エピローグ 千年後
神導王国建国千年祭。
王都では一年前から準備が進められ、中央広場には建国王レオンとセリアの巨大な像が並んでいた。
軍を率い、王国の礎を築いたレオン。
制度を整え、商業と行政の基盤を作ったセリア。
二人が後世に残したものはあまりにも多い。街道、都市、法律、軍制、そして各地に残された魔物や迷宮に関する膨大な記録。その一部は千年を経た現在でも利用されている。
だが、千年という時間は長い。
建国当時の技術の多くは失われた。
とりわけ研究者を悩ませているのが、建国期に存在したとされる異常な育成技術だった。
「やはり、七十以上で間違いありません」
王立歴史研究院の地下収蔵庫。
白手袋をした研究員が、慎重に一振りの剣を台座へ戻した。
建国王レオンが使用していたとされる剣である。
「こちらも同じです。セリア王の腕輪も、必要レベルは七十」
「二人とも七十か」
老教授は腕を組んだ。
現在、王国でもっとも高いレベルに到達した者でさえ五十をわずかに超える程度である。
三十を超えれば一流。
四十なら国家を代表する戦力。
五十ともなれば、その名は国外にまで知られる。
そんな時代に、千年前の建国王二人が揃って七十を超えていた。
「当時は、現在とは比較にならないほど効率的な育成方法が存在していたのでしょう」
「例の建国期資料ですか」
「ああ」
魔物の弱点。
効率のいい狩場。
迷宮の攻略方法。
装備の組み合わせ。
特定の魔物が出現する条件。
建国初期の文献には、現在の研究成果から見ても異常なほど正確な記述が散見される。
だが、それらを誰が体系化したのかは分かっていない。
建国王セリアが残したものだという説もある。
しかし彼女自身の記録には、まるで誰かから教えられた知識を書き留めたかのような記述も多かった。
「それでも、七十までは理解できます」
若い研究員が言った。
「理解できるのか?」
「……理解できることにしないと、研究が進みません」
教授は苦笑した。
「では、あれはどうする」
二人の視線が、収蔵庫の奥へ向いた。
そこには一つの黒い箱が置かれている。
何重もの封印を解除し、警備員立ち会いのもとで開けられた箱の中には、一着の外套が収められていた。
建国期聖遺物。
正式名称不明。
使用者不明。
製作者不明。
ただし、その性能だけは現在でも調査できる。
必要レベル――百。
「……誤測定という可能性は?」
「この百年間で十一回調査されています」
「ですよね」
誰も装備できない。
それどころか、装備できそうな人間すら現れたことがない。
それでも、装備そのものは存在している。
ならば少なくとも、それを作った者たちはレベル百という領域を知っていたことになる。
「教会の伝承では、これを身につけた者がいることになっています」
「神の御使、ですか」
教授は頷いた。
神導王国には、建国当初から奇妙な伝承が残されている。
建国王レオンとセリア。
二人の背後には、もう一人の人物がいた。
魔物の弱点を知り。
誰も知らない道を知り。
誰も攻略できなかった迷宮を突破し。
二人の建国王へ数々の知識を授けた。
王位につかず、爵位も求めず、国が成立すると歴史の表舞台から姿を消した正体不明の人物。
後世、その存在はこう呼ばれるようになった。
――神の御使。
「本当にいたんでしょうか」
「さてな」
教授は外套を見つめた。
「宗教的創作だというのが、少し前までの定説だった。建国という大事業を神意と結びつけるために、後世になって創作された存在だとな」
「今は違う?」
「少なくとも、何者かがいた可能性は高くなっている」
その理由が、つい先日発見されたばかりの史料だった。
建国千年祭に合わせ、王城地下に残されていた古い史料庫の整理が行われた。
その奥から、大量の未整理文書が発見されたのである。
筆跡鑑定の結果、その一部は建国王セリア本人が記したものと確認された。
公的な記録ではない。
個人的な覚え書きに近い。
そして、その中に歴史学者たちを騒然とさせる記録があった。
天喰らい討伐記録。
建国以前、この地方を襲った国家級災害。
従来はレオンとセリアを中心とする集団によって討伐されたと考えられてきた。
だが、セリアの記録には明らかにもう一人いる。
その人物は天喰らいの攻撃を予測し、弱点を指示し、レオンとセリアへ次々と指示を出していた。
そして最後には、自ら天喰らいへ攻撃を加えている。
「これが神の御使なら、多くの矛盾が解消されます」
「同時に、新しい謎も増えるがな」
「これですね」
研究員が複製された史料を開いた。
最終局面。
天喰らいの核が露出し、正体不明の人物が最後の攻撃を行った場面。
そこに、問題の記述がある。
教授と研究員は、しばらく黙ってその文字を見つめた。
『インド人を右に』
「……インド人とは?」
「分からん」
「人、ですよね」
「そう書いてある」
「部隊名でしょうか」
「その説はすでに出ている」
教授は別の論文を取り出した。
「古代民族説、傭兵集団説、特殊兵科説。インドという失われた地名に由来するという説もある」
「右というのは?」
「右翼への配置転換だというのが軍事史研究者の主流だ」
「つまり、天喰らいとの最終局面で、神の御使がインド人なる部隊を右翼へ移動させた?」
「現時点ではな」
研究員は史料を見つめた。
「重要な指示だったんでしょうか」
「建国王セリアがわざわざ記録している。無意味な言葉とは考えにくい」
「なるほど」
翌年。
王立歴史学会で一本の論文が発表された。
『天喰らい討伐における“インド人”の軍事的役割について』
結論が出ることは、おそらく永遠にない。
それからしばらくして。
建国千年祭の特別展示が一般公開された。
会場中央にはレオンとセリアの遺品。
そのさらに奥には、例のレベル百の外套が置かれていた。
説明板には、短く記されている。
――建国期聖遺物。
――使用者不明。
――必要レベル、百。
――伝承上、「神の御使」が使用したとされる。
一人の少年が、その数字を見上げていた。
「百って、本当にいたの?」
隣にいた父親が困った顔をする。
「分からないな」
「レオン王が七十なんでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、レオン王より強かったの?」
「伝説が本当なら、そうなるな」
少年は外套を見上げた。
「神の御使って、どんな人だったの?」
父親は説明板を読んだ。
そこにも答えは書かれていない。
「それが分からないから、みんな調べてるんじゃないか」
「ふうん」
少年はあまり納得していない様子だったが、すぐ隣の展示へ走っていった。
誰も知らない。
千年前、神導王国が生まれるより前。
一人の男が何を考え、この世界を歩いていたのか。
建国期の地図には、彼の痕跡だけが残っている。
最初に安全になった街道。
開かれた鉱山。
踏破された迷宮。
討伐された魔物。
新たに結ばれた交易路。
後世の歴史家は、それらを神導王国成立の過程として研究した。
点を年代順につなげていけば、地方の一角から始まった小さな勢力が、少しずつ範囲を広げ、やがて一つの国へなっていく。
まるで、何者かに導かれたかのように。
だから人々は、神の御使と呼んだ。
けれど。
その道筋を別の見方で眺めれば、ずいぶん違ったものが見えてくる。
経験値のいい狩場。
欲しかった装備の素材。
隠されたダンジョン。
珍しいアイテム。
攻略したかったイベント。
そして、レベル百まで続いた一人の廃プレイヤーの足跡。
彼は王になりたかったわけではない。
国を作ろうとしたわけでもない。
ましてや、神の使いを名乗ったことなど一度もない。
ただ、この世界で二人の友人と出会った。
三人で旅をした。
知っていることを使い、欲しいものを取りに行き、強い敵がいれば攻略した。
困っている者がいれば、気が向けば手を貸した。
そして、その後ろでレオンとセリアが、彼の残したものを一つずつ拾い上げていった。
街道を守った。
人を集めた。
商いを整えた。
町をつないだ。
土地を治めた。
そうして最後には、国までできた。
千年後。
その国は、まだそこにある。
神導王国。
神に導かれた国。
そう呼ばれる国を作った男は、自分が誰かを導いているなどとは、最後まで思っていなかった。
彼はただ――。
せっかくだから、好き勝手に生きただけだった。




