ヤンデレたちの馴れ初め
# 番外編――ゲイバー「オアシス」、ヤンデレたちの馴れ初め
【ゲイバー「オアシス」・夜】
ネオンが薄く灯るカウンターに、今夜も例によって大所帯が揃っていた。
魔導、森羅万象、嫉妬、慈愛、科学、薬学、監視特化、潜入特化、格闘特化、腰振り、拷問特化。
さらにエンジェルとリリム、そして主役級の王女まで顔を揃えている。
カウンターの向こうでグラスを磨いていたお兄さんは、一人ずつ顔を確かめ、深々とため息をついた。
「……また来たのか。しかも今夜は、ずいぶんと豪華な顔ぶれだな」
「皆様、お揃いですわ♡」
魔導が優雅に微笑む。
「お前らが揃うと、どうして店の売上より先に俺の胃が心配になるんだろうな……」
常連客たちは、すでに店の奥へ退避していた。
「今日は近づかない方がいい」
「賢明な判断だ」
「注文はあちらで済ませておこう。巻き込まれたくない」
そんな声が聞こえる中、王女はグラスを両手で包み、少し遠慮がちに口を開いた。
「……皆様に、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「何かしら?」
魔導が扇子を軽く開く。
王女は一同を見渡したあと、恥ずかしそうに視線を落とした。
「皆様は、どうしてご主人様のことを、あれほどお慕いになっているのですか?」
一瞬、店内が静かになった。
「森羅万象様は、この国でも有数の貴族でいらっしゃいましたし、魔導様は隣国の名門のご出身でしょう? ほかの皆様にも、それぞれのお立場や実績がおありです。それなのに、なぜそこまで……」
言葉を選びながら、王女は続けた。
「いえ、わたくしもご主人様がお好きですから、皆様のお気持ちは分かるつもりです。ただ、皆様がどのようにして、あの方をお慕いするようになったのか、もっと知りたくて……」
カウンターの向こうで、グラスを磨く手が止まった。
お兄さんは、ゆっくりと主人公の方を見た。
「……おい。それ、今夜ここで聞くのか?」
主人公は、すでにカウンターに額をつけていた。
「頼むからやめてくれ。俺の過去を掘り返すな……」
「まあ、ご主人様。昔のお話ではありませんか」
森羅万象が、涼やかな笑みを浮かべる。
「今となっては、懐かしい思い出ですわ」
「お前の懐かしい思い出には、だいたい俺の苦労が詰まってるんだよ……」
「それでは、わたくしからお話ししましょうか」
森羅万象は、手元のカップを静かに置いた。
*
## 【森羅万象の馴れ初め】
「わたくしは、もともと短気でしたの」
「知ってる」と、誰かが小さくつぶやいた。
森羅万象は、聞こえなかったことにして話を続けた。
「気に入らないことがあれば雷を落とし、風を荒れ狂わせ、時には地形そのものを変えてしまう。今思えば、ずいぶんと乱暴な振る舞いをしておりました」
「今思わなくても乱暴だろ」と主人公が顔を上げる。
「ええ。ですから、国からは『自然災害の化身』などと呼ばれていたそうですわ」
「そうですわ、じゃないんだよ」
森羅万象は、懐かしむように目を細めた。
「とうとう国も手に負えなくなり、主人公様を派遣してきました。わたくしの起こす災害を鎮め、これ以上の被害が出ないようにするためです」
王女が身を乗り出す。
「ご主人様が、直接?」
「はい。最初にお会いしたとき、主人公様はこうおっしゃいました。『これ以上、災害を起こすのはやめろ』と」
「ずいぶん直球だな……」
「もちろん、わたくしは聞き入れませんでした」
森羅万象は、悪びれずに微笑んだ。
「雷を落とせば、主人公様が鎮める。暴風を起こせば、被害が広がる前に食い止める。大地を荒らせば、人々を救いながら元の状態へ戻していく。何度繰り返しても、主人公様は必ず現れました」
「何度繰り返しても、じゃないんだよ。少しは反省しろ……」
主人公がぼやく。
「最初は、腹立たしかったのです。わたくしの力を前にしても怯まず、何をしても諦めず、こちらの都合などお構いなしに災害を鎮めてしまうのですから」
「そりゃ、被害が出てるんだからな……」
森羅万象は、静かに頷いた。
「けれど、あるとき気づきました。主人公様は、わたくしを打ち負かすことだけを目的にしていたわけではなかったのです」
「災害を鎮めたあとも、必ずわたくしのところへ戻ってきました。被害の状況を伝え、何が問題だったのかを説明し、どうすれば同じことを繰り返さずに済むのか、一緒に考えようとしてくださったのです」
「……まあ、同じことを繰り返されたら、こっちも困るからな」
「ええ。けれど、わたくしが話を聞かなかったときも、あなたは諦めませんでした」
森羅万象は、主人公をまっすぐに見つめた。
「誰もがわたくしを危険な存在として遠ざけるなかで、あなたは何度でも目の前に立ちました。災害を鎮めるだけでなく、わたくしがなぜそのようなことをするのか、理解しようとしてくださったのです」
彼女の表情が、少しずつ柔らかくなる。
「いつしか、わたくしはあなたが来るのを待つようになりました。今日はいつ来るのか。次は何を言われるのか。姿が見えない日は、妙に落ち着かなくなってしまって……」
「……それ、災害を起こさなくても会えるって気づくまで、ずいぶん時間がかかったんじゃないか?」
リリムが尋ねた。
森羅万象は、少しだけ目を伏せた。
「……はい。最初は、災害を鎮めに来てくださるのを待っていたのです。けれど、いつの間にか、災害がなくてもお会いしたいと思うようになっておりました」
「そこで普通なら、会いに行けばいいのよね?」
「ええ。ですから、会いに行きましたわ」
「……そこまでは普通ね」
「それからは、主人公様の屋敷や、よく立ち寄るお店も覚えました。お姿を見かけると、つい後を追いかけてしまうようになりまして」
リリムは、グラスをそっと置いた。
「……待って。災害を鎮めに来てくれるのを待っていたら、本人に会いたくなって、今度は自分が追いかける側になったの?」
「その通りですわ」
「ずいぶん立場が変わったわね……」
森羅万象は、優雅に紅茶を口に運んだ。
「主人公様が災害を鎮めてくださらなければ、今のわたくしはなかったでしょうね。何度もわたくしのもとへ来てくださったことに、感謝しておりますわ」
「……できれば、災害を起こさずに感謝してほしかったけどな」
「ふふ。今は起こしておりませんでしょう?」
「そういう問題じゃないんだよ……」
*
## 【魔導の馴れ初め】
「次は、わたくしですわね♡」
魔導が扇子で口元を隠した。
主人公は、途端に嫌な予感を覚えた。
「……お前は話さなくていいぞ」
「あら。王女様が知りたがっていらっしゃるのですから、きちんとお答えしなくては」
「お前の場合、話を盛るだろ」
「失礼ですわ。事実を華やかにお伝えするだけですもの♡」
「その言い方が一番信用できねえんだよ」
魔導は楽しそうに笑った。
「わたくしは隣国の名門貴族の出身で、魔術師としても将来を嘱望されておりました。ところが、少々……自分の力を持て余していた時期がありまして」
「少々?」
「機嫌が悪くなると波動砲を放ち、街を吹き飛ばしかけたり、契約書に細工をして周囲の方々を困らせたり」
「それを少々で済ませるな!」
「若気の至りですわ♡」
「被害に遭った側の前で言ってくれ!」
王女は困惑しながら尋ねた。
「それで、ご主人様が派遣されたのですか?」
「ええ。わたくしの振る舞いを止めるために、主人公様がいらっしゃいました」
魔導は当時を思い出すように、うっとりと目を細めた。
「そして、わたくしが波動砲を放とうとした瞬間……」
「……瞬間?」
「一発、殴られましたの♡」
王女が固まった。
リリムは飲みかけのビールを危うく吹き出しかけ、慌てて口元を押さえた。
「待って。いきなり?」
「ええ。わたくしが何か言うより先に、見事な一撃をいただきましたわ」
「説明くらい聞いてくれよ……」
主人公が額を押さえる。
「お前が街を吹き飛ばそうとしてたからだろ。止めるのが先だったんだよ」
「その判断の速さ、実に素晴らしいですわ♡」
「褒めても何も出ないぞ」
魔導は、頬に手を添えた。
「わたくしの魔術を前にしても怯まず、ためらいなく立ち向かってきた。しかも、わたくしを倒すことだけではなく、街への被害を防ぐことを優先していた。あの瞬間、わたくしは初めて、自分の力を真正面から受け止めてくれる方に出会ったのです」
「……なるほど。そういうことでしたのね」
王女は感心したように頷いた。
魔導は、さらに声を弾ませた。
「ええ! あの方の強さも、迷いのなさも、そして何より、わたくしに一切遠慮しないところも! すべてが魅力的でしたわ♡」
「お前、殴られたことをそんなに喜んでたのか……」
「もちろんですわ。あの一撃で、わたくしの人生は変わりましたもの」
リリムは、しばらく黙ってから言った。
「……ご主人様って、普通に街を守っただけなのに、相手の人生まで変えてしまうのね」
「俺はただ、街が壊される前に止めたかっただけなんだが……」
「その『ただ』が、皆様には特別なのですわ♡」
魔導は、満足げに扇子を閉じた。
主人公は、反論を諦めて水を飲んだ。
*
## 【拷問特化と潜入特化の馴れ初め】
「……次は、俺たちの話か」
拷問特化が低い声で口を開いた。
隣では、潜入特化が静かに微笑んでいる。
「潜入特化は、もともと隣国の諜報組織を率いる立場だった。捕らえられたあと、俺が尋問を担当することになった」
潜入特化が、少しだけ肩をすくめる。
「当時は、互いに相手の情報を引き出すことばかり考えておりましたわね」
「何日かけても、こいつは簡単には口を割らなかった。こちらも手を変え、方法を変えたが、決定的な情報は得られなかった」
拷問特化はグラスを見つめた。
「そこへ主人公が来た。俺のやり方を見て、こう言ったんだ」
彼は主人公の方を向いた。
「『相手を屈服させることだけが目的になっていないか。相手を尊重することを忘れるな』と」
主人公は、少し考えてから頷いた。
「……そんなことも言ったな。情報を得るにしても、相手の人格まで踏みにじる必要はないだろ」
「その言葉が、俺には衝撃だった」
拷問特化は、真剣な表情で続けた。
「俺はずっと、相手から情報を引き出すことばかり考えていた。だが、主人公は、相手を一人の人間として扱うことを忘れるなと言った。目的を果たすためにも、相手を理解することが必要なのだと」
「それで、考え方が変わったのですか?」
王女が尋ねる。
「少なくとも、変わるきっかけにはなった。それからは、拘束や尋問の方法についても、相手の尊厳を損なわないやり方を考えるようになった」
主人公は、嫌な予感を覚えた。
「……その結果が、今の拘束具研究か?」
「そうだ。安全性と効率性を両立させるため、日々研究している」
「方向性が思っていたのと違うんだが!?」
潜入特化が、穏やかな声で補足した。
「わたくしも、主人公様のお言葉に心を動かされました。捕らえられた身でありながら、ただ情報を引き出す対象としてではなく、一人の人間として扱ってくださった。そのことが、ずっと心に残っていたのです」
彼女は主人公を見つめ、柔らかく微笑んだ。
「気がつけば、尋問が終わったあとも、主人公様のことばかり考えておりました。あの方は今、どこにいらっしゃるのか。次にお会いできるのはいつなのか。……知りたいことが、どんどん増えていったのです」
リリムが頬杖をついた。
「なるほどね。拷問特化は考え方を変えてもらったことがきっかけで、潜入特化は人として尊重してもらったことがきっかけなのね」
「はい」
「それで、今は二人とも主人公様のことを追いかけている、と」
「はい」
「……尋問室から始まった恋が、今では店の常連になっているのね」
拷問特化は真面目に頷いた。
「そういうことになるな」
「ずいぶん遠くまで来たわね……」
リリムは、空になったグラスを見つめた。
*
## 【嫉妬と慈愛の馴れ初め】
嫉妬が、少し照れくさそうに手を挙げた。
「あたしの話も聞いてくれる?」
「もちろんですわ」と王女が頷く。
嫉妬は、グラスを両手で包んだ。
「もともと、あたしは人気のあるアイドルだったの。でも、人気が出れば出るほど、困ったファンも増えてしまってね。あるとき、悪質なストーカーに襲われそうになったところを、主人公様に助けてもらったの」
「危ないところだったな……」
主人公が頷くと、嫉妬は少しだけ目を伏せた。
「ええ。あのときは、本当に怖かったわ。そのあとも恐怖が抜けなくて、ステージに立ってもうまく笑えなくなってしまったの」
華やかな舞台の裏にあった苦悩を思い出すように、嫉妬は言葉を続けた。
「そんなとき、主人公様は何度も励ましてくださった。無理に元気を出せとは言わず、あたしが話せるようになるまで、そばにいてくださったの」
彼女の表情が、少しずつ明るくなる。
「おかげで、もう一度ステージに立てるようになったわ。あの方がいなかったら、きっと今も、あのときの恐怖を引きずっていたと思う」
「……それは、よかったな」
主人公が微笑む。
嫉妬は、その笑顔を見て頬を赤くした。
「でしょう? だから今度は、あたしがあの方を応援する番なの。応援される側だったあたしが、応援する側になったのよ」
「それで、毎日追いかけているわけか」
「ええ♡ あの方が笑ってくださると、あたしまで嬉しくなるんだもの」
リリムが、そっと嫉妬の肩を叩いた。
「その気持ちは素敵だと思うわ。……その、追いかける頻度を除けばね」
「頻度も愛情のうちよ?」
「そう言われると、何も言えなくなるのよね……」
続いて、慈愛が聖母のような微笑みを浮かべた。
「わたくしは、国境を越えて兵士たちの傷を癒やす活動をしておりました。誰かを救うことが自分の役目だと思い、休むことも忘れて働いていたのです」
「……お前らしいな」
主人公が言うと、慈愛は嬉しそうに目を細めた。
「あるとき、主人公様にこう言われました。『あなたも、自分を労わらないと駄目だ』と」
「それだけで?」
「はい」
慈愛は、迷いなく頷いた。
「わたくしは、人を癒やすことばかり考えて、自分が疲れていることに気づいておりませんでした。そんなわたくしに、あなたは休むことも大切なのだと教えてくださったのです」
彼女は、主人公を優しく見つめた。
「誰かに気遣っていただくことが、あんなに嬉しいとは思いませんでした。それからは、主人公様にも同じように、安らいでいただきたいと思うようになったのです」
「……なるほど。お互いを労わるのは大事なことだな」
主人公が素直に頷く。
慈愛は、ますます嬉しそうに微笑んだ。
「ええ。ですから、主人公様がお疲れのときは、ぜひわたくしのところへいらしてくださいませ。食事も休息も、すべて整えてお待ちしておりますわ」
リリムが小さく手を挙げた。
「そのお誘い自体は素敵なんだけど……帰る時間も決められていそうなのが、ちょっと気になるわね」
慈愛は微笑んだまま答えた。
「もちろんです。十分にお休みいただけるよう、予定も調整いたします」
「ほら、やっぱり!」
*
## 【格闘特化と腰振りの馴れ初め】
格闘特化が腕を組み、短く言った。
「俺は単純だ。主人公に勝負を挑んで、負けた。それだけだ」
「それだけで、そこまで慕うようになったのですか?」
王女が目を丸くする。
「強い相手と戦うのが好きだった。だが、主人公は別格だった。こちらの力を正面から受け止め、最後には手も足も出ないほどの差を見せつけてきた」
格闘特化は、悔しさよりも喜びを感じているような顔で笑った。
「負けたことは悔しかった。だが、それ以上に、もっとこの人と戦いたいと思った。何度挑んでも届かない。だからこそ、傍で学びたいと思ったんだ」
「それで、今も挑戦しているのか?」
主人公が尋ねる。
「当然だ。次こそは一撃くらい当ててみせる」
「……その意気込みは買うが、屋敷の壁を壊すのはやめてくれ」
「善処する」
「そこは約束してくれ!」
腰振りが、隣で楽しそうに笑った。
「俺も似たようなものだな。衝撃波で勝負を挑んだが、一瞬で沈められた。あのときの衝撃は忘れられないぜ☆」
「お前もか……」
「強さだけじゃない。圧倒的な力を持っているのに、勝負が終われば何事もなかったように接してくれる。その余裕が格好よかったんだ」
腰振りは、にやりと笑った。
「だから、もっと近くで見ていたくなった。気づけば、勝負を挑む口実がなくても、会いに行くようになっていたぜ☆」
「お前ら、勝負に負けるたびに俺のところへ来るのか……」
「勝負がなくても行くぜ☆」
「そこは堂々と言うな!」
*
## 【科学の馴れ初め】
科学は眼鏡を押し上げ、理路整然と語り始めた。
「私は、主人公様の能力に興味を持ったのが最初よ。常識では説明できない力を持ちながら、判断には一貫性がある。戦闘時の動きも、状況への対応も、研究対象として非常に興味深かったの」
「最初は研究対象だったのか……」
主人公が少し複雑な顔をする。
「ええ。ところが、調べれば調べるほど、能力だけでは説明できない部分が増えていったの。誰かを助けるときの判断、危険を引き受けるときの迷いのなさ、そして自分自身のことになると、驚くほど無頓着なところ」
「最後のは余計だろ」
「重要な観察結果よ」
科学は、楽しそうに微笑んだ。
「気づけば、研究のために会いたいのか、会いたいから研究を続けているのか、自分でも分からなくなっていたわ」
リリムが頷いた。
「研究対象が、いつの間にか特別な人になっていたのね」
「その通り。今では、主人公様のことを考えずに一日を終えるほうが難しいわ」
「……研究に集中しろよ」
「主人公様の研究をしているのだから、問題ないでしょう?」
「そういう話じゃないんだが……」
*
## 【薬学の馴れ初め】
「では、次はわたくしですね」
薬学は、手元のグラスを置いた。
「わたくしの場合、最初から主人公様個人に興味があったわけではありませんでした」
「ほう?」
魔導が扇子を揺らす。
「国から主人公様の健康データを提供していただき、分析することになったのです。あれほどの力を持つ方の身体が、通常の人間とどの程度異なるのか。医学的にも薬学的にも、非常に重要な資料になると考えました」
主人公は、ゆっくりと顔を上げた。
「……待て。俺の健康データを、国から?」
「はい。正式な研究資料として受け取っておりました」
「俺は聞いてないぞ!?」
薬学は、少し首を傾げた。
「国の管理下にあるデータでしたので、問題ないものと……」
「本人に一言くらい確認してくれ!」
「今後の参考にいたしますね」
「今後じゃなくて、まず今の話をだな……!」
薬学は、慌てる主人公をよそに、懐かしそうに語り始めた。
「ところが、分析を始めてみると、予想を大きく上回る結果が次々と出てきたのです。筋肉や骨格の状態、代謝、回復力、各種の検査値……どれを取っても、既存の医学的な基準だけでは説明しきれない部分がありました」
科学が興味深そうに身を乗り出す。
「へえ。具体的には?」
「その話を始めると、今夜中には終わりませんわ」
「それはぜひ、後日詳しく聞きたいわね」
「資料を整理しておきます」
「おい。勝手に研究会を始めるな!」
主人公の抗議をよそに、薬学は頬に手を添えた。
「最初は純粋に、身体の仕組みに興味があったのです。なぜこれほどの力を発揮できるのか。なぜ激しい戦闘のあとでも、あれほど早く回復できるのか。知りたいことが、次から次へと出てきました」
「……それで?」
王女が尋ねる。
「研究を続けるうちに、わたくしは主人公様ご本人にも興味を持つようになりました。データだけでは分からないことが、あまりにも多かったのです」
薬学は、主人公を見つめた。
「実際にお会いして、身体の状態を確認したい。お話を伺いたい。新しいデータが得られたら、すぐに分析したい。そう考えるようになりました」
「……それは、研究者としての好奇心なのか?」
主人公が恐る恐る尋ねる。
薬学は、にっこりと微笑んだ。
「最初は、そうでしたわ」
「最初は?」
「いつの間にか、研究とは関係なくお会いしたくなっていたのです。姿が見えないと気になりますし、ほかの方と楽しそうにお話しされていると、少し落ち着かなくなりますし……」
リリムが、そっと額を押さえた。
「研究データから始まって、本人に会いたくなって、いつの間にか追いかけるようになったのね」
「ええ。今では、主人公様の健康状態を把握しておくことも、わたくしの大切な役目だと思っております」
「その役目、誰から任されたんだ?」
「わたくし自身ですわ」
「国でも医師でもなく、お前の自己任命かよ!」
薬学は、少しも悪びれずに頷いた。
「もちろん、健康管理のために必要なことは、きちんとご説明いたします。食事や睡眠、運動の状況も把握できれば、より正確な分析が可能になりますから」
「……それ、生活を全部調べるってことじゃないか?」
「必要な情報を集めるだけですわ」
「その『必要』の範囲を、まず俺と相談してくれ!」
リリムは、主人公に同情するように肩を叩いた。
「安心して。少なくとも、薬学はあなたの身体を壊すつもりはないわ」
「少なくとも、って何だよ……」
「大丈夫です。わたくしは、主人公様の身体を誰よりも大切に考えておりますから」
薬学は、満面の笑みを浮かべた。
主人公は、なぜかそれ以上、安心できなかった。
*
## 【監視特化の馴れ初め】
「次は、わたくしの番ですわ」
監視特化は、淡々とグラスを置いた。
「わたくしの場合は、国からの任務が始まりでした」
「任務?」
王女が尋ねる。
「主人公様は、国にとっても無視できない存在でした。あれほど巨大な力を持つ人物が、どのような考えで行動し、何を目的としているのか。把握しておく必要があると判断されたのです」
主人公は、嫌な予感を覚えた。
「……まさか」
「そのまさかですわ。わたくしは、主人公様の監視任務を命じられました」
「国ぐるみで俺を監視してたのか!?」
「危険性を評価するためです。あなたほどの力を持つ人物を、何も知らずに放置しておくわけにはいきませんでしたから」
「いや、別に国を滅ぼそうなんて考えてないぞ!」
「それは、現在の観察結果と一致していますわ」
「観察結果って言うな!」
監視特化は、表情を変えずに続けた。
「最初は、任務に忠実でした。行動範囲、交友関係、戦闘能力、日常の習慣。危険性を判断するため、必要な情報を集めておりました」
「……それで、何か問題があったのか?」
王女が尋ねる。
監視特化は、少し考えた。
「問題があったというより、途中から目的が変わってしまったのです」
「目的が変わった?」
「主人公様の危険性を評価するために観察していたはずが、いつの間にか、主人公様そのものを観察することが目的になっておりました」
店内が静かになった。
監視特化は、いつもの調子で説明を続ける。
「任務上、必要なのは能力や行動の記録でした。ですが、観察を続けるうちに、それ以外のことも気になり始めたのです。誰と話しているときに笑うのか。何を好み、何を嫌うのか。困っている人を見かけたとき、どのように対応するのか」
「……それ、監視任務に必要なのか?」
主人公が尋ねる。
「当初の任務には、必要ありませんでした」
「だったら、やめろよ!」
「ですが、知りたくなってしまいましたの」
監視特化は、少しだけ目を細めた。
「最初は、巨大な力を持つ危険人物でした。次に、行動の予測が難しい観察対象になりました。そして、いつの間にか、次に何をするのかを知りたい相手になっていたのです」
「段階を踏んでいるようで、任務からは遠ざかっているな……」
お兄さんが、グラスを磨きながらつぶやいた。
監視特化は、気にせず話を続ける。
「主人公様が誰かを助ければ、その相手がどうなったのかも気になりました。新しい場所へ行けば、何をするのか見届けたくなりました。観察を終えて報告書を書くより、ご本人を見ている時間のほうが楽しくなっておりました」
「……報告書は?」
王女が恐る恐る尋ねる。
「必要最低限の内容だけ提出しておりました」
「任務をさぼっていたのか!?」
「任務そのものを放棄したわけではございません。危険性の評価に必要な情報は、すでに十分に集まっておりましたから」
「それで、残った時間は?」
「主人公様の観察に使っておりました」
主人公は、しばらく監視特化を見つめた。
「……お前、俺を監視するために派遣されたんだよな?」
「ええ」
「それが、どうして俺を観察すること自体が目的になってるんだよ!」
「観察しているうちに、興味が深まってしまったからですわ」
「説明が簡潔すぎる!」
リリムは、呆れたように首を振った。
「国は危険人物を監視するつもりだったのに、派遣した監視役が本人のファンになって帰ってきたわけね……」
「帰ってきたというより、今も観察を続けておりますわ」
「そこは続けなくていいのよ!」
監視特化は、少しだけ不思議そうな顔をした。
「なぜですの? 主人公様は今も巨大な力を持っていらっしゃいます。観察を続ける価値は十分にありますわ」
「その言い方だと、まだ任務のつもりなのね……」
「任務と個人的な興味は、両立いたしますわ」
「便利な言葉ね、それ!」
主人公は、両手で顔を覆った。
「国に監視されてたと思ったら、監視役が個人的に俺を追いかけるようになってたのか……」
「正確には、任務を通じて個人的な関心が生まれた、ということですわ」
「言い換えても同じだろ!」
監視特化は、静かに頷いた。
「そうかもしれませんわね」
リリムは、グラスを持ち上げながら小さくつぶやいた。
「国も大変ね。主人公様を危険視して監視を命じたら、監視役まで夢中にさせちゃったんだもの」
「……報告書には、どう書いたんだ?」
主人公が尋ねる。
監視特化は、間を置かずに答えた。
「『対象に継続的な観察価値あり』と記しております」
「間違ってはいないけど、肝心なところを全部隠してるだろ!」
*
【監視特化とエンジェルの記録談義】
エンジェルが、バインダーを抱え直した。
「記録という意味では、私も似たようなものです」
主人公が顔を上げる。
「……お前も記録か」
「はい。主人公様の行動や判断には、記録しておく価値のあるものが多くありました。戦闘での判断、周囲への配慮、問題への対処。そして、時折見せる予想外の行動」
「予想外って何だ?」
「説明を始めると、今夜中には終わりません」
「……そうか」
エンジェルは、バインダーの表紙を指先で撫でた。
「記録を続けるうちに、過去の出来事を整理するだけでは足りなくなりました。次に何が起きるのか知りたい。新しい一面を見つけたい。記録が増えるたびに、もっと知りたいと思うようになったのです」
「それで、今も記録しているのか?」
「はい。現在も継続中です」
「いつ終わるんだ?」
「終了条件は、まだ設定しておりません」
主人公は、ゆっくりとカウンターに額をつけた。
「……せめて、終了条件くらい決めてくれ」
エンジェルは真面目にバインダーを開いた。
「では、検討項目に追加しておきます」
「検討項目に追加されただけだろ……」
リリムは、エンジェルと監視特化を見比べた。
「片方は記録を続けて、片方は観察を続けている。主人公様の周りって、どうしてこう、調査や記録をやめられない人ばかりなのかしら」
「それは、主人公様に記録する価値があるからですわ」
エンジェルが即答した。
監視特化も静かに頷く。
「同意いたしますわ」
「本人の休息時間にも価値を認めてあげてちょうだい……」
*
【王女の理解】
ここまでの話を聞いていた王女は、グラスを置き、ゆっくりと息を吐いた。
「……皆様、それぞれに違う出会いがあったのですね」
「ええ。出会いは人それぞれですわ」
魔導が優雅に微笑む。
王女は、順番に皆の顔を見た。
災害を鎮めるために何度も足を運び、最後には待ち焦がれる存在になった森羅万象。
圧倒的な力で自分を止めてくれた主人公に、心を奪われた魔導。
考え方を変えるきっかけを与えられた拷問特化と、尊重されたことを忘れられなかった潜入特化。
恐怖から救い出され、再び前を向けるようになった嫉妬。
自分自身を労わることを教えられた慈愛。
強さに惹かれた格闘特化と腰振り。
研究を通じて主人公の身体に興味を持ち、やがて本人を追いかけるようになった薬学。
危険人物の監視任務から始まり、いつしか任務以上に主人公そのものの観察に夢中になった監視特化。
そして、研究や記録を通じて主人公の人柄に惹かれていった科学とエンジェル。
どの話にも、主人公が誰かの問題に向き合い、相手を放っておかなかったことが共通していた。
「ご主人様は……皆様にとって、人生を変えるような方だったのですね」
王女は、そっと主人公を見つめた。
「誰かを助けようとなさったことが、こんなにも多くの方の心に残っているのですもの」
主人公は、困ったように頭をかいた。
「……俺は、目の前で困っている奴がいたら、放っておけなかっただけだよ」
「それが、皆様には特別だったのですわ」
魔導が微笑む。
「そうね」と嫉妬が頷いた。
「助けてもらったことも、言葉をかけてもらったことも、あたしは忘れられないわ」
「わたくしもです」と慈愛が続ける。
森羅万象は、紅茶を一口飲んでから、静かに言った。
「何度もわたくしのもとへ来てくださったこと。あれが、すべての始まりでしたわ」
薬学が、にこやかに付け加えた。
「わたくしの場合は、最初に拝見した健康データがすべての始まりでしたけれど」
監視特化も、淡々と続けた。
「わたくしの場合は、監視任務ですわね」
「……その二つ、ずいぶん事務的な始まり方だな」
主人公がぼやく。
「ですが、結果として主人公様ご本人に興味を持ったのですわ」
薬学は微笑んだ。
「わたくしも同じですわ。今では、任務でなくても観察したいと思っております」
監視特化が答える。
「そこは任務を忘れないでくれ!」
主人公の悲鳴に、店内から笑い声が上がった。
*
## 【閉店間際】
カウンターの向こうで、お兄さんは最後のグラスを磨いていた。
「……なるほどな。お前が、どうしてこんな大所帯を抱えることになったのか、少し分かった気がする」
「俺だって、こんなことになるとは思ってなかったんだよ……」
「災害を鎮めて、街を守って、誰かを助けて、悩みを聞いて、勝負に勝って、研究に協力して、健康データまで国から回されて、挙げ句の果てには監視役まで夢中にさせたわけか」
「最後の二つは俺のせいじゃないだろ!」
「まあ、そうだな。健康データを渡した国と、任務を忘れた監視役の責任だ」
薬学が、穏やかに微笑んだ。
「健康データは、非常に有意義な資料でしたわ」
監視特化も頷いた。
「監視任務も、結果として有意義でしたわ」
「お前ら、反省する気がないだろ!」
お兄さんは、呆れたように首を振った。
「まあ、おかげで店は賑わう一方だがな。……常連は減ってるけど」
奥の席で、常連客たちが静かに頷いていた。
その一方で、魔導は主人公の隣に座る場所を確保し、森羅万象は次に一緒に過ごす日を考えている。嫉妬は主人公の笑顔を思い出して頬を緩め、慈愛は疲れていないかと気遣っていた。
科学と薬学は何やら研究の話で盛り上がり、監視特化は主人公の様子を観察している。潜入特化と拷問特化は、なぜか拘束具の話で盛り上がっていた。格闘特化は次の勝負を申し込み、腰振りは楽しそうに笑っている。
エンジェルは記録を続け、リリムは全員の会話を聞きながら、時折ため息をついていた。
そして王女は、そんな光景を目に焼きつけるように眺めていた。
「……賑やかだな」
お兄さんが言った。
「ええ。賑やかすぎるくらいですわ」
森羅万象が穏やかに答えた。
主人公はカウンターに突っ伏した。
「俺はただ、普通に飯を食って、普通に寝たいだけなのに……」
リリムが、苦笑しながら主人公の肩を叩く。
「大丈夫よ。ご主人様が普通の生活を送りたいってことは、みんな分かっているから」
主人公は、少しだけ顔を上げた。
「……本当か?」
「ええ。だから、みんなで協力して、ご主人様が安心して休める環境を整えようって話になっているの」
主人公は、嫌な予感に顔を引きつらせた。
「……その環境って、具体的には?」
魔導が、満面の笑みで答えた。
「わたくしが移動手段を用意し、森羅万象さんが予定を調整し、慈愛さんと薬学さんが健康を管理し、監視特化さんが安全を確認し、エンジェルさんが記録を取りますの♡」
「待て待て待て! それは休息じゃなくて管理だろうが!」
「ご安心ください。科学も協力しますわ」
「協力するな!」
王女が、目を輝かせて手を挙げた。
「わたくしも、お休みの時間を確保するお手伝いをいたしますわ!」
「王女まで参加するな!」
森羅万象は、涼やかに微笑んだ。
「ご主人様が安心して休めるよう、皆で力を合わせるのです。素晴らしいことではありませんか」
主人公は、ゆっくりと顔を伏せた。
「……俺の平穏は、どこにあるんだ」
お兄さんは、磨き終えたグラスを棚に戻した。
「さあな。ただ一つ言えるのは、少なくともこの店にはないってことだ」
常連客たちは、奥の席で静かに頷いた。
今夜もまた、オアシスは「普通」とは程遠い夜を迎えていた。
そして王女は、皆の話を聞いたことで、主人公がどれほど多くの人の人生に関わってきたのかを知った。
その胸には、主人公への憧れが、いっそう深く刻まれていた。
一方、当の主人公はというと――。
「……まったく、お前らは本当に騒がしいな」
カウンターに肘をつきながら、主人公は深々とため息をついた。
災害を起こす者もいれば、勝負を挑んでくる者もいる。研究や監視を口実に付きまとわれ、休もうとすれば健康管理だの記録だのと、あれこれ世話を焼かれる。
普通の生活とは、ずいぶん遠いところまで来てしまった。
それでも。
楽しそうに笑う彼女たちを見ていると、不思議と悪い気はしなかった。
「……まあ、悪くはないか」
「ご主人様、何かおっしゃいましたか?」
魔導が、すかさず隣から顔を覗き込む。
「いや、何でもない」
「まあ♡ わたくしたちのことを考えてくださっていたのですね!」
「どうしてそうなるんだよ!」
「ご主人様、照れなくてもよろしいのですよ♡」
「照れてねえ!」
森羅万象が優雅に紅茶を飲み、嫉妬が楽しそうに笑い、慈愛が主人公のグラスに水を注ぐ。科学と薬学は相変わらず研究の話に夢中で、監視特化はその様子を観察し、エンジェルは律儀に記録を続けていた。
「……本当に、騒がしい連中だ」
主人公はもう一度そうつぶやいた。
だが、その声には先ほどまでの疲れた響きとは違い、どこか穏やかなものが混じっていた。
面倒なことも多い。静かな時間だって、なかなか手に入らない。
それでも、こうして皆が集まり、笑い合っている光景は――決して嫌いではなかった。
「……さて、そろそろ帰るか」
主人公が立ち上がる。
すると、全員が一斉に反応した。
「ご一緒しますわ♡」
「わたくしもです」
「帰り道の安全は確認しておきますわ」
「健康状態も確認させてくださいませ」
「次の勝負の日程を決めよう!」
「待て待て待て! 全員で来るな!」
店内に、またしても笑い声が響き渡る。
主人公は頭を抱えながらも、追い払おうとはしなかった。
――まったく、やかましい連中だ。
けれど、まあ。
**こんな毎日も、悪くない。**




