夏の忘れ物
楽しい夏休みも残りわずかという、八月の中頃。
直哉は小雪を伴って、駅前の喫茶店で向かい合っていた。
和風のメニューが人気の店で、かき氷や冷たいあんみつなどがお勧めメニューに上がっている。
フルーツたっぷりのクリームあんみつをひとさじ口にして、小雪はつんっと澄まして言う。
「うん、悪くないわね」
「『すっごく美味しい! ここ雑誌で見たときから気になってたのよね……!』って? それなら誘ってよかったよ」
「聞こえませんー。美味しいものを食べてる私は無敵なんだから」
いつもの翻訳をさらっと流し――それでも目はしっかり泳いでいた――小雪はあんみつをせっせと口へ運ぶ。
ともあれ美味しいことは認めたらしい。
二口、三口と食べ進めるにつれて『キリッ』としたはずの顔が次第に『へにゃっ』とゆるんでいく。
そんな彼女の変化を、直哉はいつまでだって眺めていたかった。
しかし、今日はそういうわけにもいかない。
小雪をわざわざこんなところに誘い出したのは、デート以外にもう一つ重大な理由があった。
かき氷を口へと運びつつ、直哉は何食わぬ顔で切り出す。
「それより小雪、もうそろそろ夏休みも終わっちゃうなあ」
「えっ?」
それが予期せぬ話題だったのか、小雪は目を瞬かせてみせた。
スプーンを置いて、残りの日数を指折り数え――しょぼんと肩を落とす。
「ほんとだわ……あっという間だったから全然気付かなかった」
「今年の夏はいろいろあったもんなあ」
笹原家と白金家の合同家族旅行に始まり、結衣の妹を預かったり、ほかにも一緒に映画を見に行ったり、博物館の特別展をのぞいたり――とにかくふたりで、いろんな夏の思い出を作った。
それを小雪も振り返っているのか、どこか遠くを見るように目を細めてみせる。
「そうね、これまでだったら夏なんて家族旅行くらいしかイベントがなかったから……すっごく楽しかったわ」
噛みしめるようにうなずいて、ほうっと吐息をこぼす。
そうして直哉の顔をのぞき込み、照れたようにはにかんだ。
「ほんとうにありがとうね、直哉くん。おかげで今年は素敵な夏になったわ」
「ああうん、どういたしまして。でも、俺が言いたいのはそういうことじゃなくってだな……」
素直じゃない彼女の、素直な本音。
なかなかグッとくるシチュエーションではあったが、直哉は頬をかいて苦笑するしかない。
小雪はきょとんと首をひねる。
「そういうことじゃないって、それじゃあいったい何なのよ」
「ああ、いや。小雪、夏休みに関して何か忘れてることとかないかな?」
「忘れてること?」
小雪は目を白黒させてから、顎を撫でて考え込む。
「うーん……夏休み中に約束してたイベントはだいたいクリアできたと思うんだけど……ほかに何かあったかしら?」
「あるある。めちゃくちゃ大事なこと」
「えええ……うーん、うーーーん……ダメだわ。全然思い出せない」
「だろうなあ。夏休みが楽しすぎて、完全に頭から消し去ってるって感じだし」
それだけ直哉と過ごす夏休みを満喫してくれたということだ。
そのこと自体は嬉しいのだが――残念ながら、もう時間の猶予はない。
直哉は深い息を吐き出してから、そのひどく残酷な事実を突きつける。
「小雪……夏休みの宿題、終わってないだろ?」
「………………しゅくだい?」
今初めて聞いた単語だとばかりに、小雪はオウム返しをする。
しかし、瞬く間にその顔色が真っ青に変化する。とうとう小雪は頭を抱えて軽く叫んでしまう。
「ああああああああ!? 宿題! か、完全に忘れてた……!」
「やっぱりなあ」
そんな彼女を、直哉は生暖かい目で見つめるしかない。
まったく進んでいないことも、完全に忘れてしまっていることも当然ずっと気付いていた。
そう言うと、小雪は涙で潤んだ目をキッとつり上げて直哉を睨む。
「気付いてたなら、なんでもっと早く教えてくれなかったのよ!?」
「いや、水を差したくなくて……」
小雪はこの夏を全身全霊で楽しんでいた。
それが一番分かるから、辛い現実を突きつけるのを躊躇したのだ。
「それに、小雪の実力ならこれだけの日数でも余裕片付けられるだろ」
「そうかもしれないけど……! そうなったら、残りの日で直哉くんと遊べないじゃない!」
小雪はこの世の終わりが来たとばかりに、惚気めいた悲鳴を上げる。
そうして顔を覆ってがっくりとうなだれてしまうのだ。
「ううう……毎年ほかにやることもないから、最初の一週間とかで終わらせちゃうのよ……! だから今年は完全に忘れていたわ……!」
「最悪サボるって手もあるけどな」
「出来るわけないでしょ! 学年成績一位っていう輝かしい王座は私だけのものなんだから!」
「うん。小雪負けず嫌いだもんなあ」
そういうわけで、この反応も予想済みだ。
直哉の本題はまた別のところにある。
打ちひしがれる彼女の顔をのぞき込み、直哉はにっこり笑って提案した。
「だから、明日から俺と一緒に勉強しないか?」
「へ……」
「俺もまだ少し残ってるからさ。小雪が一緒だと教えてもらえるし」
「そ、それってつまり……」
小雪はごくりと喉を鳴らし、かすれた声で言う。
「勉強会、ってこと……?」
「そう。おまけにふたりっきりで」
一応、結衣や巽、恵美佳や竜太にそれとなく宿題の進捗を聞いてみた結果、全員ほぼほぼ終わっていた。そういうわけで誘える相手もほかにはおらず――。
「この時期は図書館も混んでるだろうし……お互いの家に集まって勉強しよう。それなら宿題も進むし、会えるし、一石二鳥だろ」
「ふ、ふうん。直哉くんにしては考えたものね」
小雪は口元をにやつかせながらも、クールに返す。
これまで何度か直哉も勉強を教えてもらったことがあるものの、学校の教室や図書館が主だった。
ぼっち歴が長い小雪にとっては『勉強会』単語の響きもグッとくるだろうし、互いの部屋に行く理由ができたとなるとますます心が躍るらしい。
ワクワクを隠しきれないまま、髪をふぁさーっとかき上げて澄ました調子で言う。
「そういうことならいいでしょう。直哉くんの勉強を見てあげようじゃないの。せいぜい私の足を引っ張らないでちょうだいよね」
「あ、ちなみに俺は九割方終わってるんで」
「ずるい! ずっと一緒に遊んでたのに!」
小雪は半泣きで抗議した。
こうして勉強会ならぬ、おうちデートの幕が開けたのだった。
続きはまた今月中には……!
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