ヒューマノイド1との邂逅1
# 番外編――化学特化、薬学特化、ヒューマノイドとの邂逅
*
【現実世界・主人公の屋敷・二階テラス】
昼下がり。
主人公は二階のテラスでコーヒーを飲みながら、珍しく平和な時間を満喫していた。
西方大国の件があってから、数日が経っていた。
あの一件以来、ヤンデレたちは以前よりも少しだけ落ち着きを見せていた。相変わらず主人公への執着は強いものの、少なくとも、屋敷を騒がせることはなくなっていた。
王女もまた、王政が忙しいのか、以前ほど頻繁には押しかけてこなくなった。
おかげで、主人公は久しぶりに穏やかな時間を過ごせていた。
「……今日は誰も騒ぎを起こさないよな」
そう呟き、カップを口元に運ぶ。
その頃、一階の玄関では、魔導が来訪者を出迎えていた。
「はい、どちら様ですの?」
扉の向こうに立っていたのは、正装した王女だった。
「こんにちは。わたくし、またご主人様に会いに参りましたわ」
魔導の扇子が、ぴたりと止まった。
(……また来ましたわね、この方。前回も前々回も、わたくしの防衛線を突破してご主人様に接近しましたけれど……)
魔導は扇子で口元を隠し、にこやかに笑った。
(今度こそ、完璧に仕留めますわ)
「……ああ、新聞の押し売りでしたら――」
言葉を途中で切り、魔導は即座に転移魔法を展開した。
空間が歪み、魔導の姿が消える。
次の瞬間、彼女は王女の真後ろに、完璧な位置取りで現れた。
杖を構える。
その先端には、すでに膨大な魔力が集中していた。転移魔法を発動させると同時に、波動砲の発射準備まで済ませていたのだ。
杖の周囲で空間が震え、収束した魔力が不気味な光を放つ。
(背後を取りましたわ。波動砲の準備も完了。今度こそ、わたくしの勝利ですわね♡)
魔導は王女の背中に狙いを定め、引き金となる魔力を解放しようとした。
しかし、王女は静かに振り返った。
「……魔導さん」
「はい?」
「また、わたくしの邪魔をなさるおつもりですの?」
「いえいえ。少々、お話がございまして――」
魔導は笑顔を浮かべたまま、杖の照準を微調整した。
(あと一瞬……。あと一瞬で撃てますわ!)
「ならば、まずはこちらをどうぞ」
王女は手にしていた鍛練用の剣を、ひょいと空中へ放り投げた。
剣は陽光を反射しながら、高々と舞い上がる。
魔導は思わず空を見上げた。
「……は?」
「戦いの前には、準備運動も必要ですわよね」
「いや、剣を投げる意味が分かりませんわ!」
王女は腰を低く沈めた。
「それでは、参りますわ!」
「ちょ、ちょっとお待ちなさいませ――」
王女の身体が鋭く回転した。
「気配が大きすぎますわ!」
次の瞬間、回し蹴りが魔導の脇腹を直撃した。
「――えっ?」
ドゴォォォォン!!
魔導は地面から引き剥がされるように吹き飛び、庭を越え、屋敷の屋根を越え、空高く舞い上がった。
「ぶへッ!? またですかぁぁぁぁッ!?」
遠ざかる悲鳴が青空に吸い込まれていく。
二階のテラスでは、主人公がコーヒーカップを持ったまま、吹き飛んでいく魔導を見送っていた。
「……来て早々、何やってるんだ、あいつ」
一方、王女は何事もなかったかのように服の裾を整えた。
「さて、ご主人様はどちらにいらっしゃるのでしょう?」
その頭上では、先ほど放り投げた鍛練用の剣が、ゆっくりと落下を始めていた。
*
【屋敷・庭】
しばらくして。
庭の向こうから、何かが転がるような音が聞こえてきた。
「うう……。転移先の座標を、もう少し手前に設定しておけば……」
魔導が、よろよろと戻ってきた。
髪は乱れ、服には土埃がつき、手にした杖も微妙に曲がっている。
扇子を開こうとしたが、指先が震えてうまく開かない。
「……まったく。あの方、どうして毎回、わたくしの予想を超えてきますの……」
それでも魔導は、王女の姿を見つけると、すぐに表情を整えた。
「こほん。王女殿下」
「何でしょう?」
王女が振り返る。
魔導は深々と頭を下げた。
「先ほどは失礼いたしました。わたくし、ようやく反省いたしましたわ」
王女は無言で魔導を見つめた。
「ご主人様に会いにいらした王女殿下を、わたくしが何度も妨害するなど……。確かに、少々やりすぎでしたわね」
「……ようやく理解なさったのですか?」
「ええ。ですから、今後はもう王女殿下の邪魔をいたしません」
魔導は懐から、一枚の書類を取り出した。
表紙には、達筆でこう記されている。
『王女殿下の訪問に関する相互確認契約書』
「こちらに署名していただければ、わたくしは今後、王女殿下のご訪問を一切妨害しないとお約束いたしますわ♡」
王女の目が、わずかに輝いた。
「本当ですの?」
「もちろんですとも。わたくし、嘘は申しませんわ」
魔導は胸に手を当て、誇らしげに微笑んだ。
(ふふふ……。契約書の表面には、訪問を妨害しないという文言しか書かれておりません。ですが、署名欄の下に、特殊な魔法でしか見えないインクを使って、もう一つの条項を仕込んでありますわ)
その隠された条項には、こう書かれていた。
『本契約の締結後、王女殿下は五日間、主人公のもとを訪問してはならない』
(署名さえすれば、五日間はご主人様に近づけませんわ! その間に、わたくしが防衛体制を立て直せばよろしいのです♡)
魔導は内心でほくそ笑みながら、書類を差し出した。
「さあ、どうぞ。これでわたくしたちも、無用な争いを避けられますわね」
王女は書類を受け取った。
そして、じっと目を落とす。
数秒後。
「……魔導さん」
「はい?」
「あなた、わたくしを馬鹿にしていらっしゃいますの?」
魔導の笑顔が固まった。
「な、何のことでしょう?」
王女は書類を持ち上げた。
「表面には何も書かれていないように見えますけれど、魔力の流れが不自然ですわね。しかも、署名欄の周囲だけ、妙な術式が重ねられていますわ」
「……っ!?」
「隠された条項があるのでしょう?」
王女が指先に魔力を集めると、書類の表面に淡い光が走った。
見えないインクで書かれた文字が、次々と浮かび上がる。
『本契約の締結後、王女殿下は五日間、主人公のもとを訪問してはならない』
沈黙。
王女はゆっくりと顔を上げた。
「……五日間?」
「い、いえ、これはその……。王女殿下にも、少し休息を取っていただこうという、わたくしなりの配慮でして……」
「わたくしがご主人様に会いに来ることと、あなたの休息に何の関係がございますの?」
「そ、それはですね……」
魔導は一歩後ずさった。
王女は契約書を丁寧に折り畳み、魔導の胸元に押し返した。
「反省したとおっしゃいましたわね?」
「は、はい……」
「もう邪魔をしないと、お約束なさいましたわね?」
「そ、それは……」
王女の拳が、ゆっくりと握られた。
「ならば、どうしてこのような小細工をなさるのですかッ!」
ゴシャアッ!!
鉄拳が魔導の顔面にめり込んだ。
「ぶべらぁぁぁぁッ!?」
魔導は再び空の彼方へ吹き飛んだ。
契約書だけが、ひらひらと庭に落ちる。
王女は拳を軽く払うと、優雅に息を吐いた。
「まったく……。ご主人様に会うための時間を、契約書で奪おうとするなど。交渉以前の問題ですわ」
二階のテラスから一部始終を見ていた主人公は、コーヒーを片手に固まっていた。
「……今度は契約書で何をやらかしたんだ、あいつ」
*
【屋敷・庭】
しばらくして、三度目の帰還を果たした魔導が、地面に手をついて立ち上がった。
「……うう。顔が痛いですわ……」
頬を押さえながら、王女を恨めしそうに見つめる。
「せっかくの契約術式が……。不可視インクまで見破るなんて、どれだけ目がいいんですの……」
「何かおっしゃいましたか?」
「い、いえ! 何も!」
魔導は慌てて扇子を開いた。
「……まったく。拳で契約を破棄するなんて、法治国家なら大問題ですわよ!」
「あなたが不正な条項を仕込まなければよかったのでは?」
「ぐぬぬ……。正論で殴るのはやめていただけませんこと?」
王女はにっこりと微笑んだ。
「では、もう一度、拳でお話ししましょうか?」
「結構ですわッ!」
魔導は悲鳴を上げ、即座に転移魔法を発動した。
次の瞬間、二階のテラスにいる主人公の背後へ姿を現す。
「ご主人様ぁぁぁ! お助けくださいまし!」
主人公の背中に隠れ、魔導は王女を指差した。
「あの暴君を何とかしてくださいまし! わたくし、もう身が持ちませんわ!」
主人公はコーヒーを置き、呆れた目を向けた。
「……お前が先に仕掛けたんだろ」
「それとこれとは別問題ですわ! わたくしは平和的な契約交渉を試みただけですのに!」
「隠し条項を仕込んだ時点で平和的じゃないだろ……」
「うっ……。そこは契約上の遊び心と申しますか……」
「遊び心で五日間も会えなくされたら、わたくしだって怒りますわ!」
王女も階段を上がり、テラスへやってきた。
「ご主人様、そちらの方をどいていただけます?」
「ご主人様、盾になってくださいまし! あなた様なら、あの暴君も手出しできないはずですわ!」
「俺を盾にするな!」
「では、せめて交渉の仲介を!」
「さっきから交渉をぶち壊してるのはお前だろ!」
そのときだった。
ヒュッ――。
空から、何かが落ちてきた。
主人公が顔を上げる。
「……ん?」
ゴツンッ!!
「いったぁぁぁぁぁッ!?」
魔導の頭に、鍛練用の剣が直撃した。
「な、何ですの、今度はぁぁぁ!?」
魔導は頭を押さえてその場にしゃがみ込んだ。
主人公は落ちてきた剣を見て、それから王女を見た。
「……まさか、さっき投げた剣か?」
王女は少しだけ首を傾げた。
「あら。ちょうど戻ってきたようですわね」
「ちょうど戻ってきた、じゃないだろ! 危ないから投げるなって言っただろ!」
「申し訳ございません、ご主人様。次からは気をつけますわ」
王女は素直に頭を下げた。
一方、魔導は主人公の背後で涙目になっていた。
「うう……。蹴られて、殴られて、最後は剣まで落ちてくるなんて……。今日は厄日ですわ……」
「自業自得だろ」
「ご主人様まで冷たいですわぁぁぁ!」
(このままでは、わたくしの面目が丸つぶれですわ。ここで引くわけには……!)
王女が優雅に服の裾を整えるのを横目に、魔導は深く息を吸い込んだ。
「……ふふ。ここまでやっていただきましたからには、わたくしにも本気を出させていただきますわ」
杖の先端が鈍く光る。
空間が歪み始め、足元から複雑な魔法陣が広がり始めた。
固有結界――魔導が本気で発動する、空間そのものを支配する最終手段。
「固有結界、展開――」
その言葉が完了する直前。
「おい、魔導。そこまでだ」
主人公の声に、魔導が不満そうに振り返った。
「ご主人様、わたくしはまだ本気を出しておりませんわよ?」
「分かってる。だから止めてるんだ」
主人公は魔導の足元に広がる魔法陣を見下ろした。
「お前の固有結界は星そのものに干渉するんだろう。そんなものをここで使われたら、王女どころか周囲まで巻き込むことになる」
「ですが、あの暴君が――」
「王女と張り合うために星まで巻き込むな。力の使いどころを考えろ」
主人公がそう告げると、魔導は不服そうに頬を膨らませた。
「……ご主人様は、いつもわたくしばかり止めますのね」
「止めなきゃいけない規模のことをするからだろうが……」
「で、でも……! このままではわたくしの負けですわ! 王女殿下に三度も……四度も……!」
「もう十分だろ。お前が先に仕掛けたんだ。これ以上やる必要はない」
主人公は魔導の杖に手を伸ばし、静かに先端を下げさせた。
魔法陣の光が、ゆっくりと消えていく。
「……くっ。ご主人様に止められると、反論できませんわね……」
魔導は悔しそうに唇を噛み、扇子で顔を隠した。
王女は少し離れた場所から、その様子を静かに見ていた。
「……ご主人様に止められて正解ですわ。固有結界まで出されたら、わたくしも本気で応戦するしかありませんでしたもの」
「するな、それ」
主人公が振り返って釘を刺す。
魔導は主人公の背中に隠れながら、小さく呟いた。
「……ご主人様が止めてくださらなければ、わたくし、本当にやっていましたわよ?」
「だから止めたんだよ。お前が本気を出したら、後が面倒なんだ」
「面倒、ですか……」
「ああ。お前の後始末をするのが、一番面倒なんだよ」
魔導は扇子の陰で、微かに頰を赤らめた。
「……ご主人様が止めてくださるから、わたくしは好き勝手に暴れられるのではありませんこと?」
「……はあ?」
「ええ。ご主人様が最後の一線で止めてくださる。だから、わたくしは少々やりすぎても大丈夫だと思えてしまうのですわ」
魔導は扇子の陰で、微かに頰を赤らめた。
「意地悪ですわね、ご主人様。止めてくださるから、余計に調子に乗ってしまうのですもの」
「……俺が止めるせいで、お前がより暴れるようになってるのかよ」
「ふふっ。事実ですわ♡」
主人公は深く息を吐いた。
「……最悪の理由だな」
王女は拳を緩め、小さく息を吐いた。
「……ご主人様に止められて、助かりましたわ。本当に展開されていたら、少々困っていましたもの」
「お前も困るな。双方困るんだよ、こういうのは」
主人公は空を仰いだ。
庭には、まだ魔法陣の残滓が淡く光っていた。
だが、それ以上の被害が出ることはなかった。
――主人公が、最後の一線だけは止めたおかげで。
【屋敷・庭/テラス】
主人公は二人を交互に見て、深々とため息をついた。
「……お前ら、もう仲良しだろ」
「「どこがですのッ!?」」
王女と魔導の声が、見事に重なった。
主人公はコーヒーカップを持ち直した。
「ほら、息ぴったりじゃないか……」
「ご主人様、これは断じて仲良しなどではございませんわ!」
「そうですわ! わたくしは、この暴君に一方的に攻撃されている被害者ですの!」
「誰が暴君ですって?」
「ひっ!?」
魔導は再び主人公の背後に隠れた。
王女は笑顔のまま拳を握る。
主人公は空を仰いだ。
「……平和な昼下がりって、何なんだろうな」
屋敷の庭には、今日も穏やかな陽射しが降り注いでいた。
ただし、その平和を実感できている者は、誰一人としていなかった。
そのとき、庭の端から足音が近づいてきた。
やってきたのは格闘特化だった。
彼は王女と魔導のさっきまでの攻防を、遠目に見ていたらしい。腕を組み、興味深そうに王女を見ている。
「今の動き、見させてもらった」
「……何ですの?」
王女が振り返る。
格闘特化は肩を回しながら、真っ直ぐに言った。
「最近、兵士に稽古をつけるばっかでな。骨のある相手が全然いねえんだよ。組み手、しないか?」
一瞬、場が止まった。
王女は少しだけ目を細め、それから軽く頷いた。
「いいですわよ」
「マジか。助かる」
主人公がコーヒーカップを持ったまま固まった。
「……またなんか始まった」
森羅万象が静かに傍らへ歩み寄り、穏やかに微笑む。
「いいではありませんか。私たちはチェスでもして待ちましょう」
「……今度は俺が勝つぞ」
「期待しておりますわ」
二人はテラスのテーブルへ移動し、棋盤を出して駒を並べ始めた。
その傍らで、地面に座り込んだままの魔導が、涙目で訴える。
「ご主人様! 森羅万象様! チェスしてないで、わたくしのこと心配してくださいまし! 顔も頭も痛いですわよ!?」
主人公と森羅万象が、同時に短く答えた。
「自業自得だ」
「自業自得ですわ」
「ひどいですわぁぁぁ!!」
慈愛が慌てて駆け寄り、魔導の肩を優しく押さえる。
「魔導さん、暴れないでくださいませ。今、ヒールで治していますから。動かれると治癒が乱れますわ」
「で、でも……! こんな扱い、あんまりですわ……!」
「はい、はい。じっとしていてくださいね。すぐに楽になりますから」
慈愛の手が淡い光を放ち、魔導の腫れと痛みを丁寧に溶かしていく。
一方、庭の中央では、すでに王女と格闘特化が間合いを取っていた。
「行くぞ」
「はい」
格闘特化は王女の動きを見極めるように構え、王女もまた、相手の隙を探るように視線を走らせた。
次の瞬間、王女が踏み込む。繰り出された拳を格闘特化が受け流すと、王女はその動きに逆らわず、身体をひねって足払いへとつないだ。
格闘特化はすかさず跳び退き、口元に笑みを浮かべた。
「なるほど。力任せじゃないな。こちらの動きを利用して、次の一手につなげてくるのか」
「先生方に教えていただいた技を、実戦でどう活かすか考えておりますの。ですが……今の動きを見切られるとは思いませんでしたわ」
王女もまた、楽しそうに笑った。
その後も二人は何度か打ち合い、互いの技量を確かめ合った。
やがて組み手を終えると、格闘特化は満足そうに頷いた。
「いい試合だった。またお願いしてもいいか?」
「ええ、もちろんですわ。わたくしも、もっと強くなりたいですもの」
王女は晴れやかな笑顔で答えた。
短いが密度の濃い攻防が終わり、二人は同時に一歩下がった。
格闘特化は息を整えながら、満足そうに頷く。
「……いい試合だった。またお願いしてもいいか?」
王女は服の裾を整え、上品に微笑んだ。
「いいですわよ」
テラスでチェスをしていた主人公が、駒から顔を上げた。
「……戻ってきたな」
森羅万象も穏やかに駒を進めながら答える。
「ええ。お二人とも、楽しそうでしたわ」
「楽しそう、で片付けていいのか、あれは……」
魔導は慈愛に支えられながら、遠い目をしていた。
「……わたくしだけが、ひどい目に遭っている気がしますわ……」
「気のせいではありませんよ」とリリムが遠巻きに呟いた。
「事実よ」
王女は満足げに頷くと、屋敷の中へ向かって声をかけた。
「ご主人様! お邪魔してもよろしいでしょうか?」
「……ああ、もう好きにしてくれ」
主人公の返事に、王女の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございますわ!」




