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第三話 ハッピーエンドだね☆

 繁殖行動とは、神様が全ての生き物に与えた祝福だ。


 春が近づいてくると、冬眠から目覚めたゴブリンは森の中で繁殖行動を取り始める。そのため、この時期の僕は近所の森を毎朝散歩しながらゴブリンを駆除してまわるようにしていた。

 コツコツ作り溜めておいた誘引剤と簡素な罠を数か所に仕掛け、かかったゴブリンたちを流れ作業で処理していくだけのラクチンな作業。酷い話にも聞こえるが、これをしないと薬草から山菜まで森の恵みがほとんど食べ尽くされてしまうので、博愛的な甘い考えからは子どもの時分に卒業しなければならない。


「ただいま」


 最近の日課を終えた僕が工房に返ってくると、リビングではルナマリアがぽつんと椅子に座って、何やら考え事をしているようだった。


「ジーンさん……おかえりなさいませ」

「うん。どうした?」


 僕はルナマリアの近くに別の椅子を持ってくると、座って話を聞くことにした。


「わたくしは……ジーンさんに感謝しておりますの」

「ん? どうした急に。君の世話を頑張ってるのはリリィだし、僕自身は感謝されるようなことは何もできていないと思うけれど」


 そう答えると、ルナマリアは柔らかな笑みを浮かべた。


「そんなことはありませんよ」


 ルナマリアは椅子からすっと立ち上がると、全く目が見えないにもかかわらず、恐れることなく壁際まで歩いていく。そして、そこにあった手すりを掴んだ。


「暮らし始めてすぐに、ジーンさんは家中の廊下に手すりを設置してくださいました。おかげで、わたくしは誰の補助を受けることなくお手洗いにも行けるようになりました」

「いや、それは別に……不便そうだったから」


 彼女は「ふふふ」と可笑しそうにする。


「錬金術の研究分野は多岐に渡ると聞きました。賢者と呼ばれるジーンさんにも、分野の好き嫌いはあって……本当は魔法道具を作るのが一番好きなのですよね。それなのに、わたくしのために魔法薬の研究ばかりしていらっしゃいます」

「そんなに献身的な話じゃないさ。結局、僕はやりたい研究をやっているだけだから」


 実際、魔法道具の研究だって並行してやっているのだ。自分の興味のあることはなんでも自由に真理を探求する。そんな錬金術師の生き方からブレているつもりはない。


 ルナマリアは「あ」と思いついたように両手を合わせる。


「そうでした、錬金生物(ホムンクルス)……今、フラスコの中で育てているのは、わたくしの生活を補助するための使い魔なのでしょう? リリィさんから聞きましたよ」

「はぁ……黙ってろって言ったのに。リリィのやつ」

「ふふふ。リリィさんは『妹ができるの!』って大はしゃぎしていらっしゃいました」


 ルナマリアはニコニコと嬉しそうに笑いながら、一歩ずつ僕の方へと近づいてくる。


「毎日毎日、わたくしのために研究をして」

「……いや、主に自分の興味のためだが」

「でも、解呪の魔法薬を開発するのは、ジーンさんであっても難しいのでしょう? 以前診察してくださった他の錬金術師は、絶対に無理だと匙を投げておりました」


 ルナマリアは、話しながら床に躓いて、少しよろける。

 僕は反射的に立ち上がると、どうにか彼女を抱きとめた。


「いい加減、嫌になってしまいましたの。わたくしなんかのために、ジーンさんの貴重な時間をたくさん奪ってしまって」

「……ルナマリア?」

「だから……わたくしの呪いのことは、もう忘れていただきたいのです」


 そう言って、彼女は静かに下を向く。


「狡くて汚いルナマリアは、決して幸せを手に入れることはないでしょう。姉のような心根の綺麗な人間であったり、リリィさんのように周囲を元気づける方であったり、ベッキーさんのように勤勉であったり……そういう素敵な方々が持っているモノを、わたくしは何一つ持っておりませんもの」


 ルナマリアはとても柔らかい口調で、それでいて胸を締め付けるような声色で想いを吐き出した。


「ジーンさんの過去は存じ上げませんが……貴方は不器用だけれど底抜けに優しくて、陽だまりのように素敵な殿方です。隣にいるだけで心が暖かくなり、安らぎ、甘えたくなってしまいます。だからこそ……」


 彼女はトンと僕を押して、少しだけ距離を取った。


「その素敵な場所に……貴方の隣に、わたくしのような悪女がいるのは相応しくありませんわ。もう少し暖かくなったら、わたくしはこの工房を出ていこうと思いますの」


 僕はどう返答してよいか分からず、しばらく頭を抱えて悩んだ後、とりあえずルナマリアの手を取って「出ていかれると困るんだけど」と椅子に座らせた。続きの言葉をどうにか絞り出そうと唸っていると、彼女は「本当に不器用な人ですね」と楽しそうに呟く。


「あー、ルナマリア。少し待ってて。すぐ戻る」

「えぇ」


 僕はそのまま大急ぎで作業室まで駆けていくと、つい昨日完成したばかりの“魔法道具”を手に取り、ルナマリアの待つリビングへと戻った。もう少しちゃんと試験をしてから渡したかったんだけれど。


 僕は椅子に座る彼女の前に立つ。


「ルナマリア。顔を上げてくれるかな」

「はい」


 (まぶた)を閉じたまま顔を上げるルナマリア。

 僕はその頬に手を添えると。


……"眼鏡型の魔法道具"を装着する。


「どうかな?」


 確かに彼女の言っていた通り、やっかいな呪いを解くための魔法薬を開発するのには十年単位で時間がかかる。僕の錬金術師人生に深く関わる大テーマとして、今後もじっくり取り組んでいきたいと考えている。それはそれとしてだ。


 僕は魔法道具作りが好きなので、魔法薬とは別に、彼女の視力を補えるようなものを作れないかと考えていたのだ。


「あれ……?」


 ルナマリアはきょとんとした顔で固まる。


「あの……見え、見えてしまっているのですが」

「はぁ、よかった。失敗したかと思った」

「あの、えっと。わたくしはもう二度と目が見えないと諦めていたのですが……目が治ったわけではないのですよね? これは一体どういう理屈なのでしょうか」


 混乱しているルナマリアに、僕はなるべく噛み砕いて説明をする。


 この“魔法の眼”の肝になるのは、幻惑魔法である。

 人の感覚を騙すような魔物にはいろいろな種類がいるのだけれど……その中でも幻惑蛙(ミラージュ・フロッグ)と呼ばれる魔物は、「目を閉じていても脳内にイメージを送り込んでくる」という変わった魔法を行使するのだ。


 僕はこの蛙の魔物の素材を使い、眼鏡を作成した。

 左右のレンズを繋いでいるブリッジ部分に、周囲の光を収集する小さな水晶を取り付ける。そのすぐ下の鼻あての部分に細かい魔術回路を仕込み、光情報を幻覚情報へと変換する。最終的に左右のつるから脳にその情報を送り込む……というのが、この魔法道具のおおまかな仕組みであった。


「そんな感じなんだが……理解できたか?」

「全く。難しいということだけは伝わりましたわ」


 ルナマリアは目に涙を溜めて、口元をキュッと結んでいる。


「ルナマリア。君は……僕が言うのもなんだけど、少々決めつけが過ぎるんじゃないだろうか。二度と目が見えないとか、自分が悪女だとか、幸せになれないとかさ」

「……そ、それは」

「口調は丁寧なのにめちゃくちゃ頑固で、自分が一度決めたことは頑として曲げないし……かと思ったら、すぐに僕の男心をからかって手のひらで転がして遊ぶし。君はとても面倒くさい女の子だと思うんだけど」

「も……申し訳ありません」


 僕はしゅんとするルナマリアの両頬を包むようにして持ち上げる。


「まぁでも、僕はそんなルナマリアが……目的のために一心不乱になって、狡賢いことを考えてしまうような君が……好きになってしまったわけで」

「……え?」

「だから、君を好きだと言ったんだが」


 ルナマリアは再び動揺したように唇を震わせたが、やがて小さくため息を吐いて、何かを決意したように僕の顔を()()


「ジーンさんはそんな顔をされていたのですね」

「……イケメンじゃなくて幻滅したか?」

「十分整っておりますわ。まぁ、わたくしが焼き殺した第二王子ほどではありませんが。ふふ」


 怖いことを言うなぁ。

 そう思っている僕の両頬を、彼女の手が包む。


「よろしいのですか?」

「ん? 何が?」

「わたくし、この通り性格がすこぶる悪くてよ。欲しいものは手段を選ばず、狡猾に手に入れる女ですの。ライバルなんか平気な顔で蹴落とします。独占欲もそれなりにありますので、愛人を作るだなんて絶対に許しません。そんな、わたくしが」


 そう言いながら、ルナマリアは両腕を僕の首に回すと、強い力で抱きついてきた。そして、その薔薇のような唇を僕の耳元に寄せる。


「いいの? 幸せになっても」

「もちろん。ダメなわけあるか」


 それは、神様が全ての生き物に与えた祝福である。

 僕とルナマリアはお互いの唇を奪い合うようにして、湧き上がる衝動に身を委ねながら、ただ幸せに脈打つ心臓の音を重ねていったのだった。


   *   *   *


「……という感じだったんだよぅ」


 ふぅ、と息を吐くリリィ。

 その対面では、いつもの無表情を保ったままのベッキーが、フォークを使ってグサグサとシフォンケーキを処刑していた。当初はふわふわでホイップクリームまでたっぷり乗っていたのに、今や見るも無惨な姿に変わり果てている。


「なるほど……連れ込んだ美少女についに手を出したと」

「ギリギリで十八歳になってたからセーフじゃない?」

有罪(ギルティ)です。私に“素敵だ”とか言ってたくせに」


 やけっぱちになってシフォンケーキの死体を口に運ぶベッキーを眺めながら、リリィは苦笑いを浮かべた。実際、(たが)が外れたような二人のラブラブっぷりに、あの日はさんざんな目に遭ったのだ。


――事件当日の朝。


 目が覚めたリリィがリビングに向かうと、そこには朝っぱらからピンク色の空間が出来上がっていた。足を踏み入れるのを躊躇った彼女は、とりあえずひたすらキッチンでパンを焼くことにしたのだ。


 そうしたら、タイミング悪く錬金術師協会からベッキーが訪問してきたので、これは修羅場だヤバいヤバいと彼女を足止めするため右往左往。

 ようやく落ち着いたと思ったら、野菜の配達員が到着して木箱をドンと置いていく。いつもは持てないような重い荷物を根性だけでなんとかキッチンに運び入れて疲労困憊。

 そうこうしているうちにフラスコから新しい錬金生物(ホムンクルス)が生まれてきたので、妹分への自己紹介もそこそこに「マスターたちは今取り込み中だから」という話を、人間の生殖行動の仕組みに関する説明と合わせて小一時間。


『あ、リリィ……起きてたんだ。おはよう』


 夕方にそんなトンチンカンな発言をしただけで誤魔化し通せると思っている馬鹿マスターにイラッとして、あの日の夕飯のメニューは大量に焼いたパンのみとなった。


「リリィ様、すごい顔になっていますよ?」

「大丈夫。マスターの幸せこそが使い魔の幸せだから、そこんところは別にいいんだけどさぁ。イチャイチャするにしても、もうちょっと軽い感じを想定してたんだよぅ」

「……そんなに濃い絡みだったのですね」


 あれから半年が過ぎたが、ジーンの作った“魔法の眼”は、国を飛び越えてあっという間に世界中に広まり、様々な事情で視覚に問題を抱えている人々がこぞって買い求めることになった。

 また、ジーンは技術を独占せずに全て公開した上、錬金術師協会も幻惑蛙(ミラージュ・フロッグ)を各地の支部で大量に育成することになった。結果的に賢者の名声はぐんと高まったと言えるだろう。


「めでたしめでたし。ハッピーエンドだね☆」

「でも……リリィ様もジーン様を好きなのでしょう?」

「もう。それを言うのは野暮ってもんよ」


 リリィは、ジーンのことが心から大好きである。


 彼女の最も古い記憶は、まだジーンの使い魔になる前……以前彼女を所有していたマスターから意図的に魔力供給を制限され、路地裏に打ち捨てられていた時のものだ。

 錬金生物(ホムンクルス)にとってマスターからの魔力供給は呼吸のようなもので、これを制限されると拷問のような苦しみを味わうことになる。もう記憶には残っていないけれど、以前のマスターはそうとう酷い人物だったのだろう。


『大丈夫か? 君、マスターは?』


 その日は雨が降っていて、彼女はドロドロだった。それなのに、ジーンは服が汚れるのも厭わず彼女を抱き上げると、自分の錬金工房へと連れ帰ったのだ。

 工房の中はゴミで溢れていて、この人は生活力がないんだなぁと少し笑ってしまったのを覚えている。そして、とても孤独に生きている人なんだなと思ったことも。


『僕にできることは……君を素材に新たな錬金生物(ホムンクルス)へと作り変えることだけなんだ』


 そんなに辛そうな顔をしなくてもいいのに。もっと酷いことを散々されてきたのだから、錬金素材にされることくらい何てことはない。彼女がそう言うと、ジーンはもっと辛そうな顔をする。一体どう答えるのが正解だったのか、彼女には分からなかった。


錬金生物(ホムンクルス)は生まれ変わる時に……一つだけ、記憶を持ち越すことができる。食べ物の好き嫌いはあるか? 何か趣味のようなものはあるか? 何でもいい。君が君であるために、必要なことを一つだけ、強く思いながらこのフラスコに入るんだ』


 そう言われた彼女は、ジーンから指示された通りに一つだけ、彼女の短い生涯の中で一番輝いている素敵な記憶を持ち越すことにした。


――雨の中、必死の顔で私を運んでくれた、この人の記憶。


 そうやって、ジーンのこと以外を全て忘れて生まれ直したリリィは、彼の役に立てるのが嬉しくて仕方がない。心から愛してやまないマスターの幸せを、自分のことのように喜ぶのだ。


「いいんだよぅ。どうせマスターが死ぬ時には、魔力供給をプツッと絶たれて私も一緒のお墓に入るんだから」

「……ジーン様ならそのあたりも事前に解決しそうですが」

「えっ、ダメだよ! それはルール違反だよぅ、私はマスターと一緒に死んでお墓に入るのー!!!」


 プンスカと怒るリリィの物騒な発言を聞きながら、ベッキーは静かに自分の失恋を受け入れる。


 きっとジーンのような面倒くさい男の隣には、リリィやルナマリアのような面倒くさい女しか立てないのだろう。自分のような全く面倒くさくない女は、せいぜい彼の下着を盗んで満足したり、出かける彼を尾行して偶然を装って話しかけたりする程度が等身大の幸せなのだ、と。


 そうやって、不穏なワードが飛び交う女子会の時間は、楽しく過ぎていったのだった。


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