第1話 おもひでの味
落ち着いた内装と木製のテーブル、上品なクラシックスタイルが特徴的なこの店は、純喫茶『ナカマ』。
ピーク時を少し過ぎた昼下がりに、狙いすましたかのように訪れた中年層のサラリーマンが、食前のコーヒーを傾けながら、給仕した女性店長――ナカマへと感想をこぼした。
「いやあ、おいしいよ。あんまり期待してなかったんだけど」
「うふふ、どうも、ありがとうございます」
褒めているつもりでなかなかに失礼な物言いだが、ナカマは鷹揚な笑みと共に軽く会釈して流す。
しかし〝おいしい〟と述べた割には、どことなく浮かない表情の男性に、ナカマは何となしに尋ねた。
「お客さま、何か、気にかかることでもありましたか?」
「ん? ああ……ウェイトレスさん、お若いのに良く気が付くね、顔に出てたかな? いやあ、コーヒーはおいしかったよ、それはホントにさ。まあでも、個人的なことだからねえ。どうしてもさ、絶対に敵わないものって、人それぞれあるじゃない。なんていうのかなあ、ホラ……」
曖昧な物言いの中年男性に、けれどナカマは怪訝な表情の一つも見せず、むしろ真摯に〝ふむふむ〟と頷く。
そうして暫くして、ナカマは整った瑞々しい桜唇を開き、囁くように言った。
「お客さま。おもひで、温めますか?」
思いがけない言葉に「へえっ?」と中年男性は素っ頓狂な声を発してしまったが、ナカマは薄く微笑んでから軽く会釈し、厨房側へと引っ込んでいった。
また暫く時間を置いて、ソファへ深く腰を掛けて首を傾げる男性に、ナカマは何やら頼んでもいない料理を提供する。
目の前に置かれた料理を見て、男性はなおさら首を傾げた。
「へ、チキンライス? おいおい、お姉さん、これじゃまるで子供向けじゃあないか。こんなおじさんが、こんなの喜ぶと思うかい? こんな……こん、な」
つらつらと重ねられていた文句が、勢いを弱めていく。目の前に置かれたチキンライス、その匂いを嗅いで、男はまるっきり無言になってしまった。
チキンライスと睨み合うおかしな時間が続くも、果たして男性は、添えられていたスプーンでひと掬いして口に運ぶ。
すると――
「……!!」
「……いかがでしたでしょうか?」
ナカマが尋ねると、中年男性は目を見開いて、ぼそりと呟いた。
「……ケチャップの味たっぷりの、ものすご~くっ……安っぽい味だ……」
遠慮のない、やはり失礼な物言いではあるが、男性の言葉は止まらなかった。
「けど、これって確かに、そうだよ、昔に食べた味だ。ああ、冗談みたいにそっくりだ。もう二度と、食べられないはずだと思ってたのに……ふしぎだなぁ」
〝ふしぎ〟といえば、窓などはステンドグラス製の凝った店構えで、そんな安っぽいチキンライスが出てくるのも〝ふしぎ〟だろう。
しかし男性は、何やら感極まったように片手で目頭を押さえながら、ゆっくりとスプーンでチキンライスをかき混ぜつつ言う。
「今日さあ……命日なんだよね、おふくろの。まあ仕事が忙しくって、今日だって昼過ぎまで飯も食いに来れなかったくらいだから、田舎に帰ってやることも出来なかったんだけど。でも、ああ……来年の十三回忌くらいは、帰ってやんないとなぁ」
「そうでしたか。どんなに忙しくてもね、ごはんだけはちゃんと食べるんだよ……と、お母様なら仰るような気がしますね」
「あはは、面白いこというなあ、お姉さん。まあでも驚いたよ、おふくろの言い方そっくりなんだもんなぁ。うん、なんかでも、元気が出たよ、ありがとさん。それじゃ午後の仕事も頑張るために、食後のコーヒーも頼めるかな?」
「はい、こちらにご用意しております。どうぞ……」
「ええっ、準備がいいねえ。じゃあ、ありがたく…………っ!?」
男性が、チキンライスの時よりも、大きく目を見開いた。
「……最初に飲んだコーヒーと、味が全然、違う……」
「そうですか……お味のほうは、いかがでしょうか?」
「それは、最初に飲んだコーヒーのほうが、全然おいしかったよ。でも、これ……これも、そっくりだ。昔に飲んだのと……でも、どうして? いや、チキンライスだって、そうだった。忘れるはずない、だって、これって」
一度、ぐっ、と口を噤んでから、男性は言葉を漏らした。
「おふくろの味だよ……間違いない。……ふしぎだなぁ……」
………………。
中年男性が満足して退店して、客のいない時間を見計らって、ナカマは誰かと電話していた。
今では全く見なくなった、回転ダイヤル式の、レトロな電話。アンティークな意匠の受話器に、黒髪からすっきりと覗く細い耳を当て、対話する。
「ええ、ええ……お客さまには確かに、ご満足いただけていたかと思います。いえいえ、お礼など不要でございます。こちらこそ、わざわざレシピをお教えいただき、ありがとうございます。ええ、また機会がございましたら、その時はよろしくお願い致します……ご母堂様」
電話越しに一礼し、ナカマは静かに受話器を置く。
レトロかつアンティークな電話は、コンセントも何も、繋がっていなかった。
ふう、とナカマがひと息つくと、カランコロン、と入り口から音がする。
どうやらまだ休みはなさそうで、ナカマは艶やかな黒髪を整えてから、新たな客を出迎えた。
「いらっしゃいませ、お客さま。
純喫茶『ナカマ』へようこそ。
おもひで―――温めますか?」




