第1章 唐突な来訪 -5-
東城が一歩店の外へ踏み出した、その瞬間だった。
「このバカ野郎がァ!」
猪突猛進。
馬鹿正直に真正面から、拳を振りかざして青葉が迫ってきた。
「バカはお前だろ」
その手を軽く払うと同時に足を引っかけ、反対の手で青葉の腕を引っ張る。
綺麗な流れで青葉の身体が宙を浮き、そのまま吹っ飛んで路地裏の方へ転がっていく。――が、狭い路地裏なのでそこから体勢を立て直すまでの間に顔を強かに打ちつけていた。
「あれだけ挑発されりゃ嫌でも身構えるっての。何だっていきなり殴りかかってくんだよ」
あまり人に見られているのはまずいと分かっている東城は、自分も路地裏に入って人目を避けるべく、青葉に歩み寄っていた。
「うるさいバカ野郎! これは、美里の分だァ!」
「何の話だ」
ひょい、と東城は襲いかかる青葉を躱すと、彼の拳は建物の外壁を打った。嫌に鈍い音がして、その場に青葉がうずくまる。
「避けんじゃねぇ!」
青葉が変わらず怒鳴ろうとするが、涙目で拳を抑えているその姿ではあまりに滑稽だ。
「はぁ……。何で大人しく殴られなきゃいけねぇんだって話なんだっつの」
まだ拳を振りまわす青葉を、しかし東城は軽々と躱していた。
元々の才能とここ最近の死闘で培った経験があれば、この程度の喧嘩は東城にしてみれば赤子の遊びだ。躱せない道理がない。
「何で、だと……? お前、まさかただ忘れただけじゃなくて、そんなことも分からないほど落ちちまったのかよ……っ」
ぎりっ、と歯を食いしばる音がした。
青葉は拳を振り回すのを止めて、代わりに、その拳をもっと固く握りしめている。
そこで初めて東城は、青葉の目を見つめた。
言葉や態度ならまともに対峙するのすらアホらしい。だがそれとは裏腹に、彼のその瞳には冗談など欠片も混じっていない。
本当に、本気で、本心で、東城に怒りを燃やしている。
「……お前が記憶を失くしたって聞いて、美里が泣かなかったとでも思うのか。美里が傷付いてなかったとでも思うのか!」
青葉は叫んで、大きく拳を振るった。
難なくかわせるはずだったその拳は物理的な何かがあるわけではないのに、ただあまりに速かった。とっさに東城は腕を交差させて防いだものの前腕に鈍い痛みが残るほどに。
「だから、殴る。美里を泣かせる奴は、俺が全部ぶっ飛ばす! 今のお前が知らなくても、お前が記憶を失くしたっていうのは絶対に許さないからな!」
「……好き勝手、言ってんじゃねぇぞ!」
東城は青葉の顔面をヘッドバットで打った。それも本気でぶったものだから、鼻血を流しながら彼は後方へよろけていた。
「テメェにそこまで言われなきゃいけねぇ理由がねぇんだよ! 人のトラウマにずかずか入ってくんな、このバカズキ!」
「その名前で呼ぶな! あと、理由なんかあるに決まってんだろ!」
青葉は鼻血を拭い、東城とにらみ合って吠える。
「美里が好きだからだよ!」
「――なっ……!」
真正面から、叩きつけられた言葉。東城には世界を揺さぶられるほど殴られたような感覚があった。
「好きな奴が悲しんでるのに、何もしないような奴は男じゃねぇだろうが!」
「そういう恥ずかしいことをほいほい口にしないでくれる!?」
顔を真っ赤にして柊が講義するが、青葉は気にも留めない。
「俺は美里が好きだ、愛してる!」
「その口を閉じろ!」
柊の顔がどんどん真っ赤になる。それが、東城には妙に腹立たしかった。
「――お前の事情はよく分かった」
眉をひそめながら、東城は言った。
「――が、気に入らねぇ。理由なんか知るか。いきなり殴りかかって来やがってこの脳筋。とりあえず、話の前にお前を殴る!」
「うるせぇ、バカ野郎! お前に俺を殴る権利があるか!」
そこから、男子高校生二人の本気の殴り合いが始まった。
もちろん終始東城が圧倒しているのだが、青葉もなかなかどうして容易には倒れない。殴っている回数は東城の方が多いのに、与えているダメージの総量は東城と青葉でそう大差はないようにさえ思えた。
そんな状況を眺めつつ、七瀬は呟いた。
「……随分とおモテになりますわね、柊美里。もうこの方とお付き合いなさればいいではありませんか。そして大輝様はわたくしが――」
「勝手なこと言ってないで止めなさいよ!」
「あら。貴女がなさればいいでしょう? 『私の為に争うのはやめて!』とか言えばすぐにおさまりますわよ……ぷ、くく……っ」
「全力で失笑しないでくれる……っ?」
柊は苦い顔を下ながらも、実際に自分が動くと二人にはそう見えてしまうだろうと思ってかすぐには動けない様子だった。
そんなわけで。
「死に晒せェ!」
「テメェがくたばれ!」
本気の殴り合いは徐々にエスカレートして、シャレにならないレベルになっていた。
「これで終いだ、バカ大輝!」
青葉が殴る手を止めて、一瞬だが構えた。だがその瞬間だけで、空気が歪んで見えた。
何かがおかしかった。
徹底的な違和感。
――それは時間がずれているかのような感覚だ。
神戸のように単純に隠し持っていた力で動きが速くなるのとは違う。些細な動きすら加速する、まるでビデオの倍速のような感じだ。
超能力。
とっさにそう判断した東城の右の拳に紅蓮の炎が灯る。それは、能力に対抗するには能力しかないからだ。
――相手が動き切る前に、仕留める。
そう東城が動こうとした瞬間だ。
「――いい加減にしなさいよ」
そんな中で、その声を聞いただけで東城と青葉の二人が同時に動きを止めた。滾るような能力も、恐怖から一瞬で消滅してしまう。
ぎぎぎ、と油の切れたラジコンのような動きで二人は柊の方を見た。
阿修羅面のような顔で、柊がこめかみをぴくぴくと痙攣させていた。どうやら本気で怒っているらしい。喧嘩を止める行為に恥じらいなど棄てたようだ。
「こんな街中で能力使うとか、どういう神経してるわけ? 幸い路地裏で誰も見てないからいいけど、動画でも撮られてネットに上がったらいったいどうするつもり?」
至極まっとうなお叱りで、何も反論できない。だからこそそのお怒りが一層恐怖になる。
「ま、待て美里。悪いのは全部大輝――」
「あら。わたくしの大輝様に責任を押し付けようなど、全く以って良い度胸ですわね」
七瀬が柊の後ろから顔を出す。それは柊と違って青葉にだけ怒りを向けていて、にっこりとした笑顔のくせにすごくおっかない。
「だから、俺はお前のものになった覚えはないと……」
だが東城と七瀬がどういう経緯でどういう関係になっているのかを知らない青葉には冗談として通じていないようだった。
「わた、わたくしの!? お、お前、美里がいながら何してんだァ!」
「何にもしてねぇよ、バカズキ!」
「やめろって言ってんのよ、このダブルバカ」
また取っ組み合いを始めそうになった二人の頭蓋を鷲掴みにして、柊が唸る。
「知ってる? 私の能力、制限したら誰にも見えないのよ?」
「あ、あの、柊さん? 頭がさっきからビリビリと痛いんだけど――って痛ェ!」
「割れる! 頭蓋骨が、頭蓋骨がァァ!」
通電以上に柊自身の握力で死にそうだ。こんな可愛い女子の小さな手から生じる力とはとても思えない。どこかの森の奥の獣と間違えそうだ。
「反省しなさい、バカども」
遠のく意識で、東城は柊の溜め息交じりのそんな声を聞いた。
けれどその声は、どこか楽しそうだった。




