38 イザーク・ジルケス
何だろう。体の芯から脱力感が襲ってきた。
休憩のために控室へ向かおうと、壁際に居並ぶ使用人たちの一角に目線をやる。そこにいたリターは頷き、私の傍に寄る。
すでにラウラ・グリュッセル嬢たちは下がってしまって姿は見えなくなった。再戦はいつでも受け付けるつもりだ。
「ベル様、少し下がらせてもらいますわ」
すると、やたら放たれる殺気を察知しているだろう彼は不安そうにする。心苦しい。
「……君の力は知っているつもりだ。しかし」
「心配をかけてしまう事を許して下さい」
最初に言っておく作戦だ。
本音を言うなら私の事で心労を重ねてほしくはない。だが、この事に関してはどうしても私が動かねば。
「片をつけてまいります」
しっかり、真っ直ぐ見上げると、ベル様もしっかり目を合わせてくれた。
レオン王子やイザークとのいざこざを直接見た訳ではない彼だが、当然事情は調べて知っている筈で。それをわざわざ私に言う事はないが。
化粧直し。という名目で一度退場の許可を貰った。
誰もいない廊下をリターと二人で歩く中、私はイザークの気配を辿る、が。
「……これはどういう状況かしら」
控室に入ったらそこにいるのはイザークだけかと思っていたのに。
「あぁ、お嬢様」
にっと歯を見せて笑う、『先生』。
私が先生と呼ぶ人物は何人かいるが、この人は我が侯爵家専属医師。ニール先生だった。年の頃は父と同じくらいの40前後だと思う。正直、父も先生も若く、年相応には見えないのだが。
「……ニール先生? どういう」
「あぁ、お嬢様の周りをウロチョロしてた虫がいたもので」
ニール先生は軽い調子で、褐色の青年――イザークを床にうつ伏せにして押し付けていた。
「いえ、そうではなく先生は」
「ああ。俺は侯爵の『影』ですよ」
新事実だ。
私はイザークの問題を片しにきた筈なのに、何だか問題が増えていないか。
「……お父様を見ていなくてもいいの?」
「ええ、許可を得てますから」
彼は笑ったまま、後ろ手に捻り上げたイザークの腕をより強く押さえつけた。
「私、その人と話がしたいの。解放して」
イザークからは敵意も悪意も殺意もない。というかあまり動かなさそうな表情が歪んでいて、見ているこちらが痛い。
私は近くのソファに座る。思いの外あっさりイザークを解放した先生は、ちゃっかりと私の隣に腰を下ろした。
「イザーク。座って」
ゆっくりと起き上がり、肩を揉み手首を回すイザーク。どこか痛めたのだろうか。
「大丈夫?」
そう聞くと彼は頷いて、私の向かいに着席した。
パレードの最中、強く、悲痛な程に聞こえてきたイザークの心境。
「貴方……レオンハール王子から離れて私に仕えたいのだそうね」
その鋭利な目を更に細め、全く視線を外そうとしない。どうやら本気のようだ。
「何故、と聞いてもいい?」
ちゃんと、受け止めて考えねばならない。心臓がどくどくと音を立てて揺れる。これはほの甘い鼓動ではなく、緊迫の動悸だ。
「あんたが」
細めた目は良く見たら灰色なのだな、と場違いに思った。ゲームでもあまり意識して見た事はなかった。
「オレを人間にしたからだ」
私は僅かに天井を仰ぎ、息を吐いた。聞いたことのある『台詞』だと。
『ただの道具でしかなかったオレに感情を吹き込んだのは、あんただ。あんたがオレを人間にした……責任を取れ』
「責任を取れ」
ああ。言うと思った。
どうして。嫌な動悸が更に激しくなってくる。どうして私は考えなしにあんな事を言ったのか。本当に失言。
というか、あの『選択肢』ひとつだけで。まさかあれだけでフラグ管理をしていた訳でもあるまいに。
イザーク的には、あれだけで自分の存在が認められたのだと思った。という事?
「イザーク。わたくしは」
嘆くのをやめた私を彼はずっと見ていた。
「貴方がただ忠誠を誓いたいというだけなら、影として傍に置くのもやぶさかではないと思っているの」
イザークは僅かに顎を引いて、感情の見えなかった目にしっかりとした意志を持った。そんな、期待を込めた目で見られても、問題はここからなのに。
私は深呼吸をする。こういう事を、自分から言うのは躊躇するのだが。
「貴方は本当にただ私に仕えたいだけ? そこに……思慕の念は一切ない?」
「ある」
なんと――男らしい。思いっきりが良すぎて照れる隙もない。悩みばかりが増えていく。
人にされて嫌な事は自分もしたくない。と、そういう思想も悪くないとは思っているが、結局その『嫌な事』の判断は自分にあって。
そもそもが逆なのだ。
結局、私は『されたくないから自分もしない』。という打算に落ち着いてしまう。――あの人を悲しませたくない、とも思う。
支離滅裂だが、つまり何が言いたいのかというと。
「貴方がそのような情を持っている以上は、傍に置けないわ」
私に少しでも気がある異性を傍に置く事を、ベル様は嫌がるだろうという事。私の気のせい、自惚れならいいが恐らくそうはならない。
「情は消す。オレはただあんたの影になりたい」
そんな簡単に。というか。
「矛盾していない?」
感情を持たない『道具』では無くなったからこそ、自分の意思で私に仕えたいのでは?
「中途半端なガキだな」
隣に座るニール先生が嘲笑混じりにイザークをからかう。中途半端? むしろすっぱり決断しているように見えるが。
内心の私の疑問に答えるように。
「それならそれでお嬢様に懸想してる事を隠し通せよ。男としてお嬢様に真剣に向き合う訳でもなし。影は影、道具は道具。人間なら人間らしく動けってんだ」
「先生、貴方」
この人も大概謎だ。
「それは自分の経験談か」
「さてなぁ」
気を抜いたように座るニール先生だが、隙は見せていないのだろう。いつでも、万が一イザークが動いたとしても、自分も動けるように気を張っている。
中途半端というなら私の方がそうだ。
感情を失くしたなら傍に置いてもいい。と暗に言いながら、現実そうされると困るからだ。でも。
隣国は王族を守る『道具』の育成に力を入れている。
剣であり、盾。目であり耳。身寄りのない子を主に引き取り、感情や命を管理してそのように教育を施す機関がある。
当然その事実が公になる事はない。
ロミを抹消しようとしたのはイザーク本人の意思ではなく、機関を管理する王家の判断だったのだろうか。
そして、私が設定として知っていたイザークの姓。ただの家名だと思っていたその名は。それはその機関ごとの識別名だと言う事がわかった。
管理。本当に、道具のような扱いだ。
「お前の識別は?」
先生がおもむろにそうイザークに問う。
私は驚愕の面持ちになっている事だろう。ただ隣国の事情を知っているだけではない何かがある。先生は、何者なのか。
「ジルケス」
「そうか。奇遇だな。俺も元ジルケスだ」
歪に嗤う先生の、そんな顔を初めて見た。優しくてどこかお茶目なニール魔術医師の面影はそこから見出せない。
「先生、貴方も……」
隣国の人間だなんて。
いや、そもそも昔から我が侯爵家には『影』がいたという事か。この国には、裏に流れる情報を扱う諜報員はいるものの、隠密、影などと呼ばれる存在はいない。少なくとも私が知る限りは、だが。
雇用主は当然父だろうが、果たしてニール・ジルケスであった彼は誰に忠誠を誓い仕える事になったのか。
その経緯をあまり知りたくはない。開けてはならない箱を空けてしまいそうだ。
私は気を取り直してイザークのその心情を分析する。
彼の強い思いは、私への思慕と言われればそう見えなくもない。ただ、思いの根源は自分を感情のある人間にしてくれた、という所から来ている。
余計な事を、という煩わしさ。知らなければ、という苦しみ。そして純粋な感謝。様々な感情が入り交って強い思いになっている。
と、私が勝手に決めつけているのだが。
懐に抱え込むには鋭すぎる。だがその手腕が欲しい、とも思う。件の機関も隣国の王家も、今のイザークを抱えてはおけなくなり、きっと。
捨てる。
「イザーク。私も貴方を道具か奴隷のように扱うかもしれないのよ?」
だが彼の鋭い目は変わらない。
「それは『貴族』とどう違う」
貴族。
「国や王族のために個を殺し駒になる。カビの生えたようなその風潮はこの国だって同じように見える」
そんな言い方をする時点で、イザークは新しい目を持っているという事なのだが。
「そこまで言えるのに、わざわざ駒になるの?」
「名前を」
急に声を小さくしたイザーク。
「名を、呼んでくれた。それだけで」
射抜かれるような視線。とはよく言ったものだ。表情も空気も、全体の雰囲気は柔らかいのに鋭い。
観念するしかない。簡単に切り捨ててそんな気はない、とはっきり言えない私も私だ。
「貴方を手放しで信じる事は難しいわ」
彼は僅かに落胆したような顔をしてくる。そんな、捨てられた子犬のような――。
ぐっと喉に何かがつっかえたような気分だ。まだ続きがあるのだから落ち着いてほしい。
「だから、契約の術を使う。まるで個人を抑制するような術よ」
ここから遠い国には、奴隷をいいように使うための首輪や鎖があると聞いた事がある。それと何ら変わらない、人の尊厳を奪う行為だ。
本当に術をかける気はないが。
「それでも」
「分かった」
まだ言い終わらないうちからイザークは私の足元に片膝を立てた。跪いている。
私はまだ彼を揺さぶる。
「貴方が祖国、王子から離れたのは事実。だから、今後また大きく感情が動いた時、私を裏切るかもしれないと簡単に想像できてしまうの」
「自覚している。どんな抑制も甘んじて受ける」
私は立ち上がってイザークの頭頂部を見下ろす。
「それなら、約束だけ。これだけ守ってほしい」
彼は訝しむように顔を上げた。術はどうした、と。
「一つ。私が欲しいのは情報。悪感情からの暗殺、危害を加える等しないように」
「影の本分だ。容易い」
じゃああの会場での殺気は何だ。という文句は飲み込む。
一つ。決して『道具』になりきらない事。私に言われた事ばかり、私だけを優先しないで、その命の裏を読んでほしい事。
そして。
「一つ。貴方の思いには応えられない。私は貴方を都合よく使う」
「了承した。今よりオレはあんたの影だ」
「術はかけない。貴方の自主性を信じるわ」
私は気が抜けたように座り直す。
酷な事をしているのは十分理解している。感情を殺すなと言った口で、その思いは無視すると言っているのだから。
救われたような顔で私を見上げるイザーク。
そんな彼に救われている私が確かにいる。




