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ナイショの夜

 小雪も一旦落ち着いたせいで、この状況を改めて見つめ直したらしい。

 ふたりともなんとなく口を閉ざしてしまって、沈黙が落ちる。


 居心地が悪くなるタイプの沈黙ではなく、むず痒くなるタイプのものだ。クーラーが効いた室内だというのに、なんだか顔が火照って仕方ない。


「えーっと……」


 その空気に耐えかねて、直哉はおずおずと手を挙げる。


「泊めてもらうついでに、シャワーだけでも借りてもいいかな……? 済ませる前だったからさ」

「え、ええ。もちろんいいわよ、タオルとか好きに使ってね、ごゆっくり」

「ああ。ありがとな」


 ぎこちなくうなずく小雪に笑いかけ、直哉はバスルームへと向かった。

 初めて遊びに来たとき、間取りを見せてもらったとき以来の場所だ。


 脱衣所に一歩足を踏み入れてぐるりと見回す。先ほど家主が使ったばかりだからか、まだ湿気が残っていた。化粧水も出しっぱなしで洗面所に放置されている。


 甘い匂いが立ちこめて、クラクラしそうだ。

 その上に――。


「まあそりゃ、脱ぎたてがあるよな……」


 脱衣カゴの中には小雪の衣服が詰め込まれていた。

 今日着ていたシャツとホットパンツ、そして下着類だ。


 先ほど洗濯ハンガーは片付けてもらったが、こちらまで気が回らなかったらしい。

 ピンクのひと揃いをなるべく見ないようにして服を脱いだが、意識すればするほど視界に飛び込んでくるのは何なのか。ブラジャーのカップ数も分かっているのに、実際その大きさを自分の目で確かめるとクるものがあった。


 そんな煩悩を消し去るべく、広いバスルームで温かいシャワーを浴びる。

 べとついた汗が流れていってようやく人心地ついた。


「ふう、さっぱりした……うん?」


 小さく吐息をこぼした矢先、シャンプーなどが置かれた一角が目に入る。

 そこに当然のようにカミソリとシェービングクリームのセットが置かれているのを見て、おもわずドキッとした。先ほど使ったばかりらしい。


 女性にはムダ毛が生えない……なんて幻想を抱いていたわけではない。

 夏場だから、小雪が特に気を使って処理していることも当然知っていた。


 だがしかし実際この目でそういうものを見てしまうと、現場を想像してしまうのが人の性というもの。


 クリームを塗りたくる小雪。

 鏡で自分の体を隅々までチェックする小雪。

 最近また育った胸の大きさを確認する小雪。


 いろんな裸の小雪が、やけにくっきりと脳内で再生されて――。


「鎮まれ、俺の煩悩……!」


 今度は頭から冷水を被った。

 おかげで膨らみかけた邪念が、ほんのわずかに消え去った。とはいえ大部分は直哉の内に残ったままだ。大きなため息を吐いてもモヤモヤした気持ちは誤魔化しきれない。


「いざ同棲したら、こういうのにもすぐに慣れるのかな……それまではめちゃくちゃキツそうだな……」


 ぐったりしつつも、長風呂している暇はなかった。

 水を浴びたあとはすぐに脱衣所に戻った。そのまま手早く体を拭いて服を着る。立つ鳥跡を濁さずで、床に水滴が残らないようにも気を払った。


 そうして脱衣所のドアを開ければ――。

 がちゃっ。


「ふぇっ!?」


 小雪の小さな声が、すぐそばから聞こえてくる。

 見ればドアのすぐそばで小雪が体育座りしていた。動画を見ていたらしく、手にしたスマホ画面には毛繕いする猫が映し出されている。どこかすなぎもに似た長毛の白猫だ。


 小雪は目を瞬かせて直哉を見上げる。


「びっくりしたあ……こんなに早いなんて思わなかったわ」

「いや、そこで待たせとくのも悪いと思ったからさ」

「うぐっ……ば、バレてたのね」


 さっと目を逸らしつつ、ぼそぼそと言う。


「さっきの影が見間違いだったって分かっても、怖いものは怖いんだもの。だったら近くで待ってようかと思って……」

「テレビでも見てればよかったのに。音があれば少しは気が紛れるだろ」

「それもそれで怖いじゃない……! テレビからお化けが出てきたらどうするのよ!」

「はあ……スマホはいいのか? テレビと似たようなものだろ」

「平気よ。ここから出てくるサイズのお化けなら、私ひとりでもやっつけられそうだし」


 小雪は硬い面持ちでそう断言した。

 けっしてジョークなどではなく、本気で検討して出した結果がそれらしい。


 その変な真面目さに直哉は思わず噴き出してしまう。風呂場で抱いた邪念はきれいさっぱり消え去って、あとにはほのぼのした温かさだけが心に残った。


 そう考えてみれば、今の小雪は飼い主の帰りを待つ小型犬を思わせる。

 おもわず相好を崩してその頭を撫でてしまう。


「よーしよしよし。いい子に待てて偉いなあ、小雪は」

「ぐぐぐ……全力でぶん殴りたい……」


 小雪は真っ赤な顔でぷるぷると震えるばかりだった。

 ワガママを言って泊まってもらう手前、強く出られないらしい。

 それでも直哉の手をばしっと振り払って、ぷいっとそっぽを向いて立ち上がる。


「あなた、自分の役目を忘れてない? 私が怖い思いをしないように努めることなんだからね。子供扱いすることじゃないのよ」

「もちろん分かってるよ。ちょっと気晴らしでもするか? 一緒に動画を見るとかさ」

「動画……?」


 小雪は手元のスマホに目を落とし、それからふふんと嬉しそうに笑う。


「直哉くんにしてはいい案ね。そこまで言うなら仕方ないわ、私のお気に入りを紹介してあげちゃうんだから!」

「わあ、それは楽しみだなあ」


 意気込む小雪に、直哉は棒読み気味の歓声を上げた。

 お達しの通り、恐怖心を薄らげることにはひとまず成功したらしい。


(俺もこのままじゃ悶々とするばかりだし……気分転換は必要だよな)


 そういうわけで、今度はソファに並んで動画鑑賞となった。

 三人掛けのゆったりした一脚で、本革張りである。そんな高級ソファーに腰掛けて、小雪はあれこれと先ほどまで見ていた動画を紹介してくる。


 やはりすべて猫動画で、すなぎもに似た猫が非常に多かった。

 愛猫と離れて暮らすのは初めてなので、あのもふもふが恋しいらしい。月に一回は実家に帰っているというのに、それでも欠乏症は深刻なようだ。


(今度のデートは猫カフェとか動物園に誘ってみようかなあ……)


 直哉はそんなことをぼんやり考える。

 やや現実逃避気味なのは仕方ない。

 すぐ隣に小雪がいて、無邪気な笑みを向けてくるからだ。


「ほら、次のお気に入りはこの子よ。目付きが凶悪でとっても可愛いの!」

「あ、ああ。うん、そうだな、可愛いな」


 直哉はぎこちなくうなずくしかない。


(近いし、いい匂いがする……)


 おまけにシャツの襟首からは無防備なブラ紐が覗いていた。

 直哉の家に飛び込んできたときはノーブラだったが、あとで気付いて慌てて着替えたらしい。その気遣いは非常にありがたいのだが、やっぱり刺激的なのには変わりがない。


 先ほど脱毛セットを見てしまったせいかい余計に気になった。

 一度想像した小雪の裸が、また脳内に蘇る。シチュエーションはなぜか風呂場だ。白く霞んだ湯気の向こうで、しなやかな肢体が手招きする。


 直哉は素数を数えて耐えていたのだが――。


「それでね、こっちの子は――」

「うわっ!?」

「へ?」


 小雪がさらに顔を近付いてきて、むき出しの二の腕がぴとっと触れた。

 その瞬間、平常心はガラガラと崩壊した。直哉は声を上げてソファの隅まで退避する。

 しばし小雪はぽかんとしていたが、すぐにムッとしたように目を吊り上げた。


「なんで遠ざかるのよ。彼女に失礼じゃなくって?」

「い、いやその、汗臭いと思われないかなって……」

「さっきシャワーを浴びたところでしょ。何言ってるのよ」

「……その通りだと思います」


 ヘタな言い訳に、小雪はますますジト目を向けてくる。

 これ以上取り繕えば爆発は免れまい。直哉は顔を覆って、素直に打ち明ける。


「ちょっとその……刺激が強いといいますか……」

「ふーん?」


 小雪は少し目を丸くして、こてんと小首をかしげる。

 虚を突かれたようなその反応も一瞬のことだった。ぽかんとした顔にじわじわと笑みが浮かび、いたずらっぽく目尻が下がる。


「なあに、いつもより素直じゃない。直哉くんはこういうのがダメなんだ」

「ちょっ、小雪さん!? 待ってくれませんかね!?」


 笑顔を浮かべたまま、小雪は直哉に迫ってくる。

 ソファの肘掛けに退路を阻まれて、あっという間にゼロ距離だ。真っ赤な顔で固まる直哉のことを覗き込み、小雪はわしゃわしゃと頭を撫でてくる。


「あらあら、赤くなっちゃって可愛いわねー。よーしよしよし」

「ぐぐぐ……!」


 先ほど頭を撫でたのを、ちゃっかり根に持っていたようだ。

 思わぬ意趣返しに、率直に言ってクラクラした。これ以上はマズい。


「この……だからダメだって言ってるだろ!」

「きゃっ!?」


 思わず強く押し返してしまう。

 軽い体はあっさりと向こうに倒れ込み、それに引っ張られる形で直哉もバランスを崩した。


 結果――ソファの上で小雪を押し倒す形になる。


「……」

「……」


 そのままの姿勢で見つめ合い、真っ赤な顔で黙り込み、たっぷりの沈黙が落ちた。

続きは明日更新。

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― 新着の感想 ―
[一言] わっふるわっふる
[良い点] もうやめて!直哉の理性はほとんど0よw ということで次はノクタいきになりますw 意外にヘタレだからそうならんだろうがw [一言] 天然トラップはさすがに察するのは無理だったかw
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