第14羽 MD ⑥ラストステージ(前編) -4/6-
「……ぐ…」
速水は身じろぎをした。
今彼は歯医者で使うような椅子に座わっているのだが……悲しい事に両手、両足には枷がはめられている。自由な感覚は聴覚と、嗅覚だ。指も動かせるが手首はしっかり固定されている。
速水は冷や汗をかいていた。もちろん、恐怖からだ。速水だって怖い物は怖い。
……今朝は食事抜きだったので、嫌な予感はしていた。
暇なので筋トレをしていたらここに連れて来られ、拘束され、目隠しをされ三十分以上の放置が続き、現在だ。いい加減疲れたし、訳が分からなくなってきた。
周囲に鳥は……いないようだ。
研究者の話し声が聞こえる。
速水の側には二名くらい?研究者がいて事務会話をしている。少し離れて機械を操作する者が三名か四名?
ベス……主任はどこに?いないのだろうか。
速水は歯ぎしりした。
「外せ…!!」
口は塞がれていないので、喋ることは出来る。
「それはできないな」
誰かが言った。こつ、こつ、と何か堅い音がする。
急に頭を掴まれ、引っ張られた。
「!?」
速水の頭が左横を向く。
「元気そうだな」
その声には覚えがあった。
……この声は、ノアと速水を攫ったオッサンだ。
「お前は。そうだ、ノア……!ノアは何処だ?」
速水は口に出した。
「おい、ノアは?」
「私はチャスだ。そう呼べ」
一方的に言って来た。
速水は自分に名前を明かすなんて相当なバカだと思った。
絶対、後で報復してやる……と思ったが。そう言えば既にアンダーで殴った後だった。
目は結構重傷だったはずだ。だがそれとこれとは話が別だ。これから速水が何をされるかによって、どの程度のダメージを追加するかが決まる。
というか、何かするならさっさと始めろ。待つなら部屋でも良かっただろうに。
準備ができたら自分の身が危ないのだが――段取りの悪さに辟易した。
「チャス……か、分かった。あんた。ノアを何処へやった?」
試しに名前を呼んでみる。あえて名を明かすと言う事は呼んで欲しいのだろう。名前で呼んだ方がノアの事を聞けるかもしれない。
速水は、白い部屋に押し込められて以来、ノアに会っていない。ここに来て三日程か。
「始めろ」
ゴールディングはノアに関しては答えず、指示を出した。
数人がかりで、頭に何かをかぶせられた。
コードの付いたヘルメット??鉄製なのか、やたらでかくて頭が重たい。
幾つか配線がつながっているようだ。その後で耳を塞がれた。
周囲の音が聞こえなくなった途端、突然聞こえて来たのは、大きな音だった。
「!!!うあっ!!?」
速水は飛び跳ねた。
「!!?????」
速水は突然の事に混乱した。
ヘルメットじゃなくて―ヘッドセッド――!?ゴツイやつ!?そこから音が聞こえる。
「なんだコレ!!おい?」
耳を塞ぎたいが、手も足もしっかりと固定されていて動かせない。速水は頭を振った。
音が大きいが――これは何かの音楽だ。
「ぅ……ぐっ」
耳と、脳みそがむずがゆい。口を押さえたいが手は動かない。
音楽――速水は歯をくいしばり吐き気にそなえた。
……速水は、幻聴に加え、おかしな音感の持ち主だった。
なぜか楽曲限定で、余計な音が重ね合わさり響きが変に聞こえる。
速水が曲を聴くと、どれも曲と呼べない多重の不協和音に聞こえてしまうのだ。
声は普通。アラームなども至って普通。
日常生活に支障は無いが、グラスを叩き合わせた音が微妙に変に感じたり、クラクションが変に聞こえたり。電車の到着音は普通に変だったりする。
ダンスに関しては拍やリズムは取れる。曲の出だしも、終わりもズレない。
ノートに楽譜を書き出し、タイミングを予習をすればほぼ完璧。
ジャックと練習しまくったおかげで、苦手だった即興もなんとかコツを掴んだし、今では全く外れてはいないと思う。
歌や声は普通に聞こえるし、歌の上手い下手もちゃんと分かる。
だがその上手い歌には、『それでいいのか?』と言う酷い伴奏が付いている。
――昔はこんな風じゃなかったのに。速水は良くそう思った。
エリックは治ると言った。だから薬を飲んだのに!治らなかった。
初めは、雑音が時折混じる程度だった。元々、速水は音楽が好きだった。
小学四年、三ヶ月ほどの入院の後から一気に悪化し全ておかしくなった。
……速水は踊れくなり、ダンススクールを辞めた。
音が歪んでしまう、そういう病気はあるらしいし、これも幻聴の一種だろうと思ってあきらめていた。
「っ……ぐ……」
――がんがんと大きな、曲と呼べない、歪んだ高音、低音。全くかみ合わないクソッタレなハーモニーが続いている。
幼児か何かが、自分は出来ると言ってめちゃくちゃに弾いたみたいだ。一人や二人じゃない。百人、千人――?
……気分が悪い……。
頭が痛い……。めまいがする。耳がずきずき痛む。吐きそうだ。
ひどい音って暴力だよな。
速水には今流行っている曲がどんなメロディーなのか、何故流行っているのか、本当に良い曲なのか。
これが曲なのか。それも、もう分からない。
その状態が十分以上続き、十五分経った頃には速水はグッタリし始めた。
「……うるさい!ボリュームを下げろ」
何度も言ったが、大音量でひたすら続く。気が狂いそうだ。
そして、どうやらこれは『マイナスの曲』だ。とても嫌な気分になってくる。
急に世界が回り、速水は意識を失った。
「――おいちょっと音がでかい!こんなにでかくなくていい!」
えっ?と速水は思った。
今の声は誰だ?
速水ははっとして、意識を取り戻した。
……今のは俺か?
気絶していたのかもしれない。うわごとだったのだろう。
「おい!なんでこんなの聞かせるんだ?酷い音だ……!」
速水は言った。若干ボリュームが小さくなっている。
それでも、気分は最悪で、嫌になってきた。
……嫌だ、嫌なんだ。
……もうこんな酷い音、聞きたくない。頼むから。やめてくれ。
……まともな曲を返してくれ。
何年もずっと。幾度も思っていた事を繰り返す。
――でないと、踊れない。
「頼む、やめろ……」
「そろそろか」
白衣を着た、研究員の一人が言った。
研究員が速水の右腕を消毒し、腕を押さえ、注射した。
速水は一瞬、身じろぎをした。
「このまま維持して、薬を投与。慎重に」
「椅子を倒すぞ」
ゆっくりと椅子が倒される。研究員は速水の左腕を消毒し、静脈留置針を刺して、血管内にカテーテルを挿入後、点滴のチューブに接続。点滴チューブのつまみを調整し、時間をかけ、少しずつ安定剤を投与する。
――速水はぐったりとしている。
速水は一度気絶して、意識を取り戻した。その時の脳派はジグザグに揺れていた。
今の波形を見る。順調だ。
一瞬シャドーが現れたが……他の数値を見ても、今はサク・ハヤミがメインになっている。
ゆっくりと数値の変化を見守りながら、頃合いを見計らって、別のパックを接続し、投薬を開始する。直後にグラフが大きく弧を描く。誰もが息を潜め、言葉を発しない。
その後、点滴チューブの投薬部分に一本目の濃縮薬を注射をする。
じりじりしながら辛抱強く待つと、画面の振れ幅が小さくなり、微弱なまま安定する。
ここで二本目の投与に入る。二本目は一本目の注射器よりもさらに細く、投薬量も少ない。
テーブルには同じ物があと五本用意されていた。
程なく、別の画面の数値が高くなり、そのまま維持される。他の数値も全て非常に高いレベルで並んだ。
研究員はほっと息を付いた。
「……よし、一旦止めろ。もう十分だ。間に合に合いそうだ。本当に良かった……。装置につなげ」
研究員達が、わっと、会話を始める。
「やはり。この音を使えば、シャドーは力を抑えられるようですね」
「半信半疑でしたが、こんな方法が」「実に興味深い」
速水はぴくりとも動かない。
「よし、運ぶぞ」
「慎重に移せ」
ストレッチャーが用意され、速水はそちらに移された。
「ゴールディングさん、準備が整うまでは時間がかかりますが、どうされますか?」
指示役の研究員が言った。
「どのくらいかかるんだ?」
ゴールディングが尋ねた。
指示役の研究員は作業をしていた研究員に「どうだ?三日くらいか」と尋ねた。
作業をしていた研究員がチャスの方を向く。
「ええ、それくらいはかかります。我々は交代で現状を維持します」
「やはり――だ、そうです。ですがこの様子でしたら、期日には間に合うでしょう。ノアも見て行かれます?」
「ああ」
ゴールディングは頷き、運ばれる速水や研究員と共に部屋から出て行った。