国を守る拳、国を救う手――二人の英雄が愛する主人公の休息はない
## 背中を追う拳と、聖母の慈愛
夜の静けさが戻った要塞の地下トレーニング場。
重厚な魔導耐性チタンで作られたサンドバッグが、轟音を立てて吹き飛んだ。
**ドッギャァァァァァン!!**
「くっ……! はぁ……はぁ……!!」
汗と血を撒き散らし、膝をついたのは【格闘特化の男ヤンデレ】だった。
両腕の皮膚は裂け、筋肉は限界を超えて悲鳴を上げている。
表向き、彼の肩書きは明確だった。
**国防軍・近接戦教導官、および特殊部隊の実戦教官。**
国境付近で発生する魔獣災害や、敵対勢力の精鋭部隊。
国家が「人の手で抑えねばならない」と判断した脅威に対し、彼は先頭に立って拳を振るう。
教え子である兵士たちは、彼の訓練を受けたあと、例外なく生還率を上げる。
議会では「国を守る生きた兵器」と称され、勲章も何度か授与されている。
だが――その同じ拳で、彼は今夜も、届かない背中を追いかけていた。
『音速の正拳突き』『極・神殺拳』。
一国を滅ぼせるほどの拳を会得し、幾度となく己の限界を更新してきた。
それでも、あの男……【主人公】の領域には届かない。
「なぜだ……。なぜ、いくら鍛えてもあのお方の『人類最強』の背中に届かん……!」
覚醒した主人公が見せる、概念すら引き裂く圧倒的な力。
拘束具を千切り、逃走を試みる際の一瞬の威圧感。
格闘特化にとって主人公は、愛すべき主人であると同時に、武人として絶対に超えられない「果てしない壁」だった。
「もう一度だ……! まだ拳が軽い……!!」
激痛で震える腕を無理やり持ち上げ、再び構えをとろうとしたその時。
「もう十分ですわ、格闘殿」
ふんわりとした温かな風と共に、柔らかな声がトレーニング場に響いた。
【慈愛のヤンデレ】である。
彼女は静かな足取りで近づくと、血まみれになって倒れ込みそうな格闘特化の背中を、優しく抱きかかえるように支えた。
表向き、彼女の肩書きもまた、国家の要だった。
**国際医療レスキュー最高顧問、および国内救急医療の最終ライン。**
災害現場に降り立ち、年間数千人単位の重傷者を「完治」させるゴッドハンド。
WHOが注目し、辞退されたノーベル賞の候補に名前が載ったこともある。
国民は彼女を「生きる聖母」と呼び、彼女の手が触れれば死さえ遠ざかると信じている。
その同じ手が、今、仲間の壊れかけた体を支えていた。
「慈愛殿……。すまない、見苦しいところを……」
「見苦しくなんてありませんわ。あなたがどれほどご主人様を愛し、どれほど真剣に強さを追い求めているか……私はずっと知っていますもの」
慈愛の瞳には、一切の虐げや悪意はなかった。
あるのは、過酷な鍛錬に身を削る仲間への、心からの情愛と労いだけだった。
「ですが、これ以上の鍛錬は体に毒です。ご主人様を超えるための拳も、あなたの体が壊れてしまっては元も子もありませんわ」
彼女はそっと、格闘特化の傷だらけの拳を両手で包み込んだ。
**ポンッ……。**
温かな光が満ちていく。
慈愛の治癒魔法は、格闘特化の破裂した筋繊維を優しく繋ぎ合わせ、骨の軋みを和らげ、全身の激痛を穏やかに溶かしていった。
戦場では何千人もの命を救い、今夜は一人の仲間の拳を、丁寧に元通りにしていく。
「あ……傷が……痛みまで綺麗に消えていく……」
「はい♡ 完璧に治しておきましたわ。ですが、今夜はもう終わりです。無理をした筋肉と精神には、本当の『休息』が必要ですの」
慈愛は柔らかい毛布を取り出すと、疲労困憊の格闘特化の肩に優しく掛けた。
「でも私は……もっと強くならなければ、ご主人様を繋ぎ止めることも、対等に寄り添うことも……」
「焦る必要はありませんわ」
慈愛は聖母のような微笑みを浮かべ、彼の頭を優しく撫でた。
「ご主人様は『人類最強』。だからこそ、私たち十人で愛するのです。一人で背負う必要なんてありませんのよ? 拘束具は拷問殿と科学殿が作り、監視殿が見守り、そしてあなたがその強い拳で支える……それでいいのですわ♡」
その言葉に、格闘特化はハッと目を見開いた。
武人としての孤独な執着が、仲間からの温かな言葉によって溶かされていくのを感じた。
「……そうか。私は、一人で超えようとしすぎていたのかもしれないな」
「ええ♡ だから今夜は……一人で休む必要もありませんわ」
慈愛は、彼の腕を自然に取った。
「治したばかりの体ですもの。温かい場所で、ご主人様のそばにいてあげましょう? 私も、今日の救急のあとで、少しだけ心が空いてしまいましたの♡」
格闘特化は苦笑した。
国を守る拳と、国を救う手。
昼は国民のために振るわれ、夜は一人の男のために揃う。
「……分かった。付き合うよ、慈愛殿」
「ふふっ♡ では、参りましょう」
二人は並んでトレーニング場を出た。
地下通路の向こう、寝室の明かりがほんのりと見えている。
すでに、ほかの顔ぶれが集まっている気配があった。
それでも二人は急がず、でも確実に、その方向へ歩いていく。
「ご主人様は、また逃げようとしているかもしれませんわね♡」
「なら、俺が押さえる。殿は、壊れる前に治してくれ」
「ええ♡ 役割分担、完璧ですわ」
国の盾と、国の聖母。
表向きは英雄同士の連携。
裏では、ただの仲間二人が、愛しい主の夜に、仲良く滑り込んでいく。
扉の向こうで、すでに誰かが笑っている。
二人もまた、その輪に自然に混ざりに行くのだった。
仲間にはどこまでも優しく、そして的確に傷と心を癒やしていく【慈愛のヤンデレ】。
届かない背中を追いながらも、一人で壊れない【格闘特化】。
彼女の本当の恐ろしさと凄みは、敵や主人公に向ける狂気だけでなく、「仲間を絶対に潰させない完璧なケアと母性」にこそあり――
そしてその優しさの延長線上に、今夜も主人公の休息だけは、優しく、確実に、遠のいていくのだった。




