37 悪意の代償
「ジェシカ。君を紹介したい」
ベル様の学友だと言う彼らの中に一人だけいる女性に目が行く。優美に優雅に微笑んでいるが、明らかに――。
「ご機嫌麗しゅう、聖女様」
初めまして、と自己紹介した彼女は国内でも有力貴族のご令嬢。公爵家の方だ。
目が笑っていない理由に納得した。聖女の事が無ければ、第一王子の婚約者候補筆頭だっただろう彼女。そして、殿下と同年代であったというだけで、聖女候補生になれなかったからだ。
選定の儀までの3年間に20を迎え成人してしまう少女は、候補生にはなれない。正直この決まりもどうかと思うのだ。
天が、神が選ぶ聖女に何か明確なものがあるのかは知らない。私の代では『乙女ゲーム』の舞台であったからあまり疑問には思わなかっただけで、彼女、それに該当する少女たちはどう思っていたのか。
仄暗い翡翠色の瞳を私に向ける彼女が、その心境を代表しているようにも見える。
ベルディウス殿下と同級。地位的にも一番近いと認識されていただろう女性。私が知らない彼の時間を知っている。
だというのに、妙な気は湧かない。
ロミに対して抱いたような、じりじりと神経が蝕まれるような嫉妬をこの女性には何故か感じないのだ。
やはりヒロインは異質で、私にとって良くも悪くも別格だったのだと思い知らされただけだ。
名乗る男性たちは友好的な人が多く、むしろベル様をからかいながらも婚約者が出来た事を喜ぶような人たちだ。
「お話に聞いていたよりもずっと……子供のような方ですのね」
鈍く輝いた翡翠色を細めて、口元に手を当てて私をねめつけるのは。『ラウラ・グリュッセル』公爵令嬢。
彼女に呼応するかのように続く男性が数人。
「そ、うだね……殿下と並んだらちょっと幼く見える、かな」
「随分背伸びしたんですね。そのドレスは美しいですよ」
彼らの中でも反応は様々なようだ。
なんだか、一周回って面白くなってきた。『幼く見える』など初めて言われた。少し嬉しい。
思いっきり顔を緩めてしまいそうになるのを気合で堪えて、未だ沈黙を保つベル様を見上げた。
彼は。
――とてもいい笑顔をしていた。ああ、これは、相当お怒りだ。
『存分にやれ』
そんな声が聞こえたのは幻聴ではないかもしれない。私もふっと笑みを見せて頷いた。
聖女としての力を使わず、私を支持するベル様と王族方の手も借りず、持てる情報で何とかしよう。そして聖女としての立場を示しながら。
ベル様の笑顔を見た彼らの反応は面白い程に極端だった。
顔を引きつらせて当事者にならないよう後退し様子を窺う者。目に入っていないのか気にしていない者。
それから。
「殿下。ふふ、懐かしい事を思い出してしまいましたわ。学園にいた頃、殿下に馴れ馴れしく近づく男爵家の……」
笑顔の意味が分からない者。
ラウラ・グリュッセルという人物については私も少し知っている。
理知的で思慮深い。ベルディウス殿下に次いで優秀な成績で学園を卒業したという社交界の華――らしいが。
どうもその評判と目の前の人物とは乖離が酷いような。
多分、淑女の仮面すらも被れない程に感情が溢れてしまったのだ。彼女は求婚も家を通しての縁談も断り続けているらしい。ベルディウス殿下をずっと想っているのだ。
と、好意的に解釈はするが、彼女はやらかしてしまった。
もし、これが私を試すための狂言だとしたらその演技力に舌を巻くところだが。残念な事に、彼女のその目に宿った確かな悪意はしっかりと受け取らせてもらった。
ラウラ嬢と一部の男性たちは私たち、というかベル様を囲んで『懐かしい』話題を次々繰り出している。
よくある手だ。のけ者にしたい人物が話についていけないように、知らない話題をし続ける。疎外感を与える方法。
ベル様はその間一切口を開いていない。私も淑女らしく笑みを作っていた。
(これ……私への試練、とかじゃないわよね)
と、『まさか』を考えてしまった。
ベル様が意図して私がどう動くか見たいがために、とか。遠くから静かに様子を見ている陛下方からの課題だったり、などだ。それほどまでに彼女たちの非常識は目に余る。
この集まりが例えば、ただの夜会なら一切彼女たちに問題はない。しかしラウラ嬢たちはこの夜会が何のために開催されたのか忘れている。
周りを見ると、既に殿下の学友たちは大半が遠巻きに様子を見ていて、今私たちと向かい合っているのはラウラ嬢と二人の令息だけだった。
「ふふ、色んな事がありましたわね……」
彼女のその一言を境におしゃべりは止まった。
ただじっと笑んだまま動かない王子殿下とその婚約者。その様子に令息二人は目を泳がせた。
「もう、終わりですの?」
私がそう囁くと口を開くが声を出さない彼ら。
「わたくし、どうやら会場を間違えてしまったようで……お恥ずかしい限りですわ。まさか……ベルディウス様の同窓会に紛れ込んでしまうなんて」
鏡の前で頑張って習得した『頬を染める』技を、まさかここで実演する事になろうとは。
はっとしてようやく周りを見るラウラ嬢越しに、先程挨拶にみえた――顔が強張っているグリュッセル公爵と、その近くにいるトーマが死にそうな顔をして立っているのが見えた。
相変わらずトーマは報われない苦労人キャラだな、などと場違いに心配したりした。
というかさっきから殺気、いや。
先程から私への視線と、彼女たちへの隠し漏れた殺気が気になって仕方がない。何処から漏れたのかなど悟らせず、しかし牽制のために存在を匂わせる。何とも洗練された――影の仕事だ。
(イザーク……どういうつもり)
彼の事は後で片をつけるとして。
私は手のひらをラウラ嬢に差し出して、続きを促した。
「口を挟んで申し訳ありません。とても面白いお話でしたわ。ベルディウス様の学園でのご様子も垣間見る事もできて……それからどうなりましたの? グリュッセル様?」
柔らかく。リター曰く『大人になりかけの少女』のようにあどけなく。首を傾げた。
じっと表情を変えず彼女たちを見ていたら、令息が一人、耐えかねたように。
「申し訳、ありません……し、失礼します」
深々と頭を下げ去ろうとしたから、逃がすか、と。
「お待ちになって。エギル・タイラー伯爵子息様」
外行き用に少し高くしていた声をいつものトーンに戻した。『エギル・タイラー』はぎょっとして振り返った。
「半年後、婚約者のミランダ・コルランド子爵令嬢様と挙式を上げ婿入りされるエギル・タイラー様」
彼は振り返った状態のまま固まっている。私が彼の名と現状を知っている事に驚いているらしい。
名乗らなかったのにも拘わらず。
「ミランダ様は素晴らしい女性ですわね。資産に頼らず自らの手腕で救児院に支援をしていらっしゃる」
貴族としてどうか。などと考える以上に、聖女が名指しで個人を称えた事に意味がある。
彼女、ミランダ・コルランド嬢と出会ったのは、私が公務で数ある救児院を視察していた時。殿下の同級生と知り話が弾み親しくなったが――まさかここで繋がりが出来るとは。
「彼女、最近沈んでいらっしゃったからわたくし、ちょっとした祝福をして差し上げましたの。『一期一会の恩恵にあずかりますように』と」
当然彼女もこの会場にいる。
婚約者にエスコートされずに会場入りし、父親であるコルランド子爵と共にこちらを窺っている。
「どうなさったの? ああ、ロレンス・ダッド様。先程はドレスを褒めていただいてありがとうございます。さすがダッド様ですわ」
もう一人の令息。ドレスは美しい、との言葉を発した彼は、まさか自分に振られるとは思わなかったようで、顔が強張る。
いや、彼の素性を知られている事にか。
「ダッド商会のケーシーさんが自信を持って、わたくしに似合うと言ってくれたドレスですもの。素敵に決まっていますわね。お母上……総取締役のセニア様にもご子息が褒めて下さったとお伝えしておきますわ」
真っ青になる伊達男、ロレンス・ダッド。代々聖女の衣裳を手掛けるダッド商会の放蕩息子。
まさか実家の商会の顧客を貶したのか、と周りは訝しむ。私もまさか、という思いだった。
彼はダッド商会が聖女と懇意にしている事をまさか知らなかったというのか?
「素敵な色でしょう? ケーシーさん、そしてタニア様と共に拘り抜いた色ですの。ほら、ベルディウス様の瞳の色に限りなく近づけたく思いまして」
ケーシーの上司であるタニア・ダッド。ダッド家の長女でロレンスの姉上の事も話題に出すと、ロレンス・ダッドはもう完全に戦意を失くしていた。
見上げてベル様の瞳を覗き込んだら、彼は堪らずといった風に口を開いてしまう。
「そうだな、侍女たちも話していた。普段装飾に拘らない君が、この色を決めるのに何日もかけた事に驚いた、と」
援護射撃をもらってしまった。殿下が私を擁護したら彼らはもう反論できないではないか。
「この……オパールも拘りが?」
ベル様は私の耳に揺れている、炎を閉じ込めた宝石にそっと触れた。そのままするりといつもは髪に隠れている耳を……摘まんだ。
つまんだのだ。
私が照れる前に、遠くから咳払いが聞こえたために冷静さを失わずにすんだ。お父様だ。
あと、イザーク。密かに殺気を飛ばすのをやめてほしい。一体どこに潜んでいるのだろう。
私は結局、この宝石を選んだ経緯を一から十まで説明する羽目になった。ベル様を想って選んだ経緯をだ。こんな衆人環視の中で、だ。
どうして私がこんな目に――。




