第2章 雲間の光 -1-
十日ぶりに足を踏み入れた地下都市、第二階層。
かつて七瀬や柊とも対峙した懐かしい河原の砂利の上で、
東城大輝は正座していた。
「さて大輝。訊きたいことが山のようにあるんだけど?」
東城の目の前には、怒りからこめかみに血管を浮き上がらせた柊さんがいらっしゃる。
東城はがくがくぶるぶると震えて、柊さんにこうべを垂れるしかなかった。
「この際、宝仙陽菜のことは置いとくわ。あれは確かに仕方ないことだし、あそこで逃げるようなら本気で怒るとこだったしね」
「そ、それはよかった……」
ちなみに、件の宝仙はいま地下都市内の病院にいる。一応の手当てを受けるのと、下手に動き回るのを防止する為だ。
「け、けど、だとしたら何にそんなに怒ってんだよ……?」
「日高晃ぐらいを相手にそこまで殴られてるのも、ちょっと頭に来るかな。そんなに無茶な戦い方してたら、身が保たないわよ?」
「肝に銘じておきます……」
心配してくれているのは分かるからそれなりには嬉しいのだが、それが怒りに繋がってしまう今は欠片ほどのありがたみもなかった。
「でも、ちょっとってことは――」
「そう。私が一番頭にきてるのは……」
柊はそこで深く息を吸った。例えるなら、矢をつがえ弓を引く動作だろうか。要するに、予備動作だ。
「十日も連絡なしとか、どういう神経してるわけ!?」
叫んで、柊の全身から落雷級の紫電の槍が五本ほど辺りにばらまかれた。
動作を読んでとっさに動きまわっていなければ、今頃は東城の全身が真っ黒に炭化していたことだろう。
「そこまで怒ることか!?」
「うるっさいわよ! なに避けてんのよ!」
完全にお怒りモードの柊は、そのまま東城を追いかけるように雷を操作する。
東城の周囲で空気やら砂利やらが弾け、躱しているはずの東城に地味にダメージを蓄積していく。
「ちょ!? ごめ、ゴメンなさい! 本ッ当に申し訳ありませんでした! だから、マジで放電をやめて! 死んじゃう! 俺死んじゃうよ!?」
「一発当たったらやめるわよ!」
「その前に俺が死ぬっつってんだよ!」
柊が狙いを定めた位置を視線から読み取って、そこから転がり回って東城は避け続ける。だが、紙一重の回避だ。絶対に長くは保たない。
「あら。それくらいにしないと、大輝様が本当に死んでしまわれますわよ?」
懐かしく、いま最も東城の味方になってくれそうな神のような声が聞こえた。
その声で柊が舌打ちしつつも放電を収めてくれた。下手をすれば水を生み出されて、水蒸気爆発を起こさせられるからだろう。
「な、七瀬!」
「お久しぶりですわね、大輝様」
土手から滑り降りて、七瀬はにっこりとその笑みを東城に向けた。
「ありがとな。おかげでどうにか助かった」
「いえいえ。無事で良かったですわ」
七瀬はそんなことを言う間も、一ミリも笑みが崩れなかった。
これは、気のせいだろうか。
その笑みが、喫茶店のレジ打ちのごとき固まった笑みになっているように見えるのは。
「ですがまぁ、わたくしも十日の間に何の連絡もいただけなかった事は少々寂しく、多大な憤りを感じていますの」
そう言って、七瀬は笑みを欠片も崩さずに東城の頬を思い切りつねった。それも、情け容赦なくその長めの爪を立てて、だ。
「痛い! ゴメン、本当にゴメン! だからちょっと待て! 抉れる! 肉が抉れる!」
「あら。頬肉は美味しいそうですわよ?」
「今の状況でその言葉は恐すぎるからな!?」
四面楚歌。
これ以上に今の東城を表す言葉はないだろう。
「さて。お仕置きはここまでにして、まずは言い訳を聞かせてもらおうかしら?」
「そうですわね」
七瀬は東城の頬から手を話して、柊の横でその冷酷な笑みを東城に向けだした。
十日前は命すらかけていがみ合っていたはずの二人が、どういう理屈か共闘していた。
ごごごご、という謎のオーラすら見える。
「どうして、十日も何の連絡がなかったわけ?」
「あ、あのですね」
「正座、忘れていますわよ?」
「で、でもさっきまでやったし。そろそろすねが痛――」
「正座、忘れていますわよ?」
「はい」
二度目には七瀬に低い声で言われて、東城は機敏な動きで正座する。足元に砂利とは少し違う感触があったが、どうせ落としものだろうと分かっていても今は確認できそうにない。
一挙手一投足が、監視されている。下手を打てば即座に死刑執行されることだろう。
「え、えっとですね……。ほら、い――」
「忙しいとか適当な言い訳だったらビリビリの刑ね」
ネーミングセンスに突っ込みたかったが、そんな状況ではなかった。それに、柊ほどのレベルでビリビリの刑なんてされたらそれはまず間違いなく生死の境をさまようだろう。
「い、色々あってですね。怪我の手当てとかで遠出できなかったし、そもそも筋断裂でろくに歩けなかったし?」
「あら。何故、疑問形なのですか?」
七瀬が冷ややかな声で言う。それに触発されてか、東城の背から冷たい汗が止まらなくなる。
「大輝」
「大輝様」
二人が名前を呼ぶ。
にっこり笑顔で、滾る能力と怒気を隠すことなく迸らせて。
(こ、このままでは殺される……ッ!)
冗談でも何でもなく東城は本気でそう確信する。何せ、相手は全二十二種の能力者の頂点だ。何をどうやっても、彼女たちが一度怒れば東城に生き残る道はないだろう。
「少々面倒だから後回しにしていた内に機会を失った、ということでよろしいですか?」
「要は私たちのことなんて忘れてたってわけよね?」
「そ、そふでふ」
動揺して、わけのわからない声が出た。
「ここで怒りにまかせて能力を爆発させてもいいんだけど……」
「流石にそれで大輝様がお亡く――もとい、怪我をなさるのは、わたくしとしても本意ではありませんし」
柊と七瀬はそう言って、にっこりと笑う。
「ちょーっと、お願い聞いてくれる?」
「いえ。大した事ではないのですよ?」
どこまでも凶悪な笑みだった。
出来ることなら今すぐ逃げ出したい。だが、逃げようにも正座からのダッシュなどこの最速の能力者である柊には通用しないだろうし、なにより砂利の上の正座で足の痺れが限界だ。
「な、なんでしょう?」
まな板の上の鯉状態の東城大輝は、冷や汗をだらだらと流しながらそう訊くしかなかった。
「実はね。いま地下都市で困ったことが起きてるのよね」
「正確には、地上でも僅かな被害が出ているようですが」
にこにこ笑い続ける二人の黒い笑みが、そこはかとなく怖い。
「原因は一人の能力者が暴れてるってことなの。それもほぼ毎日、誰かが不意打ちを受けて重傷を負わされてる」
「……マジの事件じゃねぇか」
思わずため息が漏れた。
「その襲撃からの自衛の為だ足り報復だったりで、ちょっと地下都市が荒れだしてるわけ」
「……規模はどれくらい?」
「アルカナが五人くらいドンパチやるレベルね」
「ちょっとの範疇が広過ぎるだろ!」
アルカナは超能力に十二種それぞれの頂点に与えられる称号で、要するに九千人中二十二人しかいない特異な能力者を指す。軽く計算するとその割合は実に〇.二パーセントしかない。
そんな頂点に立つ五人が派手にやり合うようなレベルとなると、街一つが壊滅する可能性すら十二分にある。
「……ちょっと待て」
そこで、東城は気付く。
そのお願いとやらの全貌が見えてきた。見えてきてほしくないのに。
「あら。何でしょう?」
「お願いって、その騒動を収めるのを手伝えってことか?」
「察しがいいわね」
「……ところで、そんなことをしようとしている人数は?」
「アルカナが動いてるわけだし、下位能力者が下手に動ける問題じゃないわね。ってわけで、必然的にアルカナしか太刀打ちできない状況ね」
「ちなみに、多くのアルカナは未だ消息不明ですわ。能力だけでなく自我も強いらしく、一体何処で何をしているんだか。――まぁ、まだ地下都市に住む能力者全員の登録が終わった訳では無いので一概には言えませんけど」
「――さりげなく質問から遠ざけてるってことは、そういうことか……」
東城は深いため息をついた。
「要するに、お前たち二人しか騒動を収められねぇってことかよ」
「ご明察の通りですわ」
「神戸はどうしたんだ? あいつだってアルカナ――それどころか俺たちと同じ三人しかいないレベルSだぞ?」
「あー……。見る?」
そう言って柊は一枚のメモを差し出した。
東城はそれを受け取って、目を通す。
『東城先輩のおかげで目が覚めました。なので旅に出ます。探さないでください。神戸拓海』
「いや、この論法はおかしいだろ」
何の順説にもなっていない気がするのは東城の気のせいではないはずだ。
「ま、神戸なりに思うところがあるんでしょ。生きていくことを望んだけれど、どうやって罪を償ったらいいか分からない、ってトコね」
「また回りくどいことをしてんだな……」
東城は最後にため息をついて、それから本題に戻す。
「でも、俺が加わったって三人だぞ? 五人のアルカナを止めるなんて出来るのか?」
「アンタがその一人をもう潰したじゃない」
あ、と東城は呟く。日高晃は灼熱ノ天子なのだから、確かにもう一戦終わっている。
「ですわね。それに、五人の内の一人はその襲撃者、四人はそれを止める側、という関係ですので現状で言うと、三対一対三、というやりやすい人数ですわ」
「さいですか……」
どうにも東城に拒否権は用意されていないらしかった。
「分かった。やってやるよ。それで許してくれんだよな?」
「もちろん」
にっこりと二人が笑うので、東城はもう嘆息しながらでも従う他なかった。
「しかし、ちょっといつも通りの生活してただけで命がけの戦闘に巻き込まれるとは……」
「何よ。元はアンタが悪いんでしょ」
「……たった十日だろうに」
「されど十日、という発想はいかがでしょう?」
七瀬が少し黒い笑みを浮かべるので、東城はこれ以上つべこべ言うのはやめにした。
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