学生時代
今から、一つの国が滅んだかもしれない話をしよう。
僕は子爵家の長男だった。
だが十歳の時に母が亡くなり、継母が来てから邪険に扱われるようになる。人前で継子イジメを隠せないほど、愚かな女だった。
幸いだったのは、使用人への目配りもできなかったこと。古株の使用人たちは、陰で僕を可愛がってくれた。
彼女が寄りつかない書庫に逃げ、日々をやり過ごすことができた。
父親はどうしていたかって?
仕事が好きで、継母への愛情もあるんだかないんだかわからない男だった。
僕にかける言葉は「しっかり勉強しているか」「家の恥にならないようにしろ」……そんなことだけ。
僕の返事も待たずに、立ち去るのが常だった。
当主になる教育は十二歳から始まったが、直後に弟が生まれて中断した。
十五歳で全寮制の学校に入り、官吏になるべく勉強を頑張った。たぶん、跡取りは弟になるだろう。
学校で魔術研究会に入り、放課後は瘴気の研究に没頭した。
「攻撃魔術とか、派手な研究じゃなくていいのか? 貧乏な国の令息に媚びを売っても、何の得もないだろう」
先輩が自分たちの研究班に誘ってくれた。僕に対しても留学生に対しても、上から目線で嫌な言い方だ。
「うちの子爵領には、瘴気が湧く呪われた地域があるのですよ」
おそらくないだろうが、万が一継ぐことになったら……そんな気持ちもあった。
継母は爵位を買ったばかりの男爵で、母は伯爵令嬢だったから。社交界での評判を考えたら、僕の方が有利だ。
成績優秀者として父に目をかけてもらえるかもしれない、という期待も捨てられなかった……。
「せっかくの高位貴族からの誘いを蹴るなんて、愚かだな」
先輩はそう言って蔑むような目を向けてきた。
だけど淫紋の研究とか興味ないし、そっちの方が品がないと思う。一体、いつ使う予定なのやら。下手したら、問題になったときに罪をなすりつけられるかもしれない。
君子危うきに近寄らず――だ。僕は君子じゃないけれど。
この大陸には、毒になるガス――瘴気が噴き出す場所がある。
伝説によると――
大昔、邪竜が大暴れをして、人々を苦しめた。
各国から集った勇者たちが邪竜を滅ぼし、その死骸を勇者たちが各地に葬った。
地中深く葬られた遺体から、今もなお邪竜の恨みが吐き出される。
そんな伝説が本当かどうかは、わからない。
ただ、瘴気と呼ばれる毒ガスが人の寿命を縮め、生活圏を狭めているのは確かだ。
卒業の年に、官吏の試験に合格した。
これで、実家に戻らなくて済む。お互いに居心地が悪いのだから、この選択は歓迎されると思い、実家に手紙を出した。「このまま、王都で暮らします」と。
ところが父親から、「嫡男なのに何を考えているのか」と返事が届く。
僕としては「今さら何を言い出した?」と、戸惑うばかり。弟だって順調に育って、もう六歳だ。
仕事だけは早い父は、勝手に採用辞退の手続きを取ってしまう。家長の権限での申し出に、僕の訴えなど取り合ってもらえなかった。
寮に入るまでは我慢できた実家の環境――それしか知らなかったし、耐える以外の選択肢はなかった。
寮で暮らして、息を潜めなくていい生活を取り戻せば、実母が生きていた頃が蘇る。それなのに、理不尽な扱いをなぜ甘んじて受け入れなければならない?
父親からの手紙をくしゃくしゃに丸め、寮の部屋の壁に投げつけた。
軽い音がして、虚しく床に落ちる。
僕は頭を抱えて唸ることしかできなかった。
「どうした?」
魔術研究会で、凡ミスを連発する僕を仲間が心配してくれた。
「父に戻ってこいと言われた。下手したら継母に殺される」
あの女の手が届かない生活で、妙な体調不良がなくなった。おそらく、軽い毒でも盛られていたのだろう。
女主人というのは、家の中で好き勝手できる権力者なのだ。
「……どうせ死ぬなら、我が国に来るかい?
瘴気が濃くなって、逃げ出す国民がいるんだ。歓迎するよ」
留学生のルファールが、眉尻を下げて微笑んでみせた。
瘴気の研究班は五人。みんな領地に還元したくて、学生ながら真剣に取り組んでいた。卒業までに形にできないかと、最後の悪あがきをしているところだった。
実家に未練がない僕は、その誘いに乗った。
貴族籍を失い、平民として国を出る――そんな重大な決断も、貴族であることに拘って殺されるよりいいと思えた。
卒業式の後、帰国する留学生の使用人に扮して同行した。
国境では、瘴気の濃い国に戻るのを同情され、すんなり通ることができた。
好き好んで行く馬鹿はいない、といったところだろう。
もし、父が「息子が帰ってこない」と騒いだとしても、学校は卒業した後のことは関知しない。
学生時代の友人関係を把握していないのだから、追いかけることもできないだろう。
僕は、揺れる馬車の中で開放感を噛みしめた。
投稿100作目です。




