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武道を汚す者達

「てめぇ!」


 怒号をあげつつ迫る男。

 拳を振り上げ、今まさに殴りかからんとしている。

 通常の人間であれば思わず怯えてしまいそうな非日常と暴力の気配。

 しかし彼女――巴に怯えや恐怖はない。

 それ以上の怒りと苛立ちが彼女を燃え上がらせる。

 燃え上がる心中とは裏腹にその身体使いは冷静そのもの。

 彼女は余裕を持って、男の喉に竹刀の突きを叩き込んだ。


 捨て台詞を吐きつつ去っていく男。

 恨みのこもったその声を巴は右から左へと聞き流す。

 今の男は屋台村の用心棒として自分を売り込みにきた者だった。

 だが、こちらの承諾も得ないうちから金品をせびろうとするその様はもはや強請ゆすりだか強盗だか知れたものではなかった。

 しかし、けっして珍しい光景ではない。

 毎日のように屋台村には胡乱な人物が現れていた。

 強請、強盗、食い逃げ、そして用心坊売り込み・・・

 どれも一皮剥けば皆同じようなものだった。どれも力で他人をいいようにしようという下種ばかりだ。

 そういう輩を巴は竹刀片手に幾人も追い払ってきた。大抵の者は口ほどにもなく、早々に彼女の竹刀の餌食となった。

 今の男もそうだ。

 やれ戦地帰りである、やれ力には自信がある、荒くれどもに顔が利く・・・・・・

 あれこれ調子のいいことを言っていたが、こちらが断るや否や身勝手に激昂して襲い掛かってきた。

 それでせめて言うだけの実力があるのであればまだいいが、結果はご覧の通り。安い捨て台詞を残して去っていく様は口ほどにもないとしか言いようがない。それが巴を更に苛立たせた。

 しかし、最も彼女を苛立たせたのは男が放ったある一言。


「俺は武道の有段者だ。」


 その一言とその後の短慮な行動が巴を激しく苛立たせた。

 彼女は武道を愛している。

 故にそれを悪用するチンピラや武道の技を切り売りして金に換える武道屋を何より嫌っていた。




 巴の父は東京で剣道道場を営んでいた。

 大きな道場ではないが、近隣ではそれなりに名の知れた剣士で道場も盛況だった。

 彼女は幼い頃から父を慕い、そして強く尊敬していた。

 質実剛健、厳しくも優しく、多くの人に正しい剣と心を教える心身共に強い父は彼女の誇りだった。

 自分は女だがいつかは父のような人間になりたい・・・そんな思いが彼女に竹刀を握らせ、厳しい稽古にも耐えさせてきた。

 父もひたむきに稽古に励む娘を厳しいながらも暖かく見守り、自慢の娘として惜しみない愛情を注いでいた。

 父は子を愛し、子は父を愛し敬う。

 それは理想の親子関係と言えたかもしれない。

 しかし、戦争がその暖かなな親子を引き裂いた。

 戦争は彼女から両親を奪い、彼女1人を残した。

 そしてその後、唯一の親戚で子供のいない叔父夫婦に引き取られた。

 肉親を2人とも失ったのだ。悲しくないわけがない。辛くないわけがない。

 しかし彼女はくじけなかった。

 尊敬する父の娘を名乗るならば、こんな時にこそ強くあらねばならない。

 そんな思いが彼女の心を支えた。

 そして叔父夫婦はそんな巴を気遣い、実の娘のように可愛がった。

 いつしか巴と叔父夫婦は本当の家族となっていた。


 戦後、屋台を始めることを提案したのは叔父だった。

 叔父は身体こそ強くないが、器用で人付き合いが上手い。

 ほうぼうの伝を辿り、終戦から間もなく屋台の準備を整えることができた。


 戦争により多くのものを失った。しかし、これからもう一度、一から頑張っていこう。


 一家はそんな思いと未来への希望を抱いて屋台を始めた。

 食い物屋には需要があり、商売はなかなかに順調に進んだ。

 しかし程なく、それを邪魔する者達が現れた。

 一家の稼ぎを狙う悪党達である。

 戦後の治安の悪さは人の心を荒廃させ、良識や常識というものを至極軽くした。

 脅しや力に物を言わせて屋台を襲おうという者はそれこそ虫の如く大量に現れた。

 そういった暴挙に及ぶものは決まって自分の腕っ節に自信を持つ者だった。

 腕っ節への自信と反比例するかのように、他者を思いやることをしないその心は獣の如くあさましかった。

 しかし、そんな中で最も巴の心に衝撃を与えたのは自称武道経験者達だった。

 彼らはしきりに言う。

 自分は柔道の黒帯である。剣道何段である・・・・・・

 己の武道暦を恥じ入る様子もなく脅し文句に織り交ぜる。ひどい者になると脅しの意味を込め、その場で棒切れを振り回す輩までいた。

 

 彼女にとっては耐え難いほどの悲しみだった。

 父の薫陶を受け歩んできたきた剣の道、武の道・・・

 同じくそれを修行している筈の者達の獣の様にあさましく醜い姿・・・・・・

 襲われること以上にその光景こそが辛かった。

 かつては彼らもひたむきに稽古に励んだ日々があった筈だ。

 武の道に従い、己の心身を清廉に磨こうとした日々があった筈だ。

 しかし、世が荒廃した今、彼らは在りし日の姿を捨て、力をひけらかすあさましき獣と成り果てた。

 

 武道とはそんなにも浅いものだったのか?

 父が歩み、その父に憧れ己も歩んできた「武道」という道のりはこれほどに薄っぺらなものだったのか?


 目の前の自称武道経験者の姿が醜ければ醜いほど、それは抜けない棘の様に巴の心を苛んだ。

 彼らの浅ましい行いを目にする度に、かつての父との思い出を汚泥に沈められるような気さえして、涙が出そうになった。

 そして、いつしか悲しみは怒りと苛立ちに置き換わった。

 気がつけば父の形見である竹刀を握り、寄り付く悪漢達を打ち倒していた。

 

 身を守る為、家族を守る為・・・

 なにより父との美しい思い出を汚泥の様な現実から守る為。

 彼女はひたすらに形見の竹刀を振るい、押し寄せる悪漢達を打ち倒した。

 やがて『うどん屋御前』の名と共に彼女の武勇は広がった。

 庇護を求めていくつもの屋台が寄り添うようになり、ついには屋台村と呼べる規模まで彼女達の集団は成長した。

 屋台は更に活気を増し、彼女もまた看板娘として懸命に働いた。

 彼女の愛らしい笑顔と店主の目を盗んでの密かなサービスは幾人ものお客を引き付けた。


 彼女は笑顔を振りまき今日も働く。

 しかし、屋台の隅から形見の竹刀が姿を消すことはない。

 家族と屋台を守る為、そして彼女の中の荒ぶる気持ちを吐きだすように、今日も彼女の竹刀は唸りを上げていた。

 

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