四季屋琥太郎、四十五歳。
人は、何歳まで「やり直したい」と思っていいんだろう。
四十五歳にもなれば、もっと立派な大人になっていると思っていた。
自分の人生にそこそこ納得して、手に入らなかったものにもちゃんと折り合いをつけて、
若いころの後悔なんて、少し懐かしく笑えるくらいになっているものだと、なんとなく信じていた。
でも実際は、そんなにうまくはいかない。
言えなかったことは、年を取っても言えなかったままだし、
好きだった人のことは、案外どうでもよくならない。
「まあいっか」で流してきたことは、積もり積もって、気づけば自分の形になっている。
この物語の主人公、四季屋琥太郎もそんな男です。
仕事も人生も「そこそこ」。
大きく失敗したわけじゃないけれど、胸を張って成功したとも言えない。
そんな四十五歳の男が、大晦日の夜にあまりにも間抜けな死に方をして、
高校一年生に戻ってしまうところから、この話は始まります。
もう一度、青春をやり直せるなら。
今度こそ、ちゃんと誰かに話しかけられるだろうか。
家族に感謝を伝えられるだろうか。
見ているだけで終わらずに、自分の足で一歩を踏み出せるだろうか。
これは、そんな「今さら」を抱えた男が、
もう一度だけ与えられた季節の中で、恋も青春も人生も選び直していく物語です。
少し笑えて、少し切なくて、
でも最後には「悪くなかったな」と思えるような話になればいいと思っています。
どうか、四季屋琥太郎の二度目の高校生活に、少しだけ付き合ってもらえたら嬉しいです。
仕事はそこそこ、貯金もそこそこ、人生の満足度はびっくりするほどそこそこ。
その「そこそこ」に、最近どうしようもなく息が詰まっていた。
別に、人生が完全に失敗だったとは思っていない。
借金まみれでもないし、明日食う飯に困るわけでもない。
病気ひとつせず、健康診断では毎年「運動不足ですね」とだけ言われる程度で済んでいる。
そういう意味では、まあ、かなりマシな部類だ。
ただ、満足しているかと聞かれると、どうにも答えに困る。
若いころは、四十五歳なんてもっと完成された生き物だと思っていた。
自分の向き不向きも、好き嫌いも、手に入らなかったものも、全部それなりに整理がついて、
「これが俺の人生だ」と胸を張って言える年齢だと、なんとなく信じていた。
実際になってみると、そんなものはなかった。
あるのは、妙に現実的な生活力と、少しばかりの諦めと、
あとコンビニで値引きシールの貼られた総菜を見つける目だけだった。
大晦日の夜、琥太郎は一人で神社にいた。
別に信心深いわけじゃない。
初詣だって、ここ数年は人混みがだるいという理由で避けてきた。
それでも今年は、なぜだか外に出たくなった。
年末特有の、町全体が一回息を止めるみたいな静けさの中にいると、
家でテレビを見ながら適当に年を越すのが、妙に耐えがたかったのだ。
境内の空気は冷たくて、吐く息が白かった。
石段の脇に並ぶ灯りがぼんやりと揺れていて、
夜なのに妙に明るい。
遠くで誰かの笑い声がして、子どもが走る足音がして、
それなのに、自分の周りだけ少し静かだった。
四十五にもなって、年末の神社で人生を振り返っている男。
字面にすると、だいぶ終わっている。
賽銭箱の前に立ち、琥太郎はポケットから小銭を取り出した。
五円玉にしようか一瞬迷って、結局百円玉を入れる。
こういうときにケチると、なんとなく神さまにも見透かされそうで嫌だった。
鈴を鳴らして、手を合わせる。
健康第一。
家内安全。
商売繁盛。
そういう、世の中の人が願いそうな言葉が頭に浮かんでは消えていく。
でも、どれもしっくりこなかった。
琥太郎が本当に願いたかったのは、たぶんもっと情けないことだった。
変わりたかった。
もう少し、ちゃんと生きたかった。
「まあいっか」で流してきたことを、流したままにしたくなかった。
好きだったことも、言えなかったことも、やりたかったことも、
気づけば全部「今さらだろ」で片づける癖がついていた。
それが妙に、嫌だった。
だから琥太郎は、手を合わせたまま、心の中で言った。
――今年こそ、俺は頑張って自分を変える。
言ってしまうと、ひどく青臭い。
四十五歳の男が年末の神社で唱えるには、ちょっと若すぎる願いだった。
でも、その瞬間だけは本気だった。
仕事を変えるとか、起業するとか、筋トレを始めるとか、
そういう具体的なことはまだ何ひとつ決まっていない。
ただ、それでも、今までみたいに流されて終わるのは嫌だと思った。
今度こそ、何かを始めよう。
今度こそ、ちゃんと一歩を踏み出そう。
そう思った。
思ってしまった。
琥太郎は手を下ろし、ひとつ息を吐いて、石段へ向き直った。
境内を出るための、古びた階段。
昼間なら何とも思わない、見慣れた石段だった。
ただ、その夜は少しだけ冷えていて、
踏みしめた靴底の下で、石の表面がわずかに滑った。
最初の一歩だった。
本当に、最初の一歩だった。
「あ」
間抜けなくらい短い声が出た。
体が傾く。
視界がぐらりと揺れる。
手すりを掴もうとした指先が、空を切る。
次の瞬間には、夜空と石段の角度がめちゃくちゃになっていた。
頭のどこかに、鈍い音が響いた気がした。
痛い、と思うより先に、
何かがひどくおかしかった。
いや、ちょっと待て。
嘘だろ。
ここで?
今?
せっかく、珍しく、本気で、
今年こそ変わろうと思ったのに。
そんなツッコミだけが、やけにはっきり浮かんだ。
遠くで誰かが叫んだ気がする。
足音が近づいてくる。
けれど、その音もだんだん遠くなる。
視界の端で、神社の灯りがぼやけて滲んだ。
白い息みたいに、世界が薄くなっていく。
四季屋琥太郎、四十五歳。
大晦日。
神社の石段。
今年こそ自分を変えると願った、その直後。
最初の一歩で足を滑らせて死ぬのは、
さすがにどうなんだ、と最後に思った。
そこで、意識が途切れた。




