リリム 屋敷の一員になる
# 番外編――同居二日目、寝室侵入事件
【現実世界・主人公の屋敷・応接室】
「……というわけで、リリムをこの屋敷に住まわせたい」
主人公の提案に、応接室が静まり返った。
森羅万象、魔導、科学、薬学、慈愛、嫉妬、監視情報、潜入特化、格闘特化、拷問特化、腰振りスペシャリスト。そして、バインダーを抱えたエンジェル。
全員の視線がリリムへ向いた。
「以前は、同居を認めないという結論だったはずですわね」
森羅万象が静かに告げる。
「だから、まずはお互いを知ろうって話になったんだ。ガールズトークもしただろ?」
「ええ♡ 想像以上でしたわ!」
リリムは満面の笑みで答えた。
「皆様、賑やかで、面倒見がよくて、主人公様のことで少しばかり……いえ、かなり大変な方々でしたわね」
「少しばかり、ですって?」
嫉妬が笑顔のまま聞き返す。
「はい♡ 控えめに言って『少しばかり』ですわ」
「そこは否定しなさいよ!」
魔導が優雅に扇子を広げた。
「愛に終わりなどありませんわ♡」
「話し合いには終わりがあるんですのよ! 愛を議事進行の妨げにしないでくださいまし!」
「主人公様、愛を議事進行の都合で制限するおつもりですの?」
「そういう話じゃない!」
エンジェルがバインダーに書き込んだ。
「ガールズトーク編、記録完了です♡」
「編って言うの、やめてくださいまし! 議事録ですわ、議事録!」
そのとき、エンジェルが思い出したように口を開いた。
「そういえば、私のお料理についてもお話ししましたね♡」
リリムの笑顔が、すっと冷えた。
「ええ。主人公様が、炭と化したお料理を実際に召し上がったと聞いて、耳を疑いましたわ」
「……あれは本当にひどかった」
主人公が遠い目をする。
「しかも、惚れ薬まで仕込んでいたのでしょう? 味見もせず、本人の同意も得ず、薬の影響で出た反応を愛の証拠扱いする……。料理以前に、倫理観まで炭化していますわね。あの炭、もしや倫理観の燃えカスでは?」
「愛ですから♡」
「便利な言葉ですわね。次は国際法違反も愛で済ませるおつもり? 『愛です』で押し通せるなら、魔界の法律もいりませんわ」
「リリム、なかなか言うわね……」
嫉妬が感心したように呟いた。
科学が資料を閉じる。
「少なくとも、リリムは自分の目的を隠していない。主人公への好意も明確だ。あとは共同生活のリスクを管理できるかどうかだな」
「私としては、主人公様のそばにいたいだけですわ。皆様を出し抜いて独占したい、とまでは申しません。少なくとも、朝五時に総出で待ち伏せするような真似はしませんわ」
「今の言い方、少し引っかかるんだが……」
主人公の懸念をよそに、嫉妬が結論を出した。
「完全に信用したわけじゃない。でも、本人の意思を確認したうえで、規則を守らせるなら同居を認めてもいいんじゃない?」
森羅万象たちも、条件付きで同意した。
こうしてリリムの同居が認められた。
行動範囲、面会時間、プライバシーの尊重。そして、主人公の寝室への立ち入りには明確な許可が必要。
「分かりましたわ♡ 規則はきちんと守ります!」
リリムは胸を張った。
主人公は、ようやく一つ問題が片づいたと安堵した。
――その判断が甘かったことを、彼は翌朝知ることになる。
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【現実世界・主人公の屋敷・廊下】
リリムが屋敷で暮らし始めて、二日目の朝。
まだ住人たちが起き出す前、リリムは小さな枕を抱えて廊下を歩いていた。
「ふふっ……ついに、この日が来ましたわ♡」
昨夜、主人公の寝室に入るには許可が必要だと説明された。
だが、リリムはその規則を独自に解釈していた。
「寝室に入ってはいけないとは、書かれていませんでしたもの♡ 『許可が必要』とあるだけで、『絶対に入るな』とは書いてありませんわ。法の穴というやつですわね」
扉の前で立ち止まり、そっと取っ手に手をかける。
「主人公様が目を覚ましたとき、隣に私がいたら……きっと運命を感じてくださいますわ!」
もちろん、そんなわけはない。
リリムは静かに扉を開けた。
「失礼しますわね、主人公様♡」
ベッドの上では、主人公が熟睡していた。
「まあ……無防備ですこと♡」
枕を抱えたままベッドに近づく。
あと一歩。
もう一歩。
そして、掛け布団をめくろうとした瞬間だった。
「――何をしているのかしら?」
背後から、冷たい声が響いた。
「……え?」
振り返ったリリムの目に映ったのは、腕を組んだ魔導。
その隣には、嫉妬、監視情報、格闘特化。
さらに廊下の奥には、森羅万象、科学、薬学、慈愛、潜入特化、拷問特化、腰振りスペシャリストまで勢ぞろいしていた。
「…………」
リリムは一同を見渡した。
「……あの」
「何かしら?」
魔導が微笑む。
「皆様、朝の五時から何をなさっているんですの? まさか、私の侵入を防ぐために総出で待ち伏せしていた、とか?」
「あなたの侵入を防ぐためよ!」
「……本当にそうでしたの。監視カメラがあるなら映像を確認してから対応すればいいのに、わざわざ全員で寝室前に集合するとは。私の行動より、皆様の行動の方がよほど計画的で恐ろしいですわね。効率が悪すぎますわ」
「お、おはようございますわ♡」
リリムはとりあえず笑顔を作った。
「おはようございます、ではありませんわ!」
魔導が笑顔で告げた。
「昨夜、寝室への立ち入りには許可が必要だと確認しましたわよね?」
「ええ、もちろん覚えていますわ♡」
「では、なぜここに?」
「主人公様のお目覚めを、すぐそばでお祝いしようと思いまして♡」
「それを世間では無断侵入と呼ぶのよ!」
嫉妬がリリムの腕をつかんだ。
「主人公のベッドに潜り込むつもりだったわね?」
「ちょ、ちょっとだけですわ! ちょっとですもの!」
「その『ちょっと』が問題なのよ!」
監視情報が淡々と報告する。
「午前五時十二分、リリムが自室を出発。五時十四分、主人公の寝室前に到着。五時十五分、無断で扉を開放。五時十五分十秒、布団をめくろうとする動作を確認」
「いつから見ていたんですの!?」
「起床してからずっとです。というか、昨夜から監視カメラは回っています」
「昨夜から!? ちょっと待ってくださいまし。私が規則を破る可能性を考えて監視していたのは分かります。そこまでは分かりますわ」
「理解が早くて助かるわね」
「ですが、なぜ寝室前に全員集合しているんですの!? 監視カメラがあるなら、映像を確認してから対応すればよろしいでしょう! わざわざ総出で待ち伏せする必要がありますの? 過労で倒れても知りませんわよ?」
「主人公を守るためよ!」
「その主人公様は、今も熟睡なさっていますけれど!? 守る対象を起こしてどうするんですの! 本末転倒もいいところですわ!」
「それが一番なのよ!」
「もう会話が成立していませんわ!! 監視が厳しすぎますわ! 寝室に入る前から、こちらの行動が全部把握されているなんて、魔界の諜報機関でもここまで陰湿ではありませんわよ! 効率とプライバシーのバランスを少しは考えてくださいまし!」
「規則を破ろうとするからでしょう!」
格闘特化がリリムの反対側の腕をつかんだ。
「さあ、連行だ!」
「待ってくださいまし! 私はまだ何もしていませんわ! 布団をめくろうとしただけですもの!」
「ベッドに潜り込もうとしていただろ!」
「未遂ですわ! 未遂は罪に問われないはずですわ! この屋敷に刑法はないとおっしゃるなら、せめて未遂と既遂の区別くらいはつけてくださいまし!」
「この屋敷に刑法はない! あるのは愛と規則だけだ!」
「法治国家として終わっていますわよ、この屋敷!! 愛と規則だけで国家が回るなら、魔王様も失業ですわ!」
騒ぎで目を覚ました主人公が、寝ぼけ眼で上半身を起こした。
「……何の騒ぎだ?」
全員が一斉に答えた。
「リリムが寝室に侵入しました!」
「……は?」
リリムは両腕をつかまれたまま、必死に笑顔を浮かべた。
「おはようございます、主人公様♡ 偶然ですわ!」
「どこが偶然なんだよ!」
「偶然、扉が開いて、偶然、主人公様がいらっしゃって、偶然、添い寝をしようと思っただけですわ♡」
「偶然の使い方が壊滅的だ! それ全部『故意』だろ!」
「主人公様までそちら側ですの!? 少しは私の立場も考えてくださいまし!」
「当たり前だろ! 何で俺のベッドに入ろうとしてるんだ!」
「それは、主人公様と親睦を深めるためですわ♡」
「親睦は寝ている間に深めるものじゃない!」
「では、起きている間ならよろしいのですか?」
「そういう問題じゃない!」
リリムは腕をつかまれたまま、ふっと息を吐いた。
「……分かりましたわ。私が無断で入ろうとしたのは悪かったです。謝りますわ。でも、皆様も少しはご自分たちの行動を振り返ってくださいまし。朝っぱらから集団で寝室を包囲するなんて、普通ではありませんわよ。監視カメラがあるなら、それで十分でしょうに。過保護もここまでくると犯罪ですわ」
「私たちのことはいいの!」
「よくありませんわ!! 私が規則を破ろうとしたのは事実ですが、皆様が主人公様の睡眠を守るために主人公様を起こしている時点で、目的と手段が完全に逆転していますわ!」
主人公の朝は、こうして終わった。
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【応接室・緊急説教会議】
リリムは応接室の中央に座らされていた。
正面には、魔界から呼び出された三人。
魔王ルシファー。
情報戦を担うアスタロト。
交渉と生活調整を担当するベリアル。
そして左右には、屋敷のヤンデレたちが並んでいる。
ルシファーは集まった面々を見渡し、深々とため息をついた。
「……朝五時から何をやっているんだ、お前たちは。リリムの一件で呼び出されたと思ったら、この有様か」
「リリムが主人公の寝室に侵入しようとしたのよ!」
魔導が即座に告げた。
「それは聞いた。で、なぜお前たちまで全員寝室の前にいた?」
「主人公を守るためよ!」
ルシファーは額を押さえた。
「守る対象を起こしてどうする。本末転倒もいいところだ」
「そ、それは……」
屋敷側が言葉に詰まる。
リリムはすかさず手を挙げた。
「魔王様! この屋敷、私より先に住人の皆様を取り締まった方がよろしいのではなくて? 朝五時から総出で待ち伏せですわよ!」
「お前も寝室に無断で入ろうとしたんだろうが」
「それは認めますわ! でも、私が規則を破ろうとしたことと、皆様が集団で寝室を包囲していたことは別問題ですわ!」
「……そこはその通りだな」
ルシファーはあっさり認めた。
「リリムの行動は止める必要がある。だが、監視カメラがあるのに全員で張り込む理由はない。お前たち、主人公を守るつもりで主人公の睡眠を妨害しているぞ」
主人公が疲れた顔で頷いた。
「できれば、そこに気づいてほしかった……」
ベリアルはテーブルの上に置かれた規則案を見た。
「寝室への立ち入りを禁止。無断接触を禁止。規則の独自解釈を禁止……。リリム向けの規則を追加する案が出ているようですが、これ以上増やす必要はありません」
「待ってくださいまし! なぜ私専用の規則を増やす話になっていますの!?」
「あなたが実際に規則を破ろうとしたからでしょう」
「それはそうですけれど!」
ベリアルは規則案を裏返した。
「必要なのは、リリムだけを縛る規則ではなく、全員が守る規則です。第一、主人公の寝室には許可なく入らない。第二、寝ている主人公に無断で触れない。第三、違反者を捕まえるために全員で寝室前に集合しない」
「最後の一項、私たちにも適用されるの!?」
嫉妬が目を見開いた。
「当然です。規則は公平でなければなりませんから」
リリムはベリアルを見て、感心したように頷いた。
「ベリアル様、あなたは話が通じますわね。魔界の方がまともだと分かって、少し安心しましたわ」
「魔界を基準にして安心するのは、どうかと思いますが……」
ベリアルは疲れた顔で返した。
「私も、こんなことで朝から呼び出されるとは思いませんでしたよ」
アスタロトは監視情報の報告書を読み終え、静かに口を開いた。
「リリムの行動については、許可を得ずに寝室へ入った時点で問題があります。目的が添い寝であれ、親睦であれ、本人の同意を確認していないことに変わりはありません」
「うっ……それは認めますわ」
リリムは少しだけ目をそらした。
「ですが、情報戦の観点から言えば、屋敷側の対応にも疑問があります。監視カメラで行動を把握できるのなら、必要な時点で少人数が対応すれば十分です。昨夜から監視を続け、全員で寝室前に集合するのは、警戒として過剰です」
「あなた、私の行動を分析しているんですの?」
「報告書を読んでいるだけです」
「では、私の作戦はどうでしたの?」
「無断侵入を試みた時点で失敗です。情報戦として評価する以前の問題ですね」
「そこは容赦がありませんわね!?」
「事実ですので」
アスタロトは報告書を閉じた。
「屋敷側も監視の運用を見直すべきです。警戒することと、全員で張り込むことは別ですから」
「その通りですわ! ようやくまともな話ができましたわ!」
「リリム。あなたも反省する側ですよ」
「分かっていますわ! そこは認めていますでしょう!」
ルシファーはこめかみを押さえた。
「もういい。リリムは無断で寝室に入ろうとした。そこは本人も認めている。一方、屋敷の連中はそれを防ぐために全員で寝室前に集まった。どちらも問題だが、後者は人数も手間もかけすぎだ」
「魔王様、結局どちらが悪いんですの?」
「どちらが悪いか競うな!」
主人公が思わず叫んだ。
「私だけが悪者にされるのは納得できませんもの!」
「自分の非を認めた直後に、責任の配分を気にするな!」
「認めることと、他の問題を見過ごすことは別ですわ!」
「理屈は分かるが、まず俺の寝室に入るな!」
「はい。そこは謝りますわ」
リリムは素直に頭を下げた。
「勝手に入ろうとしたことは申し訳ありませんでした。次からは許可を取りますわ」
「……最初からそうしてくれ」
主人公は深く息を吐いた。
ベリアルは規則案を三人の前に置いた。
「では、規則は三つに絞ります。主人公の寝室には許可なく入らない。寝ている主人公に無断で触れない。そして、違反者を捕まえるために全員で寝室前に集合しない。監視は必要な範囲にとどめ、映像で確認できることは映像で確認する。これで双方に同じ基準を適用できます」
「寝室前で待機することまで禁止されたら、主人公に何かあったときに――」
嫉妬が反論しかける。
「監視カメラがあるのでしょう?」
ベリアルが即座に返した。
「映像を確認してから対応してください。あなた方自身がそう説明していたではありませんか」
「うっ……」
「自分たちが持ち出した理屈で、自分たちが反論されているな」
ルシファーが呆れた声を出した。
リリムは小さく拍手した。
「お見事ですわ、ベリアル様!」
「拍手は結構です。あなたも規則を守ってください」
「もちろんですわ♡」
「その返事が一番信用できないんだが……」
主人公がぼそりと呟いた。
アスタロトは報告書をまとめた。
「会議の結論を記録します。リリムは無断侵入を試みたことを謝罪。屋敷側は過剰な監視と集団待機を見直す。寝室への立ち入りと接触には、本人の許可を必要とする。以上です」
「やっと終わりましたわね……」
リリムが肩の力を抜いた。
「そうだな。三人も呼んで、ようやく普通の規則が決まった」
ルシファーは立ち上がった。
「もう二度と、寝室のことで魔界に連絡してくるなよ」
「私におっしゃっていますの?」
リリムが首を傾げる。
「お前もだし、そっちの連中にも言っている。次は自分たちで解決しろ。できれば、主人公を起こす前にな」
「善処しますわ♡」
魔導が笑顔で答えた。
「その返事も信用できないな……」
ルシファーは疲れ切った顔で扉へ向かった。
「魔界の方がまともだと思える日が来るなんて、夢にも思いませんでしたわ」
リリムがしみじみ呟く。
「お前も原因の一人だからな!」
主人公の叫びが、応接室に響き渡った。
そして彼は悟った。
この屋敷では、問題を解決するために会議を開くと、問題の数が増えるらしい。




