女のことを聞いて、気に掛かっていたから」


 以前、ブーケがリゼの家にいる際に元義母がやって来たことがあった。目的は小切手の回収で、幼いブーケの耳に入れたくない話をされて気を揉んだ。娘への影響を考えて父として苦言を入れたい気持ちは理解できた。


「申し訳ないことしたわ。ブーケは驚いて少し怖がっていたようだったの。ごめんなさい。ご不快よね、配慮が足りなかったわ…」


「そんなことではない。ブーケはませたことを言うだけあって、考えもちょっと大人びている。あれはあなたのことを心配していた」


「え」


「金をたかられているようだった、と。「娘のように思っている」と言いながら、リゼのことを何も考えていない。本当にそう思うのなら、あなたの困った辛そうな顔を見て気づくはずだとも言っていた。今日のことで僕も完全にブーケに同意する。彼女の興味はあなたからどう金を取るかだけだ」


 エルの言葉に心の奥を突かれた気がした。奔放な元義母には困らされることがこれまで多々あった。しかし、それらをリゼは親しみと変換して乗り越えてきた。キッドと別れた後でさえもそれは続いた。


「娘のように」とは元義母自身から何度となく言われた言葉だ。実際の距離のない言動も「娘」に接するのに近かったかもしれない。


 そこが、戸惑いながらも嬉しかったのは事実だ。「いい嫁ね」「本当に思いやりがあるわ」と行為の代償でもらう言葉にくすぐったい誇らしさを感じてもいた。実の母からは決してもらえなかった言葉たちばかりだから。


 リゼの心の空虚はそれらで幾らか埋まったのだろう。意図しなくとも、心の隙間は自然に代わりを求めるものなのかもしれない。


(そこに価値があろうと、なかろうと)


 幼いブーケの目から見てもリゼと元義母の関係には違和感があった。彼女が気づかずにいただけで、もう長くそうだったのだろう。気に留めずにいたが、工房の皆からも忠告されたこともある。キッドの病状はいいネタで、ずっと前から「どう金を取るか」を考えてリゼに接してきたに違いない。


 美しくぼやけていた部分が鮮明になった。偽りの親しみも愛情も実態がない。虚しさは残るが、自由が心を軽くしていた。


「……自分が恥ずかしいわ」


「悪いのはあなたではなく彼らだ。今後の彼らのいかなる災難にもあなたは責任がない。それを忘れないで。またほだされて金を支払えば、あなたは彼らの養分であり続ける。あなたが枯れるまで」


「枯れるまで」。その言葉にやや肌が粟だった。リゼに金がなくなったと知れば、キッドもその母親も彼女前からさっさと消えるだろう。その様はすんなり頭に浮かぶ。


 リゼは頷いた。「枯れ」てしまった彼女には用はない。逆に手を差し伸べてくれることもないだろう。その実感のある予想は深く腑に落ちた。


「ブーケはお利口さんね」


「あれは、あなたをやっとできた姉のように思うようだ。生意気なところは叱ってやって下さい」


「お友達なら喜んで。お姉様には家庭教師のミス・クローバーが適役でしょう」


「ミス・クローバーはいい人だが、手本になってもらいたいのでもない。柔和過ぎて意思がないのも困りものだ。右か左かを聞いてもどちらも選ばずどちらも捨てない……」


 エルの口調から家庭教師への不満がのぞいた。家族同様の待遇に加え、気を使う女主人がいない。リゼの目から見てもビングリー家の労働環境は抜群だ。失職を恐れて保守的になる気持ちはよくわかる。

 

「怖じずに雇用主に意見を言える方が珍しいのでは?」


「責めているのではない。優秀な人なのは認めているよ。ただ、あなたなら二択のどちらかを必ず選ぶだろう」


「間違った方を選んでしまうかも」


 自嘲的に答えたのはキッドとの経緯があるから。正しいと信じた方が真実そうとは限らない。その結果、大いに傷つき人にも迷惑をかけた。この先必ずあるそんな岐路で正しい方を選んでいけるのか、恐れも迷いも強い。


「間違ってもいいじゃないか。また選び直せばいい」


 ふと落ちていた視線が彼に戻った。自分は驚いた顔をしているだろう。エルからは都度「そっちじゃない」と指示されてきたように思う。それは間違えないためだ。なのに彼は間違えてもいいと言う。


「選び直せばいい」。それはリゼの耳に優しく響いた。失敗はそれとして新たな次の可能性を示されたように、目の前が明るくなる気がした。過ちはその上に帳消しになる何かを厚く重ねて消していくものだと考えていたから、尚更に。


 エルをじっと見つめる瞳から涙があふれた。感動の涙で、場違いなそれにリゼは慌てて顔を逸らした。


「そろそろ失礼します」


 涙を拭いながら立ち上がった。同じく立った彼が彼女にハンカチを差し出した。既視感のある仕草で、涙ににじむ目で彼のタイの辺りを眺めた。品のいいその柄にどこかで覚えがあるような気もする。


「僕が出るから、ここはご自由に」


 エルは彼女の手にハンカチを握らせ、ほんのり眺めた後で部屋を出ていった。


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