危険能力者
六月の空はどんよりと曇っていた。
梅雨入りしたばかりの東京は蒸し暑く、屋上に吹く風ですら生ぬるい。
俺――永瀬悠馬は、ビルの屋上に設置されたフェンスへ背中を預けながら缶コーヒーを口に運んだ。
仕事中に飲むコーヒーは不思議と美味い。
特に自分が走らなくていい時は。
『対象、北側ブロックへ侵入!』
無線機から慌ただしい声が響く。
公安特殊能力対策課の隊員だ。
『永瀬! 聞いてるか!?』
「聞いてますよ」
『だったら少しは焦れ!』
「焦って解決するなら焦りますけど」
俺はスマートグラスに表示された監視カメラ映像へ視線を向けた。
逃走中の能力犯罪者。
二十三歳、男。
能力名《加速》。
単純だが厄介な能力だ。
身体能力を強化しながら高速移動できる。
現在速度は時速百八十キロ。
一般警察では追いつけない。
能力者部隊でも捕捉が難しい。
だから俺が呼ばれた。
『対象、中央通りへ!』
「見えてます」
映像が切り替わる。
白いパーカーの男。
全力疾走。
信号無視。
歩行者が悲鳴を上げている。
迷惑な奴だ。
「さて」
俺は缶コーヒーを足元へ置いた。
右手を持ち上げる。
親指を立てる。
人差し指を前へ向ける。
子供の頃から変わらない、指鉄砲の形。
正式名称は模擬兵装:指
長いので誰も呼ばない。
俺自身も呼ばない。
「対象確認」
監視カメラ越しでも問題ない。
認識できている。
なら撃てる。
男が交差点へ差し掛かる。
三。
二。
一。
親指を下ろした。
乾いた破裂音。
映像の中で男の右膝が跳ねる。
「うわっ!?」
次の瞬間、派手に転倒した。
アスファルトを転がり、街路樹へ激突する。
『転倒確認!』
『確保班突入!』
『対象制圧します!』
無線が騒がしくなった。
俺は缶コーヒーを拾い上げる。
「終わりですか?」
『……お前な』
上司の呆れた声が聞こえた。
『毎回それだな』
「転ばせただけですよ」
『時速百八十キロの能力者を一発で止めるのは普通じゃない』
「俺には普通です」
実際そうだ。
昔から変わらない。
見えていれば当たる。
それだけだ。
能力としては地味である。
炎も出ない。
雷も落ちない。
空も飛べない。
ヒーロー番組に出れば一話で人気投票最下位を取る自信がある。
ただ公安は評価してくれた。
ありがたい話だ。
給料は安いが。
『現場終了後、本部へ来い』
「報告書ですか?」
『違う』
上司が少しだけ間を置く。
『国家機密案件だ』
「嫌な予感しかしないんですが」
『正解だ』
通信が切れた。
俺は空を見上げる。
「帰りたい……」
当然、帰れなかった。
◇
公安本部。
地下十二階。
会議室。
国家機密案件と言われた時点で嫌な予感はしていた。
その予感は当たる。
だいたい当たる。
「危険度S級?」
資料を見ながら俺は眉をひそめた。
「十二歳の女の子が?」
「正確には能力が、だ」
向かい側に座る課長が言う。
「名前は天音紬」
机へ写真が置かれる。
黒髪。
小柄。
年齢相応の少女だった。
「能力は《再構成》」
「聞いたことありませんね」
「当然だ。秘匿指定だからな」
課長が資料をめくる。
「物質操作能力だ」
「へぇ」
「コンクリートを粘土のように変形させる」
「便利そうですね」
「鋼鉄も可能だ」
「便利ですね」
「理論上は戦車も作れる」
「便利の次元超えてません?」
課長が深いため息を吐く。
「だから危険なんだ」
なるほど。
確かに危険だ。
「暴走歴あり」
「怪我人は?」
「ゼロ」
「優秀ですね」
「施設一棟が消えた」
「優秀じゃなかった」
課長は頭を押さえた。
俺も押さえたい。
面倒な案件の匂いしかしない。
「で?」
「保護対象だ」
「なるほど」
「会ってこい」
「なるほど」
「担当になれ」
「断ります」
「却下だ」
知ってた。
◇
保護施設は郊外にあった。
高い塀。
監視カメラ。
警備員。
どう見ても刑務所だった。
「保護施設です」
職員が説明する。
「そうですか」
刑務所だった。
案内された部屋の前で職員が足を止める。
「接触には注意してください」
「はい」
「刺激しないように」
「はい」
「危険能力者ですので」
そこで俺は少しだけ眉をひそめた。
危険能力者。
便利な言葉だ。
だいたい人間扱いしなくなる。
「十二歳ですよね?」
「え?」
「中学生ですよね?」
「……そうですが」
「なら子供じゃないですか」
職員は困ったような顔をした。
俺はドアを開ける。
部屋の中には一人の少女がいた。
窓際。
本を読んでいる。
こちらを見る。
びくりと肩が震えた。
怯えている。
慣れている目だった。
たぶん今まで何度も見られてきたのだろう。
危険能力者を見る目で。
俺は適当な椅子へ腰を下ろした。
「腹減ってないか?」
少女が固まった。
「……え?」
「俺は減った」
沈黙。
「……」
「給食うまい?」
「……」
「俺の中学の給食は不味かった」
少女がぱちぱちと瞬きをする。
警戒していた顔が少しだけ崩れた。
「……ピーマン」
「ん?」
「ピーマン、嫌い」
小さな声だった。
俺は頷く。
「奇遇だな」
「……」
「俺も嫌い」
少女の口元が少しだけ動く。
そして。
ほんの少しだけ笑った。




