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試合を終えて

 芳樹と相手ボクサーとの試合はたっぷり4ラウンドまで続いた。

 豪腕を振り回す相手ボクサーと突出したスピードを見せる芳樹。その試合は確かに白熱・・・・したものと言えただろう。・・・芳樹の本当の実力を知らなければ。

 全ての試合が終わり、熱狂もそれと同時に鎮まっていく。

 熱狂の名残を残しながら帰っていく観客たちに混じって、鉄馬とギンも会場を後にした。

 本来ならば試合の後、一言なりとも声をかけていく予定だった。しかし、今となっては到底そんな気分にはならなかった。

 変わり果てた芳樹の姿。それを胸に、それぞれの思いを抱きつつ二人は帰路へとついたのだった。



「やっぱりおかしいよ。鉄兄てつにい。」


 そうギンが切り出したのは試合から三日後のことだった。

 今日も今日とて長屋の裏庭で稽古をしていた鉄馬にギンが声をかけたのだ。


「少し調べてみたんだけどさ・・・やっぱりあのボクシング興行はちょっと怪しいよ。」


 ギンにとってもあの試合には納得がいかなかったのだろう。彼なりに仲介屋としての人脈を頼りに興行について調べてきたようだった。

 そして調べた結果、面白いほどに埃が出てきたのだ。

 まず1つ。観客の熱狂ぶりである。これについては調べるまでもなくすぐに判明した。

 異様なほどの熱狂。その原因は「賭博」であった。試合の勝敗を巡って賭けが行われているのだ。

 賭博行為は無論法律で取り締まりの対象となっている。しかし、戦後東京の治安の悪さは今や語るまでもない。いかに国が禁止していたところで、それが機能しているはずなど当然なかった。加えて、更地同然となった東京には娯楽と呼べるものがほぼ皆無である。そんな状況であれば、観客たちのあの熱狂ぶりはむしろ納得のいく状況であるといえるだろう。

 そしてもう1つの問題は興行そのものにあった。


「あの興行・・・どう考えても発展が早すぎるんだ・・・」


 ボクシングに限らず、興行というものを起こすのは決して楽なことではない。

 集客、必要物品,場所の確保・・・・・・

 集客については娯楽、賭博を求めてくる観客が居るだろうから、まだ問題もないかもしれない。

 しかし、後者の必要物品、場所についてはそうはいかない。物を得るにも、場所を確保するにも相応の金銭が必要となる筈だ。果たして、それらを満たすことができるほどの金銭をポンと用意できるほど、この興行主は豊かだったのだろうか?答えは否だった。


「場所はそこに住んでいた人達を強引に追い出して、物品もそうとう市場で安く買い叩いたみたいだよ。勿論、その後ろ盾は・・・」


 ここまでくればもはや予想するまでもない。

 強引なその手腕を可能としたの他でもない、所属する選手・・・ボクサー達である。

 現在所属しているボクサーは全部で十数名だという。

 人数だけでも充分に恐ろしいが、その全員に拳闘の心得があるとすれば、それはちょっとしたヤクザ以上の脅威と言えるだろう。


「実際、賭博に恐喝・・・やってることはもう充分にヤクザ者なんだけどね?その上、聞いた話じゃ最近は賭博と合わせて金貸しまがいのことまでやってるらしいよ?」


 もうただのヤクザだよ。

 ギンは吐き捨てるように言う。


「鉄兄・・・まずいよ・・・そいつらがどんな風に落ちぶれようがしったこっちゃあない。でも、このままじゃヨシさんまでヤクザになっちゃうよ。どうにか引き戻さないと・・・」


「ギン」


 それまで無言だった鉄馬が口を開く。


「・・・賭博は確かに違法だ。しかしそれをやっているのは彼らだけじゃない。それにヤクザ者というのもそうだ。今の東京にはヤクザも愚連隊も腐るほどいる。俺のような用心棒だってまっとうに働く人達からすれば充分に「ヤクザ者」だ。」


 ギンはおもわず押し黙る。

 元より無表情に見えることが多い鉄馬だが、その時の言葉はいつもに増して感情を交えず、淡々と語られていたからだ。


「何より、芳樹さんは自分で選んでそこへ行ったんだ。たとえ思っていたものと違ったからと言って、周囲がとやかく言うものじゃない。」


「でも、鉄兄・・・・・・どこ行くのさ?」


 反論しようとするギンの言葉を待たず、鉄馬は背を向けて歩き出す。


「芳樹さんもその興行主も自分の仕事をしている。俺も自分の仕事・・・・をしに行くだけだ。」


 それきり振り向かず裏庭から去っていく鉄馬。

 突き放すような鉄馬の言葉に何も言えず、ギンはただ一人、長屋の裏庭で立ち尽くすのだった。






夜更け 東京 某所


「なあ、地主さん?この間の話、受けちゃあ貰えないかい?」


 夜更け、家の玄関先で粘りつくような声で話しかけているのは新東京ボクシングの興行主、田鍋であった。


「しかし、田鍋さん。やはりそれは無茶な話で・・・」


 地主と呼ばれた男は言葉を返すが、その言葉に力はない。

 それもその筈、田鍋の後ろにはすでに屈強そうな男達・・・ボクサーが数人控えていたからだ。

 それを充分に理解してだろう。田鍋は元ボクサーとは思えない程に肥大した体を反り返らせて、やれやれと首を振るう。


「一体何が無茶だって言うんだい?何も俺たちはただで土地を譲ってくれと言っているわけじゃあない。ほらこの通り金だって支払うって言っているじゃあないか?」


 そう言って目の前に金を放り出す。

 放り出された金は確かに大金である。しかしそれはあくまで普通に暮らす人々にとってだ。土地と引き換えにするにはあまりに少ない金額だった。


「そ、そんなこれじゃあいくらなんだって安過ぎる。それにあの土地にはたくさんの人が住んでいるんだ。いくら土地を持っているからってそれを勝手にするのは・・・」


 彼は戦前は農家を営み、それなりに土地を持つ地主であった。

 空襲により焼け出され、財産の大半を失ったが、その土地の権利は未だに彼のものであった。

 しかし、彼は善良であった。

 自分の土地には今、住まいを焼け出された人々が仮の住まいを築いていることを知っていた。無論、権利を盾に考えるならば、彼らがそこに住まう権利などある筈もない。だが、自分と同じく空襲で財産や家族を失い、住むところすら失ってテントやバラックで慎ましく暮らす人々を追い出すということが彼にはどうしてもできなかったのだ。


「地主さん?何甘いこと言ってんだい?あの土地はあんたの土地で、ひいてはこれからそこを買い取る俺の土地じゃあないか?なんで勝手に住み着いてる貧乏人たちに配慮しなけりゃなんないんだい?」


 一方で田鍋には人々に対する同情や共感など一切持ち合わせていない。

 土地を買い取ったあかつきには躊躇い無く、そこに住まう人達を追い出すつもりだろう。いや、既に彼の中では土地を自分のものするのは決定事項ですらあるらしい。 


「・・・田鍋さん。やっぱりあなたに土地は売れないよ。悪いが他を当たってくれないか。」


 小さいが、しかしはっきりとした言葉を返す。

 話すほどに田鍋の酷薄な内面が感じられ、とうとう地主である彼を決断に踏み切らせたのだ。

 その言葉を聞き田鍋は頭を振る。粘っこい笑みに変わりはないがその瞳がどこか冷たいものに切り替わる。


「なぁ、地主さん?そうつれないこと言わんで下さいよ?俺たちはもっと話し合うべきだ。・・・そうだあんた1人で決めかねるなら、家族にも同席して貰おうじゃあないか?奥さんと娘さんは家の中にいるんだろう?」


 田鍋は地主の肩越しに家の奥を見やる。

 地主の背を冷たい汗が伝う。

 家族の同席?話し合い?何を馬鹿な。

 この状況でその言葉を額面通りに受け取るものがいればそれはまさに大馬鹿者だろう。

 彼らを家族に引き合わせようものなら、このヤクザ者達はそれを盾にどんな無理難題を持ち出してくるか。いや、それだけではない。一体家族がどんな目に合わされることか・・・

 地主は自身の失策に気が付く。こんな家の前で彼らとの話に臨むべきではなかった。いや、そもそも彼らに自宅を知られた時点で詰んでいる。彼らは自分たちの意に沿わぬ返答をしようものなら、今後容赦無く家族に狙いをつけるだろう。


「・・・それじゃあ、まぁ立ち話もなんですからな。一つ上がらせて貰いましょうか?おいっ!テメェら・・・」


 田鍋の言葉を皮切りに取り巻きの男達が玄関に向け歩みを進める。


「おい・・・ちょっと待ってくれ!」


 必死に押しとめるが体格の良い男達の進行は到底止まらない。今にも押し切られ家に踏み入られそうな状況である。

 助けを呼ぼうにも既に日も暮れ、往来には人通りもない。仮に今が昼であったとて数人の屈強な男相手に誰が助けの手を差し伸べてくれると言うのか?

 そうしている間にも男達は地主である彼の手を振りきり家へと押し入ろうとする。

 押しとめる地主を絶望感が苛む。

 家族の顔が脳裏をよぎり、もはや要求を呑むほか無いと言葉が喉元まで出掛かり・・・


「ああ、御免。」


 場違いな言葉が男達の背後から響いた。


「夜分の訪問、誠に申し訳ない。・・・ここの家主・・・ええ、山岸さんとお見受けしましたが相違ないでしょうか?」


 男達の影に隠れ、姿は見えない。しかし、その言葉は場違いなほどに淡々と落ち着いていた。

 地主――山岸も男達も呆気に取られ思わずそちらを見やる。


「ええ。山岸は私ですが・・・」


 呆気に取られたまま、思わず返事をこぼす。


「そうでしたか。お会いできて幸いでした。」


 幸いと言いつつも彼の語調に変わりはない。まるで慣れきった事務仕事でもしているかのようにその声は平静を保っていた。

 押し寄せていた男の1人が声の主目掛けて歩み寄る。

 暴力慣れしているであろうその男は声に凄みを利かせながら相手に声を掛ける。


「・・・おい、なんだテメェは?こっちゃ取り込み中だ。話があるなら出直し・・・」


 その言葉は最後まで言いきることが叶わなかった。

 言葉の半ばで山岸の視界から男は姿を消す。

 踏み込みに合わせて声の主が足を払ったのだ。

 絶妙なタイミングで仕掛けられた足払いは、さしたる抵抗もなく男をなぎ払う。

 突如として地面に投げ出された男。その状況を正確に理解できていた者はこの場においてごく僅かであった。

 男が地面に投げ出され、代わりに声の主の姿が山岸の目に顕わになる。

 

 黒髪


 中肉中背


 飾り気のない服装


 際立った特徴がある訳ではない。しかし眉間に気難しげに刻まれた皺だけが妙に印象的な男だった。


「お話中失礼致しました。・・・重ねての無礼、誠恐縮ではありますが今夜は押し売りの為、参上致しました。・・・用心棒に御用は無いでしょうか。」


 周囲のことなどどこ吹く風と、その気難しげな男――本部 鉄馬はやはり淡々とそう言い放った。  

 

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