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CROWN   作者: 山木京、
白猫の探偵と黒犬の警察
6/20

04

「有り得ない」

 ボスは全身を身震いさせて、毛についた雨水を振り飛ばした。しぶきが飛び散り、床やテーブルの上に小さな染みを点々と残した。

「そんなことわかってますよ」とハルさんは洗面所から持ってきたタオルをボスの顔めがけて投げつけた。

「だからジャックも相談に来たんでしょう」

「今までこんなことってあったんですか?」

「言っただろう、有り得ないと」

 ハルさんに投げつけられたタオルをマズルにかけたままボスは頭を掻いた。

「窃盗や器物破損なんかの軽い犯罪ならともかく、あの事件では一人死人が出ている。いくら証拠が無いからといって数か月で捜査を打ち切るなんてことは普通しない。犯人に負けを認めることになってしまう。何より警察の沽券に関わるだろう」

ボスは遠い目をして鼻から息を吐き出した。

「じゃあ、どうして」

「どうしてだと?何か理由があるからに決まってるじゃないか」

 理由?殺人事件の捜査を打ち切るほど大切な理由ってなんだ?

「……ハル。急ぎの依頼はあったか?」

「特にないですね、ちょうど」

 ハルさんは特に何かを確認することもなく答えた。依頼をまとめているファイルは机の上に無造作に転がっている。

「ヌーウェイル、帰り道で話したことは覚えているな」

 僕はうなずいた。

「話していた通り、君には事件の調査をしてもらう。それと一緒に彼がどこで何をしているのかの調査もだ」ボスの黒い目がまっすぐと僕を見下ろしていた。

「……はい」

「ハル。しょぼくれた犬と連絡とれるか?彼の話も聞きたい」

 ボスの指示にハルさんは「はーい」と答えて携帯片手に隣の部屋へ消えた。それから少し経ってハルさんの話し声が聞こえたのと同時にボスは口を開いた。

「……よく帰り道が分かったな。何があった?年甲斐もなくだいぶ焦ったんだぞ」

 隣の部屋を気にしながら少し屈んで潜めた声は、探偵事務所の主というより先生や親に隠し事をする少年のようなものだった。

「ユウのお兄さんに会いました」

「なに?」

 ボスは眉をひそめた。

「どんなだった?」

「……顔は見ていません。事件の犯人を捜しているようでした。かなり焦っていて、苛ついているように感じました」

 背後から話しかけてきたあの声は今でも鮮明に思い出せる。後頭部に押し付けられた冷たくて硬い感触。それに似た声質が脳裏に浮かんだ。

「そうだったか。捜査に当たって無理はするなとは言わない。だが十分気をつけろ。下手に手を出すと火傷をするかもしれない。それと–––––」

「ジャック、夜なら大丈夫そうです。何時ぐらいがいいですか?」

 ハルさんが携帯の通話口を指で押さえながら、壁からひょっこりと顔を出して言った。

「いつでも……いや、早い方がいいな。八時ごろにはこちらに来るように言ってくれ」

「りょーかーい」

 ハルさんはそう言うとまた顔を部屋の向こうに引っ込めた。

「それと、何処かで警察と会うかもしれないが決して反抗するな」

 ボスは一息置いて言った。

「……じゃあどうすれば?」

「言われた通りに従っておけ。だが本当にその通りする必要はない。その場では従順なフリをするだけでいい」

 あと今回は警察を信用するな、疑ってかかれ。とボスは付け加えた。

 何故かは聞かされなかった。それから僕はボスにあのバー兼地下格闘技場への行き方を訊き、ハルさんに僕が担当していた浮気調査の調査報告書を作ってもらった。引き継いでもらう予定だったが、僕の調査した資料とその期間から疑う余地はないとして、依頼主である牛人の奥さんに報告する運びとなった。

「じゃあ僕はこれで」

 少し早かったが今後の予定をボスとハルさんと確認すると僕は事務所を後にした。「お疲れ!」と軽く敬礼するハルさんに僕も敬礼して事務所のドアを閉めた。ボスとハルさんは打ち合わせをすると言う事で、まだ事務所に残るそうだ。

 一階の喫茶店に降りると鳥人の店長がミルで珈琲豆を挽いていた。豆がゴリゴリと音を立てて細かく砕かれていく。

「やあ、シュトレン君。今日は早いんだね」

 鞄を背負った僕を見つけた店長が声をかけてくれた。

「今日はちょっと寄りたいところがあって……」

 ふとカウンターテーブルの端に置かれた花が目に入った。

 どうせだから訊いてみる事にした。

「店長。あの花っていつもどこで買ってるの?」

「あぁ、あれかい?」

 僕は花瓶に生けられている彩り豊かな花を指差して言った。

 店長は快く花屋さんの場所を教えてくれた。

 教えてもらった店は事務所から意外と近いところにあった。僕はそこでいくつか花を買って小さな花束を作ってもらった。人生で初めての経験だった。花屋さんで花を買うことも、誰かのために買うことも。

 僕はその花束をもって街の外れへと向かった。入り組んだ住宅地を抜けて飲食店が軒を連ねている通りへと出た。今の時間は帰宅前に一杯ひっかけて帰るサラリーマンで賑わいを見せている。そこから少し離れたところ、電灯もまばらで用がなければ誰も入ろうとしない路地裏。

 警察が残して行った黄色と黒の規制線が風に揺られてひらひらと揺れていた。それをくぐりぬけて僕はその場所に立った。以前からこの場所のことは耳にしていた。来なくてはいけないと思いつつ、いつの間にか二か月も時間が経ってしまっていた。先客がいたようで少し萎れてしまった花が瓶に一輪だけ挿されていた。

「ユウ。君はどうしてこんな所に来たんだ?」

 話しかけても返事が返ってくることはない。白いチョークで書かれていた線は連日の雨でゆがみ滲んでしまっていた。

「僕が必ず犯人を探し出して捕まえてやる。だから、もう少し待っててね」

 僕は花束を地面にそっと置いて誓った。この言葉は死者には届かない。現場に花を手向けることも喜んでくれるとは思っていない。これは決意を固めるための儀式。僕の自己満足だ。

「……君、何か見てない?」

 室外機の上に黒い猫が一匹、黄色い瞳がこちらを見つめていた。

 撫でようと手を差し伸べると、黒猫は室外機の上から飛び降り狭い建物の隙間に消えていった。


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