番外編8 赤ずきんごっこ――オオカミ100体を倒したら胎内回帰させられる件
第一幕 赤ずきんごっこの始まり
ある日、屋敷の居間で、ヤンデレたちは次の童話を何にするか、楽しそうに相談していた。
テーブルにはお菓子と紅茶。空気は穏やかで、普通の午後のようだった。
「次は赤ずきんにしましょう!」
嫉妬がぱっと手を挙げる。目が輝いている。
「いいですわね!」
魔導が優雅に頷く。扇子で口元を隠して微笑む。
「ところで、主人公さまにお願いしたいことがあるのです」
全員の視線が、ソファに座っていた主人公に集中する。満面の笑みで取り囲まれた。
「主人公さま。私たちの胎内に戻ってみませんか?」
「……は?」
主人公は聞き間違いかと思った。耳を疑う。
「今、何て言った? 『胎内』? 俺の聞き間違いだよな? 絶対聞き間違いだ」
胎内回帰。それは母親の胎内に戻ることを指す。今回の場合は、ヤンデレたちの胎内に戻り、もう一度生まれ直すというものだった。
もちろん、これはごっこ遊びである。生まれたらすぐに元の姿に戻れるため、生活や年齢に影響はない。
しかし、主人公にとっては、だからといって簡単に受け入れられる話ではなかった。
「なんでそんなことをしなきゃならないんだ! 普通に『赤ずきんなろう』で済むだろ! なんで胎内だ!」
「だって、主人公さまにもう一度、私たちから生まれてきていただきたいのです!」
慈愛が優しく両手を合わせる。目が本気だ。
「意味がわからん! 説明になってない! 『愛してるから』って言うなよ、絶対言うだろ!」
「ご安心ください。無理強いはしませんよ?」
ヤンデレたちはにこやかに微笑んだ。微笑みが、揃いすぎている。
「ただし、条件があります」
彼女たちが指を鳴らす。
その瞬間、森の奥から大量のオオカミが姿を現した。
一体、二体、三体……。
数えきれないほどのオオカミが、庭を埋め尽くし、主人公を取り囲んでいる。目が光っている。
「今回、オオカミは100体用意しました!」
科学がタブレットを掲げて報告する。数字が正確だ。
「……100体? 多すぎだろ! 童話にそんなに出てきたか!?」
「はい! 制限時間内に100体すべてを始末できれば、体内回帰はなしです!」
「失敗したら?」
「もちろん、念願の体内回帰ごっこです!」
主人公は頭を抱えた。
「『念願』ってなんだよ……。お前らの念願だろ。俺の念願は普通に寝ることだ」
こうして、赤ずきんごっこが始まった。
第二幕 終わらないオオカミ討伐
主人公はさっそくオオカミたちに襲いかかった。
一体目を撃破。
二体目を撃破。
三体目、四体目、五体目。
人間の中では最強と呼ばれる主人公にとって、オオカミを倒すこと自体は難しくなかった。拳が風を切る。
「この調子だ……! 100体なんて余裕だ!」
この調子なら、制限時間内に100体を始末できる。
主人公は希望を抱いた。胸が少し軽くなる。
しかし、その直後だった。
「それでは、ここからが本番ですわ!」
魔導のヤンデレが杖を優雅に掲げた。笑顔が深い。
倒されたオオカミたちの身体が、次々と変化していく。
オオカミの体内に、魔法によって大量の石が敷き詰められていった。ゴロゴロと音がする。
やがて、石の重みを得たオオカミたちが再び立ち上がる。目が赤く光る。
「なっ……! 復活すんな! 死んだだろ!」
「赤ずきんのお話では、オオカミのお腹に石を詰めるのでしょう? でしたら、私たちも再現しなければ!」
魔導が優雅に説明する。杖を振ると、さらに石が詰まる。
「再現の仕方がおかしいだろ! 元の話は『詰めて沈める』だ! 復活させて戦闘させるな!」
主人公が叫ぶ間にも、石を詰められたオオカミたちはゴーレムとして復活していく。地面が揺れる。
倒しても、石を詰められて再び立ち上がる。
「これなら童話の再現と戦闘訓練を両立できますね!」
科学が満足そうにメモを取る。
「両立させるな! 訓練は別でやれ! 俺の平和を材料にするな!」
主人公はゴーレムを相手に戦い続けた。拳が石に当たるたび、手が少し痛い。
だが、敵を倒しても、魔導のヤンデレが石を詰めて復活させる。
倒しても復活。
倒しても復活。
これでは、いつまで経っても数が減らない。
「終わらねえ……! 数が減らねえ!」
しかも、ヤンデレたちはそれだけでは終わらなかった。
第三幕 敵を食べるヤンデレたち
「そういえば、赤ずきんではオオカミがおばあさんを食べるのでしたわね!」
おばあさん役のヤンデレが、楽しそうに手を叩いた。慈愛だ。目が優しい。
「では、私たちもいただきましょう!」
彼女たちはオオカミを食べ始めた。
優雅に、丁寧に。まるで紅茶のお菓子を摘むように。
すると、驚くべきことが起こった。
オオカミを食べたヤンデレたちの身体から、凄まじい魔力があふれ出したのだ。オーラが立ち上る。
「まあ! 力が増していますわ!」
「本当です! これは素晴らしいですね!」
オオカミを食べるほど、ヤンデレたちはパワーアップしていく。肌が少し輝き、目が本気になる。
そして、彼女たちはオオカミたちと一緒に主人公へ襲いかかった。笑顔のまま。
「ちょっと待て! お前たちは何をしているんだ! 敵を食うな! 味方だろ!」
「主人公さまの訓練をお手伝いしています!」
慈愛が優しく言いながら、強化された拳を振る。風圧がすごい。
「敵を食べて強くなって襲いかかることの、どこが手伝いなんだ! 説明しろ!」
「主人公さまなら、この程度の試練も乗り越えられると信じていますから!」
ヤンデレたちは本気だった。
彼女たちは主人公を苦しめたいわけではない。
主人公が強くなることを心から願っているのだ。愛が、まっすぐすぎる。
そのためなら、オオカミを食べて強化されることも、復活したゴーレムと一緒に襲いかかることも、すべて愛情表現の一環だった。
「愛なら普通に飯作れ! オオカミ食うな!」
一方、主人公は必死だった。
強化されたヤンデレたちを相手にしながら、復活するオオカミとゴーレムを倒し続ける。汗が飛ぶ。
しかし、どう考えても時間が足りない。
「くそっ……! このままでは……! 俺の『普通』が死ぬ!」
制限時間が刻一刻と迫っていた。
第四幕 最後の希望
主人公は限界を迎えていた。
倒しても復活する敵。
食べるたびに強くなるヤンデレたち。
どれほど戦っても終わりが見えない。息が切れる。
そして、ついに制限時間が過ぎた。
「時間切れですわ!」
ヤンデレたちの声が、揃って響いた。拍手まで起きる。
主人公は膝をついた。
「……終わった。終わったよ、俺の平和」
100体のオオカミを始末することはできなかった。
つまり、念願の体内回帰ごっこが実行される。
主人公は絶望した。肩が落ちる。
そのときだった。
「おやおや。ずいぶんと散らかしてしまいましたね」
穏やかな声が響いた。優雅で、余裕がある。
主人公が顔を上げると、そこにはおじいさん役のヤンデレが立っていた。
森羅万象を司るヤンデレである。紅茶のカップを持っている。
「……あんたは。なんで今出てきた」
「おじいさんの出番ですね!」
森羅万象のヤンデレは微笑むと、静かに手を掲げた。
次の瞬間、世界が揺れた。
森の空気が変わり、大地がうなり、圧倒的な力が周囲を包み込む。「整えましたわ♡」の声が、静かに重なる。
そして――。
オオカミも、ゴーレムも、まとめて片付けられた。
あれほど大量にいた敵が、一瞬にして消え去ったのだ。木の葉一枚残らず、綺麗に。
主人公は呆然とした。
「……助かったのか? 本当に?」
「ええ。お片付けは完了ですわ!」
森羅万象が優雅に頷く。カップを傾ける。
主人公は安堵した。膝から力が抜ける。
これでようやく終わった。
オオカミは全滅した。
自分は助かった。
そう思った。
しかし、ヤンデレたちは満面の笑みを浮かべていた。輪になって近づいてくる。
「それでは、いよいよ始めましょう!」
「……何を? 片付けたんだろ。終わっただろ」
「もちろん、体内回帰ごっこです!」
主人公の顔から血の気が引いた。
「待て。オオカミは片付いたんだろ? 俺は助かったんじゃないのか? 条件クリアだろ!」
「ええ。オオカミは片付きましたよ?」
科学がタブレットを見せる。数字はゼロだ。
「じゃあ、なんで俺を囲んでるんだ! 離れろ!」
ヤンデレたちは不思議そうに首をかしげた。揃って。
「だって、最初からそのための赤ずきんごっこですもの!」
その瞬間、主人公はすべてを理解した。
オオカミ100体。
制限時間。
倒した敵のゴーレム化。
オオカミを食べて強くなるヤンデレたち。
そして、最後に現れた森羅万象のヤンデレ。
すべては、主人公を体内回帰ごっこへ誘導するための茶番だったのだ。
主人公だけが必死に勝負していた。
ヤンデレたちは最初から、全員で楽しく赤ずきんごっこをしていたのである。
「……最初から、勝ち負け関係なかったのか。俺の努力は何だったんだ」
第五幕 念願の体内回帰ごっこ
「さあ、主人公さま!」
「私たちの胎内へ、どうぞ!」
「もう一度、私たちから生まれてきてくださいね!」
ヤンデレたちは嬉しそうに主人公を迎えた。手が優しく伸びる。愛が、重すぎる。
「待て! そもそも、なんでそんなことをしたいんだ! 普通に『赤ずきんクリアおめでとう』で終われ!」
「主人公さまに、もう一度生まれてきていただきたいからです!」
慈愛が目を潤ませて言う。本気だ。
「だから、なんでだ! 理由を詳しく言え!」
「愛しているからです!」
「説明になってない! 『愛してる』で全部済むな!」
しかし、ヤンデレたちにとっては十分な説明だった。
彼女たちは本気で、主人公にもう一度自分たちの胎内から生まれてきてほしいと願っていたのだ。愛が、まっすぐで、重い。
そして、ついに念願の体内回帰ごっこが始まった。
主人公は胎内へ戻り、再び生まれ直す。
ただし、これはあくまでごっこ遊び。
生まれた瞬間、主人公はすぐに元の姿へ戻った。服装も、年齢も、変わらない。ただ、心が少しだけ古い。
「おめでとうございます、主人公さま!」
「これで、もう一度生まれ直せましたね!」
ヤンデレたちは大喜びだった。拍手と笑顔が爆発する。
主人公はしばらく黙っていた。
オオカミ100体との戦闘。
復活するゴーレム。
敵を食べて強くなるヤンデレたち。
制限時間。
絶望。
そして、最初から仕組まれていた茶番。
最後には、念願の体内回帰ごっこまで経験した。
普通なら、精神が壊れていてもおかしくない。
しかし、主人公は違った。
彼はゆっくりと立ち上がった。膝の土を払う。
「……そうか」
「主人公さま?」
「……なるほどな」
主人公の表情には、もう動揺も怒りもなかった。目が、少しだけ遠い。
どれほど理不尽なことが起きても、どれほど理解不能な要求を突きつけられても、彼は冷静さを失わない。
主人公は、鋼の精神を手に入れたのだ。
ヤンデレたちは感動した。手を合わせて目を輝かせる。
「まあ……! 主人公さま、なんて立派になられたのでしょう!」
「さすがですわ! 愛が通じたのですね!」
「これなら、次の童話も安心ですね!」
主人公は無言で彼女たちを見つめた。
そして、心の中で静かに思った。
もう何が起きても驚かない。
何をされても取り乱さない。
どれほど理不尽なことでも、冷静に受け止める。
――そうしなければ、やっていられない。
こうして主人公は、赤ずきんごっこを通じて鋼の精神を獲得した。
ただし、ヤンデレたちが変わったわけではない。
彼女たちは相変わらず、主人公を愛していた。愛が、昨日より少しだけ重くなっている。
そして次の童話について、楽しそうに相談を始めていた。
「次は人魚姫にしましょうか♡」
「いいですわね。今度はもっと愛を込めましょう」
主人公は空を見上げた。
「……次は、普通の童話にしてくれ。頼む」
誰も、普通には答えなかった。
ただ、優しい微笑みだけが、静かに彼を囲んでいく。




