リリム覚醒
【現実世界・主人公の屋敷・リビング】
夜。
リビングは、すでに戦場だった。
「主人公様♡ 今夜は私と一緒に、夜の生活を楽しみませんこと?」
魔導が主人公の右腕にべったりと張り付く。
「記録によれば、昨夜は睡眠時間が不足しています。今夜は私が付き添って、しっかり管理しますね♡」
エンジェルが左腕を確保し、バインダーを開いた。
「おい、両側から挟むな! 息ができない!」
「まあ♡ 照れていらっしゃるのですね」
「違う! 物理的に肺が潰れる!」
嫉妬が後ろから覆いかぶさってきた。
「待ちなさい! 今夜のお隣は私の予定よ!」
「予定って誰が決めたんだよ!」
「私が今決めたわ♡」
慈愛が心配そうに飲み物を差し出す。
「皆さん、少し離れてあげて。主人公様が息苦しくなりますわ」
「お前も近づいてるだろ!」
薬学が脈を取る。
「心拍数上昇を確認。夜の活動に備えて、強壮剤を調合しましょうか」
「調合するな!」
科学が端末を操作する。
「明日の予定から『自由時間』を削除しました。夜の生活改善枠を三時間確保」
「誰が頼んだ!」
監視情報が実況を始める。
「現在、主人公の周囲に八名が接触中。逃走経路はすべて封鎖済み」
「実況しなくていい!」
森羅万象がさりげなく立ち位置を変える。
「危険ですので、進路を整えましたわ♡」
「崖みたいな立ち位置を作るな!」
潜入特化が背後から顔を出す。
「……最初からです」
「怖いわ! いつの間に!」
主人公はソファに沈みながら叫んだ。
「誰か、普通に離れてくれええええ!!」
誰も聞く耳を持たなかった。
その様子を、廊下の陰からじっと見つめている者がいた。
リリムである。
「……ふうん」
魔導が主人公の腕を抱きしめる。
「……へえ?」
エンジェルが「夜の生活管理」を提案する。
嫉妬が「今夜は私の番」と割り込んでくる。
誰もリリムのことなど気にしていない。
リリムの頬が、ぴくりと引きつった。
「……ちょっと、待ちなさいよ」
誰も聞いていない。
「私だって主人公様のことが好きなのよ?」
魔導がさらに密着する。
「主人公様♡ 次は私と夜のお話をしましょう?」
「いや、さっきからずっとお前たちと話しているだろ!」
「もっと深くお話ししたいですわ♡」
「俺の話を聞け!」
リリムのこめかみに、青筋が浮かんだ。
「なんで私ばっかり我慢してんのよ!」
「私は近づこうとするたびに追い返されて! 寝室に行こうとすれば捕まって! 規則だの許可だのって……!」
「なのに、あんたたちは夜の生活だの管理だの、好き放題じゃない!」
リビングでは、嫉妬と魔導が主人公の腕を奪い合っていた。
「主人公様のお隣は私の場所ですわ♡」
「今日は私の番でしょう!」
「先に確保した者勝ちですわ♡」
「勝手にルールを作るな!」
「だから、俺を巻き込むなって! 夜の生活とかやめろ!」
誰もリリムの怒りには気づいていなかった。
リリムの足元で、黒い魔力が揺らめいた。
「……もういいわ。遠慮なんてしない」
床が震え、照明が明滅する。
「……え?」
科学が一瞬だけ顔を上げた。
「今の魔力反応……?」
しかし、すぐに主人公へ視線を戻す。
「主人公様、今夜の夜の生活予定ですが――」
「いや、今の反応は何だったんだよ!」
リリムの背後に、巨大な魔法陣が展開した。
「私は……ずっと我慢していましたわ! 夜の生活担当、私がいただきます!」
次の瞬間、魔力が爆発した。
*
【現実世界・主人公の屋敷・リビング】
リリムの背後から、無数の従魔が這い出してきた。
そのうちの何体かは、きちんと『夜の生活改善マニュアル』を手に持っている。
「……何、あれ?」
薬学が息を呑む。
「この魔力量……! リリム、いったい何を――」
「今さら気づいたの? 夜の生活担当を奪いに来たんですわ!」
リリムは冷たい笑みを浮かべた。
「――従魔の行軍! マニュアル通りに片付けなさい!」
無数の従魔が、一斉に襲いかかった。
「えっ?」
森羅万象が吹き飛ばされ、魔導の防御結界が粉砕される。
薬学も科学も、反撃する間もなく床へ叩きつけられた。
「ちょっと! 何ですの、この数は!?」
「今さら文句を言うの!?」
リリムが手を振ると、マニュアル持ちの従魔が魔導へ殺到した。
「きゃあああああっ!!」
魔導はソファの残骸に埋もれた。
「魔導!?」
薬学が助けに向かうが、足元で魔力が爆発。彼女も床を転がった。
科学は防御結界を展開するものの、あっという間に粉砕される。
「こんなの、解析している暇もない……!」
「解析なんてさせるわけないでしょう!」
慈愛が主人公を守ろうと結界を張り、嫉妬が怒りに任せてリリムへ突進する。
「主人公様の隣は、私のものよ!」
「その台詞、私が言いたいんですけれど!?」
次の瞬間、二人も従魔の群れに飲み込まれた。
「きゃあああああっ!」
悲鳴と轟音がリビングに響き渡る。
家具が砕け、テーブルがひっくり返り、ソファが壁際まで吹き飛ばされた。
「規則を無視するにも限度がありますわよ!」
魔導が床から叫んだ。
「今さら規則の話をするんですの!? 夜の生活を押し付ける前に、少しは私のことも考えて!」
リリムが指を振る。
「もう一度、行きなさい!」
「きゃあああああっ!!」
魔導は再び吹き飛ばされ、沈黙した。
「……魔導が二回も吹き飛ばされた」
科学が床に倒れたまま呟く。
「そこを分析しなくていいから……!」
エンジェルがバインダーを盾にしようとする。
「記録します! リリム様の魔力覚醒により――」
「記録してる場合ですか!?」
従魔に弾き飛ばされ、エンジェルも床に転がった。
森羅万象も最後の抵抗を試みるが、リリムは笑顔で手を振った。
「まだ終わっていませんわよ♡」
従魔たちが殺到し、森羅万象も床に倒れた。
リビングは見る影もなかった。
誰一人として、立っている者はいなかった。
「ふふふ……これで邪魔者はいなくなりましたわ! 夜の生活も、私が管理しますから!」
*
【現実世界・主人公の屋敷・リビング】
リリムは満足げに微笑み、主人公の方へ向き直った。
「さあ、主人公様。これからは二人きりで、夜の生活を――」
その時だった。
主人公が、静かに彼女の手首を掴んだ。
「……もう、いい加減にしろ」
リリムの動きが止まった。
「……え?」
主人公は倒れたヤンデレたちを一瞥し、それからリリムを真正面から見つめた。
「お前が怒っていたのは分かった。でも、こんなやり方は間違っている」
リリムの目に、主人公の姿が大きく映った。
その瞬間――彼女の視界に、淡い光のフィルターがかかった。
主人公の横顔が、いつもより少しだけ整って見え、声の響きが優しく、手の温かさが胸に直接染み込むように感じられた。
(……ああ)
リリムの鼓動が、大きく跳ねた。
「主人公様が……私の手を、掴んで……」
彼女は自分の手首を掴む主人公の手を見つめ、顔を真っ赤にした。
「私の愛を……受け止めてくれたのですね……!」
「……は?」
主人公が困惑した声を上げる。
「違くないですわ! こんなに強く握って……離さないなんて……!」
実際には、ただ制止するために掴んだだけだった。
だが、イケメンフィルター全開のリリムには、その区別がつかない。
「ずっと我慢して……ずっと見ていて……でも、主人公様は私の気持ちを分かってくれた……!」
「分かってない! ただ止めようとしただけだ!」
「優しい……! こんなに優しく制止してくださるなんて……!」
「優しくない! 普通に怒ってる!」
リリムは感極まった表情で、掴まれた手を逆に握り返した。
「主人公様……! 私、もっと頑張って近づきますからね……! 夜の生活も、ちゃんと二人で……!」
「だからその解釈をやめろぉぉぉ!!」
床に倒れていたヤンデレたちが、くたりと呻いた。
魔導がかすれた声で呟く。
「……最悪の展開ですわね……」
エンジェルがバインダーを探りながら弱々しく言った。
「記録……します……『主人公様、リリム様の手を掴んで制止。リリム様、これを愛の受け止めと誤認』……」
「その記録もやめろ……」
*
【魔界・魔王城・監視室】
巨大なモニターには、屋敷の惨状と、主人公に手を握られたまま顔を赤らめるリリムが映し出されていた。
ルシファー、アスタロト、ベリアルの三人が、揃って口を開けて固まっていた。
「…………」
長い沈黙。
ベリアルが震える声で呟いた。
「……なあ。リリムが本気でキレると、こうなるのか……」
「想定外です。嫉妬で魔力覚醒して、屋敷の全員を一気に制圧するとは……」
アスタロトが眼鏡を外した。
「しかも従魔に『夜の生活改善マニュアル』を持たせてる……あの子、どこで覚えたんですか」
ルシファーは深く息を吐いた。
「……俺たち、あいつが屋敷で暮らせるように、あれだけ細かく条件を決めたよな?」
「そうだ」
「監視体制も、生活上の規則も、問題発生時の対応も……一通り整えたはずだ」
ベリアルが頭を抱えた。
「なのに肝心の主人公まで『愛を受け止めた』と勘違いされてるじゃねえか! 本末転倒すぎるだろ!」
ルシファーはモニターを見つめたまま言った。
「……リリムの指導計画を、最初から作り直す必要があるな。というか、イケメンフィルターまで発動するとは……正直、唖然とした」
アスタロトは静かに記録を閉じた。
「……もう、いいです」
「は?」
「匙を投げます。この屋敷の件は、我々の手に負えるレベルを超えています」
ベリアルも深くため息をついた。
「俺もだ。細かい条件をいくら決めても、結局こうなるなら……もう無理だ」
二人は揃ってルシファーに向かって頭を下げた。
「魔王様、あとは任せました」
ルシファーはモニターに映る、顔を真っ赤にして主人公の手を握りしめるリリムと、困惑する主人公を見つめ、静かに目を閉じた。
「……分かった。あとは俺が何とかする」
魔王城の監視室に、重い沈黙だけが残った。




